学長ブログ
11月の学長ブログ
もりや市民大学では学園ニュースを発信しているのでご存じの方が多いと思いますが、今回は「守谷を知るコース」第14回目にて茨城県自然博物館訪問の校外授業のニュースでした。私もこの校外授業に参加しました。340円の入場チケットを手に入館すると、直ちに研修室へ入室、そこで、守谷の昆虫の話と守谷の植物の話を聞きました。もとは守谷市と周辺市内の小学校教員だった石塚先生による昆虫のお話と学芸補助員の飯田先生による植物のお話、詳しくは学園ニュースをご覧ください。両先生は「守谷野鳥のみち」のガイドも引き受けて下さっているそうです。
オサムシの話には驚きました。マンガの巨匠、手塚治虫がオサムシの大ファンであり自分のペンネームを手塚オサムシにしたがった、という話です。オサムシに引っ掛けて治虫という名前にしたそうです。初耳でした。でも、それよりもっと私が注目したのは、石塚先生が何気なくおっしゃった「世代交代が早い昆虫は発展するのですよ」という一言でした。昆虫の多くは一年に一度の世代交代ですが、種類によっては一年に複数回世代交代できる昆虫もいるそうです。そして、そのような昆虫はより大きく繁栄するというのです。これも初耳でした。
昆虫の世界から学んだのは「世代交代はグループを発展させる」という自然法則でした。いま、もりや市民大学では運営委員の世代交代に取り組んでいます。運営委員を10年以上担当してきた方々はOBとしてその経験を次世代に伝えながら第一線から退いていただき、新しい運営委員にバトンタッチしたい、という希望です。まさに、世代交代によって市民大学を発展させたい、という思いなのです。幸いにして、守谷市広報11月号に市民大学運営委員募集の記事が掲載されました。関心ある方には是非応募していただきたいと思います。
もりや市民大学に入学することも、その運営委員に参画することも、決して敷居の高い話ではありません。今後ますます入学者同士のコミュニケーション、運営委員間のコミュニケーションを大事にして行こうという機運が高まっています。「興味を持った」という動機さえあれば、どなたでも参加できます。何か動いてみたいな、とお思いの貴方、ぜひ広報11月号の運営委員公募の呼びかけをご一考ください。お待ちしています。
10月
2015年9月の国連総会で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)は、地球の問題や課題を地球に住むすべての人たちで解決する社会づくりをめざし、2030年までに達成すべき目標を17件掲げました。さあ、「17件を全て言ってください」と言われて正しく答えられる人、いますか?1番目は「貧困をなくそう」です。6番目には「安全な水とトイレを世界中に」というのもありました。16番目は「平和と公正をすべての人に」もありました。こんな調子で、言われてみれば成程、といった目標が17件に纏められています。
その2030年まであと6年です。改めてSDGs17目標を眺めてみると、あと6年で実現できるような気がしません。逆に、目標から遠ざかっているような現実があるように思います。たとえば、先ほどの16番目の目標について言えば、世界は平和より戦争に向かってずるずると引き込まれているようです。あと6年で全ての人に平和と公正がもたらされるとは、残念ながら期待できません。そんなSDGsですが、11番目の「住み続けられるまちづくりを」という目標については、守谷市でも考えることができます。
SDGs11番目の目標「住み続けられるまちづくりを」では個人の意識、個人の行動に加えて、住民参加型或いは市民行政協働型の活動組織が必要でしょう。いま、もりや市民大学では「まちづくり協議会コース」を開講中です。このコースを受講されている方々は、皆さん地域活動に熱心で、指導的立場におられる方もいらっしゃいます。まちづくり協議会がいかにしてSDGs11番目の目標「住み続けられるまちづくり」を達成できるか、真剣な学びと議論が行われています。
SDGsを我々の日常生活と関連付けることは容易ではありません。単なるスローガン、絵にかいた餅、お題目、といったレッテルで終わらせるのはもったいない目標です。残念ながら、SDGsが国内政治、国際政治に影響力を及ぼしているとも感じられません。理想を掲げ、それを訴えることと、現実政治、現実社会の具体的課題に対応することには大きな隔たりがあります。そうであっても、もりや市民大学の「まちづくり協議会コース」はSDGs11番目の目標を実現するために学んでいるのです。これは、日常生活に限定される小さな目標ではなく、世界が目指す大きな目標の一つなのだということを忘れたくありません。
9月の学長ブログ
夏が終わりません。猛暑の連続、身近でも熱中症が疑われる症状を訴える人が増えています。自分自身も「ここで水を飲まないと危ないな、ちょっと頭がふらふらするし」などと警戒心を強めています。そんな中ですが、先日、守谷市内の公園に隣接する野球グランドで準備運動をしていた時、芝生の地面を見ました。すると、紅葉した葉っぱがたくさん落ちていたので、「あー、秋が来ている」と一瞬ながら実感しました。大丈夫です、間もなく秋が来ます。
ところで、野球グランドで準備運動?そうなのです、その野球場でシニアの軟式野球を楽しんでいるのです。野球チームは「守谷スターズ」といいます。約30年の歴史を誇ります。80歳代2名、70歳代8名、60歳代6名、50歳代5名、40歳代1名、総勢22名です。高齢化社会の縮図のようなチームです。なんと、若手は私の長男より若いのです。そんな仲間と練習したり他チームと試合をしたり、楽しい時間を共有しています。
神栖市の野球場で、土浦の還暦野球チームと対戦していた時のことです。3対2で負けていました。塁が埋まり、相手チームの打者が大きな外野フライを打ち、走者一掃の大量失点、と思いきや、3塁ランナーがホーム直前でピタッと止まってしまいました。足の裏側がつったようで一歩も動けません。あと数歩という所で停止したまま、我がチーム外野からの返球が届いてアウトにしました。足を痛めた方、お気の毒です。多分、あまりの暑さで筋肉に変調をもたらしたのではないでしょうか。こんなリスクを犯してまでプレーする必要、ありませんね。どうやらその方は今回初参加の方だったようです。
そんな次第で、暑さの中での野外活動は注意深く、また良く準備してからでないとやってはいけません。「熱中症アラート」が発せられる中、よくよく注意し、自己責任を自覚し、そのうえで楽しみを続けたいものです。野球の試合の続きですか?相手の怪我もそれほどではなかったようなので試合続行し、同点タイブレーク対決に至り、最後は逆転の8対6で勝利しました。次の試合は涼しくなっていると良いのですが。
8月の学長ブログ
お盆休み真只中でしたが、南海トラフ大地震に備えよ、大型で強い台風7号の接近に備えよ、などと警告が続き、夏休み計画に影響を受けた方も多いのではないでしょうか?ラジオ、テレビ、スマホの文字ニュースに至るまで、同じことの繰り返しでした。ちょっと前にはパリオリンピックのニュース一色でしたね。こんな風に、情報が一色に染まることに、やや違和感を持ちます。全く同じ映像と同じ説明を繰り返し見聞きすると、「重要な情報なのだろうな」と理解しつつ、過剰だなとも感じます。
他にも心配していることがあります。それは、ふとした疑問について、スマートホンにキーワードを入れると瞬時にその答えが返ってくること、についてです。そもそも、最近疑問を持ち続けるという姿勢が激減していると思います。疑問はスマートホンですぐ解決するからです。でも、疑問を長く持ち続けることで新しい知識や新しい着想にたどり着く、あの喜びはどこへ行ってしまったのでしょうか?便利さと引き換えに失ってしまったものへの郷愁を感じます。これこそ、年寄りの感傷そのものなのでしょう。
解けない謎を持ち続ける喜び、これは過去の遺物となりました。しかし、戦争を止めさせるにはどうしたら良いか、とか、災害に備えるにはどうしたら良いか、などの大きな問いに対する答えは、恐らく常識的な答えが返ってくることでしょう。それも含めて、いまや、答えのない問いはない、と言い切っても良いかもしれません。学術研究において問いを楽しんできた身としては、やはり寂しい気持ちが湧きます。
試しに「世代交代とは」というキーワードでネット検索してみました。すると、情報通信システムの世代交代はおよそ10年ごとに更新されてきたことや、組織団体の世代交代は10年~12年間隔で行われているようだ、などの知識が記載されていました。いま、もりや市民大学運営委員会も「世代交代」を検討中です。発足以来12年を経過した市民大学が「世代交代」を考えるのは妥当かな、と思う次第です。こんな問いにもこたえてくれるパソコンやスマートホン、やっぱり便利ですね。
7月の学長ブログ
小学校のクラス会、ここ数年開いていませんが、元同級生からまたやりたいという年賀状は届いています。小学校のクラス会では、久しぶりに再会しても「~さん」ではなく、「~クン」または「~ちゃん」呼ばわりです。私も「みやちゃんはさー、」などと言われる始末です。中学校のクラス会は、コロナが去ったので今年開催しました。主催者は「みんなに招待状出しているが、来るのか来ないのかさっぱりわからない」とこぼしていました。推定人数でお店を予約し、当日集まった人数で食事や飲み物を出してもらいました。ここでは、「健康を害しているという話題は止めようよ」ということになりました。これをやりだすとキリがない、と考えたからだそうです。
高校のクラス会になると、だいぶ大人の雰囲気になります。しかし、クラス会に集まる人数は多くないので、同期会、つまり同期の全クラスが集まる会にしています。先日の集まりでは同学年約450人中70数名が集まりました。各方面で活躍された方が多く、話題が広いし、あの当時、実はこんなことがあった、という初めて聞くような情報も豊富、また、社会的な有名人になっている人や今現在も活躍中、など、やや刺激的な集まりになりました。高校卒業以来、60年ぶりに初めて会うという卒業生も出ました。私と同じ剣道部員同士でした。
大学のクラス会は、コロナ禍以降開かれなくなり、再開のめどが立ちません。残念なことです。こんな具合に、過去の一時期に一緒だった人たちに久しぶりで再会することの良さはどこにあるでしょうか?会話をして感じるのは、今現在、何かの楽しみ何かの生きがいを持っておられる方が多いということです。逆に言えば、いまあまり元気でない方は、どうしても出席をためらいます。そうではなくて、今も忙しく活動しているので、とてもクラス会に出ている暇はない、という方も少数ながらおられます。こういう方のメッセージを見ると、すごいなーと感心します。
もりや市民大学にも「友の会」が存在します。いわば常設のクラス会です。ここでは講師を呼んで話を聞くという活動から離れ、自主的な企画を持って自由に活動されています。受講生も過去の修了生も、さらには講師でお招きした方々も、もちろん現役運営委員も参加しています。みなで「良い思い出」を共有しつつ斬新な企画で楽しめることを、私も期待しています。間もなく「友の会」主催の暑気払いがあるそうですよ。
6月の学長ブログ
6月8日土曜日、晴天の中、令和6年度もりや市民大学開講式が開催されました。コースによっては、定員を上回る希望者が出て新規希望者を優先し、リピーターの方が抽選に回るといった対応が必要でしたが、「今回、抽選で当たったよ」と言ってニコニコ顔のリピーターさんが何人もおられ、こちらも嬉しくなりました。新規入学者の方も再度の入学者の方も、心から歓迎します。
今回の開講式では、松丸市長が市政講座「2024年度市長の思い」をお話され、守谷市の現状を広く紹介いただきました。その市長のお話の中で気になる事項がありました。それは、常総線の西側(国道294沿いの地域)と東側(松並地区やブランチがある地域)との間で生活利便性において違いがある、という状況についてでした。東側では人口が増加しているが、郵便局は本局のみであり分局が設置されていない不便、常総線をまたがる通学や往来においての不便、などの具体例も示されました。西側住民である私には、そのような課題があることを知らず、初めての気づきとなりました。
そういえば、私自身も、常総線の向こう側(東側)に用事があるときは、すぐに「どこの踏切を渡ろうか?」と思案しますし、自転車で行くときには「何とか駅舎を自転車で渡れないだろうか?」などと余計なことまで考えてしまいます。守谷市民にとって、市が線路で分画されていることは潜在的に感じていることではないかと思います。もちろん、常総線と国道294号線は無くてはならない中軸インフラですから、その存在を前提として市全体を俯瞰する必要があります。
宇都宮市にライトレール(https://www.miyarail.co.jp/)という路面電車が走っているのをご存じでしょうか?私はこれに乗ったことがあります。市民の乗車率は非常に高く、また、そのスタイルが先進的なので、若者にも歓迎されているように見えました。あのように路面電車様式だと町が分断されている感覚が生まれません。常総線も、守谷市内だけは路面電車に切り替え、取手方面や常総方面は従来通りの軌道列車でつなぐことはできないかな、などと勝手な空想を抱いた次第です。法令や規則を知らぬまま、勝手な妄想を記して失礼しました。東側、西側の違いを感じないような地域社会が実現すると良いのですが。
5月の学長ブログ
「新しい酒は新しい革袋に盛れ」ということわざがあるそうです。新しい内容を表現するにはそれに応じた新しい形式が必要だ、という意味です。もりや市民大学でも「新しい酒」を考える時期が近づいています。開校以来12年を経過したもりや市民大学にどんな「新しい酒」が必要でしょう?令和6年度は6月8日に開講式を迎えます。人気の「守谷を知るコース」は定員35名のところ希望者が10人近く超過しているようです。「いきいきシニアコース」はまだ少し余裕があり「まちづくり協議会コース」は大分余裕があります。市民科学ゼミの希望者は前回を上回る希望者があります。
開講式を間近に控え、従来どおりのコース設計で開講を準備している令和6年度のもりや市民大学は、令和7年度に向けて「新しい革袋」を考えることにしました。つまり新しい形式を模索します。それには、担当者の世代交代も重要です。12年の歴史を超え、新たな時代の要請に応えるための新たな形式、「新しい革袋」にご注目頂きたい。
12年前、もりや市民大学発足当時は、すでに開講している他の自治体における市民大学の先例に学ぶことが重要でした。中でも、うらやす市民大学からは、良き先例として学ぶことができました。その後、ご承知のように2019年末から2023年の間に何度も新型コロナ感染の波が押し寄せ、もりや市民大学の運営も2020年度の募集・開講を断念しました。それでも2021年度以降はZoom利用によるハイブリッド形式の講義を取り入れ再開することができたのは、運営委員の自主的努力の賜物でした。コロナ禍の中、市民大学をハイブリッド形式で開講したのは、もりや市民大学が全国で最も早かったのではないかと自負しています。
このような困難な時代を経た今、もりや市民大学は過去の成果に甘んずることなく、新しい形式を求めて再出発したいと考えています。「新しい酒」と「新しい革袋」両方を求めています。そのための世代交代もしっかり進めます。この再出発が成功したら、私も是非「新しい革袋」に満たされた「新しい酒」を飲みたいなー、と願望する次第です。飲み過ぎに注意しつつですが。
4月の学長ブログ
4月14日(日)、もりや市民大学公開講座が開催され、「貝塚が語る守谷の土と水」というタイトルで私がお話しました。多くの市民の方々や守谷市周辺の方々も足を運んでくださいました。誠にありがたく思いました。担当の運営委員から「公開講座もありますが、令和6年度の市民大学開講を紹介して受講申し込みをPRすることも忘れないように」と、しっかり釘を刺されました。
天気が良かったからでしょうか、大変出足が良く、開場時間と同時に入室される方が多く見受けられました。予約なしで当日飛び入り参加の方もかなりおられました。公開講座は、希望者をどなたでも幅広く受け入れる準備をしています。一応、募集期間や募集定員を明示していますが、来て下さる方はどなたでも受け入れたいというのが本音です。
ところで、最近のパンフレットやチラシを見ると、必ずQRコードが印刷されています。今回の公開講座案内や申し込みも、QRコードをフル活用しました。QRコードは、スマホのカメラをそこに向けると容易に関連サイトに繋がります。そのQRコードは自動車部品の日本企業(デンソー)による1994年の発明品だというから驚きです。そして、JIS/ISO規格に従っていれば誰でも自由に使用できるそうです。特許は取っているが、使用はフリー、というおおらかさが社会に受け入れられていると感じます。発明者、原昌宏氏に感謝・脱帽です。QRコードは自分で作成することもできるそうですが、私はまだ自分の手で作ったことがありません。
さて、私がお話した公開講座、カギは国土地理院発行5万分の1地図でした。私が使用したのは昭和61年(1986年)発行のものでした。あの頃、現地調査に当たっては5万分の1地図が必携でした。今ではスマホ1個で地理情報は何でも入手できます。が、広域の等高線図を手に入れようとするとスマホ地図ではなかなか情報が得られず、5万分の1地図の方がずっと便利であることを認識しました。「デジタルよりアナログの方が優れていることもあるぞ」と主張するのは恥ずかし過ぎますが、ちょっとニヤリとしました。
3月の学長ブログ
牧野富太郎はNHK朝ドラ「らんまん」ですっかり有名になりました。牧野富太郎著、日本植物図鑑(1940年初版出版)は、今でも読者層をつかんでいます。ところで、実は、もうひとり気になる人物がいます。牧野富太郎より10年ぐらい後に東大理学部の助手として採用されていた地理学者、東木龍七(とうぎりゅうしち)という人です。福岡県出身、師範学校の卒業生で、小学校教諭を経て上京、東大助手になりました。やはり学歴の壁などがあったようです。
この方は、地理学・地質学の優れた研究者です。特に関東地方の貝塚を「巡検」という地道な調査方法によって詳しく調べ、貝塚の存在地点を地図上にプロットし、これを繋いだ複雑な地形分布曲線を描き出しました。そして、この貝塚分布曲線は、当時の海岸線と平行しているに違いない、と考察し、その結果、大胆にも「縄文海進」と呼ばれる過去の海岸線を浮き彫りにしました。今から6千年~7千年前の縄文時代、海面は現在より5~7m高かった、というのです。そうでなければ広範囲に広がる貝塚分布の理由を説明できない、と結論しました。この説は支持され、今では定説となっています。
彼は、守谷方面にも「巡検」に来たようです。今の守谷市のあたりで3点の貝塚を地図上にプロットしています。しかし、その後、守谷近傍の貝塚3点を実際に再確認した報告は見当たりません。幻の貝塚、と呼んでも差し支えないでしょう。ところで、私は、最近、偶然の出会いにより、「もしかしたらこれか?」と思われる3か所の貝塚を発見、または確認しました。
幸い、4月14日(日)に市民公開講座「貝塚が語る守谷の土と水」というお話をする機会を得ました。そこで、守谷近傍の3つの貝塚をどのようにして「発見」したのか、そしてその貝塚は、現在の我々の生活とどのように関連しているか、述べてみたいと思います。1件目の貝塚については昨年の市民大学講義でお話しました。2件目の貝塚については市民大学とは別の組織に依頼されて、初めてご披露しました。そして3件目は・・・、いや、公開講座でお話ししましょう。それは意外な「場所」にあったのです。
2月の学長ブログ
私には、セカンドハウスを持っている友人(高齢者)が3人います。Aさんは人口195万人の都市に住みながら車で3時間離れた人口約1800人の海辺の寒村に一軒家、Bさんは人口12万人の地方都市に住みつつ15kmほど離れた人口約5400人の山村に一軒家、Cさんは東京に住みつつ千葉県の人口7000人の町に一軒家、それぞれ入手して2重生活をしています。
Aさんの海辺の寒村には信号機が1個しかありません。敷地には畑があり、野菜を育てて楽しんでいます。アスパラガスの栽培が得意で、毎年収穫し、上下が逆にならないように注意してこの守谷に送ってくれます。また、冬場に鮭をさばいて寒干しし、鮭トバにして送ってくれます。どちらも旨いです。Bさんの山村は豪雪地帯で、購入した中古住宅の手入れに余念がありません。隣接した水田を借り受けしてお米を栽培するそうです。収穫したら送ってくれるとのこと、楽しみです。Cさんは小さな町の街おこしに尽力することを決意しました。この町に移住してきた若手農業従事者を支援したり、街の歴史を伝える文化遺産を発掘したり、街の魅力度を対外発信するパンフレットを定期的に発行したり、と工夫を凝らしています。
都市に住みつつセカンドハウスを持って自然に近い生活も満喫する、というライフスタイルが、こんなに身近にあることに驚きます。昔は「軽井沢に別荘」という金持ちの贅沢ライフしか知らなかったですが、今ではこんなにも庶民的なライフスタイルに変化しつつあるようです。
守谷市に住む皆さんはどうお考えでしょうか?趣味で細密油絵を描いて水戸の展覧会に出展し、同時に毎週クラシックピアノを習っている守谷市内在住文化人が、実は市の貸し農園で野菜作りを楽しんでいる、こっちの方が多くなってきた、というお話も伺いました。どうやらこうしたライフスタイルは広く定着しつつあるようです。人口減少時代が目前に迫っている昨今の日本、今後、空き家率も高くなる一方だそうです。そろそろ、空き家をセカンドハウスにして楽しむ生活を構想してもよろしいかもしれません。私?は、今のところ時間的な制約が多いので、もう少し後で考えてみます。
1月の学長ブログ
ある出版社から郵送されてくる月刊雑誌があります。その中で、軽妙な語り口が割と気に入っている記事に「言語学パーリ・トゥード」という不定期シリーズ物があります。著者の川添愛氏は言語学者であり、たとえば、「日本語は世にも曖昧な言語なのか」という小文で、英語でも日本語と同じくらいの曖昧さが沢山あることを紹介したりしています。分かり易くて面白い文を届けてくれるので、私も隠れファンの一人なのです。
しかし、問題は「パーリ・トゥード」って何?という疑問の方です。これはポルトガル語であり、ブラジルの格闘技の名称なのだそうです。しかも、「何でもあり」という意味を表す言葉です。つまり、私が愛読している記事の名称は「言語学、何でもあり」と解釈する次第です。聞いたことのない「パーリ・トゥード」なる標題を、あたかも誰でも知っているがごとくに使用する感性、そのことについて、私の頭が混乱し始めます。どうしてここにブラジルの格闘技名を使うのだろう?と不思議でなりませんが、なぜか「パーリ・トゥード」という聞きなれない言葉が耳に残って離れません。
そういえば、最近、このような意味不明の言葉があふれていると思いませんか?私は「アントレプレナー」という表現にもついていけません。ところが、2023年5月に、政府は小、中、高において「アントレプレナー教育」に力を入れる方針を発表したそうで、今や「アントレプレナーシップ」などの用語が世間を駆け巡っています。「アントレプレナー」はフランス語であり、起業家・事業家を指す言葉です。「アントレプレナーシップ教育に力を入れ、そのインキュベーションに貢献する」と言われてピンとくる方は、お若いのです。
最後に、「ファシリテータ」でも戸惑っていることを白状しましょう。最近はよく耳にする言葉ですが、自分で使用したことはありません。私の世代では、議長、座長、司会などまでしか使ったことが無く、「ファシリテータ」を使って会議進行を行った経験はありませんが、最近のシンポジウムやセミナーでは司会者と呼ばず「ファシリテータ(進行役)」と呼ぶことが多くなりました。これもラテン語から英語になったおしゃれな表現です。もりや市民大学の教室でも、これからは「司会者」と呼ばず「ファシリテータ」と言い直して、講義進行を積極的に支援する役割を持ちましょうか?新しい時代の到来です。
12月の学長ブログ
年の瀬を迎え、皆様いかがお過ごしですか?新型コロナの感染拡大の影響がおよそ3年間にも及び、忘年会や新年会の自粛が続いたので、制約から解放された今年の年末も、今一つ盛り上がりに欠けていると思います。最近出会った若い銀行員は「大人数の忘年会はまだ禁止です。許されるのは5~6人までの宴会だけです。そもそも、入行以来、上司との飲み会を一度も経験していません。」とのこと、気の毒に思いました。
年末恒例の年賀状挨拶は準備されているでしょうか?ここ数年、「本年をもって年賀状を終了します」というお断りが増え、また、私自身の年齢に近い方々からの欠礼はがきも増えてきました。90歳代のご両親他界の通知が最も多く、日本社会の高齢化を実感しています。
来年はどんな年にしましょうか?健康維持は最も大切な目標です。特に、正しく歩くことは健康維持にはとても大切な生活習慣のようで、守谷市でもウオーキングの会が盛んです。きっと、市民の平均寿命や健康寿命を改善することに役立っていると思います。先日テレビを見ていたら、正しい歩き方の指導をしていました。何でも、横断歩道の太い白線は45㎝間隔で描かれており、その幅に丁度合うように歩くのが良い、とのアドバイスがあり、早速国道294号線の横断歩道でやってみました。すると、45㎝幅が意外と広くて、その幅に一致する歩きができませんでした。もう少し速度を上げて一気に歩かないと、45㎝歩幅は確保できないようです。
さて、2023年が終わり、2024年が始まります。日本では国政のガタガタ、海外では理不尽な殺戮が続いています。人間はなぜもっと賢く、もっと気高く生きられないのか、とりわけ大きな権力を握っている人間の品性が劣ることについて、失望が絶えません。良き指導者、良き権力者を生み出す社会システムの創出は不可能なのか?問題意識は過大に膨らみますが、答えは用意されていません。このまま次世代にお任せで良いのか?答えのない問いは年を越すことになりそうです。皆様、良いお年をお迎えください。
11月の学長ブログ
「年を取ると知らないことが増える」と思います。たとえば、テレビに登場する俳優や歌手、タレントの顔や名前ですが、以前はほとんど知っていたのに、今ではほとんど分かりません。NHK紅白歌合戦に至っては、知らない歌手オンパレードです。流行り言葉もしかり。そもそも何が流行っているかも知りません。「アッザース」が「ありがとうございます」の短縮語であると知ったのは、ずっと後のことでした。
辞書に載らない言葉も多く出回っており、なかなか確かめることができません。その中の一つに断捨離があります。広辞苑にも出てこないし、和英、英和辞典でも見つかりません。それなのに、私の周りには断捨離という言葉が普通に聞かれます。不思議に思って調べてみると、この言葉は1954年生まれのやましたひでこさんが生み出した新語だそうです。語源はヨガの「断行」「捨行」「離行」から発しているそうです。英語ではdecluttering(デクラッタリング)が該当するようですが、Web上の辞書でしか確かめることができません。
断捨離には、不要な物を捨てるだけでなく、不要なこと、つまり人間か関与する関係性を捨てることが含まれるようです。そのようにして身辺を整理するとより良い人生が送れる、というお勧めでしょうか。私は、断捨離は良いことだと思いつつ、なかなか実行できません。特に、書物に関して断捨離は勇気がいります。自分の知識を育ててくれた書物を捨てることは、なかなかできません。何年も手に取らなかった書物が、何かのきっかけで必要になることもあるからです。
知らない言葉は増える一方です。旅行先で多くの外国人観光客を目撃して「あー、インバウンドがすごいな」と言いつつ、インバウンドという言葉を全く知らない自分に気づきます。ニュースでよく耳にするのでついつい口移しで覚えただけです。最近のインボイスも分かりません。アメリカ留学時代に、請求書がインボイス(invoice)と表示されていましたが、それが日本でも使われるとは思いませんでした。こうして、時間と共に知らないことが増えてくる感覚、これが社会の進歩、世の中の移り変わり、ということなのかな、と思う今日この頃です。晩秋の寒風の中でのしばし黙考でした。
