学長ブログ
11月の学長ブログ
もりや市民大学では学園ニュースを発信しているのでご存じの方が多いと思いますが、今回は「守谷を知るコース」第14回目にて茨城県自然博物館訪問の校外授業のニュースでした。私もこの校外授業に参加しました。340円の入場チケットを手に入館すると、直ちに研修室へ入室、そこで、守谷の昆虫の話と守谷の植物の話を聞きました。もとは守谷市と周辺市内の小学校教員だった石塚先生による昆虫のお話と学芸補助員の飯田先生による植物のお話、詳しくは学園ニュースをご覧ください。両先生は「守谷野鳥のみち」のガイドも引き受けて下さっているそうです。
オサムシの話には驚きました。マンガの巨匠、手塚治虫がオサムシの大ファンであり自分のペンネームを手塚オサムシにしたがった、という話です。オサムシに引っ掛けて治虫という名前にしたそうです。初耳でした。でも、それよりもっと私が注目したのは、石塚先生が何気なくおっしゃった「世代交代が早い昆虫は発展するのですよ」という一言でした。昆虫の多くは一年に一度の世代交代ですが、種類によっては一年に複数回世代交代できる昆虫もいるそうです。そして、そのような昆虫はより大きく繁栄するというのです。これも初耳でした。
昆虫の世界から学んだのは「世代交代はグループを発展させる」という自然法則でした。いま、もりや市民大学では運営委員の世代交代に取り組んでいます。運営委員を10年以上担当してきた方々はOBとしてその経験を次世代に伝えながら第一線から退いていただき、新しい運営委員にバトンタッチしたい、という希望です。まさに、世代交代によって市民大学を発展させたい、という思いなのです。幸いにして、守谷市広報11月号に市民大学運営委員募集の記事が掲載されました。関心ある方には是非応募していただきたいと思います。
もりや市民大学に入学することも、その運営委員に参画することも、決して敷居の高い話ではありません。今後ますます入学者同士のコミュニケーション、運営委員間のコミュニケーションを大事にして行こうという機運が高まっています。「興味を持った」という動機さえあれば、どなたでも参加できます。何か動いてみたいな、とお思いの貴方、ぜひ広報11月号の運営委員公募の呼びかけをご一考ください。お待ちしています。
10月
2015年9月の国連総会で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)は、地球の問題や課題を地球に住むすべての人たちで解決する社会づくりをめざし、2030年までに達成すべき目標を17件掲げました。さあ、「17件を全て言ってください」と言われて正しく答えられる人、いますか?1番目は「貧困をなくそう」です。6番目には「安全な水とトイレを世界中に」というのもありました。16番目は「平和と公正をすべての人に」もありました。こんな調子で、言われてみれば成程、といった目標が17件に纏められています。
その2030年まであと6年です。改めてSDGs17目標を眺めてみると、あと6年で実現できるような気がしません。逆に、目標から遠ざかっているような現実があるように思います。たとえば、先ほどの16番目の目標について言えば、世界は平和より戦争に向かってずるずると引き込まれているようです。あと6年で全ての人に平和と公正がもたらされるとは、残念ながら期待できません。そんなSDGsですが、11番目の「住み続けられるまちづくりを」という目標については、守谷市でも考えることができます。
SDGs11番目の目標「住み続けられるまちづくりを」では個人の意識、個人の行動に加えて、住民参加型或いは市民行政協働型の活動組織が必要でしょう。いま、もりや市民大学では「まちづくり協議会コース」を開講中です。このコースを受講されている方々は、皆さん地域活動に熱心で、指導的立場におられる方もいらっしゃいます。まちづくり協議会がいかにしてSDGs11番目の目標「住み続けられるまちづくり」を達成できるか、真剣な学びと議論が行われています。
SDGsを我々の日常生活と関連付けることは容易ではありません。単なるスローガン、絵にかいた餅、お題目、といったレッテルで終わらせるのはもったいない目標です。残念ながら、SDGsが国内政治、国際政治に影響力を及ぼしているとも感じられません。理想を掲げ、それを訴えることと、現実政治、現実社会の具体的課題に対応することには大きな隔たりがあります。そうであっても、もりや市民大学の「まちづくり協議会コース」はSDGs11番目の目標を実現するために学んでいるのです。これは、日常生活に限定される小さな目標ではなく、世界が目指す大きな目標の一つなのだということを忘れたくありません。
9月の学長ブログ