10月の学長ブログ
物思う秋の到来です。せっかく良い季節を迎えたので、少しじっくりと構えて、物事を深く考えてみたいのです。そう言えば、藤井聡太という稀有の棋士が登場し、まさに深く考える姿を全国に見せてくれました。将棋の盤面を睨んで長考する姿、カッコいいです。最近、めったに見ないその姿が眩しい。
一方、我が方は、当面のスケジュールをこなしてゆくことに専念しています。どちらかというと、スケジュールありきの日常が自分を支配しているようです。皆さんはいかがでしょう?スケジュールに追われてテキパキと課題に対応している自分を感じませんか?そう、「現代人はスケジュール管理のもとに生きている」と思うのです。
悲しいかな、高齢者はそのスケジュール表に沢山の病院通いが含まれていますが、これはこれで仕方のないことです。そして、そのスケジュールの中に運動や旅行が入っている場合、それなりの喜びと満足感が加わります。もりや市民大学の過去の授業によると、「運動だけに専念している人より、運動とボランティア活動の両方を行っている人の方が、健康寿命が長い」という“学説?”を何度か耳にしました。スケジュール表にそうしたバランスを持っている方、お喜びください。健康寿命が長いそうです。
物思う秋、こんなことを取り留めもなく考える自分に長考の機会は訪れるでしょうか?私のスケジュール表を見ると、今月と来月の予定がかなりびっしりと埋まっていて、先々は来年4月の日程まで書き込みが始まっています。手帳からスマートフォンへとスケジュール表管理を変更してから何年もたちました。慣れてしまえば後者を便利に使っています。社会のデジタル化の波に押し流されながら、自分のスケジュール管理に専念する、こういった日常に、「物思う秋」という哲学が入り込む余地があるか?自問と疑問に終わるブログでした。
9月の学長ブログ
クルージング、やや心をくすぐる言葉です。船や航空機であちらこちらを巡ることを言うそうです。ふと思い立ち、クルージングに行って参りました。乗客と船員併せて4000人規模の大型客船でした。「大船に乗った気持ち」を実際に味わってみたのです。大船なら、揺れない、沈まない、という安心感を伴って、遠くまで行けるロマンを提供してくれます。
「どうだった?」と聞かれて「うん、良かったよ」と答えるのですが、そこから先の具体的な感想を述べるのが意外と難しいのです。何が良かったかを説明するのが難しい。スピードを楽しんだ訳ではない、大きい船だから良かったと説明するのも野暮、豪華だから良かったと言えば、豪華ホテルを褒めるのと同じ、台風でも揺れなかった、と説明するのは感情が伝わらない、という次第で、どう説明すればよいか戸惑っています。
日常から離れて旅をすることは、誰しも経験するでしょう。旅を嫌う人は少ないと思います。それでも、年齢が高くなると旅はおっくうであり、家で過ごすのが一番だ、と消極的になる傾向があるのは仕方のないことです。「さあ、旅に出よう」と呼びかけるか、「静かな毎日を家で過ごそう」と心に決めるか、人々はそれぞれの考えで日々を過ごしています。
今回、私は旅に出ました。クルージングでした。少しリフレッシュできました。帰宅しても以前と全く変わりない日常に戻りました。さて、あれはなんだったろう?旅は何をもたらしただろう?と自問しますが、答えは朦朧とするばかりです。強いて言えば、繰り返す日常に少しだけ変化を入れてみたら、心と体がリフレッシュしたな、と思います。そう言えば、昨年のいきいきシニアコースで「実践小旅行」講座がありました。講師は国内旅行業務取扱管理者の肩書を持つ飯嶋章氏でした。小旅行が脳トレ効果をもたらすことを解説してくれました。今回、私の脳はトレーニング効果を得たでしょうか?そんな恵みを頂けたらありがたいことです。
8月の学長ブログ
猛暑と頻発するゲリラ豪雨、お見舞い申し上げます。ところで、今年は暑中見舞いのハガキなどがほとんど来ません。そう言えば、冠婚葬祭の招待状が来なくなって久しいです。コロナ感染と共に、この種の生活上の慣例のようなものがかなり変化したと思います。ただ、古来の祭りや花火大会などは復活の兆しが濃厚です。何とかしてコロナ以前の勢いを取り戻したいと願う心は誰も同じなのでしょう。
色々な集まりについてはどうでしょうか?地域での集まり、全国各地からの集まり、更には国際的な集まりについて、以前とは違う変化が見られます。特に、オンライン会議、Zoom会議が増えたことは実感します。もともとは会って話し合っていた顔ぶれが、Zoomで十分機能する場合が増えました。それにより、会議欠席者が減ったかもしれません。「出席者100人の会議でした、ただし、会場には25人、残りはオンライン参加でした」などという報告を聞くと、「これで良かったのかなー?」と、複雑な思いです。
飲み会は別です。コロナ拡大時期に、「Zoom飲み会をやろう」という呼びかけが何度かありました。各自が缶ビールなどを手にもってパソコンを開き、画面を見て自由におしゃべりしながらビールを飲むのです。実際にやってみると、どうも盛り上がりに欠けたようです。早々に画面から消える人、最初から名前だけを出して顔を出さない人など、今一つ盛り上がりに欠けました。一方、そろそろ良いかな、と開催する旧来方式の飲み会は、どれも大盛況です。これまでのうっ憤を晴らすかのように、ガンガン飲んでしゃべります。
そんなこんなで、徐々に過去形になってきた新型コロナ感染、まだ油断はできません。思わぬ知人から「実は私コロナに感染しました。後遺症がしんどいです。」という知らせを受けました。テレビで感染症の専門医師が色々な情報を提供する場面もほとんど見なくなりました。マスクも「個人の判断で決めて下さい」と言われます。こうして過去形になっていくとき、あれは何だったのだろう?と自問自答しつつ前進します。もりや市民大学も、人数制限を無くして、従来通りの教室運営になりました。オンライン受講は、その幅を広げたという意味で、私たちは歓迎しています。
7月の学長ブログ
夏休み、昔はこの言葉にワクワクしました。いま、夏休みと言われてもピンときません。夏休みとお盆休みが交通渋滞のピークになること、そちらへの関心のみ沸き起こります。季節の交通渋滞に巻き込まれないように気をつけて移動することに専念します。
夏休み、宿題と自由研究の季節です。ChatGPTなる生成AIが跋扈しています。若者の間では、今年の夏休み、このChatGPTが陰に陽に活躍することでしょう。かつて当然と思っていた「自分の頭で考えろ」という説得力ある助言、これもどうなることか。何しろ賢い助言者が誰の手の中にも存在しているのですから。
夏休み、さて、高齢者や後期高齢者にとって夏休みとは何でしょうか?まずは暑さに耐える季節、体調を維持することに注意する季節、孫が訪れることについて覚悟しておく季節、ちょっとは外出、旅行も楽しみたい季節です。国内外で報道される異常高温に驚かされることもあります。地球温暖化と関係があるのかないのか、あいさつ代わりの話題にすることも多くなります。
夏休み、学長ブログもテーマを見つけ出すことができず、発信力が低下します。そうか、夏休みだから学長ブログも休みで良いかな、と言い訳します。猛暑日には「無用の外出を控えよ」「激しい運動をするな」と忠告されるのですから、積極的な情報発信のモチベーションが不足がちです。さあ、こんな夏休みの到来、皆さんはどのような計画をお持ちでしょうか?「夏休みに計画を持つ」というマインドこそが大切です。今からでも遅くありません、「あなたの夏休みの計画は?」と聞かれたときの答えを用意しましょう。私?ですか。私は・・・、これから考えます。
6月の学長ブログ
2023年度もりや市民大学「守谷を知る」コースにて、久しぶりに講師を勤めました。パワーポイントを準備し、配布資料を編集して臨みました。お題は「守谷の土と水―その恩恵を考えるー」でした。お陰様で、教室は定員いっぱい、満席状態でした。オンライン出席の方も2名おられ、川崎運営委員の司会にてハイブリッド方式の講義が始まりました。
聴衆を前にしてお話をする際、いつも心掛けているのは、自分が面白いと思わない話は聞いている人も面白くない、ということです。では、自分が面白いと思う話とは何か、と言えば、自らの手、足、頭、目などを動員して獲得した知見や情報を整理し、筋道を立て、何が言いたいかをはっきり示すことです。自分が抱いた疑問をどのように解きほぐして行ったか、そのプロセスもお伝えしたい中身になります。守谷市に貝塚がある、と聞いて実際に現地へ行き、貝塚を発見するに至ったプロセスは、自分でも「面白いな」と思いました。
問題は、自分が面白いと思う事項を聴衆も面白いと思うか、という疑問です。これはyes/no どちらもあること、当然です。私が疑問に思い、知りたいと思うことは、他者もまたそのように思うだろう、という信念を貫くと、NHK朝ドラの主人公、植物学者の牧野富太郎になれます。この植物の名前を知りたい、と心から願い、また、日本中いや世界中の人々もその花の名前を知りたいと願っているに相違なし、と信じて疑わないので、初めは疑心暗鬼だった周囲の人々も、やがて牧野富太郎に引き寄せられ、共感すら得ていきます。
こんな朝ドラを見せてもらうと、一人の人間が「知りたい」と思う純粋な疑問を解き明かす作業というのは、人の心に触れるほどに深い魅力を持つのだろうと思わずにはいられません。さて、私の「守谷の土と水を知りたい」の願い、皆様に通じたでしょうか?講義後にはアンケート調査が用意されています。そこにどんなご意見が記載されているか、楽しみです。なお、一般に、教室の後方に着席する受講生は、その講師に対して厳しい評価を下すことが統計学的に証明されています。後方座席の皆様からのアンケート結果が出たら、再び学長ブログにご紹介しましょうか?
5月の学長ブログ
最近、集まって飲み会やろう、食事会やろう、という声が増えていると思いませんか?私の周りでは確実に増えています。3年、いや、4年ぶりの集まりもあるようです。日程が重ならない限り、まず参加することになります。飲み会、食事会だけでなく、前向きな姿勢が社会全体に広がると、なにやら明るい希望が芽生えてきます。テレビや新聞のニュースで深刻な事件、世界の不安、地球環境の危機などを見ると、そんな能天気で良いのか?と疑問が湧きますが、何はともあれ元気であることが大切かと。
そんな雰囲気の中で始まる2023年度もりや市民大学、開講日(6月10日)が近づきました。新型コロナ感染も第5類になり、ようやく日常生活を取り戻しつつある中での開講、どれだけの市民が参加してくれるか、期待と不安の中で募集締め切りとなりました。集計結果を見ると、「守谷を知るコース」定員35名のところ、約50名の応募を頂きました。「いきいきシニアコース」の応募もおよそ30人、「まちづくり協議会コース」の応募も約23組(グループで申込可能でした)、何れも予想を上回り、定員超過分を公平な抽選などで選ばなければならない状況が生まれています。
世の中全体もコロナ後に向かって急速に活動を再開する中、皆さんが積極的に動き出すのは当然なのでしょう。市民大学運営委員会では、このような状況を歓迎しております。コロナ禍の中で、教室授業だけでなくオンライン授業が可能となったことは収穫でした。Zoomが使えるので受講可能となった方も増えただろうと思います。今回、定員超過で抽選の結果ご希望に添えないことが生じることにつき、申し訳ない気持ちで一杯です。希望者全員の入学を許可したい気持ちは山々ですが、教室の物理的限界などのためご容赦願います。
教室では、講師と受講生間の交流だけでなく、受講生同士の交流ももっと盛んになることが期待されます。「袖すり合うも他生の縁」とはうまいことを言うものです。教室で大いに「袖すり合い」を試してください。実は、もと受講生だった方が希望して運営委員に加わって下さった例が多数あります。受講生の先輩にあたる運営委員との「袖すり合い」もよろしくお願いします。
4月の学長ブログ
黄砂の話題が急浮上しています。空が霞む、車の屋根に粉状の汚れがつく、アレルギー症状が出る、といった迷惑体験が報じられています。私自身も花粉症と同じような健康被害を自覚しているところです。
この件について、私も参加した研究チームから12年前に発表した「黄砂・越境大気汚染物質の地球規模循環の解明とその影響対策」という報告書(日本学術会議風送大気物質問題分科会)では、黄砂のデメリットとメリットを並列して記載することにしました。黄砂はニュースで報じられるよりもっと悪いデメリットと、実は地球環境に良い影響を与えるメリットとが、併存している事実を科学的に報告したものです。まず、デメリットですが、冒頭に記載したような生活密着型のデメリット以外にも、黄砂に付着した病原菌として家畜の口蹄疫、豚コレラ、麦サビ病、などが疑われています。さらに、精密機器への障害、目詰まり、遮光害、などもあります。
ところが、黄砂には意外なメリットがあるのです。まず、魚類の餌となる植物プランクトンを増殖させる効果をもたらす栄養塩(カリウムやカルシウムや鉄などの微量要素)を自然生態系にもたらしていると考えられています。さらには、中国の黄砂は、実はアルカリ性なので、酸性物質を中和する働きがあります。一昔前に公害で騒がれた酸性雨も、黄砂によって中和作用が働いていたのです。もっと驚くべきメリット、それは、あの原発事故でばらまかれた放射能物質を吸着して作物を放射能汚染から守る力がある、ということです。この研究は、日本の最新研究で解明された新発見です。詳しい理論をこの学長ブログに記載することは、無理があると思います。
しかし、これだけは言いたいです。我々が暮らしている守谷市を含め関東地方全体を覆っている火山灰土壌(黒ボクと呼ばれる)は放射性セシウムを吸着する力が弱く、したがって、セシウムは自由に動き回って大気や地下水や土壌を汚染するはずでした。ところが、長い年月、黄砂が降り注いでいたので、黄砂に多く含まれる雲母系鉱物が土に混入し、この雲母系物質が放射性セシウムをガッチリ掴んで離さない、したがって、セシウムは環境中に拡散しないし、植物や生態系にも移行しない、ということが分かってきたのです。黄砂は我々を助けてくれてもいる、という科学的事実。まだ、専門研究者の間でしか知られていない事実ですが、「黄砂」を敵視するだけでは、科学的判断を誤る、とだけ申し上げておきたかった次第です。
3月の学長ブログ
「書評」という書き物は面白い、と思います。書評が魅力的だと、その本を読んでみたくなるのは当然でしょう。最近私が注目している書評というと、京都大学で食農思想史を専門とする藤原辰史准教授です。朝日新聞の書評欄で頻繁に目にします。農学分野なので、農業問題専門かと思いきや、かなり幅広い分野の書評を手掛けており、いつも心を動かされるのです。最近では「犠牲者意識ナショナリズムー国境を超える「記憶」の戦争―」「さすらう地」などの書評が心に刺さり、ご自分でも「戦争と農業」などの著書があります。
もっとすごい「書評」に出会いました。米原万里著「打ちのめされるようなすごい本」というタイトルです。そのおどろおどろしいタイトルに引かれて、図書館で借りてきました。米原万里さんはロシア語通訳を本業とした作家で、ロシアのゴルバチョフやエリツインが名指しで指名するほどのロシア語同時通訳者です。この本は、週刊文春や読売新聞などに掲載された同氏の「書評」全てを1冊の本にまとめ上げたもので535頁もあります。そこで取り上げた本は日本語とロシア語(和訳された)の膨大なもので、しかも一つ一つの「書評」がウーンとうならせるような濃度です。タイトルにある「打ちのめされるような」は伊達ではありませんでした。
ところで、この米原万里さんの本の最後尾にも「書評」(解説と書かれている)がありました。曰く、「「書評」は褒めれば甘いと叱られ、辛口にすればたぶん一生恨まれ、ほどほどにしておけば毒にも薬にもならない役立たずと軽んじられる。おまけに、手間暇はかかる。稿料は安い。大きく扱われることもない。」などと言いながら、嬉々としてその書評を書いていました。書いた人は井上ひさしです。あの、「ひょっこりひょうたん島」の作者です。この「書評の書評」が、さすがに面白いのです。
そんなことで、今回のブログは「書評」三昧でした。書評から手繰り寄せた本が自分にピタリと合うと、嬉しくて充実感を味わうことができます。逆に、「書評」がうますぎて、現物を読んだらそれほどでもなかったときは、何だか損をしたような気がします。さらに、友人、知人が「読んで面白かった」と知らせてくると、当然、触発されて自分も読んでみます。春うらら、読書しながらうつらうつら、となる気配です。
2月の学長ブログ
東京都日野市で「ネイバーズファーム」という農業生産経営を代表している川名さんのお話を聞く機会がありました。ネイバーズ、つまり「お隣さんちで採れた野菜だよ!」という近隣地域繋がりをそのまま拡大してビジネスにまで成長させた方です。農地のもつ価値を最大限発揮し30年後に続く都市農園を作るのが夢だそうです。環境制御や潅水制御、CO2再利用システム、データ管理システム、ファームカミングデー開催、ブランドコンセプトの明示、SNS・メディア活用など、新技術を最大限活用して地域農業振興を実践しておられる女性です。
続いて、静岡県で「エムスクエア」という農業生産経営を代表している加藤さんのお話も伺いました。2017年にやさいバス株式会社を創業したことでも知られています。野菜を作る人、それを使って飲食店や小売業を経営する人、そしてそれを食べる人、この3者のバリューサイクルを創ろうとの考えで始めたそうです。野菜作りで欠かせない除草技術において「雑草ふみふみ」という不思議な機械を創作して特許を取得しています。農業経営を通じて生き抜く力をはぐくむ「ジュニアビレッジ」も主催するなどが評価され、男女共同参画チャレンジャー賞を受賞された女性です。
昨年暮れ、日本学術会議で私が委員長を担当している「地域総合農学分科会」の参考人として上記お二人を招聘し、お話を伺った次第です。現実的で夢と希望があり、地域と密着しながら大きな世界観を持っておられるこのお二人のお話を聞いて、強く感銘を受けました。そして、思ったのです。守谷市でも地元産の野菜売り場が活況を呈していますが、そうした野菜の作り手(農家)、売り手(スーパーなど)、買い手(私たち消費者)の繋がりが薄いなー、と。上記お二人のお話を伺うと、安全でおいしいものを生み出すには生産者だけではダメで、生産者、販売者、消費者の間に良好なバリューサイクル(価値の共有?)のような関係性が必要なようです。
もりや市民大学で、農業にも目を向けた学びができたら良いなと思わずにはいられません。守谷駅前の「もりやコレクション」そして毎月第一日曜日に開催されている「朝市」は、このような考え方を実践している先進事例だと思われます。一度「朝市」に行ってみよう、と思いました。
1月の学長ブログ
関東地方は天気に恵まれた静かな正月を迎えることができました。しかし、その後のコロナ感染拡大第8波の動向を見ても、世界の政治動向に目を転じてみても、素直に「おめでとう」と言えない事態が進んでいます。自然環境から社会情勢まで、地球全体が変わりつつあるような不安が増しています。さらに、急速に進む様々なサービスのデジタル化にも戸惑いを隠せません。
先日、あるクレジットカードでの購買決済をしていた時、どういう訳かそのカードが受け付けられなくなりました。いろいろ試してみても拒否されます。そこで、そのクレジットカードに記載されている問合せ電話番号に電話しましたが、何度試みても「ただいま大変込み合っております」という自動音声メッセージのみで、生身の人間に対応してもらええません。繰り返しトライしたのち、ついにあきらめて別のクレジットカードで決済しました。似たような経験は他にもあります。知人から受け取ったメールに添付されていたファイルがどうしても開けないので、そういう困りごとの相談Webサイトを開き解決策を教えてもらいましたが、試行錯誤の結果、解決しませんでした。やむなく、ファイル形式を変えて頂くよう依頼してやっと用事が済みました。
少し前には、このように困ったときは電話すれば大抵の困りごとは解決していたと思います。が、最近はそういったサービス提供の質が低下しているように感じます。たとえば、オンラインで様々な商品が届きますが、その商品利用に関する問い合わせ窓口が自動音声ばかりで、生身の人間に達することが難しくなっていると思います。明らかなサービス低下と思います。直接的な電話対応を縮小し、消費者からのクレームや相談をできるだけ自動音声で対応しようとするサービス低下に、かなりイライラが募ります。恐らく、多くの高齢者が似たような経験をお持ちと思われます。
若い人にはこのようなストレスが少ないのでしょう。いくつもの解決策を手早く見つけ、さっさと先へ進むことができているように見えます。つまり、高齢者の置き去り状態です。高齢者が甘えを捨ててもっと努力すればよいのか、それとも、高齢者を困らせないような寛容なサービスを提供すべきなのか、どちらへ向かって進むのかはよく見えません。ただ見えるのは、更に便利に、更に早く、更に自動化へ進む力だけは確実に強まっている、ということです。良い、悪い、と評価する前に、すでに止まらなくなっているこの動きを前にして、人間はどこまで行きたいの?と問いつつ、遠い目をするばかりです。
追記:この学長ブログ、前回まではコピー&ペイストでさっさと仕上げることができましたが、何故か今回は別に作成した原稿のペイスト(貼り付け)ができなくなり、この原稿欄に直接記載することになりました。この二重手間も、デジタル化のサービス低下の一例になります。
12月の学長ブログ
月並みの表現ですが、今年も間もなく暮れようとしています。そんな中、日本における今年1年を象徴する漢字一文字が「戦」であると報じられました。そうか、「戦」か、と考えさせられました。確かに、世界規模、地球規模で考えれば「戦」かもしれません。このニュースを聞いて、日本も世界と繋がっているのだなー、と改めて思うところがありました。
せっかくですから、今年1年のもりや市民大学を象徴する漢字一文字を考えてみましょう。私は「新」を選ぶことにします。思い返してみると、2020年度には2012年開講以来のコース設計大改革を行い、募集案内(パンフレット)を14ページに拡大し、さあ始めよう、という瞬間にコロナ感染拡大が始まり、この年度の開講が全面中止になりました。2021年度は、コロナ対策として開講コースをコンパクト化し、オンラインシステム(Zoom)を導入し、教室対面受講とオンライン受講を併設するハイブリッド型開講としました。募集案内(パンフレット)は見開き4ページで小さくまとめました。2022年度はコロナ感染が収束するかもしれないという期待を込めつつ警戒心も怠らず、ハイブリッド型講座を継続し、募集案内(パンフレット)8ページにまで回復しました。こうしてみると、予想もしなかったオンライン教室を併設開講したこと、また、この1~2年新しい運営委員を多く迎え入れたこと、など新しい体験が増えました。それで、「新」を選んだ次第です。
しかし、自分自身の身の回りを見直すと、どうも「新」よりは「古」の方が多くなっていますので、私の漢字一文字を選べ、と言われたら、別の文字が浮かんでしまいます。私の場合「続」かな、と思います。今まで通りのことが継続できること、それがありがたいのです。続けていた同窓会やクラス会、続けていたスポーツの趣味、続けていた家族内の交流、続けていた専門分野の仕事、などが、コロナだけでなく色々な事情で少しずつ続けられなくなりました。だから、「続」に希望と感謝の気持ちが湧くのです。来年も今年と同じように、いや、それ以上に続けることができたら、それは嬉しいことなのです。
さて、皆様、どうぞ自分の一文字をお探しください。希望に満ちた一文字を選ばれた方は、明日に向かって進むのみですね。「勝」でも「幸」でも結構。応援します。
11月の学長ブログ
もりや市民大学は2012年10月に開校したので、今期で10年目を迎えました。そこで、運営委員会では、この10年を振り返り、これからどう発展させればよいかを自由に語り合おう、ということになりました。10年前、手探りで始めた市民大学、なんとかここまでやってきました。運営委員の皆さん、講師の皆さん、サポート役の皆さん、受講生の皆さん、守谷市役所市民協働推進課の皆さん、市民活動支援センターの皆さん、市民大学友の会の皆さん、こうした方々の支えがあって今日があります。
この10年間、世の中はどのように変化したでしょうか?もりや市民大学が開講した2012年12月には第46回衆院選があり、自民党が294議席を得て圧勝、民主党は惨敗し、退陣した野田佳彦首相は党代表も辞任しました。2013年の流行語大賞に「お・も・て・な・し」が選ばれ、オリンピック・パラリンピックの日本開催決定に浮かれていました。しかし、ご承知のように、その後、金銭をめぐる深い疑惑が残されました。2018年は日産のゴーン社長が逮捕されました。2019年、元号が平成から令和へ移行し、ペシャワールの会の中村哲医師が殺され、渋野日向子が全英女子オープンゴルフで優勝しました。2020年は新型コロナの感染拡大でオリンピック・パラリンピックの日本開催が延期され、甲子園の高校野球は中止となりました。もりや市民大学も開講中止でした。2021年にはオリンピック・パラリンピックが開催され、アメリカではバイデン政権が発足しました。日本では熱海で土砂災害が発生しました。2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、その後、このニュースがあまりにも重いので、他の出来事の記憶がかすんでしまうほどです。
一方、もりや市民大学の10年を振り返ると、はじめのころは「守谷町から守谷市へ」「守谷の町内会」「守谷の子どもたち」「守谷の自然と環境」「守谷の防災」「守谷の国際交流」「守谷の教育」など、守谷を知ろうという内容の講義が多かったのですが、その後「パートナーシップによる緑のまちづくり」「<わたし>を生かす地域プロジェクトをつくろう!」などといった専門コースを充実させ、実際の行動へと発展させてきました。特に「脳いきいき!ウォーキングで健康貯筋」コースからはウォーキングを市民に広げる活動へと発展しました。これから先、どんな方向へ展開するか、「お・た・の・し・み」と行きたいものです。
10月の学長ブログ
コロナ禍はまだ終息しません。そんな中では各種の会議がオンラインで開催されます。つい先日も15人ほどの全国規模での学者のZoom会議が開催され、私も出席しました。この中で、私はガッカリ気落ちする出来事がありました 。それは、会議中に「プラネタリーバウンダリー」とか「レギュラトリーサイエンス」という言葉が頻繁に使われたからです。「パラダイム」とか「ロバストネス」とか「レジリエント」などの言葉にやっと慣れてきたと思っていたら、更に新しい言葉が登場していました。
集団の会話の中で、新しいカタカナ文字がまるで昔から使われていた共通用語であるかのように使われるとき、その言葉を知らなかった者は強烈な疎外感に襲われます。知らないのは自分だけなのか、とがっくり来ます。他の人は、その新しいカタカナ文字を当たり前として会話しているのですから、ついていけない参加者は蚊帳の外になります。いったい、その言葉はいつからどこで使われ始めたのか、誰が言い始めたのか、チンプンカンプンです。そこで、急いでスマートホンにその言葉を書き込んでネット検索し、何とか遅ればせながら会議の会話に追いつこうとします。
こうした経験は、恐らくどなたもお持ちだろうと思います。新しい言葉を、あたかも皆が知っているかのように当たり前の言葉として使うこと、これは刺激的ですが少々辛い状況です。若者の場合、新しい言葉を瞬時に共通語として認知する運動神経が非常に鋭いのですが、高齢者の場合、新しいカタカナ文字に馴染むには時間がかかります。ちょうど、パソコンやスマホに馴染むのに時間がかかるのと同じだと思います。
会議の中で知らない言葉が当たり前に使われるときに味わう疎外感、それに耐える力が必要でしょうか?それとも、「日本語が乱れとる!」と怒るのが正道なのか?皆さんはどうお考えですか?私は、まずはガッカリ気落ちします。それから、気を取り直してその新しいカタカナ文字が表現している現実社会を眺めます。そして、考え込むのです。そうか、新しい視野はこうして開かれるのか、と感慨深いのです。
脚注:プラネタリーバウンダリー「人類が生存できる安全な活動領域とその限界点(ウィキペディア)、2020年頃から世界に広まった新概念」、レギュラトリーサイエンス「身の回りの現象に関する科学的研究成果を国民の健康に資するための科学(私の意訳)、2011年閣議決定の中で使われた新用語」、パラダイム「ものの見方、考え方を支配する認識の枠組み(オックスフォードラングイッジ)」、ロバストネス「外乱の影響によって変化することを阻止する内的な仕組み(ウイキペディア)」、レジリエント「弾力性、柔軟性、回復力のある(ソフトバンク)」、一応、上記の新語の説明文を付記しました。
9月の学長ブログ
筑波山頂から東へ約7.5km離れた場所に石岡市柿岡という地名があります。さらに東へ約2㎞進むと東筑波カントリークラブというゴルフ場があります。さて、この石岡市柿岡という地名がTXや常磐線と関係が深く、しかも世界における重要拠点である、ということを知ったのはごく最近のことです。
8月28日(日)朝は生憎の雨でしたが、TX守谷駅改札口に珍しい光景がありました。小学校高学年の子供とその親15組が集合でした。目的は、もりや市民大学公開講座「学ぼう!TX講座」親子イベントへの参加でした。お父さんが多い様でした。この講座、人気が高くて、抽選で外れてしまった方も大勢でした。さて、TX講座の話の中で登場したのが石岡市柿岡です。この地に気象庁磁気観測所(海外ではKAKIOKAと呼ばれている)が設置されているそうです。
そして、講座で学んだのは、TXは秋葉原から守谷まで直流電流、守谷駅からつくば駅までは交流電流、JR常磐線は上野から藤代駅付近まで直流電流、藤代駅付近から北では交流電流で運行しているという事実でした。なぜ直流から交流に切り替えているのか、その答えは、柿岡に設置された地磁気観測器に影響を与えないためだ、というのです。直流電流のノイズは観測に大きな影響を与えるから、直流から交流へ切り替えているのだと。立ち入り禁止の観測地には、高精度の磁気観測装置や地下変位計、比較校正室などが配置され現在も稼働中で、そのデータは宇宙天気予報、磁気嵐、火山噴火予測などの目的で世界で共有されている、といいます。それも、109年前から連続して測定されているというから驚きです。戦争中は男性が次々と戦場に送られる中で、女性所員たちが観測を続けたそうです。建物は関東大震災にも東日本大震災にも耐えたそうです。
この話は、小学生には難しかったかもしれません。参加した小学生たちは、そのあとの特別回送列車に乗って車両基地まで移動し、運転席体験などを大いに楽しみました。同行した大人たちにとっては、TX乗車体験も結構でしたが、地磁気観測所が常磐線やTXの設置にまで影響していたことを知り、感慨深いものでした。少なくとも私は石岡市柿岡という地名を深く記憶したことは間違いありません。
8月の学長ブログ
8月11日の発表によると、守谷市のコロナ累計感染者数は7950件だそうです。8月の市民人口70239人をこの感染者数で割ると、8.8人になります。つまり、8.8人中1人が感染したことになります。守谷市の家族構成は平均2.4人/家なので、4軒中に1人以上は感染したことになります。市内では、向こう3軒両隣に1人以上の感染者がおられたとしても不思議ではありません。無論、自分自身を含めてです。
日本全体での累計感染者数は約1510万人です。日本人口は1億2560万人なので、8.3人中1人が感染しています。守谷市とほとんど同じ水準です。こうなると、もう他人ごとではなくなりました。ご近所、知人・友人、身内に感染者が誰一人いない、という日本人はいなくなった、と言えるでしょう。
こんな時代を経験するとは思いませんでした。カミュの小説「ペスト」が書かれたように、今度は「コロナ」という小説を準備している作家がいるかもしれません。思いもよらぬこの時代をどのように過ごしてきたか、また、この先をどう生きたか、小説でも読んでみたいですね。私としては、「コロナ後」を考えたいです。まず、コロナは必ず収束する、或いは、インフルエンザや普通の風邪と同じレベルの存在になるという理解は、それがいつになるかは別として、確信になっています。
そして、どんな日常が戻るのでしょう。
① ほぼコロナ前と同じレベルの日常に戻る。
② コロナを経験したので、マスク手洗いをし続ける人が増える。
③ オンラインで仕事や会議を経験したので、ある程度その方式が社会に定着する。
④ リバウンド効果が大きく、人々が活発に動き回り、好景気が始まる。
⑤ コロナのある時代に学園生活を送った若者たちが、失ったものを取り戻すために大きなエネルギーを発揮する。
こんな社会が想像できます。気づくのは、なぜか肯定的、楽天的な想像が優先することです。どう考えても、より悪くなるシナリオを考え付くことができません。ただ、地球規模の気候変動やロシアによるウクライナ侵攻など、コロナ以外の懸念材料が世界を覆っていることを忘れてはなりませんね。
7月の学長ブログ
日頃、人口について考えることは滅多にありません。新聞、テレビ、スマホのスマートニュースでも、見出しに「人口」が表記されることは稀です。今月11日は国連が定めた「世界人口デー」でした。ここで、本年11月15日に世界人口が80億人に達すると予測されました。私が生まれた1947年の地球人口は約25億人程度でしたから、3.2倍です。これだけの地球人口を養うには、ウクライナの小麦を輸出しなければ到底足りないのに、ロシアは何と愚かしい侵略を行っていることか。
一方、守谷市の広報を見ると、いつの間にか人口が7万人を超えていました。なかなか7万人の壁を突破しないな、と思っていましたが、人口が増えたのですね。もりや市民大学の本年入学生にも、最近守谷市へ引っ越してこられた方々もおられます。6月4日の開講式で集計したアンケートによると、全回答41人中27人が初めての入学者でしたから、この中には守谷在住1年以内という「新人」もおられることでしょう。
ところで、最近「関係人口」という、地域社会にとって新しい考え方が広まっています。「関係人口」は「定住人口」とも「交流人口」とも異なる第3の人口で、地域に心を寄せる人、或いは、地域に関わりを持つ人、そういう人々のことを指すそうです。でも、「関係人口」の数はどうやって数えるのでしょう?分かるような、分からないような、ふわふわっとした新概念です。
そこで、もりや市民大学では、この「関係人口」を解明し、守谷市で実践的に「関係人口」を増やす構想を研究しよう、というコースを立ち上げました。それが、市民科学ゼミという2年間コースです。こんなコースを設置して大丈夫か?と恐る恐る開講したところ、予想を上回る希望者が現れ、すでにゼミが開始されました。茨城大学人文社会科学部の伊藤哲司教授がゼミの指導をしてくださいます。伊藤先生は「つどうつながるつむぎだすラボ」という任意団体の代表も務められており、今回の市民大学ゼミは、この団体の初仕事だそうです。聞きつけた市民の中には、いまからでもゼミに参加したいという希望者がいるそうです。このゼミ、守谷市の新時代を開いてくれそうですよ。
6月の学長ブログ
6月4日(土)守谷市中央公民館講堂にて、2022年度もりや市民大学開講式が挙行されました。2019年度通常開講、2020年度全面中止、2021年度ハイブリッド方式の開講、これらの特別体制を経て、今年度もハイブリッド方式の開講となりました。公開講座を除く4コース定員65名にて募集した結果、申込者数79名(延べ人数)となり、入学者数の調整が必要となりました。
定員超過に対する公平な対処方法としては、「先着順」「抽選」などが普通であり、もりや市民大学でも「抽選」を準備していました。ところが、思わぬ問題が発生しました。それは、ハイブリッド方式(教室対面受講とオンライン受講の混合)特有の問題でした。教室対面式の人数制限は新型コロナ感染対策上の制約なので、破ることができません。一方、オンライン方式は人数を増やしても特段の問題は生じませんので、申込者数超過のために抽選漏れとなった方々に「オンラインならどうぞ」とお誘いすることができるのです。
ここで2つの問題が生じました。①オンライン方式で受講することが可能な方と不可能な方がおられること、②校外授業や施設利用授業では定員以上の人数を受け入れられないこと、です。この2点で公平性を保つことの困難が生じました。そのため、単純な抽選方式を適用できないことが分かりました。何しろ経験したことのない事態なので、この事態を予測することができず、困惑しました。市民の皆さんにご迷惑をかけたことは深くお詫びしますが、我々運営委員会の経験不足、力不足なので、どうか御容赦いただきたい。
こうして、もたつきのある出発となった2022年度もりや市民大学ですが、明るい兆しも見えます。それは、受講生の年齢幅がこれまでになく広がり、20代から80代まで万遍無く各世代からの受講生が集まったこと、もう一つは、実現可能かどうかを心配していた「市民科学ゼミ」という新規コースに9人もの入学者を得たことです。守谷市を発展させるための人材育成としてこれほど心強いことはありません。2022年度のもりや市民大学がより良い成果を挙げるべく、運営委員一同、受講生に寄り添いながらさらに努力する所存です。本年度も、どうぞ宜しくお願い致します。
5月の学長ブログ
立花隆、という名前をどなたもご存じのことでしょう。「知の巨人」と言われ、「田中角栄研究」「宇宙からの帰還」「臨死体験」などの著書で次々と話題をさらい、昨年4月に80歳で亡くなりました。その著書の中に「新世紀デジタル講義」(新潮社、2000年)という本があります。その序文に、これまでの読書法とこれからの読書法について、面白いことが書いてありました。曰く「拾い読み、トバシ読みでもよいから、できるだけ多読、乱読する(中略)効用を強調する人はあまりいなかった」「とにかくわかるところだけ拾ってガンガン読んでいく」「わからないところはとりあえず後まわしにして、とにかく先に進め」「ひっかかっても、止まってはいけない。とにかく進むことである」と。
この序文を読んで、電子機器の取り扱い説明書(取説)を思い起こしました。或いは、パソコンやスマートフォンなどで推奨される新しいソフトウエアの説明文なども頭に浮かびました。こういった文書は、ほとんど何が書いてあるかわからず、1行か2行読んだあたりで挫折することもしばしばです。
しかし、立花隆によると、わかるところだけ拾ってガンガン進め、とおっしゃる。「場合によっては、何十ページにもわたって、ただページをめくるだけに終わるかもしれない。それでもとにかく最後までページをめくってみることだ。」そうすると「本当の多読能力」が身につくという。まことに柔軟な考え方であり、教えられるところが大きいです。
精読、熟読の経験を積み重ねて今日までを生きてきた諸氏においては、こういったスピードのある読書法を受け入れることに抵抗感がありましょう。私も、立花隆が言うような軽快な読み取り技術を身につけることに困難を感じます。が、世の中がデジタル社会に向かって動き始めている今日、自分の家族や身近な地域社会でも、こういった「新しい常識」が定着しつつあるのだな、と認めるところです。皆さんはどうお考えでしょうか?
4月の学長ブログ
2022年度の「もりや市民大学」プログラムが漸く整い、パンフレット案内状の準備も完了しました。何しろ、2020年度はコロナ感染による完全中止、2021年度は教室とオンラインというハイブリッド形式での開講、そして、2022年度はコロナ第7波の様子をうかがいながらの開講準備、ということで、これまで体験したことのない異例体制が続いています。
こうした準備で奮闘する「もりや市民大学」の運営委員ですが、どのようにして決まっているのか、ご存じでしょうか?そのほとんどは、守谷市広報に掲載された公募に応募された方々で構成されています。運営委員会は、この4月、5月にかけて、2023年度の市民大学運営方針の検討を始めます。コースの枠組みは2年間同一なので、2023年度は2022年度と同じ枠組みになります。しかし、その中身はまだ白紙です。運営委員の皆さんは、それぞれの役割分担に分かれ、2023年度にどんな講義を準備するか、回数や講義様式(教室受講、オンライン受講、現地訪問など)をどうするか、などを具体的に詰めていきます。
ところで、こんな運営委員会でも、時々、「このままで良いのかな?」という疑問がふつふつと湧いてきます。先日も運営委員会とは別にフリーの懇談会「これで良いのか、市民大学」を開催しました。すると、出る出る、たくさんの意見が出ました。つまり、レールの上を安全に走っていればよいという大学ではありません。より良い市民大学にするためには何が必要か、自由な意見交換が大切なのです。
このように、文字通り手作りの市民大学を運営しています。市民のご期待に添えないところがあれば、ひとえに私たちの力不足です。逆に、受講生から「面白い講義が聞けた」「選んだコースは自分に有益だった」などの感想をいただくと、運営委員は泣いて喜ぶ次第です。今回は、運営委員会の現状をサクっとご紹介しました。運営委員は、誰かに選ばれてなるものではありません。あくまで、自発的に参画された方々により構成されています。これが、多様性と透明性を保つために大切かな、と考えています。
3月の学長ブログ
チェルノは「黒」、ジョームは「土地」、どちらもロシア語です。そして、チェルノジョームは「黒い土」を意味し、世界で最も肥沃な(有機物を豊富に含む)土なので「土の皇帝」と称されています。チェルノジョーム地帯では、小麦やトウモロコシなどが肥料無しでも豊かに育ち、世界の穀倉地帯を形成しています。ちなみに、チェルノブイリは「黒い草」を意味します。チェルノジョームもチェルノブイリもウクライナにあります。
ウクライナの豊かさは黒い土(チェルノジョーム)と広い平野がもたらしていると言えますが、その大切なチェルノジョームをロシアの戦車がかき乱し、土地を荒らしています。何という乱暴狼藉か。
毎日のニュースが、ウクライナ情勢とオミクロン株感染で占められ、パラリンピックの閉会式はほとんど無視されてしまいました。こんな暗いニュースが世界を覆う日が来るとは、思いもよりませんでした。
かつてソ連時代のウクライナを訪問した経験を持つ友人から、当時の写真が送られてきました。チェルノジョームに穴を掘り、土の断面を写真に収めたのです。その写真を眺めると、まるで日本の土を見ているようです。よく似ているので、今回は珍しく写真添付のブログとします。見た目は似ていますが、チェルノジョームの方が土の肥沃度がはるかに高いことに、驚きと羨望を覚えます。
(写真添付作業中)
左はウクライナのチェルノジョーム(古い写真なので青みがかっている)、右は千葉県の関東ローム。守谷市が配布した緑のヤッケを着ているのは私です。
2月の学長ブログ
黄砂は、ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠で巻き上げられて偏西風によって広域に運ばれ、春先の日本にも飛来して地面に落ちてきます。スギ花粉と同じような時期に飛来するので、花粉症アレルギーと黄砂アレルギーを同時に発症する人もいて(実は私もその一人)、全く厄介物だと考えていました。
ところが、最近、この黄砂が人間を救う働きをしていることが分かってきました。あの福島第一原発事故由来の放射性物質セシウム137ですが、黄砂はこのセシウムを強く吸着して作物に吸収されることを抑える効果があることが、京都府立大学の中尾淳博士らのグループによって解明されました。「黄砂には作物を守る力がある」のです。特に、守谷市のように火山灰土や黒ボク土で覆われている土地では、この発見は重要な意味を持ちます。なぜなら、火山灰土はセシウムを吸着する力が弱く、このような土に植えた作物は土壌中の放射性物質を吸収する心配が大きいのですが、たとえ微量でも火山灰土に黄砂が混じっていればそれがセシウムを吸着してくれるのです。
幸いなことに、黄砂は日本全体に降り注いでいるので、守谷市のような火山灰土の土地でも、この微量な黄砂がセシウムを捉えて離さない、という効果を発揮しているのです。アレルギーの敵、と思っていたにっくき黄砂が、実は命を守る大事な働きをしていたと知った時の驚きは、とても大きいものでした。なぜ黄砂がセシウム137を捉えて離さないか、というと、それは火山灰土にはほとんど含まれていない雲母(うんも)という成分が黄砂には豊富に含まれており、この雲母がセシウムを強く吸着するからなのです。
雲母(うんも)はキララとも呼ばれますが、そう言われてピンとくる人は滅多にいません。絶縁体に使われているね、と気づく人は、電気に詳しい人、岩石のかけらで表面のピカピカから雲母を連想する人は、タモリのように岩石に詳しい人でしょう。有名な作家、芥川龍之介は、「雲母のような」といった表現を複数回利用しています。この雲母を含む黄砂が日本人を助けている、と知って、一面だけで好き嫌いや価値を判断してはいけない、と大いなる教訓を得た次第です。
1月の学長ブログ
新年、明けましておめでとうございます。と言いつつ、オミクロン株と称する新型コロナ感染が急拡大し、何をするにもおっかなびっくりになっています。初詣もビクビク、成人式もビクビク、学校への登校もビクビク、離れて暮らす家族が一堂に会するのもビクビク、東京や街中に出かけるのもビクビク。これでは心が縮んでしまいます。困ったものです。
そうした中で、ここ数日の報道を見ていると、日本の実力が相対的に低下していることがしきりに報じられています。例えば、企業の「お値段」つまり時価総額というのが、日本一のトヨタでさえ世界で29位に過ぎないとか、日本人が発表する科学論文の掲載数や被引用回数が激減しているなど、目に見える形で実力低下を指摘され、少しがっかりします。しかし、こういったランキング狙いの競争に骨身を削ることが果たして人々の幸せにつながるだろうか?という大いなる疑問も、当然ながら湧いてきます。そうです、人気度No.1とか、ランキング上位、とかいう指標に踊らされるのは、あまり心地よいものではありません。もし仮にそのような競争で上位になったとしても、手に入るのはささやかな優越感のみ。
今年の抱負は、競争やランキングから少し距離を置き、いま手元にある課題を1つずつ乗り越えていく地道な成功を求めてみたいと思っています。例えば、令和4年度のもりや市民大学の開講です。令和2年度は中止、令和3年度は変則ハイブリッド教室運営、とやってきましたが、令和4年度は、何とか正規の軌道に戻したいと願い、現在、鋭意準備中です。とはいえ、2年間のブランクで、教室再開には新しいエネルギーが必要です。幸いにして、新たに加わった運営委員の皆さんのお力が、とても頼りになります。
寅年、年賀状にも沢山の寅君が登場でした。まあ、干支に何かを託するつもりはありませんが、今年も焦らずのっしのっしと歩んでいきたいと思います。昨年末10日間も入院して復活リハビリ運動中の私ですが、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
12月の学長ブログ
35年前のある日、ぶらりとルーブル美術館に行きました。そう、あのパリにあるルーブル美術館です。ドイツのハンブルグで開催された国際学会で発表した帰りに、フランスでルーブル美術館、イギリスで大英博物館を見学することにしたのです。平日で、すいていました。館内をぶらぶら歩くと、ミロのビーナスさんが美しく立っていました。ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」の実物には驚きました。その大きさに、です。あんなに大きな絵とは知りませんでした。
さらに進むと、部屋の仕切りを抜けた左側の壁で「モナリザの微笑」に出くわしました。自分の目の高さに掛かっていました。防護ロープも防護柵もなし、いくらでも近づくことができます。「えっ、こんなに小さいの?」とこれも驚きました。そして、モナリザさんと向き合うことしばし、何故か心を奪われ、じっと見つめあうことになりました。何しろ、ここにある絵や彫刻は全て本物です。あの、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵そのものと出会った時の感動は今でも忘れることができません。
そのダ・ヴィンチさんに、再会することになりました。今回は、美術館ではなく病院です。私こと、ダ・ヴィンチ手術という最新ロボット(内視鏡下手術支援ロボット)手術を受けることになりました。この技術、アメリカの軍用に開発していたリモート手術の技術が民間に移され、1999年に完成しました。特に最近10年間で急速に全世界に広まり、日本国内でも各病院が積極的に導入しました。2019年には特許期限(20年間)が切れたので、開発競争や価格破壊が激化しているそうです。
とにかく、ルーブル美術館でモナリザさんに出会ってから35年の時を経て、ダ・ヴィンチさんに再会するとは思いもよりませんでした。麻酔を受けるときは、あのモナリザさんの謎の微笑を思い出しながら眠りにつきます。目覚めたときにも微笑んでくれると良いのですが、どうなるかは謎、です。
11月の学長ブログ
2021年8月に出版されたデジタル・ファシズム(NHK出版新書、堤未果著)を読みました。タイトルに興味を持ったからです。世の中はどんどんデジタル化が進んでいて、それに後れを取ると、何だか疎外感を持つようにならないか、といった漠然とした不安もありました。特に、高齢者はスマホ扱いやタッチパネル操作に対し、「やりにくいなー」という印象を持っていますから、さらにデジタル化が進めば、より一層取り残された感覚が強くなると思います。
そこに登場したのが、このデジタル・ファシズムという本でした。この本の特徴は、デジタル化について多くの通説、常識を取り上げ、「だが、本当にそうだろうか?」という疑問を全部で11ヵ所も指摘しているところです。たとえば、「今やキャッシュレスは海外では常識ですよ。日本はデジタル後進国。」という通説、デジタル技術が「少子高齢化や地方の過疎化、貧富の格差など、今日本が抱えるいくつもの課題が、解決されてゆく」という日本全国デジタル化(Society5.0)計画、「パンデミック危機が起きたことで、今や教育のデジタル化は必須となった」というOECD(経済協力開発機構)レポートの主張、などを取り上げ、その一つ一つに「だが、本当にそうだろうか?」と疑問を投げかけます。
この本に書かれている内容をどう評価するかは、読者それぞれが決めることですが、私は大いに影響を受けました。やがてデジタル・ファシズムがやってくる、と著者が投げかける危惧についても、決して楽観できないな、と思いました。その一方で、自分の日常生活を振り返ると、スマホ、パソコン、クレジットカード、スイカ、WiFi、ブルートゥースなどのお世話になっているのも事実です。
もりや市民大学では、2021年度はZoomを利用したハイブリッド方式で各コースを運営し、大いにデジタル技術に助けられましたが、別の視点で考える必要も、この本が教えてくれました。2022年度以降のもりや市民大学でも、デジタル化時代をどう読み、どう生きるか、新しい指針を示してくれるような講師を見つけ出して、ともに学んでいく必要がありそうです。
10月の学長ブログ
今月は、硬いお話で恐縮です。柔らかい話をしたくても、心の余裕が出てこないと、なかなか楽しい話題で喜ぶ気分になれません。最近、心の弾力性が低下しているようで、心配です。
さて、もりや市民大学は、いま、いくつかの課題をかかえています。
第1:コロナ禍で取り組んだオンライン授業方式の今後をどうするか。
第2:新しい受講生をもっと多く受け入れるためにはどうしたらよいか。
第3:守谷市との協働のまちづくりを推進するためのプログラムをどう設計するか。
第4:運営委員の人材補強が必要になってきた。
第5:守谷市以外の在住者にも門戸を開くべきかどうか。
これらの課題への対応は、概ね次の通りです。
第1:2022年度は教室授業の再開を考えています。ただし、オンラインやハイブリッド方式についても、必要なら準備できます。
第2:広報活動を強めたいです。方法は検討中です。
第3:協働のまちづくりは、本大学開校の基本理念でもあります。2022年度開講に向けて、魅力的なコースを設計すべく鋭意検討中です。
第4:守谷広報誌上で新たに運営委員を公募したところ、幸いにして積極的な応募者が集まり、どうやら希望通りの人材補強が実現できることになりました。心強い限りです。
第5:公開講座や交流人口に関わるテーマのコースなどをオープンコースとして設計し、市内外に開かれた市民大学に進むことを検討しています。
茨城県のコロナ感染者数が日々減少している今、次のリバウンドを心配しつつ、個々人の課題も沢山お持ちでしょう。そして、まだ油断できない緊張感の中で、2022年がすぐそこまで近づいています。明るい年がやってくることを願わずにはいられません。もりや市民大学で、より多くの笑顔に接するために、少し硬い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
9月の学長ブログ
緊急事態宣言が延長・続行する中、もりや市民大学の3つのコースは、工夫をしながら運営を続けています。教室参加で入学した受講生の多くの方が、必要に迫られてZoom利用のオンライン受講へと切り替える努力をしておられます。私自身は7月10日に総合コースで「守谷の土と水」という講座を担当し、この時は教室参加、オンライン参加が半分半分でした。その際、講義終盤で、「守谷の放射能汚染は、その後どうなっていますか?」とのご質問を頂きました。
そういえば、福島第一原発の事故後のセシウム137汚染については、いつの間にか情報発信が消えています。講義は「守谷の土と水」がテーマですから、誠にごもっともなご質問でした。私は「学校や公園などの公共用地、道路や住宅地などの除染は終了しており、放射能汚染は残っていないが、山林・里山で人手が入っていない地区では、セシウム137はその場に残留している可能性が高いと考えています」とお答えしました。
その場ではお答えしましたが、気になってその後の情報を調べてみました。まず、守谷浄化センターが定期的に公表している脱水汚泥の放射性物質濃度測定結果を閲覧すると、最近のデータは全て「不検出」つまり汚染の痕跡は残っていない、とありました。下水管を通して集積される物質中にはセシウム137は検出されないので、私の回答前半は正しいようです。問題は回答後半です。幸いにして「森林の放射線生態学」(2021年3月、丸善出版)という本が出版され、森林の汚染問題を正面から教えてくれました。「森林に降った放射性セシウムのうち、森林外に流れ出る割合は非常に少ない」「森林の空間線量率は時間が経過しても低下しにくい」「放射性セシウムは、多くの森林では地表の落葉層に長く留まることはなく速やかにその下の鉱質土壌に移行」などの記述が、実測データと共に見られます。
守谷市には、人手の入らない山林・里山のほか、住宅地の雨水調整池もいくつかあり、その中で一段低い窪み地は水も土も植物も動いていないと思われます。このような場所では、セシウム137は自然消滅するまで、土壌に吸着された状態で残留している可能性が否定できません。ご質問者への私の回答は、残念ですがほぼ的確だったようです。災害からの完全復旧はそう簡単ではない、と改めて知らされました。
8月の学長ブログ
オリンピックが終わり、終戦記念日があり、次のパラリンピック開始までにコロナウイルス感染者が何とか減少に転ずるといいな、と思っていた矢先に、今度は災害のニュースがいっぱいです。線状降水帯という厄介な「雲の糸」が上空を覆い、信じられない大量の雨を降らせています。2019年の常総市鬼怒川洪水を思い出さずにはおれません。どうしてこんなに異常気象が続くのでしょう?