夏が終わりません。猛暑の連続、身近でも熱中症が疑われる症状を訴える人が増えています。自分自身も「ここで水を飲まないと危ないな、ちょっと頭がふらふらするし」などと警戒心を強めています。そんな中ですが、先日、守谷市内の公園に隣接する野球グランドで準備運動をしていた時、芝生の地面を見ました。すると、紅葉した葉っぱがたくさん落ちていたので、「あー、秋が来ている」と一瞬ながら実感しました。大丈夫です、間もなく秋が来ます。
ところで、野球グランドで準備運動?そうなのです、その野球場でシニアの軟式野球を楽しんでいるのです。野球チームは「守谷スターズ」といいます。約30年の歴史を誇ります。80歳代2名、70歳代8名、60歳代6名、50歳代5名、40歳代1名、総勢22名です。高齢化社会の縮図のようなチームです。なんと、若手は私の長男より若いのです。そんな仲間と練習したり他チームと試合をしたり、楽しい時間を共有しています。
神栖市の野球場で、土浦の還暦野球チームと対戦していた時のことです。3対2で負けていました。塁が埋まり、相手チームの打者が大きな外野フライを打ち、走者一掃の大量失点、と思いきや、3塁ランナーがホーム直前でピタッと止まってしまいました。足の裏側がつったようで一歩も動けません。あと数歩という所で停止したまま、我がチーム外野からの返球が届いてアウトにしました。足を痛めた方、お気の毒です。多分、あまりの暑さで筋肉に変調をもたらしたのではないでしょうか。こんなリスクを犯してまでプレーする必要、ありませんね。どうやらその方は今回初参加の方だったようです。
そんな次第で、暑さの中での野外活動は注意深く、また良く準備してからでないとやってはいけません。「熱中症アラート」が発せられる中、よくよく注意し、自己責任を自覚し、そのうえで楽しみを続けたいものです。野球の試合の続きですか?相手の怪我もそれほどではなかったようなので試合続行し、同点タイブレーク対決に至り、最後は逆転の8対6で勝利しました。次の試合は涼しくなっていると良いのですが。
8月の学長ブログ
お盆休み真只中でしたが、南海トラフ大地震に備えよ、大型で強い台風7号の接近に備えよ、などと警告が続き、夏休み計画に影響を受けた方も多いのではないでしょうか?ラジオ、テレビ、スマホの文字ニュースに至るまで、同じことの繰り返しでした。ちょっと前にはパリオリンピックのニュース一色でしたね。こんな風に、情報が一色に染まることに、やや違和感を持ちます。全く同じ映像と同じ説明を繰り返し見聞きすると、「重要な情報なのだろうな」と理解しつつ、過剰だなとも感じます。
他にも心配していることがあります。それは、ふとした疑問について、スマートホンにキーワードを入れると瞬時にその答えが返ってくること、についてです。そもそも、最近疑問を持ち続けるという姿勢が激減していると思います。疑問はスマートホンですぐ解決するからです。でも、疑問を長く持ち続けることで新しい知識や新しい着想にたどり着く、あの喜びはどこへ行ってしまったのでしょうか?便利さと引き換えに失ってしまったものへの郷愁を感じます。これこそ、年寄りの感傷そのものなのでしょう。
解けない謎を持ち続ける喜び、これは過去の遺物となりました。しかし、戦争を止めさせるにはどうしたら良いか、とか、災害に備えるにはどうしたら良いか、などの大きな問いに対する答えは、恐らく常識的な答えが返ってくることでしょう。それも含めて、いまや、答えのない問いはない、と言い切っても良いかもしれません。学術研究において問いを楽しんできた身としては、やはり寂しい気持ちが湧きます。
試しに「世代交代とは」というキーワードでネット検索してみました。すると、情報通信システムの世代交代はおよそ10年ごとに更新されてきたことや、組織団体の世代交代は10年~12年間隔で行われているようだ、などの知識が記載されていました。いま、もりや市民大学運営委員会も「世代交代」を検討中です。発足以来12年を経過した市民大学が「世代交代」を考えるのは妥当かな、と思う次第です。こんな問いにもこたえてくれるパソコンやスマートホン、やっぱり便利ですね。
7月の学長ブログ
小学校のクラス会、ここ数年開いていませんが、元同級生からまたやりたいという年賀状は届いています。小学校のクラス会では、久しぶりに再会しても「~さん」ではなく、「~クン」または「~ちゃん」呼ばわりです。私も「みやちゃんはさー、」などと言われる始末です。中学校のクラス会は、コロナが去ったので今年開催しました。主催者は「みんなに招待状出しているが、来るのか来ないのかさっぱりわからない」とこぼしていました。推定人数でお店を予約し、当日集まった人数で食事や飲み物を出してもらいました。ここでは、「健康を害しているという話題は止めようよ」ということになりました。これをやりだすとキリがない、と考えたからだそうです。