人間活動がもたらす気候変動、それが異常気象の元凶であるとの見方が有力です。IPCC (気候変動に関する政府間パネル)の第6次評価報告書第1作業部会が8月9日に発したレポートには、「人為起源の気候変動は、世界中の全ての地域で、多くの気象及び機構の極端現象に既に影響を及ぼしている。熱波、大雨、干ばつ、熱帯低気圧のような極端現象について観測された変化に関する証拠、及び、特にそれら変化を人間の影響によるとする原因特定に関する証拠は、AR5以降、強化されている。」と記載されています。AR5はIPCC第5次評価報告書(2013年)のことです。この「強化されている」(原文ではEvidence has strengthened)という表現に、何とも悩ましい工夫の跡が見られます。
地球の歴史を紐解くと、宇宙138億年、地球46億年とかいう気の遠くなるような時間が経過し、この間、気候も自然現象のひとつに過ぎませんでした。ところが、約1万年前から人間活動が活発となり、それが自然気候の変動をもたらすようになったので、この1万年ぐらいを人新生(ひとしんせい、Anthropocene)と呼ぶべきだという学問的検討が有力視されています。
今回の線状降水帯も、人間活動がもたらした気候変動の一環なのか、それともこれは自然現象のひとつに過ぎないのか、定かではありません。地球環境全体の傾向と対策については、様々な学術的手法を用いて科学的に記述できますが、個々の地域における異常気象の原因を一般論から証明することは、「強化されている」とはいえ、簡単ではありません。この辺に難しさがあり、更なる学術の発展が必要とされる所以です。
7月の学長ブログ
夏祭りも、花火も、修学旅行も、暑気払いも、お盆の帰省も、・・・、中止中止の連続です。オリンピックは開催するそうですが、人気のない選手村、観客のいない巨大国立競技場、ほとんどキャンセルされた大量の観光バスの列、怒りを隠せない飲食業者、などの現場レポートを見て、心が痛みます。それでも、守谷市内の広々した公園の芝生で、互いに大きく距離を取りながら遊んでいる子供たちや家族を見ると、少しホッとします。
そのような中で、粛々と進む「もりや市民大学」のハイブリッド授業、ここまでの所、何とか無事に実施されています。特に、オンライン授業に参加されている受講生の皆さんは、誠にチャレンジングな方々とお見受けしています。必ずしもオンライン会議やオンライン交流に慣れていらっしゃらない方々も、これを機にオンライン受講生となり、新しい体験をしておられます。オンライン受講生が積極的に質問され、その質疑応答を教室受講生と共有できているところは、新しい教室誕生の実感が特に強まるところです。
私事ですが、来年2022年12月に、京都国際会館で開かれる予定の1000人規模の国際学会に関与しておりまして、そこでも、ハイブリッド方式のシンポジウムや発表講演ができないかどうか、検討を行いました。その結果、ハイブリッド国際学会は膨大な予算がかかることが判明し、とても無理であるとの理由で、ついに断念しました。ハイブリッド方式は、予想以上に手間がかかり、実現が難しいことであると、改めて認識しました。
そのような次第で、「もりや市民大学」は時代を先取りしたハイブリッド教室を手作りで展開している、と改めて気づき、ここまで指導、尽力いただいた運営委員の方々と、呼びかけに応じてオンライン学生に登録いただいた受講生の皆様に、心からお礼を申し上げます。そして、この方式を実現したことにつき、いささかの誇りと自信を皆様と共有したいと考えています。ただ、市民大学の運営は作業量が多いので、もう一回り運営委員の人数を増やす必要があります。その意味で、運営委員の追加募集を準備しています。お力添えを宜しくお願い致します。
6月の学長ブログ
いよいよ始まりました、「もりや市民大学」2021年度3コースです。まずしょっぱなは、6月4日の「まちづくりコース」でした。講師は、市役所市民協働推進課長さん。とても丁寧に準備され、分かりやすいお話を頂きました。この日、不思議な思いに駆られました。それは、「先生」って何だろう、という疑問です。
「先生」の語源は、読んで字のごとく、先に生まれた人を敬う言葉です。しかし、今回の教室で現れた「先生」は、どう見ても受講生よりずーっと若いのです。もちろん、受講生のお1人は19才現役学生さんであり、この方は「先生」より確かにお若いです。しかし、残りの受講生は、どう見ても「先生」より先に生まれた方ばかりでした。
そういえば、最近、若い人に教えてもらうことが非常に増えたと思いませんか?まず、毎日使うスマートフォンの設定や、動きがおかしくなった時の修正回復です。身近な若い人に教えてもらっていませんか?パソコンを使う人であれば、動きがおかしい、とか、マウスが動かない、とかいろいろなトラブルについて、息子・娘世代、更には孫世代に教えを乞うていませんか?教えてもらった後は「へー、そうなの、全然わからなかった」という感想のみで、「ありがとう」まで言えているでしょうか?
これからの時代、「先生」はどこにいるでしょう?身近な、若い世代が「先生」になってきたとすると、先に生まれることに、どんな意味があるか、と、怪しい自問が現れます。しかし、若い人に教えてもらうことは、何故か気持ちよく、嬉しいのです。これはなんでしょうか?若い人に教えてもらうと幸せを感じるとすれば、それはそれで新しい時代がやってきたようにも思います。
今回始まった2021年度「もりや市民大学」、いろいろな「先生」との出会いを大いに楽しみ、また、有効に活用してください。若い「先生」大歓迎です。
5月の学長ブログ
変異ウイルスが蔓延し、特別措置法、緊急事態宣言、まん延防止等重点措置、感染拡大市町村、といった新規用語が次々と報道、通知されています。これらの熟語を正しく理解し、記憶できるかどうか、怪しくなってきました。しかも、それぞれについて内容が異なり、期限も指定されます。いま、自分はどのレベルで警戒、心配すればよいのか、だんだん曖昧になり、それよりは自己判断、或いは直感で判断して、毎日の行動を決める傾向が強くなりました。
守谷市民も、毎日の新規感染者数報道を注視し、それが0だとホッとし、1~2人だと「これ以上増えるな」と祈り、3人以上だと「まずいぞ」と身構えます。そんな緊張が全ての市民を覆っており、「守谷市は頑張っているな」と思わずにはいられません。しかし、緊張と自粛だけでは仕事や家事、勉学などの日常が保てません。やはり、ウオ―キングやジョッギング、体操や野外スポーツで健康維持を続けておられる方々も大勢です。
そのような中で準備が進む2021年度もりや市民大学、お陰様で、「総合コース」「まちづくりコース」「グリーンインフラコース」とも、教室学生、オンライン学生の申し込みがあり、無事開講することが決まりました。運営委員会では、パソコン、マイク、カメラなどを適切に配置・接続し、不快なハウリング音を出さないように、懸命の準備をしているところです。そして、新しい方式のもりや市民大学を、是非とも無事に修了までこぎつけたいと思っています。特に、オンライン学生で応募された方々に、「良かった」と言っていただけるように、万全の準備を進めたいと思います。
今後、全世代にまたがるICT(情報通信技術)の定着に向けて、様々な課題が出てくると思います。オンライン連絡(スマホやパソコン)は一切使用せず郵便と電話のみで各種連絡を行う世代からペーパーレス世代まで、同じ時代を生き抜かねばなりません。ICTは、いずれ、電気、ガス、水道、電話などのインフラと同列になるでしょうが、その過渡期である今日、社会的ストレスが生じるのも当然です。ここを何とか乗り切ることが地域社会にとっても個々人にとっても求められていると感じます。「良い」「悪い」「賛成」「反対」といった意見分布とは別の「時代の波」を生き抜きましょう。
4月の学長ブログ
もりや市民大学は、2013年に開校以来、9年目を迎えています。昨年一年は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、全ての教室を中止しましたが、今年2021年度は、6月から開講します。幸いなことに、昨年中止した講義のほとんどが、本年再開できます。公開講座で予定していた講義を「総合コース」の中に組み込み、「まちづくりコース」「グリーンインフラコース」は、その特徴を鮮明にしました。本年度、ふたたび講義を引き受けて下さった講師の先生方には心から感謝します。
今回、もりや市民大学ではオンライン授業を併設することにしました。従来型の教室授業の定員は15名、オンライン授業の定員も15名としていますが、オンライン受講生が超過しても対応可能です。例えば、子育て中の主婦の方が、横目で我が子の様子を見ながらオンラインで受講することもできるのです。パソコンを持っていない方でも、画面は小さくなりますがスマートフォンで受講することができます。細かいやり方は、事前の打ち合わせ説明でご案内しますから、安心してください。
先日、運営委員会でオンライン授業の第1回リハーサルを行いました。主催者側の訓練です。初回なので手間取りましたが、課題も明らかになり、更に準備を進めることにしました。手順が決まったら、新規オンライン受講生への説明サービスを準備することになります。運営委員は、受講生への説明と、講師の先生方へのサポートも行い、授業当日の司会進行も担当します。
こんな次第ですが、運営委員会では「これだけ準備に時間と労力をかけて、オンライン授業の受講生が1名だけだった、なんていう結果もあるかもしれないね」と笑いました。そういう予測と期待の中で前を向いております。できれば、もりや市民の皆さんにも、一緒に苦労しながら「もりや市民大学オンライン授業」のお試しに参加いただきたいと思っています。私どもは、失敗を恐れず、できることをやってみたい、という心境です。
3月の学長ブログ
今日14日(日)、守谷城址公園に植えた河津桜の手入れイベントがありました。風はありましたが晴天で、絶好のお手入れ日和でした。「もりや河津桜の会」柗本会長と松丸市長の挨拶のあと、諸注意があり、各々がシャベルや鎌、肥料やハサミを手にして自分が植えた河津桜に向かいました。見回すと家族連れの方が多く、100人ぐらいは参加されていたと思います。新型コロナ禍の中で、全員マスク着用、会話は控えて互いの距離を取ること、といった注意喚起も丁寧に行われ、安心して手入れに向かうことができました。
ご存じの通り、この「もりや河津桜の会」は、もりや市民大学の教室から生まれた自主的な市民活動の一環です。思えば、平成26年3月に5本の試験植樹を行ったことが始まりでした。その後、里親募集に応募した市民によって平成29年に第1期83本が植樹され、第2期を経て第3期にまで発展し、現在、170本以上に増え、今では植樹できる場所の選定に苦労しているところなのです。各桜には通し番号と名前や言葉を書き込んだ札が添えられており、No.95札が付いている私の桜は植栽後3年たち、高さ2mを超えて可愛い花が咲いていました。準備された主催者の皆さん、ありがとうございました。
地域活性化や地域創生は、掛け声だけではなく、具体的で目に見える形になることが望まれますが、そうした地域活動の例は全国各地に展開されています。これらの例を伺うと、ある1人の人が「よし、これをやってみよう」と思い立って周りに声をかけながら創意工夫を重ねるうちに、いつの間にか広がってゆく、という経過が多いようです。できることを1つずつ積み重ねていくうちに、成果が目に見えて発展する、という成功体験者を増やすことは、「人材育成」を標榜する市民大学の希望でもあります。
新型コロナや変異型コロナの感染が今後どう収束するのか、現時点では何とも言えませんが、令和3年度のもりや市民大学は、6月開講を準備しています。今日の松丸市長のお話では、5月連休前後にはワクチン接種が行き渡るように準備中とのことです。ここに期待して、市民大学の教室(一部オンラインです)でお会いできることを楽しみにしています。
2月の学長ブログ
Zoom会議が広く使われるようになりました。Zoomは、いったん始めてしまえば比較的容易に活用できますが、日頃、パソコンやスマホでインターネットを利用していない人にとっては、ハードルが高いようです。先日、大事な専門学会Zoom会議が開催されることになり、私だけでなく私と同世代の研究者(複数)にも出席が要請されました。しかし、Zoom経験のない彼らは自信が持てないので、事前練習することにしました。携帯メールで確認しあいながらパソコンやiPadの操作に臨み、「音が出ないぞ」「そんな画面は出てこないぞ」などと不満を言い合ううちに、パッと画面が現れ、「やあやあ、お久しぶりです」と、無事、挨拶を交わすことができました。
Zoomビデオコミュニケーションズという会社は、アメリカ・カリフォルニア州のサンノゼ(San Jose、スペイン語ではサンホセ)に本社を置く通信技術会社です。この会社の創業者は中国出身のEric Yuan(袁征)という人だそうです。2011年創業、2013年に互換性を高めたソフトウエアを作り、ビデオ会議、オンライン会議、チャットなどの利用を広げました。それが、COVID-19パンデミックのせいで、急成長しました。2019年12月(パンデミック前)の1日平均利用者数は約1000万人でしたが、2020年3月には約2億人に増えました。守谷市民活動支援センターでZoom講習会を始めたのが2020年7~8月頃でしたから、かなり早い対応だったかもしれません。
この急成長のZoom、これからも利用させてもらいますが、気をつけるべき点もあるようです。セキュリティーに関して、アメリカと中国の間でも複雑なやり取りが垣間見えます。個人情報が完全に守られているかどうか、定かとは言えません。また、日本には音響メーカーZoomという会社があるそうで、勘違いで株を買う人がおり、株価が上昇したなどという噂もあります。
すでにZoomを利用している人にとっては、その後のハードルは低く感じられて、便利に使えていると思います。しかし、まだ、Zoomはやりたくない、と思っている人々がたくさんおられます。そうした隔絶を、どう扱えばよいか、社会的な課題でもあると思います。地域社会にICT(情報通信技術)をどのように定着させるかは、日本社会全体の問題でもあると思います。この、急変する社会の課題そのものが、もりや市民大学にとって学びの対象になる、とも言えそうです。
1月の学長ブログ
新年、明けましておめでとうございます。さて、早速ですが、コロナ以外の話題を共有したい、と強く思います。テレビ、ラジオ、新聞、ネットニュースのどれもこれも、新型コロナ、変異ウイルス、大雪、トランプ米大統領に関するニュースで明け暮れています。新年の明るさ、華やかさは消えてしまいました。コロナ以外の話題を持ち出すと、やや違和感を持ったり、浮いた話のように感じたりします。無理に明るい話題に振っているな、と思うほどです。
そこで、無理に話題を振ってみよう、と思いつきました。食べ物の話はいかがでしょう?例えば、寿司です。スーパーなどでもパック入りの美味しそうな寿司を売っているので、家庭に持ち帰って食べれば、寿司屋さんで握ってもらう寿司と同じ味を楽しめるかな、と思ってきました。しかし、何かが違う。どこが違うだろう?そこで、ふと気づきました。スーパーの持ち帰り寿司には青魚(光り物)が少ない。コハダ、アジ、イワシ、サバ、サンマなどの握りは少なく感じます。一方、寿司屋で握ってもらうときは、こういった青魚が好きに選べます。と、蘊蓄を傾けながら電子レンジで温めた日本酒熱燗を飲む、これが我が家の食卓となりました。
ここまで書いて、さて思い浮かぶのは、日ごろお世話になってきた飲食業の皆さんです。美味しい食べ物飲み物を提供してきた飲食業の皆さん、時間短縮、営業自粛、会食自粛などの指示を受けて、非常に苦しんでおられます。客商売と言われている全ての業種でも、同様の苦難に直面しています。ここを耐えきって復活していただきたい、と思わずにはいられません。
やっぱりコロナ関連の話につながってしまいましたが、もう一つの明るい話題と言えば、成人式を迎えた若者たちです。1月10日の朝、起きがけに玄関の外に出たら、偶然、ご近所で成人を迎えた若者に出会いました。思わず「おめでとう!」と声をかけ、「ありがとうございます」の返事をもらいました。その若さの眩しいこと。素敵な振り袖姿でした。この日、守谷市は常総運動公園屋外で成人式記念式典を挙行したそうです。これは、特別に明るい出来事でした。
12月の学長ブログ
2020年、もりや市民大学は、1年間の休校を余儀なくされました。現在、2021年度の開講を目指して準備を進めております。来年6月の開講を予定していますが、その頃にはコロナの終息、ワクチン接種の完了などが整っていることを期待しています。ただ、これまでのように、満室の教室での講義、ホール一杯の参加者を見込んだ公開講座などを想定することは難しく、人数制限をかけた受講とオンラインリモート受講を併設する必要があると考え、その方向で準備しています。
講師の側にもいろいろな事情があります。既にリモート講義などの経験豊富という現職の方から、サポート付きでなければトラブルの緊急対処は無理、という方まで、多種多様です。来年開講の市民大学カリキュラム設計は、これまで経験したことのない複雑な手順を準備しなければならないと、覚悟を決めています。
このような時代に、どんな教室が求められているでしょう。金曜日コースは、地域づくりまちづくりをテーマとする専門コースを予定しています。例えば、「柏市地域協働を考える会」の活動紹介です。この「考える会」は、かしわ市民大学修了生が結成した会であり、今年、「あしたのまち・くらしづくり活動賞―振興奨励賞」という全国レベルの賞を受賞しました。コロナ禍の中でどんな活動を展開したのか、注目です。地域防災については、このような時代だからこそ必要とされるリモート講座を計画中です。一転して、火曜日コースは、守谷の自然を守るためのグリーンインフラを軸に展開する予定です。自然を学ぶことの意味を、より深く知ることができるでしょう。人気の総合コース(土曜日)は、多様なテーマを用意しています。講師陣も開講を楽しみにしているところです。
2021年をどう作るか。コロナを睨みながら、withコロナとafterコロナを考えることが、どうしても必要になりました。ここでも、新たな「学び」が必要です。もりや市民大学運営委員会は、自らも学びながら、より多くの市民に「学び」の場を提供すること、そこに意義を見出しています。恐怖と不安を残したままですが、できることから始めましょう、と前を向いていることをご報告します。
11月の学長ブログ
友人が、江戸時代に学ぶ農書を書いているそうです。江戸時代?と疑問に思いましたが、日本のイナ作技術が江戸時代から明治時代に移った時に大きな変貌があったといいます。彼が着目したのは、主として雑草処理、つまり、水田の除草技術に関する問題です。
友人曰く、江戸時代に多数回中耕除草法という技術が発展し、無肥料・無農薬で多収することが可能だったそうです。しかし、明治以降は西洋農学の導入が進み、化学肥料と農薬を使用した栽培が当たり前のようになった、と言います。よーし、それなら江戸時代に完成度を増していた多数回中耕除草法を現代に蘇らせて試してみよう、と思い立ち、その後10年間、試験水田において、自然と共生する無施肥・無農薬のコメ作りに挑戦し、予想を上回る成功を収めたといいます。
毎年その試験水田で収穫されたお米を送ってくれるので、私も食べ比べを続けているのですが、確かに、年々美味しくなってくるのです。友人は、無施肥・無農薬でもちゃんと除草ができ、病害虫にも耐性があり、美味しくて立派なコメ作りが可能だ、と自信を深めています。「自然栽培」という雑誌にも、しばしば記事が取り上げられ、全国のコメ作りの人々が見学に来るほど知られるようになりました。
最新の科学技術をファストサイエンスと呼ぶとすれば、この友人の技術はスローサイエンスそのものです。最近、スローサイエンスを見る機会はめったにありませんが、こうして身近でそれを実践している例を見ると、何だか嬉しいです。スマホやパソコンで、操作が行き詰まり、「訳わからん」と放り出すとき、いや、身体で分かるスローサイエンスもあるぞ、と、気を取り直せる、そんな今日この頃です。
10月の学長ブログ
久しぶりに、もりや市民大学運営委員会を開催しました。ほぼ半年ぶりです。会議前には、全員が検温、手の消毒を行い、マスクをつけ、互いの距離を大きくとって着席しました。皆さん、お変わりなく、元気そうでおられ、ひとまず安心しました。マスクをつけて発言するときは、少し大きな声を出さないと、遠くの席の人には聞き取りにくい、ということも気づきました。
議題は、2021年度の市民大学開校へ向けての準備です。まず、2020年度に計画した総合コース、専門コース、市民科学ゼミ、公開講座などについて、新たな見直しをするか、そのままの形を持ち越しとして開始するか、具体的な検討を行いました。その結果、市民科学ゼミは当面無理かもしれないが、他のコースや公開講座などは、ほとんどそのまま再開できるのではないか、との結論に至りました。
ただし、市民大学再開において、どのような教室形態をとるのか、という選択が難しいところでした。例えば、総合コースの定員を30名とすると、市民活動支援センター2階の教室では上限を20名としていますので、全員出席が受け入れられません。それでは定員を20名に減らすか、それとも、20人以上はオンライン授業にするか、といったテクニカルな議論に進みました。さて、例えば、いまはやりのZoomを活用した教室を開くことは可能でしょうか。ここが思案のしどころです。
守谷市内でも、小規模な対面集会は少しずつ増えている様子です。このまま、新型コロナウイルスの再拡大を起こさず、終息に向かっていけば、元の市民生活が戻り、安心なわけですが、そう甘くもないようです。我慢の日々が長くなり、「ストレスがたまる」「コロナ太りだ」といった声も聞かれます。でも、「もうどうでもいいや」とばかりに羽目を外すわけにもいきません。状況の変化を注視しながら、より良い日常を取り戻したい、そう願うばかりです。
9月の学長ブログ
GOTOトラベルは、少し元気が出るキャンペーンだな、と共感し、10月末の国内小旅行を計画し、ツアーに申し込みました。さあ、費用を振り込もうと準備したところに、郵便が届きました。それは、予定の航空便が「新型コロナウイルス感染症による航空需要減少の影響から運休」するので、「やむなくツアーの催行中止を決定させていただきました」、との通知でした。楽しみにしていたのでガッカリしました。
そんなさなかに、Zoom会議を何度か体験しました。今後もいくつかのZoom会議が予定されています。実は、市民大学運営委員のYUさんが、希望者に対し、市民活動支援センターの教室でZoomの使い方を教えてくれました。とてもありがたかったです。特に、呼びかけられてZoom会議に参加するだけでなく、自分がZoom会議の主催者として参加者を招集する方法まで伝授してくださったのが嬉しかったです。なぜYUさんはそんなことができるのか?というと、もともとのお仕事がAI関連だったこともありますが、それより、Zoom飲み会を定期的に楽しんでおられる、「つい、飲み過ぎてしまう」という楽しそうな裏話があったのです。「良いなー、私もやりたいな」と思ったので、Zoom教室に飛んで行った次第です。
そこで、これは良い、と思って昔の飲み友達にZoomやりませんか?と持ち掛けましたが、反応なしです。その友人達、普通のメールでは結構長い文章を送ってくれるのですが、映像や声が届くZoomについては、あまり興味を示さないのです。どうやら、Zoomは、若い人や仕事の現役世代には広まっているが、高齢社会にはそれほど行きわたっていないのかもしれない、と思い至りました。高齢者は保守的なのか、或いは、新しいものに飛びつくには腰が重いのでしょう。
今後、コロナ後の「新しい日常」には、デジタル社会が大きな位置を占めると思います。「新しい日常」が高齢者や一人住まいなど、社会とのコミュニケーションが希薄になりつつある生活者を置き去りにしないよう、切に望む次第です。
8月の学長ブログ
運転免許証を更新しました。年齢が高いので事前講習を受けましたが、ゴールド免許のせいか、警察署での更新手続きは比較的簡略でした。久しぶりの警察署内を見渡すと、消毒用のアルコールスプレイがあちこちに置いてあり、壁には運転マナーや交通事故に関する張り紙ポスターがたくさん貼ってありました。で、待ち時間の間に考えました。交通事故の件数と新型コロナウイルス感染者数との関係はどうなのだろう、死者数はどうか、といった素朴な疑問です。
帰宅してからインターネットで公表データを調べてみました。8月10日現在の統計データです。2020年の1月から6月までの全国交通事故件数は1日平均799件、全国交通事故死者数は1日平均7.4人でした。交通事故件数は前年比で22%も減少しているそうです。外出の自粛効果でしょうか。さて、一方新型コロナウイルスについて、8月10日現在の全国新規感染者数は839人と報告されていました。また、8月1日から10日までのウイルス感染死者数は1日平均4人でした。数字を見比べると、799対839、7.4対4、です。何と申しますか、ざっくり言えば、新型コロナウイルスで起きている危機と交通事故で起きている危険とは、ほぼ同レベルなのではないか、と思いました。
交通事故をゼロにするための最善の方法は自動車の運転を全面禁止することです。新型コロナウイルスで言えば完全自粛か都市のロックダウンでしょうか。そして、それは現実的ではありません。先の警察署内では運転マナーを守りましょう、と注意を呼び掛けていました。新型コロナウイルスで言えば、緊密を避け、マスクを使用し、手洗い消毒を徹底しましょう、というキャンペーンに相当するでしょう。社会生活・社会活動を全部禁止しろ、というのは世の中の自動車を全部止めろ、というに等しいと思います。現実社会は、規則とマナーを守って安心安全を保つことが大切なのかな、と改めて思いました。
運転免許証の更新手続きを完了し、いつの間にかこんなことを考えていたら、ラジオから「高校野球を部分的に再開したのはよろしくない」という声が聞こえてきました。私はそうは思いません。規則とマナーを守ってできるだけ試合を続行してほしい、自動車運転の全面停止を求めるような批判は行き過ぎではないか、と思いました。
7月の学長ブログ
自粛生活から、「新しい生活様式」へと向かう日々、皆様どのようにお過ごしでしょうか?この間、何だか時間の流れが速くなっているように感じています。中国で発生した新型コロナウイルス感染が、全世界に広がり、半年以上経過したいま、日本国内の毎日の感染者数をドキドキしながら見守っています。今思うと、2月、3月、4月、5月、6月に何をしたか、と考えても、特段に記憶に残るイベントが残っていません。ただ、時間だけが高速で過ぎ去った感があります。
そんな中で、特に印象的なのは、社会全体のデジタル化が急速に進んでいることです。大学の現役教員は、オンライン授業は勿論のこと、来年の大学入試でもオンライン入試を考えざるを得なくなっています。ご存じかもしれませんが、「ミラーワールド」という新しい社会モデルには驚いています。なんでも、現実の「ミラー」をネットワーク中に構成すると、その中でヒトやモノといった現実とミラーワールドの中の仮想現実とが一体化しているような世界を構築できる、というのです。
昔、SF小説でタイムマシンと瞬間移動が出てきたときは、「想像するのは自由だね」とバカにしていましたが、その瞬間移動とほぼ同じことができる技術の実現が間近に迫っているといいます。例えば、ミラーワールドの大学では、教室にいる学生の半分は現実に出席しており、半分はネットワーク参加しているのに、その差をほとんど感じずに授業ができる、さらには、実験にもネットワークで参加できる、といったイメージだそうです。これはもう、瞬間移動しているのと同じではないでしょうか?
「新しい生活様式」がどんなものか、分かりませんが、オンライン会議は実際にやってみると便利、という声も聞かれます。もりや市民大学でも、一部オンライン化の検討を始めます。新しい市民大学を模索せざるを得なくなりました。
6月の学長ブログ
武漢に、朱という名前の中国人がいます。その朱さんのニュースを共同通信社の5月23日付配信で見かけました。何でも、新型コロナウイルスが広がった武漢在住の日本人が、急遽帰国する際、市当局と掛け合って輸送バスを手配し、全員が無事に飛行場まで移動できるように最大限の尽力をしてくれたと報じていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/a8c787684840f25c8761e0df235b658c70c555a4
「おやおや?よく似た名前の人がいるな」と思いました。というのは、かつて、私が現職の大学教員だったころ、朱敦尧(ズー・ドンヤオ)という中国人留学生がいたことを思い出したからです。ニュースを見ると、件の朱さんも東京大学留学経験があると書いてあります。これは、ずいぶん近い話だな、と読み進むうち、これは、あの朱さん本人だ、と確信しました。
そこで、「朱さんが日本人退避のために力を尽くされたことを、初めて知りました。まず、心からの御礼を申し上げます。本当にありがとう。」というメールをご本人に送りました。すると、朱さんから「皆さんとの出会いは私の人生として、幸せの種です。それを大切にして、ずっと。今回、日本からたくさん感謝のことばをいただき、大きい喜びです。映画になってもらいたいという方がいらっしゃる、確かに、永遠に経験できないシーンがいろいろ、ありました」との返信。
こんな偶然の再会があるとは、夢にも思いませんでした。朱さんは、私のもとで環境地水学という専門分野の博士号を取り、研究者の道に進む予定でした。しかし、その後紆余曲折を経て、今では日中を結ぶIT関連会社の会長に上り詰めていました。社員1300人を率いているそうです。新型コロナウイルスが終息したら、また日本に来る予定だそうです。その時、お会いしましょう、と約束しています。楽しみです。守谷市民大学にご案内して、臨時講師でもやってもらいましょうか?
5月の学長ブログ
すでにご承知かもしれませんが、もりや市民大学は、今年1年間の休校を決めました。できるだけ同じ内容のプログラムを、来年の4月以降に開校したいと考えています。この決定につき、講義を引き受けて下さった講師の皆さん、受講を予定されていた市民の皆さんに、お詫び申し上げるとともに、ご理解のほどを宜しくお願いいたします。
さてさて、「今日の感染者数は?」が一番の関心事になりました。まず、東京都が100人以下、いやいや50人以下だと、ややほっとします。次に、茨城県内の感染者が0で留まっていると、「良かった」と思います。そういえば、守谷市は?と考えてスマホのMorinfoをのぞき込み、当然ながら感染者なしを確認します。その後、大阪はどうか、全国はどうか、ニューヨークはどうなった?世界は?と関心が広がり、ついにアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の集計にまで到達します。
この、ジョンズ・ホプキンス大学が気になって調べてみました。アメリカ東海岸のメリーランド州ボルチモアに本部を置く医学系の私立大学だそうです。なんでも、ノーベル賞36人を輩出している、世界屈指の医学部を有するアメリカ最難関大学のひとつとか。実は、私はボルチモアに行ったことがあるので、懐かしく思います。かつて、研究者の卵としてカリフォルニア州に留学していた時代に、飛行機でワシントンへ行き、スミソニアン博物館を見学していた時のことです。幼い我が子2人(男)が、「こんなとこ、つまんない」とむずかるので、止むを得ず地図で(当時スマホはありませんでした)遊園地の所在を探し、ワシントンからボルチモアの遊園地へアムトラック鉄道で移動したのです。子供らは、こじんまりした遊園地でたいそう満足していました。
あの、思い出のボルチモアにこんな立派な大学があったとは、知りませんでした。あれから37年にして初めて知ったのです。それにしても、世界中のコロナウイルス感染に関わる統計データを一手に引き受け、それを瞬時に世界へ発信し続ける仕組みは、どのようなものなのでしょう?一大学が国を超えて世界の状況を把握し、政府や国際機関よりも高い信頼を得てその情報を発信するという姿に、感動と驚きを禁じえません。何人くらいのどんな人が実務を担当しているのでしょうね?スゴイです。
4月の学長ブログ
新聞を開く、ラジオをつける、テレビをつける、スマ―トフォンを開ける、どれをやっても、目に飛び込んでくるのは新型コロナウイルスのことばかりです。COVID-19と呼ぶ人もいますが、これはウイルスのことではなく、感染して起こす肺炎の名称だそうです。
そんな中で、読書はささやかな癒しを与えてくれます。外出を控えよ、と言われてから私が読んだ本をご紹介しましょう。図書館に依頼して半年間待ち、ようやく順番が回ってきた本、イタリア人理論物理学者カルロ・ロヴェッツリの著書「時間は存在しない」を読んでみました。タイトルに引かれて読みましたが、原題はThe Order of Time(時間の秩序)でした。翻訳者と出版社がインパクトを強めるために意訳したようで、私も見事につかまりました。「時間」をめぐり、アインシュタイン、ループ量子重力理論、エントロピーの増大、スピンネットワーク、など、強烈なキーワードを用い、分かりやすいたとえを多く使って読ませます。分かったような気にさせる本でした。もう一冊は、1000ページという分厚い「虚数の情緒」(吉田武著)です。中学生から読める独学のための本だそうです。自然数や九九の計算から始まり、無理数、実数、虚数、指数、振子、重力へと進み、最後には場の量子論、量子脳力学まで連れていくというとんでもない本で、一人の著者がここまで広くカバーできるものか、と驚嘆します。その中で、野球のバッティング理論も展開し、これが案外参考になったりするのです。なぜか、愛読書の1つになりました。
難しい本ばかり読んでいるとお思いでしょうが、ご安心ください。一方で、アンソニー・ホロヴィッツ「カササギ殺人事件」(上・下)を読みました。ミステリの最高峰などと宣伝されていたので、どれどれ、と手にしてみました。「それかよ?そう持っていくの?」とびっくりしました。面白いけどちょっと釈然としません。気になって、同じ作者の「007逆襲のトリガー」も読みました。おなじみジェームスボンドが活躍するサスペンス。まあ、いいかな、と許容しました。同じ著者によるもう一冊「メインテーマは殺人」は手元にあって、これから読みます。
こんな具合です。私の友人(北大の名誉教授)は、こんな時だから、と土壌学の専門書を読み直しているそうです。自分の専門分野の周辺を勉強しなおす、という考えも納得です。そこにも新発見があるのだそうです。家に閉じこもる日々、何か楽しみがないといけませんね。そうそう、「ジャズ・スタンダード・バイブル(ジャズ・ピアノ・エチュード)」も、私の新たな一冊に加わりました。
3月の学長ブログ
残念ながら、新型コロナウィルスが収まらず、今日(3月13日金曜日)のニュースではニューヨーク株式市場ダウ平均株価が2352ドル下落し、日経平均株価が17000円を下回るなど、その影響が拡大しています。無観客大相撲、春の選抜高校野球大会中止、東京ディズニーランドやユニバーサルスタジオジャパンの休業、ブロードウエーのミュージカルやオペラの休演など、信じられないニュースが飛び交っています。そして、ついに東京オリンピック開催の可否についても現実的な判断を迫られるに至りました。
そんな中、もりや市民大学でも、2月29日「総合コース:花のまちづくりの活動について」を録画ユーチューブ方式への切替え、3月7日の総合コース修了式中止、3月14日「オープンコース:はじめてのグリーンづくり講座」中止、3月18日運営委員会の中止、3月28日の公開講座中止、などを決めました。時間と労力を注いで実現までこぎつけた様々な計画が、このウィルスの影響で中止や延期に追い込まれています。それでも、私たちは6月開講コースの実現をめざします。
新聞やテレビなどでは、新型コロナウィルス関連ニュースでほとんどが覆われる中、ところどころで5月以降のイベント案内や海外旅行案内などが出ています。そうしたコマーシャルを見るにつけ、この問題が何とか収まってくれるよう、そして一日も早く普通の日常が戻ってきますように、という、我々と同じ願いを感じずにはいられません。もりや市民大学も、今年の新しいプログラムを用意し、いま、まさに市民の皆様に広くお伝えしようと準備中なのです。
世界中での「今後どうなる?」との思いが、対コロナウィルスへの有力な反撃力となるよう祈るばかりです。One Earth、地球は一つ、といった標語が、こんな形で現れるとは思ってもみませんでした。SF小説をはるかに凌ぐ、ウィルス対人類の壮絶な闘い、この結末を正しく見通すシナリオはありません。「明日は我が身」がますます現実味を帯びてきました。手洗いとうがいを励行し、じっと耐える、それしか見えません。
2月の学長ブログ
1月の学長ブログで「上海の発展ぶりを見てきました」と得意げに述べたところ、その直後から新型コロナウィルス問題が発生し、瞬く間に中国からアジア、さらには全世界にまで影響が広まってしまいました。私も、「あなた、上海に行ってきた人?ウイルス運んでない?」と言われることを覚悟しなければなりません。まあ、1か月半経過しても何も起こらないので、危うく難を逃れたのかもしれません。
難を逃れた人は幸運です。しかし、予想だにしなかった難に見舞われ、そこから逃れることができなかった方が大勢おられます。他人事とは思えません。「あんな豪華客船に、一度は乗ってみたい」は、どんな家庭でも話題に上るはずです。我が家も例外ではありませんでした。現在、船内に閉じ込められている皆さんも、全く同じ思いで乗船された方々が多いことでしょう。忍耐強く、問題解消を待たれている方々のお気持ちは、察するに余りあります。
2つのことを考えさせられます。1つは、これまでのところ、感染者を「犯人扱い」するような報道や情報は発信されていないことです。理性がパニックを抑え、冷静さが勝っているものと考えています。2つ目は、「東洋人お断り」のような差別的対応が、主としてヨーロッパ方面から聞こえてくることです。これに対しては、怒りより悲しさが先に沸き上がります。風評被害の悲しさは、東日本大震災など身近で何度も経験しているはずです。恐らく、逆の現象、つまり冷静で差別しない善意も数多く働いているが、それはニュースにならないのだろうと思います。
現在の新型コロナウィルス問題については、どなたも心配して成り行きを注視しておられます。今よりもっと深刻な事態に推移する可能性も無いとは言えません。ただただ、これ以上悲劇的な問題が加わらないこと、今回の大事件から人類共通の教訓を深く学び取ること、そうしたことを祈るばかりです。
1月の学長ブログ
あけましておめでとうございます。お正月は5日まで休みがたっぷりで、お出かけの方も多かったことでしょう。かく言う私も、実は上海にお邪魔してきました。息子世代が3家族集合計画を立ててくれたものです。最も、そのうち1家族は、年末のインフルエンザに巻き込まれ、参加取りやめとなりましたが・・・。
その上海について、3つばかり気づいたことをご報告します。最近、香港や台湾の政治情勢を伝えるニュースが多いですが、上海のことはあまり話題に上っていません。そこで、私が行って直接感じたことを話題に乗せてみます。その①、正月だというのに、特に混雑やお祭り気分が見当たらない、まるで平日のまま、という雰囲気でした。日本語がうまいガイドの中国人に聞いてみると、1月1日、2日、3日とも、特に行事はない、みんな春節待ち、つまり1月25日を中心として24日から30日までの春節休みを心待ちにしているとのこと。お国柄の違いを感じました。
その②、街が静かで清潔なのです。特に道路がうるさくない。ふと気づくと、バイクの音がしないのです。たくさんのバイクが走っているのに音がしない。おやっと思って聞くと、上海のバイクはすべて電動バイクに変わったそうです。だから、バイクの音は自転車並みなのです。こりゃ静かになる訳だ、と納得しました。その③、子連れ家族が見当たらないのです。こざっぱりした若者がとても多いのですが、子供ががやがやしている様子がないのです。いるとすれば我々のような日本人観光客です。どうやら、中国の一人っ子政策の影響で、兄弟のいない若者世代が社会の前面に出てきて活躍中らしいのです。「大勢の子供ががやがやしている貧しい生活者」といった昔の中国の面影がありません。
だからどう、といった話ではありませんが、ニュースにならない肌感覚の中国を見てきて、世の中は刻々と変化することを身に染みて感じました。古い記憶や経験だけで物事を判断してはいけない、今現在の姿を直接見聞きすることは大切、と思いました。もりや市民大学で学びなおすのも、同じ目的かもしれません。今の守谷、今の日本、今の世界を学びましょう。今年もどうぞよろしくお願いします。
12月の学長ブログ
菅原文太をご存じですか?そう、やくざ映画「仁義なき戦い」などで有名となり、トラック野郎シリーズの主役でも有名な往年の東映映画スターです。その菅原文太がナレーションをしているDVDに「アフガンに命の水を」(ペシャワール会、2009年)があります。あの、アフガニスタンンで射殺された中村哲医師の活動を追ったドキュメンタリー映画です。菅原文太は、俳優引退後、山梨県に居住して農業を営みながら、こういった声優のような仕事を続けていました。そして、作成直後のDVDを山梨県庁にも届けていたのです。
当時、山梨県公共事業評価委員長を担当していた私は、早速そのDVDを譲っていただき、大学での講義や研究室でのセミナーなどで活用しました。このDVDで中村哲医師の不屈の努力と貢献を知った誰もが、その活動に敬服し、感動しました。ですから、今回のテロ攻撃には、怒り、悲しみ、失望、などが入り混じる思いです。非常に残念です。
戦争に武器はいらない。食べるものがまず必要です。誰もが食べて生活できるようになれば、戦争にはならない、と断言し、アフガニスタンの乾いた大地に全長25.5kmの水路を建設し、3000ヘクタールに及ぶ大規模な農地を作り、15万人以上の灌漑農業従事者を生んだ中村哲医師の行動力には、頭が下がるばかりです。しかも、現地の人たちと接する姿は、あくまでも自然体。DVDを通して、中村哲医師がいかに人々に信頼されていたかが分かります。
菅原文太が生きていたら、きっと悔しがることでしょう。「俺が行って、たたっ切ってやる」とやくざセリフを言うでしょうか?いやいや、晩年の菅原文太は、農業を愛し、ニコニコした好々爺でした。中村哲さんをあの世で迎え入れ、「ようやってくれた。お疲れさん。なーに、後を継ぐ若者がちゃんとやってくれますよ」と慰めている頃だと思います。この俳優さん、何となく憎めないお人柄でした。
11月の学長ブログ
晴天に恵まれた11月9日、今年の11月開講コースの開講式が開かれました。松丸市長にもご臨席いただき、祝辞を頂戴しました。今期の総合コース、専門コースの合計入学者は55名、これ以外に2つのオープンコースが予定されていて、ここでは合計36名の申し込みがありました。
先月、私は船橋市の船橋マスター学院に招かれ、「土と水の環境科学―船橋市―」と題する講演を行い、その後、この会を運営している方々と交流してきました。船橋市の人口は約63.5万人で、守谷市のちょうど10倍です。平成16年に開校した「ふなばし市民大学校」は、その規模も守谷市の10倍あります。そして、私を招いた船橋マスター学院というのは、もりや市民大学友の会のような組織でした。皆さん熱心に聞いて下さり、活発な質疑応答がありました。そのあとの交流会も楽しかったです。
そういえば、数年前には、川崎市民アカデミー(市民大学です)に招かれて講演したこともあります。川崎市は人口152万人の大都市です。ここでは「現代の水利用と農業」と題して、いわゆる水問題、地下水の問題、地球規模で起きている土と水の危機、などについてお話してきました。ついでに、市民大学の運営についてお話を伺いましたが、川崎市の規模が大きいので市民アカデミーも巨大な組織になり、その運営は大変な作業だと思いました。
翻って、我がもりや市民大学、こじんまりしていると思います。そのこじんまりさが、特徴を出しています。大規模な市民大学では、組織運営が大変です。プログラム作りも大変、広報活動も大変、会計処理も大変、学務管理も大変です。運営委員は入学者へのサービスにこれ努めます。一方、もりや市民大学では、運営委員自身が必要と考え、期待するようなコース設計を心掛け、かつ、自分でも受講生になることができる、珍しい形式を生み出しています。それゆえ、教室で受講生と運営委員の協働が生まれることもあります。まさに、協働のまちづくりが、もりや市民大学の教室内で実施されているとも言えます。小さな市だからこそできる市民大学運営と協働のまちづくり、今後も発展させたいと思います。
10月の学長ブログ
大きな災害が発生しました。台風19号です。千曲川、那珂川、久慈川といった有名な大河川の堤防があちらこちらで決壊し、大量の水が氾濫しました。守谷市でも、10月12日から13日にかけて、スマホや携帯が何度も鳴り、緊急警報が発せられました。そして、一夜明けたところのニュースでは、次々に河川の氾濫、堤防の決壊、犠牲者の続出が伝えられました。今現在も新たな被災ニュースが加わっているといった状況です。自然災害の恐ろしさを再認識しているところです。
もりや市民大学でも、台風19号の接近に伴い、12日に予定されていた総合コース最終日の講義と修了式を中止しました。講義を担当していたのは、私です。災害のお話をしようかと準備していたら、本物の災害が到来してしまいました。そして、私は、翌日の13日にTXに乗ったので、車窓から利根川の増水を見ました。恐ろしいほどに水位が上昇していました。私の事前調査では、守谷市内を流れる利根川の堤防高さ(標高)は約14mです。したがって、もし利根川の増水が続いて越流が起きたとすると、標高14m以下の土地では床下や床上の浸水が起きたはずです。仮にどこか近くで堤防が決壊したとすれば、標高14m以下の広い範囲で浸水が起きたことでしょう。危ないところだったと思います。
しかし、ニュースでも標高のことはあまり報道されません。どちらかというと、浸水の深さが4mだとか4.3mだ、などと報道され、家屋の場合も1m浸水、2m浸水などの表現が使われています。これは、目の前の現実を伝えるには適した報道ですが、そもそも堤防が決壊したり水位上昇で堤防を越流したりした場合、我が家に水が来るのか否か、という事前判断には適しません。住んでいる土地の標高さえわかれば、大河川の近くで安全な場所がどこにあるか、予測できます。
そんなことを、もりや市民大学の総合コース最終日にお話ししようと思っていたら、未曽有の大災害が起こってしまいました。今現在は、被災地の救済や復旧が第一に重要でしょう。鬼怒川、小貝川、利根川とともに生きていかねばならない守谷市の自然環境について、もりや市民大学の教室で、皆さんと議論したいと思っています。
9月の学長ブログ
忙しいので、落ち着いてブログを書く余裕がありません。なぜそんなに忙しいのか?と聞かれると、とても困るのです。そして、よく聞いてみると、私のまわりにも、忙しくて時間に追われている中高年者はたくさんおられます。特に、定年後の高齢者が一段と忙しくなっているように見受けられます。その理由を考えてみると、
① 定年延長で、60歳を過ぎても働いている人が増えた。
② 手取りの年金額が少ないので、定年後再雇用、再就職の人が増えた。
③ 定年後の社会活動、地域サークル、地域スポーツクラブ、などに所属してスケジュールが埋まっていく人が増えた。
④ 若い共稼ぎ夫婦が増え、孫の世話に駆り出される高齢者が増えた。
⑤ その他(病院通い、現役時代の延長線上で頑張っている、など)
こういったことが、忙しい高齢者を増やしていると思います。
私の場合も、この中のいくつかに該当し、予定表が早くから埋まっていきます。みんなが忙しい世の中、これは、どう考えればよいでしょうか?活気があり、希望に満ちた社会である、と見るのか、みんなが別の方向に向かってバタバタする落ち着きのない社会になっている、と見るのか。