高校のクラス会になると、だいぶ大人の雰囲気になります。しかし、クラス会に集まる人数は多くないので、同期会、つまり同期の全クラスが集まる会にしています。先日の集まりでは同学年約450人中70数名が集まりました。各方面で活躍された方が多く、話題が広いし、あの当時、実はこんなことがあった、という初めて聞くような情報も豊富、また、社会的な有名人になっている人や今現在も活躍中、など、やや刺激的な集まりになりました。高校卒業以来、60年ぶりに初めて会うという卒業生も出ました。私と同じ剣道部員同士でした。
大学のクラス会は、コロナ禍以降開かれなくなり、再開のめどが立ちません。残念なことです。こんな具合に、過去の一時期に一緒だった人たちに久しぶりで再会することの良さはどこにあるでしょうか?会話をして感じるのは、今現在、何かの楽しみ何かの生きがいを持っておられる方が多いということです。逆に言えば、いまあまり元気でない方は、どうしても出席をためらいます。そうではなくて、今も忙しく活動しているので、とてもクラス会に出ている暇はない、という方も少数ながらおられます。こういう方のメッセージを見ると、すごいなーと感心します。
もりや市民大学にも「友の会」が存在します。いわば常設のクラス会です。ここでは講師を呼んで話を聞くという活動から離れ、自主的な企画を持って自由に活動されています。受講生も過去の修了生も、さらには講師でお招きした方々も、もちろん現役運営委員も参加しています。みなで「良い思い出」を共有しつつ斬新な企画で楽しめることを、私も期待しています。間もなく「友の会」主催の暑気払いがあるそうですよ。
6月の学長ブログ
6月8日土曜日、晴天の中、令和6年度もりや市民大学開講式が開催されました。コースによっては、定員を上回る希望者が出て新規希望者を優先し、リピーターの方が抽選に回るといった対応が必要でしたが、「今回、抽選で当たったよ」と言ってニコニコ顔のリピーターさんが何人もおられ、こちらも嬉しくなりました。新規入学者の方も再度の入学者の方も、心から歓迎します。
今回の開講式では、松丸市長が市政講座「2024年度市長の思い」をお話され、守谷市の現状を広く紹介いただきました。その市長のお話の中で気になる事項がありました。それは、常総線の西側(国道294沿いの地域)と東側(松並地区やブランチがある地域)との間で生活利便性において違いがある、という状況についてでした。東側では人口が増加しているが、郵便局は本局のみであり分局が設置されていない不便、常総線をまたがる通学や往来においての不便、などの具体例も示されました。西側住民である私には、そのような課題があることを知らず、初めての気づきとなりました。
そういえば、私自身も、常総線の向こう側(東側)に用事があるときは、すぐに「どこの踏切を渡ろうか?」と思案しますし、自転車で行くときには「何とか駅舎を自転車で渡れないだろうか?」などと余計なことまで考えてしまいます。守谷市民にとって、市が線路で分画されていることは潜在的に感じていることではないかと思います。もちろん、常総線と国道294号線は無くてはならない中軸インフラですから、その存在を前提として市全体を俯瞰する必要があります。
宇都宮市にライトレール(https://www.miyarail.co.jp/)という路面電車が走っているのをご存じでしょうか?私はこれに乗ったことがあります。市民の乗車率は非常に高く、また、そのスタイルが先進的なので、若者にも歓迎されているように見えました。あのように路面電車様式だと町が分断されている感覚が生まれません。常総線も、守谷市内だけは路面電車に切り替え、取手方面や常総方面は従来通りの軌道列車でつなぐことはできないかな、などと勝手な空想を抱いた次第です。法令や規則を知らぬまま、勝手な妄想を記して失礼しました。東側、西側の違いを感じないような地域社会が実現すると良いのですが。
5月の学長ブログ
「新しい酒は新しい革袋に盛れ」ということわざがあるそうです。新しい内容を表現するにはそれに応じた新しい形式が必要だ、という意味です。もりや市民大学でも「新しい酒」を考える時期が近づいています。開校以来12年を経過したもりや市民大学にどんな「新しい酒」が必要でしょう?令和6年度は6月8日に開講式を迎えます。人気の「守谷を知るコース」は定員35名のところ希望者が10人近く超過しているようです。「いきいきシニアコース」はまだ少し余裕があり「まちづくり協議会コース」は大分余裕があります。市民科学ゼミの希望者は前回を上回る希望者があります。
開講式を間近に控え、従来どおりのコース設計で開講を準備している令和6年度のもりや市民大学は、令和7年度に向けて「新しい革袋」を考えることにしました。つまり新しい形式を模索します。それには、担当者の世代交代も重要です。12年の歴史を超え、新たな時代の要請に応えるための新たな形式、「新しい革袋」にご注目頂きたい。