私は、何だか落ち着かなくていやだなー、と思っています。天気でいえば、9月も中旬だというのに、夏型の台風が来るし、残暑は気温35℃近くまで上がって蒸し暑く、秋の気配が来ていません。社会に目を向ければ、内閣は改造するし、アイフォンは新機種を発表するし、消費税増税は目の前です。日韓関係、日米関係、日中関係なども、落ち着きません。来年はオリンピック・パラリンピックの日本開催ということで、特にマスコミがソワソワしています。
ここは、ひとつ気持ちを落ち着けて、何か良いことを始めてみませんか?たとえば、もりや市民大学に入ってみて、新たなヒントをつかむ、新しい仲間を見つける、といった展開です。個々人がバラバラで、かつそれぞれが忙しい、という社会は、あまり豊かとは思えません。共通点を見つけて共に歩むことを楽しむ、といったことができれば社会も健全な方向に向かえるような気がします。協働のまちづくり、という目標にも合致します。「落ち着かない」を逆手に取ったブログでした。
8月の学長ブログ
今後の予定をブログに書きます。まだ、公表されていない情報をいち早くリークすることで、注目を集めようという魂胆です。この種の情報、つまり、みんなはまだ知らないのに自分だけは先に情報を入手するときの妙な優越感というか、不思議なお得感といったものが、確かに世の中には存在しています。「ここだけの話ですが」という前置きで話をするとき、誰もが聞き耳を立てるのです。
8月31日(土)は公開講座「世界の山・日本の山」と題して、登山家の青木達哉さんが山の魅力を話してくれます。まだ受け付中です。ご期待ください。11月開講コースに向けても準備が進んでいます。たとえば、オープンコースで自動車運転シミュレーター体験という教室も予定しています。自動車運転時の危険予知能力の客観評価を受けることになります。希望者が多いと人数制限がかかるかもしれません。「助けて」と言えるまちづくりの専門コースも準備中です。周囲や地域に「助けて」と言えず、悲惨な事件にまで発展してしまったケースが報道されています。具体的で有効な助け合いとは何か、これからの時代に欠かせない生きた知識を準備しています。
ここだけの話ですが、来年4月以降のもりや市民大学は、がらりと構成を変える可能性があります。今までの6月開講コース、11月開講コース、といった組み立てそのものを変えるかもしれません。おやっ?何か違うぞ、どうなったかな?と思わせるような変身を考案中です。お・た・の・し・み・に。
「熱中症に気をつけましょう」が合言葉の今年の夏、皆様体調に気をつけて、元気に乗り越えましょう。孫の相手でお疲れでしょう。お盆休みの家族旅行サービスでお疲れでしょう。家族が集まった家での食事や洗濯、大変でしょう。でも、過ぎてしまえば良い思い出になります。と、自分に言い聞かせている今日この頃です。
7月の学長ブログ
現在続行中の専門コース「100歳まで元気に過ごす秘訣―健康寿命が延びるまちづくりを学ぶー」は大好評で、受講者数も出席者数も抜群に多いです。そんな中、7月9日には、株式会社つくばウエルネスリサーチの鶴園卓也先生が、サルコペニア・フレイル予防のお話をしてくださいました。加齢に伴い、筋肉が減少して機能低下につながることをどうやって防ぐか、という有意義な内容でした。特に、ウォーキングだけでは筋肉の減少は防げません、筋肉トレーニングが必要です、というお話には説得力がありました。
講師の鶴園先生の会社は柏市にあり、柏市内はもちろん、全国的な広がりの中で各地に赴いて講演活動などを続けておられます。豊富なご経験の中から、面白いご指摘をいただきました。それは、「全国各地、どこへ行っても、こういった教室の参加者は圧倒的に女性のほうが多い。6~7割が女性で、残りが男性ということが多い。柏市の場合、女性に引っ張り出された形で男性が参加していることも多いようだ」とのこと。そして、「守谷市では男性の受講生が圧倒的に多いというのは非常に驚いています」ということでした。
なぜ、もりや市民大学では男性の受講生が圧倒的に多いのでしょう?なぜ、女性の受講者数が少ないのでしょう?ここには、いくつもの疑問が含まれています。コース設計が男性向きに偏っているのか、女性の受講生が再受講したくなる魅力度が欠けているのか、初めから男性が多いので女性が来づらくなっているのか。そういえば、現在の運営委員会も圧倒的に男性の数が上回っています。これは、もりや市民大学の特有な問題ではないか、と思い至った次第です。
皆さん、ご意見やヒントをいただけませんか?「こうすれば女性受講者を増やすことできる」、「いやいや、そのような努力をする必要はない、自然の流れに任せておけばよい」など、アドバイスをいただければ幸いです。私の意見ですか?私の見たところ、もりや市民大学に集まる男性諸氏は、とてもエネルギッシュで粘り強く、しかも明るい方が多いのです。女性を排除するような気配は見当たりません。交流の機会を増やせば女性も安心して参加できるのではないか、と楽観しています。受講生の過半数が女性となるような魅力的なコース設計をやってみたい、という夢もあります。
6月の学長ブログ
6月1日に、松丸守谷市長をお迎えして、もりや市民大学6月開講コースの開講式が挙行されました。この日、私が学長挨拶として述べたことを今回のブログとして掲載します。それは、かつて私の恩師から「物事の本質を知るためには4つの目を持ちなさい」と教えられた内容を、受講生の皆さんにお伝えする、という内容でした。
1つ目は、詳細に見る目、細かいことも見逃さず注意深く見る目です。確かに、注意深く見ることで新たな事実に気づくことはいくらでもあります。不注意はいけません。特に運転中の不注意は絶対にダメです。近頃は「ボーっと生きてんじゃないよ」と怒ってくれるキャラクターもいるようです。
2つ目は大きな目です。細かいことだけに囚われず、大きな視野で俯瞰的にものごとを見ること、これも大切です。自分の姿を上空の鳥の目から見るような感覚です。全体を見る目、と言ういい方もできます。これは、経験と心がけと知識が必要でしょう。市民大学の講座も大いに参考になります。
さて、3番目の目は、心の目です。何事も心で感じ取ること、勿論大切です。美しいと感じたり楽しいと感じたり、深く感動したりする心の動きは、心の目で見てこそ生まれるものです。感性を磨きなさい、と言われたようなものです。最近、良い話を聞いた、とか、良い映画を見た、とか、良い音楽を聴いた、なども心の目を養ってくれます。
最後の4番目の目は何でしょう?ちょっと考えてしまうかもしれません。4番目の目とは、時間軸で見る目、つまり過去、現在、未来という時間に沿って物を見る目です。歴史に学び、今を冷静に見極め、なおかつ未来を展望する。まさに目の働きの最高度の役割です。時間軸で物を見る目を養うのに、図書館は立派な助けになります。書を読むことの恩恵は計り知れません。今のスマホパソコンでのデジタル情報は、時間軸で言うと今現在が肥大化し、過去と未来にはそれほど多くのヒントを与えてくれません。私は、読書は時間軸の目を養うためにも大切だと考えています。
以上、4つの目を持つことの勧めを述べて、学長あいさつに替えました。今期入学者の皆さんが、各コースにおいて大いに収穫を得て、無事に修了証を受け取っていただけることを願っています。
5月の学長ブログ
「全体の中で部分を知る」という行為は、なかなか難しいと思います。たとえば、もりや市民大学で「守谷を知る」とはどういうことを意味するでしょう?守谷の地理、守谷の歴史、守谷の人などを幅広く知ることは、勿論大切です。しかし、その守谷が茨城県内でどんな特徴を持ち、また、関東全域あるいは日本全体から見てどんな地域なのか、さらに大きく、世界の中の守谷にまで視野を広げ、地元の特徴を知ることも、やはり「守谷を知る」ことになります。
本学の総合コースでは、そうしたいろいろな観点から「守谷を知る」ことができるようなプログラムを組んでいます。今期6月開講コースでは、東京芸大の向井さんから「アート/日常風景から守谷らしさについて考える」のワークショップを計画して頂き、また、ハッフ・ルイーザさんからは「国際社会/ドイツから来た国際交流員が見た守谷」の講義があります。お陰様で、このコースは毎回好評であり、受講希望者は常に定員を上回っていますが、教室に収容できる限りは全ての希望者の入学を受け入れることにしています。全体を見ながら地域を知り、地域で何ができるかを考える、そのきっかけ作りがここにあります。
そういえば、「地域」がキーワードになる議論も事欠きません。人間文化研究機構総合地球環境学研究所教授の佐藤哲氏は、その著書の中で、地域のリーダーに求められる資質は「地域の現状を冷静に分析し」「地域の宝を見つけ、それに光を当て磨きをかける」「住民の気持ちを粘り強くまとめる」力だ、と述べています。また、新潟大学教授の田中秀氏は、地域を支える人財を育てることは容易ではないが、「その人財は決して目立ちたがり屋のヒーローではない。むしろ、地味でどこにでもいるような普通の人たちだ。だが、地域を何とかしたいと思い、地域のために何をすればいいのか常に模索を続ける人たちだ。」と述べています。昨今の国立大学学部再編では、「文理融合」と「地域」がキーワードになり、宇都宮大学の「地域デザイン科学」、佐賀大学の「芸術地域デザイン」学部などが新設され、地域の人材育成を掲げています。
日経BP社主催の「シティブランド・ランキング―住みよい街2017―」では、守谷市が全国1位(他2市と同位)になったり、東洋経済誌の「住みよさランキング2018」では、守谷市が全国4位(1位印西市、6位中央区、8位港区、など)になったりしているのは、守谷の地域力を示していると思われます。受講生の皆さんには、総合コース「守谷を知る」からさらに進んで専門コースへ進み、地域の人材、いや、人財としてご活躍頂くことを願っています。
4月の学長ブログ
この3月23日、もりや市民大学の公開講座が開催され、東京大学名誉教授の阿部啓子先生をお迎えし、「健康寿命を伸ばす食生活の創出」と題する講演を頂きました。私たちの日常生活に直結する話題を科学技術の最先端から紹介いただき、大好評を得ました。講演後のアンケート調査自由記載欄は、とても良かった、聞いて良かった、と賞賛の嵐でした。
私も講演を聞きながら、いろいろ考えさせられました。まず驚いたのは、それまで抱いていた「未病」の勘違いでした。良く、「自分は薬を飲んでいるので大丈夫」と言う方を見かけます。薬を飲んで平常値を維持していれば「未病」の状態かと思っていましたが、阿部先生の定義では、健康な人と半健康な人は「未病」であるが、治療薬を常用している状態はすでに「未病」から外れているとのこと。自分に甘かったかな、と反省しました。また、保健機能食品について、消費者庁から生活習慣病の一次予防に役立つと認められた「特定保健用食品(トクホ)」と、事業者が消費者庁に届出すれば良い「機能性表示食品」との見分け方を教えて頂きました。消費者庁許可マーク(あの万歳マークです)が入っているのが許可された食品だそうです。その他、日本固有の発酵食品が脳機能活性化に良いこと、咀嚼(噛むこと)が脳の血流を増やし、血圧低下作用もあること、など、たくさんの「目からうろこ」を教えて頂きました。
最も記憶に残ったのは、健康寿命を伸ばすために3つの柱がある、という指摘でした。その3つとは、正しく栄養を取ること、運動を主とする身体運動を欠かさないこと、趣味やボランティアなど社会活動へ参加すること、です。さらに補足事項があります。食事は「孤食」を避け、できるだけ人と一緒に食事することが健康寿命につながるとのこと。もっと印象的だったのは、3つの柱の中で運動だけは続けているが社会活動には参加していない人と、ボランティア活動などの社会活動だけはやっているが運動はやっていない人との健康寿命を比較すると、明らかに後者の方が長い、という調査結果でした。運動さえやっていれば健康、と信じていた人にはショックだったと思います。
そのほか、たくさんのヒントを頂きましたが、何よりも、この公開講座に参加してワイワイ議論することも健康寿命を伸ばす大事な生活スタイルであるとのお話に会場がワッと湧き上がったのが面白かったです。「孤食」を避ける意味で講座終了後に仲間同士で食事会をすることも大事だったでしょう。そういえば、この講座終了後に市民大学友の会の総会と懇親会がありましたが、講演の趣旨が良く生かされたと思います。友の会の皆さん、健康寿命が伸びましたよ。阿部先生、貴重なお話、誠にありがとうございました。
3月の学長ブログ
この季節、花粉症対策が必須です。「今年は早めに薬を飲み始めたので大丈夫です」「毎年1回注射してもらい、これで症状は抑えられます」「何だかぐしょぐしょして、目もかゆいです」「昨夜は苦しくて眠れなかったので、すぐに医者に行きました」など、様々な体験談を耳にします。
私もかなりの重傷患者でして、毎年ジルテックという薬を就寝前に飲んでいます。が、あまり効果が無く、毎晩鼻づまりで苦しんでいます。鼻の奥が塞がるだけでなく、喉の奥まで狭くなってしまい、呼吸困難を感じたことも何度もあります。副鼻腔炎の手術を受けたこともあります。医者から処方された目薬、鼻スプレーは、症状をやや緩和してくれますが、期待したほどの即効効果は得られません。
最近は、物理的対処法を信頼しています。まず、家中に掃除機をかけます。机や棚などの埃を拭き取ります。寝室の枕回りや布団に埃取りのローラーをかけます。外から帰宅したときは上着の埃を振り払い、場合によっては自分の服や頭髪を濡れタオルで拭き取ったりします。各部屋に空気清浄器は欠かせません。トイレで目がチクチクするのは、恐らく換気装置の働きで室外から空気を吸い込み、トイレ室内で花粉が床や棚に舞い降りているのだと思います。これを拭い取ると効果を感じます。以上、要するに花粉を物理的に排除することが最も効果をあげると信じるようになりました。
不思議なのは、外出して好きなこと(スポーツや散歩)をしているときにはあまり花粉症の症状に苦しまないのに、家に帰ってくつろぐと症状が強く出ることです。この点につき、妻は「好きなことをしている時は苦しまないの?」と言って、理解に苦しむと申しております。さて、花粉症は、心理的要因が働くのでしょうか?物理的処置が最も効果的なのでしょうか?薬に頼れば大丈夫なのでしょうか?注射がお勧めでしょうか?、食生活の改善が必要でしょうか?多分議論は尽きません。杉の平均寿命は約2000年とか、まだまだスギ花粉アレルギーの話題は続きます。あと2000年お待ち下さい。解決して見せます。
2月の学長ブログ
植物の発芽や生育は、不思議です。土の中からいつの間にか小さな芽が出てきて、日に日に成長し、やがて枝や葉を伸ばしたうえ、花を咲かせたり実をつけたりして、たとえばスナップエンドウであれば、取っては食べ、取っては食べ、それでも次の日に行くと新しい実がなっています。
あるいは、室内のゴムの木。大学の研究室で長年付き合ってくれたゴムの木を処分した際、葉っぱ数枚をつけた小枝を1本だけリュックサックに入れて持ち帰り、物置に転がっていた鉢に植えて土をかぶせ、水をやって放置しておきました。すると、どれだけの日数だったか忘れましたが、ある日、どう見ても「生きてるな」という感じの立ち姿に気づきました。それから注意してみると、にょきにょきと成長し、いつの間にか葉っぱが茂り、1m以上の高さに成長しました。これでは大きすぎる、ということで葉っぱを適宜処分し、てっぺんを切り取って背を低くしました。その後、再び枝や葉を伸ばし、今では立派なゴムの木として室内に鎮座しています。根もしっかり再生しました。
徳富蘆花という作家、ご存じですか?「不如帰(ほととぎす)」を書いた明治の小説家です。この本を映画化したものは、18本を数えるほどに流行りました。徳富蘆花さんは、その後トルストイに会って感化され、「土と共に生きること」を学んだと伝えられています。その徳富蘆花さんが、「みみずのたはこと」というエッセイ集を書いています。岩波文庫でこれも108版を数えるほどのベストセラーでした。そのエッセイの中の1つに「農」が含まれています。そこに土のことが書いてありました。人は土の上に生まれ、土の生むものを食うて生き、而して死んで土になるから、人は「土の化物」に過ぎない、そして、「土の化物」に一番適当した仕事は、土に働くことであらねばならぬ、あらゆる生活の方法の中、尤もよきものを捉えらみ得た物(原文通り)は農である、と断じました。
ああそうか、大事なのは植物の生命を支えている土なのだな、と理解する次第です。「土は大切だ」ということは、言葉では理解しますが実感を伴う理解はとても難しいものです。アメリカの有機栽培農家の男性が自分の畑の土を「I love it」と言い切ったのを見たことがあります。自分の作った土に惚れた、ということです。なかなかそこまでの実感を持つことはできませんが、土の中から生まれる生命を見ると、良いものだな、という実感はわきます。土の大切さ、土の良さを、どう表現し、どう伝えるか、実は、今でも私は模索しています。それを自分の言葉で表したいと思っています。
1月の学長ブログ
明けましておめでとうございます。平成最後のお正月がやってきました。次の元号はずばり「平和」でいこう、いや、「金農」だ、などなど、かまびすしい次第です。それはさておき、私たちは、日本の歴史の中でも最も特異な時を生きている、という事実についてふと考えます。
「日本史の謎は地形で解ける」と題する興味深い文庫本の中で、著者、竹村公太郎氏は、日本は特異点の中にある、と指摘しています。その特異点とは、日本の人口が歴史上のピークを迎え、そしてそれを越えてしまった瞬間を我々は生きている、ということのようです。日本の人口はいつ最高値を記録したか、ご存じですか?それは、平成20年(2008年)の1億2808万4千人です。平成30年(2018年)の人口は1億2652万9千人です。10年で155万5千人減りました。日本の歴史の中で、人口の最高値の時代に生きていることがそもそも奇跡的なことです。恐らく、「日本のピーク人口時代を生きた人間」が未来の社会科学の研究対象になることでしょう。私たちは、その研究にとって貴重なサンプルになるのです。
で、どうしましょう。ピーク人口を過ぎて人口減少時代をいかに生き、そういう社会をどう形成するか、これは今後長く続く検討事項であり、その検討の第1歩を踏み出したのが現在の我々です。未来に向けて、いろいろな示唆を提示することが、いずれは「昔の人々の知恵」として尊重されるはずです。その際、日本が稀に見る長寿国であることも考慮する必要があります。「人口減少する長寿社会」、これをどう作るかが問われます。
守谷市人口は67624人(2019年1月)で、去年の同時期より723人増加だそうです。守谷は「人口増加する長寿社会」ですが、いずれ人口ピークを過ぎると予測されています。守谷の「人口減少する長寿社会」も近い将来、市民大学の研究テーマになることでしょう。人口減少時代にはどんな計画が必要でしょうか?この問題は、いずれ起こる地球人口の減少時代の問題の先取りになるかもしれません。壮大で、かつ収拾のつかない思索で今年が始まりました。
12月の学長ブログ
数日前の新聞投書欄に、18歳高校生の一文がありました。「若者は昔を中高年は今を学ぼう」という見出しでした。私は、これは面白い視点だな、と思いました。若者が過去に学ぶことを推奨したいのは、歴史の重要性や昔の人の知恵などに学ぶことの大切さを思うからでしょうが、私の眼を引いたのは、中高年が現在を学ぶという視点でした。文中には「昔からの固定観念を曲げようとしない中高年」、という厳しい指摘もありました。最後には「中高年の人々は昔を大切にしながらも今ある世界を学び生き」るべし、と諭されてしまいました。
確かに、中高年にとって「今」が分かりにくくなっていると思います。たとえば、テレビをつけても知らない歌手が知らない歌を歌っている、と感じてしまいます。インターネットを開くと、AI, IoT, ICT, SNS, ・・・などと略号が溢れていて、何が何だか分からなくなってきた、もうついていけない、と考えてしまいます。そう、中高年者は「固定観念を曲げようとしない」のかもしれません。さて、これをどうしましょう?
実は、2020年までに日本の小中学校教育も大きな変化を予定しています。まず、小学5年生から英語を教科化する、そして、小中学校全生徒にタブレット端末を渡し、タブレット教育を実現するよう推奨することになっています。しかも、守谷市ではタブレット教育を2019年から前倒しで実現する方向で準備していると聞きます。現代の若者だけでなく、孫世代の教育が、ますます中高年者の体験からかけ離れていくのです。
そこで、もりや市民大学でもオープンコースで守谷のプログラミング教育の実態を学ぼうではないか、という検討を始めました。まさに、中高年が「今」に学ぶ、を実践しようという訳です。この件は、守谷の新しい教育に地域住民を巻き込むという方向にも繋がります。何が起きているか分からないままに世代交代が進むのか、それとも中高年者が固定観念にこだわらないで若者と可能な協働の道を作るのか、といった選択でもあります。もりや市民大学は、当初の設置目的に照らして、市と住民の協働によるまちづくりを目指しますが、小中学校教育の今からも学ぼうという検討が始まったことをご報告する次第です。
11月の学長ブログ
音楽好きの方向けのブログです。杉原淳さん、といってもご存じの方は少ないでしょう。82才のジャズテナーサックス奏者で、かつて大橋巨泉の「11PM」番組で16年間レギュラー出演していた名手です。原田忠幸さんも82才のジャズバリトンサックス奏者で、あの女優雪村いずみの夫です。フランクシナトラとも共演したというから驚きです。そして、五十嵐明要さんは86才のアルトサックス奏者で、原信夫とシャープアンドフラッツの元メンバーです。この3人のジャズサックス奏者が率いるバンドが毎年2回中野坂上で開くコンサートを、何回か聞きました。ピアノは67才の本田富士旺、ベースは64才のジャンボ小野でした。息の合った素晴らしい演奏であり、完璧かつ心地よい音でした。また聞きたいと思います。
「むかしむかし、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。」で始まる昔話のおじいさんやおばあさんを、何歳ぐらいとイメージしていましたか?私は60代をイメージしていました。歌にも「今年60のおじいさん~♪」とありますし。ところが、3人の80代サックス奏者は、現役の誰にも負けないような迫力・リズムで、極めて完成度の高いジャズ演奏を披露してくれます。今では、「むかしむかし、ある所に80代のおじいさんたちがいて、素晴らしいジャズ演奏をしていました。」で始まる昔話が必要です。
そういえば、最近A新聞のかたえくぼ欄に「おじいさんとおばあさん、昔、ある所に住んでいました。今、いたる所に住んでいます。」とありました。その通りです。ところで、守谷市にもいたる所におじいさんとおばあさんが住んでいます。そしてその多くの方々が、超絶元気です。この力を活かさない手はありません。協働のまちづくりでも、いたる所に住んでいるおじいさん、おばあさんの力が不可欠です。ここでは、60代を若手、70代を現役、80代を先輩と呼ぶしかなさそうです。すごい世の中になってきました。過去に経験したことのないまちづくりを、これから創造していくことになります。
のんびりごろ寝してテレビを見ている場合ではありませんぞ、ご同輩!まあ、無理をしない程度にもうちょっと頑張ろうではありませんか。学長ブログというより、80代現役プロミュージシャンに刺激された高齢者ブログになってしまいました。
10月の学長ブログ
もりや市民大学6月開講コース全てが間もなく修了します。先日10月5日は、専門コース「守谷未来設計―魅力的なまちづくり―」が修了しました。全10コマの内9コマは東大高齢社会総合研究機構の矢冨直美先生が担当して下さいました。このコースには、以下のような特徴がありました。
まず第1点は、入学者人数18名中17名が男性、1名のみが女性だったことです。過去の総合コース、専門コースを見ても、男女比がこれだけ偏ったことはありません。もう1つの専門コース「緑と人の健康」では、男性60%、女性40%でした。目の前にある具体的な問題への取り組みなら、男女差はなさそうです。では、なぜ「未来」問題だと、女性が参加しないのでしょう?よく分かりませんが、昔SF小説が流行ったことが有りました。私も若いころSF小説が大好きでした。しかし、女性でSF小説を好んで読む方を見た記憶がありません。未来の話はフィクションです。フィクションは想像の産物であり、現実とかけ離れているかもしれません。女性に避けられる理由がそのあたりにあるとすると、今後の専門コース設計でも注意が必要です。
第2点は、このコースで行われた、守谷の未来に向けた事業実施組織を計画するというワークショップが、予想をはるかに上回る充実を示したことです。コース最終日に、5グループから具体的な守谷未来設計案が発表されました。各グループは、頭の中だけで計画を練るだけでなく、市民アンケートを実施したり、守谷市民大学の受講生として市役所の中の担当部局へヒヤリングに出かけたり、民間商業施設の関係者に面接したりと、精力的な活動を展開し、現実性を帯びた未来設計案を作成しました。この活動については、教室で指導された矢冨先生ご自身からも驚きをもって高い評価をいただき、「コース修了後も各グループの未来設計を実現する活動を継続して下さい。私も引き続き協力し、アドバイスします。」とのコメントをいただきました。
「守谷未来設計」と称する専門コースは、以上のように、文字通り未来につながる形で修了しました。もしかすると、近い将来、たとえば「野菜作りの教室」コースや「守谷に親水公園を作る」コース、「障害者が暮らしやすいまちづくり」コース、「モコバスをもっと利用しやすくする」コース、「地域支援の子育て」コースなどが生まれるかもしれません。
9月の学長ブログ
台風21号が関西に近づきつつある9月4日、京都大学で開催される学会参加の目的で新幹線のぞみに乗っていた私は、「まあ、京都まで着けば何とかなるだろう」と高をくくっていました。しかし、浜松駅へ近づくにつれて速度を落とした新幹線、とうとう、そこで停止してしまいました。「この先、台風の影響で全ての新幹線が止まっています。そのため、浜松駅で停車します。復旧のめどは立っていません。」とのアナウンス。新幹線は、上り下りとも完全停止してしまいました。さて、どうしよう?と考えました。
昔、スイスエアラインの飛行機に乗ってポルトガルへ向かう一人旅をしていた時の記憶が蘇りました。あの時も、国際学会参加のための旅の途中でした。スイスエアラインのビジネスクラスに乗っていたのですが、乗り継ぎ予定空港であるチューリッヒに着陸したところ、そのチューリッヒ空港が騒然としていました。理由は、スイスエアラインの倒産でした。突然、全てのスイスエアライン職員が解雇され、飛行機燃料給油もストップし、チューリッヒ空港は世界の旅行者がごった返してパニック状態に陥っていました。日本人団体旅行のグループも、顔色を変えて情報収集していました。一人旅の私は困り果て、数時間を空港で過ごしましたが、その時、偶然向こうから古い知人がやってきました。身長190cmのアメリカ国籍ポーランド人です。「ヤアヤアしばらく、こんなところで何やってんの?」と聞かれ、事情を説明したところ、アメリカからチューリッヒに着いたばかりの彼は「私はここに1週間滞在して講義を予定している。ホテルも取ってあるから、一緒に来ないか。私の部屋にベッドを入れれば簡単に泊まれるよ。」との有難い言葉。九死に一生を得た思いで、彼のホテルへ直行しました。そこでは、他にも何人かの知り合いがいて、皆で大ジョッキービールを飲みあい、旧交を温めました。翌日、切り替え航空券を入手して、何とか目的地のポルトガルに飛ぶことができました。
あの経験を思い出し、浜松駅では新幹線から下車し、すぐに駅前ホテルにチェックイン、コンビニで買った缶ビールを飲みながら、部屋で台風関係のニュースを見ていました。結局、新幹線は、一晩中浜松駅から動きませんでした。翌日、あきらめて東京に戻ったのも仕方ありません。私の報告をメールで受け取った口の悪い友人が「君は、旅先で良く災難に会うね」とからかいました。その数日後、北海道で震度7の地震がありました。ところで、その口の悪い友人は札幌に住んでいます。心からのお見舞いの言葉を送りました。
8月の学長ブログ
もりや市民大学は開校以来6年を迎えました。現在、平成30年前期コースは佳境に入り、後期コースの準備も順調に整っています。「総合コース・守谷を知る」は、毎回好評であり、定員25名のところ、これを上回る入学者が続いています。定員上限は、教室の椅子や机の物理的容量から決めていますが、椅子を持ち込めば多少の人数超過を受け入れることが可能です。「専門コース・緑と人の健康」は7月26日に修了しました。定員30名のところ15名入学、その全員が無事修了しました。アンケート結果によると、このコースの修了者全員がその内容を非常に高く評価していたことが分かりました。コース満足度では、期待以上と期待通りの合計が93%という驚異的な数字でした。コース名から伝わる以上の深い内容だったことが分かります。
「毎回、どうしてこんなに新しいテーマや新しい講師が見つかるのですか?」といった素朴な疑問をお持ちの方が多いようです。市民大学運営委員会では、毎回、新しいアイディア、情報、問題提起があり、それらを吟味していくうちに次の道が開けてくるので、結構ワクワクするのです。以前、「紹介無しの飛び込みで講師の依頼をしても、滅多に断られない」という話題を、このブログ欄で紹介したことがありますが、それだけではありません。守谷市の市民協働推進課では、役場全体に市民大学への要望や情報提供に関するアンケート調査を実施し、「こんなテーマが良い」「こんな人を知っている」という多数のヒントを獲得して運営委員会に提供してくれました。ここからも、豊富なコース設計が生み出されつつあります。
私自身も、出身大学のもと同僚教授らと懇談する中で、「もりや市民大学から呼ばれれば喜んで行きますよ」という有難いお申し出をいくつも頂いています。皆さん、「あの守谷市に呼ばれる」という点にも魅力を感じておられるようです。近々、公開講座に東大教授をお呼びして、とっておきのお話をお願いしようか、と画策中です。
平成30年後期コースは11月3日が開講日です。9月の守谷広報に受講申込案内が出ます。同時にパンフレットも発行されます。このコース設計では、「馴染のないカタカナが多い」という意見が運営委員会で出され、どうしたものかと議論中です。カタカナが新しい問題提起として受け入れられるのか、それとも、何を言っているのか分からん、と敬遠されるのか、この辺も見極めなければなりません。もちろん、内容には自信があります。ご期待ください。
7月の学長ブログ
白樺派の志賀直哉は、兵庫県の城崎温泉を訪れて「城の崎にて」という短編を書きました。山手線で怪我をしてその治療のために温泉療養に滞在したとか。私は、7月第1週末、その城崎温泉に行って来ました。天気は豪雨。丸山川という大きな川沿いにバスで運ばれて温泉に到着しました。その途中、バスの車窓から見た丸山川の水位が異様に高く、何だか怖いなーと思っていました。
その夜、「先ほどバスで通った国道は、丸山川が氾濫したため通行止めになりました。ここから外に出られなくなりました」というアナウンスがありました。今回の豪雨で、兵庫県にも多量の雨が降り、河川が氾濫したのです。窓の外では、温泉街を流れて丸山川に合流する小規模な河川がありましたが、ゴーゴーと音を立てて流れ、水位もぐいぐい上昇しました。その晩、携帯電話やスマートフォンにエリアメールという警戒情報が発信され、一晩に5~6回けたたましい緊急速報発信音が鳴り響きました。
その後、テレビや新聞、ネット上で報道されている通り、九州、四国、中国、近畿という広域で200人以上の犠牲者が出て、未だ行方不明者が大勢いることを知り、自然災害の恐ろしさを実感しました。災害が身近に迫っているとき、その危険度を察知することは非常に難しいです。何故かわかりませんが、「それほどひどくはならないだろう」という楽観論に傾く傾向があります。そして、実際に災害が起きてみると、想定より甚大な被害が起きたことを思い知らされます。
守谷市でも災害マップ作りや防災訓練を行っていますが、「守谷は大丈夫だろう」という楽観論があります。私自身もこの楽観論に傾いています。しかし、守谷市の中にも災害の度合いが高くなる可能性のある地域があることは否定できません。自分の中にある楽観論を戒め、予想していなかった自然災害に対する備えを怠ってはならない、と考えました。とりあえず、日常的に水を多めに確保しておくこと、車のガソリンは空っぽにしないように気を付けること、ガスや電気が止まってもしばらくは何とか食べて行けるような備蓄をしておくこと、地域のコミュニケーションを大切にすること、などは最低限必要です。
城崎にて、自然災害を甘く見たことを反省し、わが身に起こるかも知れない災害への備えを改めて考えた7月上旬でした。なお、足止めされた城崎温泉からは、1日遅れで脱出できましたが、道路がいたるところで通行止めになっていました。犠牲者には心から哀悼の意を表し、被災地の復旧を祈ります。
6月の学長ブログ
6月6日は、降りしきる雨の中、「もりや市民大学友の会」主催の永田町ウォーキングデーでした。総勢18名の参加者は、賑やかに千代田線赤坂駅に降りたち、まず向かったのは日枝神社。きれいに整備された伝統ある神社には、翌日から山王祭が始まるというので、豪華な神輿などが並んでいました。お参りを済ませ、ビル街を歩いて国会の議員会館到着、議員秘書さんと待ち合わせて議員食堂へ。カツカレーやかつ丼を食べた後、国会議事堂に入り、参院本会議場などの見学でした。引率して説明してくれたのは、国会議事堂職員のようですが、これが語り上手で、まるで渋谷のDJポリスのよう。いろいろと笑いを取りながら、飽きさせないよう、また騒がないように、上手に案内してくれました。
続いて、いよいよ首相官邸です。いつもテレビに出てくる首相官邸に入りますと、建物は天然の石と木材でつくられていて、なかなか快適でした。ガラス越しに見える大きな部屋では、大勢の人がいてカメラも並び、何やら取材している様子。そして、組閣の時に大臣が並んで写真を撮る階段に、我々も並んで記念写真を撮りました。次に、いつも菅官房長官が記者会見する部屋に入り、参加者は1人ずつ演壇の後ろに立ち、記者の質問に答えている気持ちに浸りました。「ウソをついてはいかんぞ」と心に誓いながら・・・。
当日はあいにくの雨模様でしたが、老若男女、修学旅行の高校生もまじって、大勢の見学者が出入りしていたのは驚きでした。国会や首相官邸に踏み込んだのは初めてですが、一つ気づいたことがあります。それは、厳重なセキュリティーチェックは当然ありましたが、全体として「こらこら、近づいてはいかん!」といったような禁止、監視が強いということはなく、むしろ、見学者は国民であって国民はここの主人公である、ここに来るのは当然だ、と思えたことです。守谷からわいわい訪れた18名が、厳重な警戒のもとで邪魔をしないようにビクビクしながら見学したのではなく、国民として丁重に扱われた、という思いで見学できたことは、幸いでした。
こうして、日本の民主主義の成熟度を感じ取り、なるほど一度は来てみるものだな、と思う1日が無事に終了した次第です。友の会の柗本会長、紹介議員である松下参議院議員と秘書の方、大変お世話になり、ありがとうございました。
5月の学長ブログ
毎年、この時期になると市民大学の自己評価を行います。もりや市民大学の運営委員全員が、この1年を振り返り、事業目標は達成されたか、成果は期待通りであったかなど、多くの項目について自己評価点をつけます。評価は、5:十分に達成した 4:達成した 3:概ね達成した 2:あまり達成できなかった 1:達成できなかった という5段階評価です。
よくよく考えてみると、もりや市民大学もオール5という訳に行かず、いくつかの項目で3をつけざるを得ないものがありました。頑張ってみたけれど目標通りには達成できない課題は、人生にも日常生活にも決して少なくありません。そして、自己評価は難しいと思いました。なぜなら、これは主観的にならざるを得ない行為であり、自分を客観的に評価して点数をつけることには迷いが生じるからです。この自己評価という行動原理は、比較的最近日本に定着した文化です。かつて、評価というのは他者や管理者、指導者が行うものであり、より客観的であることが要求されていました。しかし、1991年に大学設置基準の改正があり、全国の大学で自己点検・評価を努力義務とすることが決定されて以降、多くの組織や団体で自己評価が行われるようになりました。当時現役の大学教員だった私は、自己評価のやり方に随分戸惑い、労力と時間を注いだことを覚えています。
私がある大学で連続講義を行っていたとき、「あなたは、この講義を受講した自分に何点をつけますか?理由を述べて採点しなさい」というレポート課題を与えました。学生に自己評価をさせたのです。満点を100点としました。その結果は興味深いものでした。受講生の自己評価点が、私自身の評価点数と近いものが多かったのですが、中には辛目の70点をつけた学生もいました。その学生は出席率も良く、講義を聞いて「研究してみたい面白いテーマが見つかった」と述べています。講義する側から言えば、こういう反応こそが一番楽しいのですが、学生側からは、自分の目標とするところに比較して足りないところが多すぎた、と反省し、自らに辛めの点数を与えたようです。この学生に関しては、激励の意味を込めてもう少し高い点をつけました。
そんなことで、市民大学の自己評価も間もなく集計が終わります。結果の数値よりも、自己評価を考えるプロセスにより大きな意味と意義があるような気がします。良い点を取ることに汲々とするより、自分になぜ何点をつけるかという思索に意味がある、ということだと思います。
4月の学長ブログ
急に、表彰される機会が増えました。地盤工学会という学会に安くはない学会費を30年以上払い続けてきたので、その経済的貢献度が大きいから、4月中に表彰して下さるそうです。何でも長くやっていると褒められる、ということです。5月には、日本地球惑星科学連合という巨大学会から「土壌物理学および環境地水学における,時空間変動する土壌中の移動現象の解明と理論化に関する顕著な功績により」という理由でフェローの称号が与えられます。表彰してくれる学会に文句をつける筋合いはありませんが、日本と地球と惑星という3つを繋げて命名する学会は不思議な感じがします。学の境界線がどこにあるのかな、と思うほど守備範囲が広いです。
ところで、フェローを日本語に訳すと何になるのでしょう?ネット検索しても、フェローはフェローでしょ、とばかりにそのままカタカナで書いてあります。無理に日本語にすると、特別研究員、大学理事、仲間、同僚とかの意になり、何だか変です。奨学金をもらう研究員もフェローですが、今回はそう言った実利面のご褒美はなく、名誉だけを授ける、といった趣旨のようです。誠にありがたいことです。こだわるようですが、フェローの適切な日本語訳はありませんか?
賞を頂くのは嬉しいものです。何よりも推薦してくれる人がいてこそ受賞が決まるのです。自己推薦というのはなかなか難しく、多くの場合、他者からの推薦によって受賞の運びとなります。その意味では、推薦されるような立派な行いをしました、という面が一番大切かも知れません。
そういえば、守谷市でも、いやいや市民大学の運営委員や受講生にも、いろいろな賞を受賞されている方々がおられます。スポーツ大会の入賞や優勝も素晴らしい受賞です。ゴルフコンペの優勝などは、誰かに自慢せずにはいられません。賞を頂く、表彰される、こういう体験は、子供でいえば「褒めて育てる」ことに繋がります。年長者の場合は「褒めて長生きさせる」のが効用でしょうか。
3月の学長ブログ
私の学術的な専門分野は「土壌物理学」です。だから、土壌に関連するニュースやら評論やら小説やらが時々注目されるのが楽しみです。
最近では、アンディ・ウィアーという著者が書いた「アルテミス」(邦訳、「火星の人」2015年)が話題となり、「オデッセイ」という名前の映画として日本でも上映されました。この本は、火星に1人取り残された主人公が、基地に残された31日分の食料で、如何にして救助隊が来るまでの長期間を生き延びるか、という宇宙開発新時代のサバイバルSFです。そのカギとなるのが土壌でした。火星の土を基地施設内に持ち込んで、地球から積み込んできたジャガイモを植え付け、栽培して増やして食料生産を行おうというシナリオです。この本では、全体のドラマチックな展開を損なうことなく、土壌が詳細に分かり易く記述されていて、小説として大いに楽しむことができました。全世界で驚異的なベストセラーだったそうです。
国内では、高村薫が2016年に「土の記」という小説を発表しました。現役時代には電気工業会社の社員だった主人公が、妻を失い古希を迎えて奈良県の棚田でコメ作りをしている話です。夫婦を取り巻くいろいろな人間関係が主題ですが、その背景でふんだんに土が出てきます。「粘土質の黒い北関東ローム層」「水の通りの悪いグライ土の灰白色のB層」「典型的な褐色森林土」「花崗岩の薄黄色い集積層」「鉄やアルミの溶脱」「シベリアの永久凍土のポドゾルの色」「出穂30日前から葉の色と幼穂の有無」「原基が形成されたあとの幼穂の成長」などの専門用語が使われ、びっくりです。
今月3月11日(東日本大震災7年目)、A新聞36面に、育てるコツ「理想の土壌」という記事が載っていました。理想の土壌って何だろう?と興味津々で読んでみました。「“いい土”とは、適度の水分と空気がまんべんなく含まれた、ふんわり柔らかい土」「pHは、中性から弱酸性が理想的」「水はけも良く、雨が降った後にはさっと水が引く」「少々日照りが続いても適度な湿度を保つことができ、植物を支え続ける」こういったものが理想の土壌だそうです。さて、そんな土はどこにあるとお考えでしょうか?
実は、守谷の土は、まさにこの条件全てに当てはまります。つまり、我々は「理想の土」の上に住んでいるのです(*_*)。その下に常総粘土と呼ばれる白い土が出てきますが、これは残念ながら理想の土ではありません。地表面に見られる黒っぽい守谷の土を見直してください。これは、「理想の土」なのです。(注:ただし、植物によっては若干の肥料調整が必要です。)
2月の学長ブログ
今月はピンチです。学長ブログに何を書こうか、一向に決まらないのです。あれかな?これかな?と、多少は思いつくのですが、話の展開を考えると、どれも陳腐だったり、観念的だったりで、魅力に欠けます。こんな時はどうすれば良いか、悩んでいます。
そうだ、「ブログが書けない」というキーワードでインターネットを検索しよう、と思いつきました。それで、覗いてみると、あるあるで大変です。「ブログが書けない」という壁にぶち当たっている人が世の中にはこんなに沢山いるのだ、と知りました。しかも、何故書けないか、の分析まで細かく書いてあります。どれどれ、とそのアドバイスを読んでみましたが、まあ、「完璧主義過ぎるから」「納得するまで出せないから」「詰め込み過ぎだから」などの理由が書いてありまして、そうかも知れないとは思いました。でも、どうすれば書けるか、は結局わかりませんでした。
そもそも、毎月の学長ブログは、なぜ書く必要があるのだろう?誰が決めた?とだんだん疑い深くなって、根源にまで遡っていきます。が、よく分かりません。ここを追求しても答えは見えそうもありません。さて、道は塞がってしまいました。今月の学長ブログはパスしようか、と思い始めています。書くことがないからです。「面白い本を読んだか?」と聞かれれば、「期待して読み始めた本がつまらなかった」と答えます。「何か心躍る体験があったか?」と聞かれれば、「寒い日が続いて、特に楽しい出来事は無かった」と答えます。「誰か珍しい人に会ったか?」と聞かれれば「相変わらずいつも会う人たちと楽しく会っています」と答えます。こんな調子でいくと、何を聞かれても平々凡々、ドラマがありません。これではブログを書けません。
結論です。今月は学長ブログをパスします。書く内容が見当たらないからです。何だか寂しいです。そうそう、守谷市議会だより「こじゅけい」の表紙に私たちの写真がでかでかと印刷されました。気恥ずかしいような、嬉しいような、微妙な気持ちです。ブログ欄がこのように空疎だったので、「こじゅけい」誌の写真と記事をもって代行とさせて下さい。来月までには、何とかドラマを作っておきたいと思います。
1月の学長ブログ
明けましておめでとうございます。平成30年の幕開けです。市民大学の専門コース、オープンコースも動き出しました。間もなく、守谷の市議会だより「こじゅけい」に、もりや市民大学のインタビュー記事が掲載される予定になっています。議会からどんな印象を持たれているかが分かるかもしれません。
さて、私こと、この正月に「ちきゅう」を見てきました。いえいえ、宇宙船に乗ったわけではありません。地球深部探査船「ちきゅう」号に乗船してきたのです。国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)という厳めしい組織が運営する5万6千トンの海底探査船です。海底から採取したボーリング試料を分析して、メタンハイドレートや熱水と生命の謎を研究しています。東北地方太平洋沖の地震調査掘削では、日本海溝のプレート境界断層の試料、つまり、この地を襲ったあの3.11大震災の原因となった地球内部の直接的な地層証拠物件を採取したというから、驚きです。「ちきゅう」号の定員は200名で、研究者はその1/3程度でしょうか。あとは、船を動かす乗組員です。なにしろ国際的な最先端研究を行っているので、船内の情報伝達は英語が基本です。英語の勉強、大事ですね。
一番驚いたのは、深さ6900mに達する海底まで「ちきゅう」号からパイプを下げる技術と、海底下の地層3000mまで掘って試料を採取する技術です。海流あり、波あり風ありの中で、パイプを吊り下げた状態でどうやって船を安定的に静止させておくのでしょう?何と、GPSを用いて船の現在位置を常時モニタリングし、洋上で同じ位置同じ方向に静止するように6個の特殊スクリューを自動制御で回しているそうです。その位置誤差は1m以内というから驚きです。船長さんもこの件を説明するときは得意げでした。
お正月に「ちきゅう」を見てきた話しは以上です。大きな夢を見た思いです。何よりも、乗船している研究者の皆さんが、胸を張り、誇らしげに、しかも嬉しそうに研究のお話をされるのが印象的でした。今の時代、こんなに楽しそうに仕事ができる方々は幸せだな、と思いました。さあ、「ちきゅう」から「もりや」に帰って、自分の仕事に戻りましょう。ここにも大きな夢があるはずです。
12月の学長ブログ
私が卒業し、かつ、教授を務めた大学の研究室出身者の話です。その研究室からは、3人の学長が生まれました。国立I大学、国立U大学、もりや市民大学(私)、の各学長です。先日、そのうちの1人が亡くなり、もう1人の現職学長が弔辞を述べました。弔辞の中のエピソードで、亡くなった元学長は、生前、「君ねー、教育というのは、童謡の“かなりあ”の歌詞のようであれば良いのだよ」と話していたそうです。
それで、ここに童謡「かなりあ」(詩・西条八十)の歌詞を再掲します。
歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
月夜の海に浮かべれば忘れた歌を思い出す
2番の「埋ける」は「いける」と読みます。教育は、できの悪い子を叱責するのではなく、そういう子も大切に優しく守ってあげれば花開くのですよ、という意味でしょう。とても良い話でした。国立大学の学長同士がこういう会話を交わしていたのです。さすが、2人とも私の後輩だけのことはあります。良い話だなーと胸を打たれました。
もりや市民大学でも、受講生、修了生を山に捨てたり小籔に埋けたり柳で鞭打ったりはしません。象牙の舟は、動物愛護の観点から言って作れませんので、まあ、修了証の授与で勘弁してもらいます。それにしても、童謡「かなりあ」の歌詞は、結構過激ですね。「役に立たぬ者は捨ててしまえ」といった価値観が当時の社会には存在していたと考えられます。私も「かなりあ」がこんな激しい言葉で歌われていたことを知りませんでした。今年、歌手の「ゆず」が新曲「カナリア」をリリースしたそうですが、こちらの歌詞はもっと明るく希望に満ちています。歌が作られた時代を反映していると思います。
11月の学長ブログ
6月開講コースが修了し、11月開講コースが始まりました。運営委員会では、修了コースはどうだったかを総括し、11月開講コースを運営しつつ、来年6月開講コースの設計を開始しています。なかなかに忙しいです。そんな中で、大人気だった修了コースと、受講者数が少なかった修了コースの反省をしました。
「健康ウォーキングマスター講座」は定員20名で募集しましたが、1日か2日で受講希望者が30名を超え、講師の宇佐美先生と相談のうえで定員をギリギリ35名まで増やしました。それでもこの定員を超えて次々と希望者からの問い合わせがあり、お断りするのが大変だし申し訳ない気持ちで一杯でした。そして、10回の講義修了時アンケートによると、コース満足度は90%以上、自由意見でも「痛みが生じず歩けるようになりました」「理論がわかった」「姿勢が良くなった」「疲れにくく歩けるようになった」「楽しかった」「多くの人に経験してほしい」「継続した方が良い」「分かり易く最高」といった書き込みが溢れました。受講生35名全員が修了証を受け取ったのも、もりや市民大学始まって以来のことでした。
「守谷をもっと良くしようプロジェクト」も定員20名で募集しましたが、受講希望者14名に留まり、開講可能性がギリギリでした。さてこのコースですが、10回の修了時アンケートを見ると、コース満足度はやはり90%以上でした。自由意見も「新たな気づき、学びをいただきました」「意見交換が良かった」「疑問点がよく分かった」「非常に面白かった」「具体的で分かり易かった」「守谷をもっと良くする為には必要な講座」「内容的に素晴らしいので受講者数を多くしてほしい」など、とても積極的でした。このコースは期待以上であった、と総括しています。
こうしてみると、受講者数の多い少ないは、コース名のつけ方が多いに影響しているのではないか、それは運営委員会の責任ではないか、ということになり、反省しきりでした。これからのコース設計では、より魅力的なコース名を考案し、受講者数をさらに広げていきたいと思います。いま、「守谷未来設計コース」といった名前のコース設計を検討中ですが、こんな名前はいかがですか?
10月の学長ブログ
良い季節になりました。涼しい、暑い、良い天気、さわやか、ストーブが必要、など全国各地からのメールの冒頭には、季節の変わり目に相応しい様々な時候の挨拶言葉が書いてあります。メールは、短ければ短いほど良いとされていますが、それでも時候の挨拶言葉が一言入っていると、なごみます。
それにしても、言葉の正確さ、重み、味わい、などについて心配です。A新聞のファクトチェックという欄を見ると、たとえば安倍首相が昨日の記者会見で言った言葉について、本当かどうかの事実確認をした結果を、地味な記事として1面中間あたりに記載しています。これを読むと、記者会見での発言は事実ではなかった、誤りだったことが証明されたりしています。それで、その後はどうなるのだろう?と思いますが、それ以上のフォロウアップ記事は見当たりません。
世の中に出た情報や言葉が、事実かどうか、という疑問はなかなか解消しないという現実社会に、大きな失望を感じます。科学の世界では、理論や予測が真実かどうか、事実かどうかが厳しく検証されます。そうでなくては科学の目的は達成されないからです。重力波の存在が100年も前に予測されましたが、それが事実であることを証明した人はノーベル賞を受賞しました。
人間社会だって同じではないでしょうか?言ったことが事実かどうか、それを確かめて、事実であることが証明されたら大いに高評価を与えるべきです。逆に、事実でないことを述べたり記述したりの場合、厳しく批判し、最後まで責任を問うべきです。しかし、昨今の様子では、事実でないことを口にしても、何かに勝つと、その責任は問われなくなる道がある、と教えているかのようです。「嘘も方便」という諺は仏教用語で、人間社会の潤滑油として許されています。でも、その場合は、人助けが目的です。自分を正当化するための「嘘も方便」が多すぎませんか?
9月の学長ブログ
毎月、15種類以上のいろいろな学術雑誌が手元に届きます。その中の1つにJGL (Japan Geoscience Letters)という16ページ編集の薄い雑誌があり、日本地球惑星科学連合フェロー受賞者の記念特集記事がありました。この学会は、宇宙の科学から地球環境の科学、地球生命化学、地球温暖化、気象災害、地震など、地球と宇宙に関する科学全体の連合体です。フェロー受賞というのは、この分野で特に高い業績を挙げた研究者を名誉会員として表彰する制度です。
で、政府の地震調査委員会の長期評価部長だった方が、受賞者の1人として記念記事を書いておられました。記事のタイトルは「研究の面白さに、はまってしまった人へ」となっており、おや?珍しいタイトルだな、と思いました。この種の記事では、自分が歩んできた研究人生が認められて嬉しい、といった内容がほとんどだからです。そこで、どれどれ、と読み進んで行くと、何とこの方、怒っています。何に怒っているかというと、地震調査委員会で決定した事項が、社会への公表時に圧力を加えられたり書き加えられたりした、という経験を3回もした、と書いておられます。「不都合な真実」を覆い隠そうとする意図があったと思われる、と断言しています。
この名誉ある受賞者の方は、「研究の面白さにはまってしまった人、のめり込んでいる人、そんな人に、思いがけない落とし穴が待っている」と言うのです。その落とし穴とは、「科学的におかしなことが大手を振っている場が存在する」とのこと。どうやら、地震調査委員会のことをさしているようです。そして、研究で成果を挙げて人に知られるようになり、やがて声がかかって○○委員に指名されたとしても、居心地の悪い場にいることは時間の無駄だから、即刻退場したほうが良い、とアドバイスしています。地震調査会で、よっぽどいやな目に会ったのでしょう。名誉ある受賞者の記念記事としては異例の告発文でした。
科学が社会の役に立つためにはどうしたら良いか、というテーマは、今もとても重要な論点です。もりや市民大学と同じく、科学と社会の「協働」のあり方を模索している昨今です。しかし、科学的に正しいと信ずることを発信したくても、必ずしも科学者の思い通りには社会に届かない、とすると、どこかが狂ってきそうです。この受賞者さんの怒りは、科学者にも社会の側にも深い問題提起になっていました。この方が言う「科学的におかしなことは科学の場で批判せよ」という結論が社会に届くと良いのですが。
8月の学長ブログ
忘れてはならない日々が、8月上旬に集中しています。8月6日、9日、11日、15日です。広島原爆投下、長崎原爆投下、山の日、終戦記念日が、それぞれの該当日です。現代の若者に「今日は何の日?」と聞くと、これらの日を答えられない、といった嘆きの声がテレビレポーターなどから上がっていましたが、実は、熟年以上の私たちもこれらの日を即答できるかどうか、怪しいのです。
日々のニュースで「覚えていない」「記憶にない」といったセリフに怒りを覚えることの多い昨今ですが、自分に当てはめると愕然とします。本当に「覚えていない」「記憶にない」のです。外出中に、ふとある映画俳優の顔が目に浮かぶ時がありました。分かっているのです。彼が何者であり、どんな声、どんな演技をするのかもはっきり思い出します。ところが彼の名前が出てこない。うーん、と唸りながら何とか名前を思い出そうとするのですが、記憶の引き出しが開かない、と感じると、もうだめです。いくら絞っても名前が出てこない。そんな時は、諦めが肝心です。思い出すことを止めるのです。そして、別のことを考えたり行動したりして、一度心の外に出してしまうと、ある時フッと思い出すのです。その俳優の名前、「渡哲也」でした。
記憶、脳の働き、こういった話題が高齢者社会の到来とともに、新聞、雑誌、インターネット上で多出しています。ちゃっかり薬の宣伝をしたり、食べ物で記憶が良くなることを説明したり、生活スタイルの改善を指南する記事も出回っています。能トレを趣味としている方もおられるでしょう。
私の理解はこうです。人間、興味のあることは良く覚えているが、興味のないことはすぐに忘れる。年齢と共にそれが極端になる。ということです。だから、いろいろなことに興味を持つことが肝心なのでしょう。先日のスイス旅行では、ガイドさんが山の花の名前を次々に教えてくれました。が、何一つ覚えていません。実は、私、花の名前に興味がないのです。一切、覚えることができません。問題は、人間の名前です。目の前の人は、確かに会ったことがあるのに、名前が出てこない。これは「あなたに興味ありません」を意味するとしたら、何と失礼なことか。そうそう、冒頭の8月11日(山の日)ですが、実は私の誕生日です。興味、無いですよね・・・。
7月の学長ブログ
今回は、もりや市民大学の受講生に読んでもらいたいことを書きます。受講生の多くは、毎回の講義を受けて「良かった」「ためになった」「今後に生かせる」などの感想を寄せてくれます。しかし、その受講内容が何であったかは、感想からは伝わりません。
もりや市民大学の講義内容は、ビデオ記録などで後日見ることもできますが、その利用方法は限られています。それより、受講生の口から具体的に講義内容の特に良かったことなどを聞けると、とてもラッキーな思いがします。つまり、私が言いたいのは、受講生のみなさん、もっと自慢して周りに伝えてください、ということです。実際、運営委員やサポーターの間でも、担当したり聴講したりできる講義は限られていますから、担当以外のコースでどんなことがあったか、とても知りたいのです。そして、その話を聞いて、さらなる運営の参考にしたくなります。もっと言えば、「市民大学ではどんなことを教えているの?」という率直な疑問を持っている市民はとても多く、できれば講義内容の一端でも知りたいと思っているはずです。私も何度も聞かれます。
新聞や雑誌にある「書評」は、その取り上げた本の特徴を短い文章で描き出し、読者が読んでみたくなるように刺激します。私も、そうした「書評」を見て買い求めた本は少なくありません。映画、演劇、演奏会の類も、良い評論に出会うと自分も見たり聞いたりしたくなります。それと同じ効果が、日常会話でも期待できると思います。
と言う次第で、受講生や聴講生の皆さん、どうぞ受講内容を周囲に語ってください。世間話やマスコミ情報とは一味違う、生きた知識を広めるのです。何の遠慮がいりましょう?実は、7月6日で終了したオープンコース「香りの力で心と体にやさしい健康法」全4回の講義、私は日程が合わず参加できませんでした。だれか、その内容の一部で良いので、私にも教えてくれないかなー、これ、本音です。
6月の学長ブログ
もりや市民大学は、2012年(平成24年)10月に開校しました。以来5年目を迎え、6月10日に今期の開講式を挙行しました。「総合コース・守谷を知る」は35名、「専門コース・守谷をもっと良くしようプロジェクト」は14名、「「専門コース・健康ウォーキングマスター講座」は35名、「オープンコース・香りの力で心と体にやさしい健康法」は15名、「オープンコース・大学院生が教える夏休み自由研究」の募集はこれから、という開講でした。今期入学者の延べ人数は99人に達しました。ただし、重複受講生もおられるので、入学者実数はそれより下回ります。
その開講式ですが、毎回、学長挨拶、市長挨拶があり、続いて市役所総務部の代表者から守谷市の総合計画について「市政講座」を受講し、オリエンテーションを経て閉会します。市長、副市長、教育長ほか、多数の守谷市幹部の皆さんが臨席して下さるのは、大変ありがたいことです。長年、会田前市長にご挨拶頂いてきましたが、今回から松丸新市長にご挨拶頂いたのも新鮮でした。
今回の学長挨拶では、囲碁や将棋で有名になったディープラーニングを取り上げました。現役棋士をなぎ倒したコンピューターソフトの俗称です。私はディープラーニングについて何かを知っているわけではありません。ただ、これまでの人工知能が全ての可能性を評価して最適値を得るものだったとすれば、ディープラーニングは過去の限られた経験を学習してより良い答えを導き出す、といったロジックを持っているようです。これは、もりや市民大学と似ているなと思いました。「総合コース・守谷を知る」はディープラーニングのコースである、と述べてしまいました。
兎にも角にも、6月開講コースの始まりです。秋の修了式までに何が得られるか、そして、その後にどんな協働の姿が提起されるのか、楽しみにしています。新入生の皆さん、どうぞ最後まで出席して双方向授業を作っていって下さい。もりや市民大学は、延べ1000人の修了生を出すことを目指して、市民の皆さんと共に歩み続けます
5月の学長ブログ
かつて、世阿弥の「風姿花伝」を読んだとき、深く感じるところがありました。曰く、20代の頃は何をやっても華があり、皆がほめてくれるが、慢心せずに精進することが大事で、30代こそ本当の実力を身につけるときであり、40代になると本物だけが評価されるようになり、下り坂の50代でも、本物であれば控えめに振る舞うことでそこに華がある、といった内容だったと思います。
そこで、最近の20代、30代、40代、50代以降がどんなふうに見えるか、と私自身の周りを眺めてみました。20代というと大学の学部学生や大学院生です。私が毎週講義に行っている私立大学の学生諸君ですが、爽やかで素直な若者が多いと感じています。高齢者に向かって反抗的な言動や批判的な言葉を浴びせる若者は皆無、といっても良いほどです。
東京都内のある会社に縁があり、毎週出向いていますが、そこでは30代の会社員たちと交流があります。彼らは何でもできるのですが、自信を持っていないような気がします。バブル崩壊という時期に青年期を送っており、現実を直視する目が肥えているのかな、その分、夢を語るほどの大言壮語ができなくなったのかな、と少し心配です。
40代は現在猛烈に忙しくて、私の相手をしてくれる人は多くありません(私事で言えば息子世代です)。それなりに社会的責任を自覚して今現在の世の中を支えてくれているような感じです。
50代の皆さんはちょっとした強さを持っていると思います。かつては50代といえばゴール前の最終段階でしたが、今の50代は次に何をするかという準備をしつつ将来を考えています。長い老後を覚悟しているようです。
そして「風姿花伝」では寿命が尽きているはずの60代ですが、多様性に満ちています。過去の延長線上で頑張る人、過去と決別して今を充実させている人、新たな仕事を見つけて家計を支え続ける人、新しい自己開発や趣味に挑戦する人、社会のために貢献することを信条とする人、全く十人十色とはよく言ったもので、どう見ても「控えめの人生」とは思えません。そう、我々は、世阿弥の知らない世界を生きているのです。今月は、妙に気合が入りました。
4月の学長ブログ
岩波新書「シルバー・デモクラシー」―戦後世代の覚悟と責任―(寺島実郎著)という本を読みました。今年1月の出版です。本屋さんの店頭で、このタイトルに惹かれて買い求めました。
デモクラシーつまり民主主義が、なかなか良い働きをしてくれないことに、我々は皆気づいています。民主主義さえあれば平和と幸福と繁栄がもたらされる、と甘い考えを抱いていたのが、いろいろな場面で壊されています。そんなとき、シルバー限定のデモクラシーって何?と興味を持ちました。
何しろ、アメリカでトランプ大統領を選んだのも民主主義、日本で安倍首相が高い支持率を維持しているのも民主主義です。民主主義がどうも怪しい、或いは、危うい、と感じている方は決して少なくないと思います。寺島実郎氏は、ここでシルバー・デモクラシーという概念を提起します。この本によると、日本でも世界でも、高齢者の意見が世論を左右しており、例えばイギリスのEU離脱も、20代の若者の66%は残留支持だったのに、43歳以上の世代では離脱派が過半数であったといいます。2016年の日本の参院選では、高齢者の投票率が70%近いのに、20代の投票率はその半分程度だったことから、日本の政治的意思決定は「老人の、老人による、老人のための政治」となりつつあると指摘します。これがシルバー・デモクラシーです。
寺島氏は、「団塊の世代は戦後日本人の先頭世代としての責任をまだ果たしていない」と断言し、自分の世代が果たすべき役割がある、と意気盛んなのです。いやいや、お元気な方がおられるな、と感心し、その経歴を見せていただくと、早稲田大学政治学の大学院を出て、三井物産の重役を勤めた上に一般財団法人日本総合研究所の会長に就任され、多くの要職に就かれています。そして、生年月日を見たら、何と私と同年同月同日生まれの御仁でした。運勢占いもご一緒です。勝手ながら不思議なご縁を感じました。
3月の学長ブログ
3月は、卒業、修了、異動、転居など、人生の節目になる行事が集中する月です。もりや市民大学も、この3月11日をもって平成28年度の全てのコースを終了しました。
総合コース「守谷を知る」では、定員25名のところ申込者が40名に登り、全員入学を認めました。7割以上の出席をされた36人が、無事、修了証を手にしました。このコースでは、防災、医療、経済、教育、若者、JA、行政、環境、健康といった幅広い知識を習得できましたが、「ここで学んだことを、守谷の協働にどう生かすのか?」がこれからの課題です。
専門コース「コミュニティービジネス・地域課題解決」は、定員20名のところ27名の申込みがあり、全員入学して22名が修了しました。このコースの最大の特徴は、平均年齢の若さです。30代、40代の受講生も多く、平均年齢57才は、最若記録です。修了生の多くが、ここで得た新しい知識を今後に生かしたい、と意欲に満ちた感想を述べたのが印象的です。
専門コース「楽しく健康づくりニュースポーツの世界」は、定員20名のところ19名の申込み、12名の修了者でした。人数は少なかったのですが、毎回、とても楽しそうでした。最終回では、健康運動指導士、屋嘉部先生のリードでワークショップが進行し、今後、地域や仲間でリーダーやファシリテータとして活躍したいとの決意が満ちていました。
オープンコース「Thursday night course in MORIYA Part4」は、イオンタウン守谷のコミュニティーホールで開かれましたが、毎回、驚くほどの多人数の参加で、こうしたコースの必要性がとても高いことが認識できます。講師良し、参加者(女性多い)良し、進行良し、と3拍子揃っているのが強みです。
オープンコース「守谷市美術部!アートへの関わり方講座」は、兎に角アートです。参加すると、日常と切り離された異次元を体験します。このコースをお世話した運営委員が、そろって“目が覚めたような”不思議な表情で教室の様子を報告するので、きっと、参加者の多くが異次元体験を楽しんだのだな、と理解しました。
2月の学長ブログ
もりや市民大学の運営委員会を重ねながら常々思っているのですが、我々が外部の方に講師を依頼すると、不思議なことにまず断られることがありません。非常に限られた予算の中で講義をお願いするので、交渉に際しては恐縮しつつお願いする、という具合なのですが、その際、断られるケースは、「どうしてもスケジュールが合わない」「所属組織からの了解が得にくい」といった理由がある場合で、それ以外では、皆さん快く引き受けてくださいます。このことに感謝しています。
で、最近特に感じる特徴ですが、お引き受け頂いた講師の方が、「ここでやめてしまうのはもったいない、もっと先に進めましょう」といって、講師のリピーターを率先して引き受けてくださることです。この現象については、我々運営委員も、やや驚いています。受講生が「もりや市民大学、おもしろい」といってリピーターになって下さるのは大変ありがたいのですが、まさか講師の方々まで「もっとやりましょう」というリピーターを希望される、これは何でしょうか?
思うに、もりや市民大学の教室は、いわゆる「手応え」があるのかも知れません。市民向け講義ということで、できるだけ分かりやすく話をされるよう、講師の方々は工夫をしてこられます。講義の後は、質疑応答が続きます。この時間帯で、講師の先生方は「ここの受講生はちょっと違う。生涯学習のように知識の充実を求めているだけではなく、守谷を良くするために自分たちでできることは何か、を真剣に求めている」と気付かれるのでしょう。
以上のような最近の特徴は、例えば平成28年後期のコミュニティービジネスを担当された柳田公市先生、健康づくりニュースポーツを担当された徳田太郎先生、そして、3月25日予定の公開講座講師、宇佐美彰朗先生までもが、次の専門コース設計に向けて準備中だったり考慮中だったりされています。オープンコースの講師の方々からも、単発で終わらせず継続を、と望む声が多く出ています。全く有難いことで、運営委員一同は、お招きしている先生方に感謝すると同時に、「うちの受講生は、そんじょそこらの市民大学受講生とはちと違いますぞ」といったささやかな自信も抱きつつあるのです。ま、そうは言っても、目に見える成果を出していかなければ、ささやかなままで終わってしまいます。受講生の皆さん、リピーター先生の多いわが市民大学、稀勢の里といっしょに「恩返し」を頑張りましょう。
1月の学長ブログ
新年、明けましておめでとうございます。今年一年が、皆様にとって良い年であるよう、心から願わずにはおれません。平成29年、2017年、どちらもやや記憶しにくい数字で、書類を書くとき気をつけないと間違えそうです。もう一年先は覚えやすい年号ですが。
さて、2017年はどんな年になるのでしょうか?まずはアメリカのトランプ新大統領です。オバマさんが1月10日に行った最後の演説で、アメリカは「自由に選出された1人の大統領から次の大統領へと力が平和裏に移行するのです。ちょうどブッシュ大統領が私に対してしたように、私も次期大統領トランプに、私の政治ができる限りスムーズに移行できるように、完全に引き渡します。」と述べました。しかし、アメリカのマスコミは、この退任演説自体が前例の少ない異常事態であり、トランプ新政権への危機感の表れではないか、と分析しているそうです。
東京大学の元総長である佐々木毅氏は、アメリカ国民がトランプ政権を選択したということは、「経済のグローバル化と一国民主政との矛盾」が噴出したもの、と解説しています。つまり、経済のグローバル化を推し進めていくと、一つの国の中での平等、公平、安心、平和といった民主主義の根幹が揺らいでしまう、かといってグローバル化を拒絶して一つの国内だけの国民の幸せを孤立的に求めていけば、グローバリズムに真っ向から対抗する保護主義に陥ってしまう、という訳です。確かに矛盾です。
2017年は、歴史の大きな矛盾を全人類が体験することになりそうです。さて、守谷市民の皆さん、こうした世界の動きが、どうやら我々の日常的な市民生活と無縁ではないようです。そこのところを意識して、市民大学をますます充実させ、時代に遅れをとらず、良い時代を築く為、引き続き学びの機会を大切にしましょう。もりや市民大学では、時代の動きを見ながら、さらに充実したコースを設計して皆様をお待ちします。
12月の学長ブログ
予想外の論文原稿を依頼されて困っています。私は、土と水というシンプルな自然物が見せる不思議な現象を基礎的に研究することが専門で、室内実験や理論解析が得意でした。土の中では水蒸気はどんな風に動くか、とか、平地に浸透する雨水と傾斜地に浸透する雨水に違いがあるか、とか、土壌微生物が関与すると土の中の水やガス(CO2やO2)の移動はどう変化するか、などといった、すぐには役に立たない研究ばかりやってきました。今回、オートファジーの研究でノーベル医学・生理学賞を受賞された大隅博士も、すぐに役立つ研究にばかりお金を注ぎ込まないで、もっと基礎研究を大切にしなさい、と口を酸っぱくして主張されています。
さて、そんな私に、ある科学雑誌編集部から、「地球温暖化で水資源や耕作適地はどうなってしまうのか?」を4回連載で論文にせよ、という注文が届きました。まさに、役に立つ研究です。しかも、今現在の問題だけでなく、未来予測に基づく人類の危機を説明せよ、という訳です。学生の期末試験でレポート課題に出したいような良問です。
おかげで、今年の年末、年始はこの連載論文に頭を悩まされ、きっと追い詰められた夢ばかり見ることでしょう。初夢??そんな楽しい話ではなくなりました。しかし、気候変動や温室効果は、地球全体にそれほどの暗雲をもたらしているのでしょうか?ちょうど、福島第一原発事故後の放射性物質拡散の問題と類似していて、「非常に深刻な問題である」から「それほど騒ぐ必要がない」まで、専門家の間でも広く意見が分かれています。同様に、地球温暖化問題も、「このままでは人類は滅びる」から「それほど大騒ぎする必要なし」まで、やはり見解が分かれます。一般社会人は、要するにどうなんだ、と科学者や専門家を問い詰めます。今回、私が問い詰められた次第です。
これからこの難題に立ち向かう私は、自分の立ち位置をどこに置くか、忘年会・新年会の宴会席上でも悶々と悩んでいるわけです(はたから見ると楽しく酔っ払っているように見えると思いますが・・・)。私としては、何事にせよ「ファクトファースト」で行きたい訳でして、そのファクト(事実、実態)を見つけ出すことに苦労します。こうして、「私は困っています」と白状して今年を終えたいと思います。皆様、良いお年をお迎えください(できれば私も)。
11月の学長ブログ
11月5日は、もりや市民大学11月開講コースの開講式でした。当日出席された入学者50名の方々に入学時アンケートへの記載をお願いし、回収しました。その結果を見ると、入学動機は「自治会や町内会の活動など、まちづくりに関する様々な地域活動に興味を持っていた」「自分の住む町について知りたいと思っていた」が約60%を占めていました。また、協働のまちづくりに今後参加したいかどうかを尋ねたところ、今回初めて市民大学に入学した方々の37%、再入学(リピーター)した方々の68%が、それぞれ参加したい、と回答されました。
もりや市民大学で開講する各コースは、毎回斬新なコース設計となっており、繰り返しの講義はほとんどありません。そのため、何回入学しても新しい知識が吸収でき、協働のまちづくりに関する新たな視点や手法を学ぶことができます。私としては、プログラムを見て初めて入学される方も、やみつきになって(!?)何度でも再入学される方も、ともに歓迎したいと思っています。
それで、「教育効果はどうなのだろう?」という点がしばしば運営委員会の話題になります。延べ600人を超える修了生を輩出しているもりや市民大学は、「協働のまちづくりを担う人材を十分に生み出しているだろうか?」と自問自答する次第です。さて、客観的に見て、どうでしょうか?私は、人材育成はかなり上手く行っていると自画自賛しています。市民大学の修了生は、互いのネットワークを活用するだけでなく、それぞれお住まいの地域でも活動の輪を広げておられます。コミュニティーづくり、認知症予防の地域活動、防災マップ作り、緑のまちづくり、などなど、具体的な動きを掘り出せば、いくらでも出てきます。
これまでの4年余のもりや市民大学の受講生を見ていると、何よりも皆さんが明るく元気になったように思えてなりません。笑顔が増え、動きが生き生きとしておられます。教室の雰囲気も、年々改善され、講師の方との双方向授業づくりも初期に比べて格段に充実してきました(言いたい放題言える、という意味かも知れませんが・・・)。次の目標は、市民活動支援センターから遠いところに居住されている守谷市民がこの大学に入学し易いような手立てを考えることです。市民大学の教室(開講場所)の移動なども視野に入れながら、今後の展開を考えているところです。
10月の学長ブログ
秋です。突然、秋が訪れたように感じます。前日はクーラーを効かしていたのに、今日は暖房が恋しい。季節の変わり目とはこんなもんだったかな?と今更ながら驚いています。
この秋、「科学者は災害軽減と持続的社会の形成に役立っているか?」という学術フォーラムが開催されます。「役立っている」、「役立っていない」という答えを見つけよう、という訳ではありません。学術的に優れた研究が即社会の役に立ち、社会に評価されるとは限らないことは、今回のノーベル医学生理学賞「オートファジーの仕組みの解明」を受賞した大隅良典東工大栄誉教授の例でも明らかです。この研究は、細胞の中のたんぱく質やそれを覆う袋のような物質の分解やリサイクル利用につながる話ですが、即社会の役に立つ、とは考えられません。その大隈氏は、競争的資金に走る研究費予算には批判的で、基礎科学の重要性を強調されているそうです。
では、この問いは、何を意味しているのでしょうか?学術フォーラムでは、「研究者から見た社会への説得力」「水とグローバルリスク」「土壌と持続的食料生産」「気象災害」「地質と地盤情報」「火山災害」「地震災害」「災害と地球環境」「フューチャーアース」などのテーマで、いろいろな専門分野の研究者が科学と社会の関係について持論を展開し、意見交換を行います。何を持って「役に立つ」と言えるのか、その問いは、研究者が常に頭に置き、自らの研究を通してその答えを求めるのです。
さて、もの思う秋に相応しいこの学術フォーラム、よろしかったらどうぞご参加ください。11月13日(日)13時から、地下鉄千代田線乃木坂駅から1分の日本学術会議講堂で開催されます。参加費無料です。問題は、この中の1件を私が担当することです。私は農学分野の土壌物理学・環境地水学を専門としています。さて、私の担当課題はどれでしょうか?・・・・今月のブログ、しょうもない設問で終わります。
9月の学長ブログ
オリンピックと都知事選と台風が駆け抜けた今年の夏、何だか短かったように感じます。皆様、それぞれのスケジュールを目一杯消化できたでしょうか?
私の場合、今年の夏は、海と山と学会、という3イベントが想い出に残りました。まず海ですが、家内の実家が伊豆の下賀茂よりさらに奥にありまして、その実家から伊豆の海に出ることができます。複雑な岩山に囲まれた小さな湾は、外海が荒れていても波はほとんど来ません。その海で貝を取ってきて味噌汁で頂くと、旨いのなんのって・・・。皆さんに差し上げたいほどです。次に山ですが、7歳と3歳の孫も一緒に、親子3代で八ヶ岳連峰2泊の登山に行きました。赤岳は手ごわいので、もう少し下の2600m級の山頂5つを征服しました。7歳の孫に後れを取る自分の年齢を思い知りました。そして、夏の終わりは、仙台市で農業農村工学会という学会に参加しました。台風10号が仙台へ向かったのと同時に、同じ方向へ向かったのです。嵐を越えて参加したのは、私の後輩や教え子4人がそれぞれに学会賞を受賞したので、そのお祝いに駆け付けたかったからです。
この間、8月27日に開催したもりや市民大学公開講座「芥川賞選考の舞台裏に迫る」は、読売新聞文化部編集委員の鵜飼哲夫氏(守谷市在住)を迎えての講座でした。市民交流プラザの円形ドームに集まった100名ほどの聴衆は、鵜飼氏の淡々とした、それでいて取材経験に基づくリアルなお話に酔いました。太宰治や石川達三、吉村昭、石原慎太郎、又吉直樹といった候補者や受賞者、更にはこうした人々を選考する川端康成、三島由紀夫、大江健三郎などの著名人たちの生の声を伝えてくれました。本当に面白かったです。特に、受賞を逃した人々の話が人間的で楽しかったです。
さあ、今度は秋、秋は収穫の季節です。畑からも田んぼからも、そして市民大学の教室からも、それぞれの収穫を挙げたいですね。
8月の学長ブログ
このブログを読んでくださる皆様、暑中お見舞い申し上げます。学長ブログのネタを見つけるのは、なかなか大変です。お察しください。そこで、今月は仲間の噂話を書きます。市民大学の運営委員の噂、です。アルファベットの頭文字を使うとご本人が特定されてしまいますので、分からないようにA,B,C・・・を使います。
Aさんは、スポーツマンです。いえ、Bさんもスポーツマンですが、Aさんの方が太陽に当たる時間が長いです。CさんとDさんはともに現役の大学院生ですが、卒業後の進路はDさんの方がはっきり決まっています。EさんとFさんは、ともに町内会や自治会活動の重鎮で、様々な地域活動を指導しておられますが、女性に親切なのがEさんで、女性が親切なのはFさんでしょうか(私見です)。GさんとHさんはパソコンやインターネットが得意であり、Hさんは、弟さんが時々協力してくれるようです。IさんとJさんは、どちらもおしゃれですが、砂漠でもおしゃれが通用しそうなのはIさんです。Kさんは、ウォークマンですが、ソニーではありません。Lさんは、こんな上司の下で働きたいなと思わせるナイスガイです。Mさんがクラシック音楽狂と知っている人は少ないかもしれません。そしてNさんは、持てる力を秘めた我が運営委員会の秘密兵器です。
ブログを使って遊んでしまいました。ネタ切れなのと、38℃(今日の羽田空港の最高気温)という猛暑に免じてお許しください。来月は、大所高所からテーマを見つけてきます。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」とやせ我慢するか、「喉が渇く前に水分補給を」「室内での熱中症対策としてエアコンを適切に使用するように」というアドバイスに素直に従うか、いずれにせよ、夏休みを楽しくお過ごしください。