12年前、もりや市民大学発足当時は、すでに開講している他の自治体における市民大学の先例に学ぶことが重要でした。中でも、うらやす市民大学からは、良き先例として学ぶことができました。その後、ご承知のように2019年末から2023年の間に何度も新型コロナ感染の波が押し寄せ、もりや市民大学の運営も2020年度の募集・開講を断念しました。それでも2021年度以降はZoom利用によるハイブリッド形式の講義を取り入れ再開することができたのは、運営委員の自主的努力の賜物でした。コロナ禍の中、市民大学をハイブリッド形式で開講したのは、もりや市民大学が全国で最も早かったのではないかと自負しています。
このような困難な時代を経た今、もりや市民大学は過去の成果に甘んずることなく、新しい形式を求めて再出発したいと考えています。「新しい酒」と「新しい革袋」両方を求めています。そのための世代交代もしっかり進めます。この再出発が成功したら、私も是非「新しい革袋」に満たされた「新しい酒」を飲みたいなー、と願望する次第です。飲み過ぎに注意しつつですが。
4月の学長ブログ
4月14日(日)、もりや市民大学公開講座が開催され、「貝塚が語る守谷の土と水」というタイトルで私がお話しました。多くの市民の方々や守谷市周辺の方々も足を運んでくださいました。誠にありがたく思いました。担当の運営委員から「公開講座もありますが、令和6年度の市民大学開講を紹介して受講申し込みをPRすることも忘れないように」と、しっかり釘を刺されました。
天気が良かったからでしょうか、大変出足が良く、開場時間と同時に入室される方が多く見受けられました。予約なしで当日飛び入り参加の方もかなりおられました。公開講座は、希望者をどなたでも幅広く受け入れる準備をしています。一応、募集期間や募集定員を明示していますが、来て下さる方はどなたでも受け入れたいというのが本音です。
ところで、最近のパンフレットやチラシを見ると、必ずQRコードが印刷されています。今回の公開講座案内や申し込みも、QRコードをフル活用しました。QRコードは、スマホのカメラをそこに向けると容易に関連サイトに繋がります。そのQRコードは自動車部品の日本企業(デンソー)による1994年の発明品だというから驚きです。そして、JIS/ISO規格に従っていれば誰でも自由に使用できるそうです。特許は取っているが、使用はフリー、というおおらかさが社会に受け入れられていると感じます。発明者、原昌宏氏に感謝・脱帽です。QRコードは自分で作成することもできるそうですが、私はまだ自分の手で作ったことがありません。
さて、私がお話した公開講座、カギは国土地理院発行5万分の1地図でした。私が使用したのは昭和61年(1986年)発行のものでした。あの頃、現地調査に当たっては5万分の1地図が必携でした。今ではスマホ1個で地理情報は何でも入手できます。が、広域の等高線図を手に入れようとするとスマホ地図ではなかなか情報が得られず、5万分の1地図の方がずっと便利であることを認識しました。「デジタルよりアナログの方が優れていることもあるぞ」と主張するのは恥ずかし過ぎますが、ちょっとニヤリとしました。
3月の学長ブログ
牧野富太郎はNHK朝ドラ「らんまん」ですっかり有名になりました。牧野富太郎著、日本植物図鑑(1940年初版出版)は、今でも読者層をつかんでいます。ところで、実は、もうひとり気になる人物がいます。牧野富太郎より10年ぐらい後に東大理学部の助手として採用されていた地理学者、東木龍七(とうぎりゅうしち)という人です。福岡県出身、師範学校の卒業生で、小学校教諭を経て上京、東大助手になりました。やはり学歴の壁などがあったようです。
この方は、地理学・地質学の優れた研究者です。特に関東地方の貝塚を「巡検」という地道な調査方法によって詳しく調べ、貝塚の存在地点を地図上にプロットし、これを繋いだ複雑な地形分布曲線を描き出しました。そして、この貝塚分布曲線は、当時の海岸線と平行しているに違いない、と考察し、その結果、大胆にも「縄文海進」と呼ばれる過去の海岸線を浮き彫りにしました。今から6千年~7千年前の縄文時代、海面は現在より5~7m高かった、というのです。そうでなければ広範囲に広がる貝塚分布の理由を説明できない、と結論しました。この説は支持され、今では定説となっています。
彼は、守谷方面にも「巡検」に来たようです。今の守谷市のあたりで3点の貝塚を地図上にプロットしています。しかし、その後、守谷近傍の貝塚3点を実際に再確認した報告は見当たりません。幻の貝塚、と呼んでも差し支えないでしょう。ところで、私は、最近、偶然の出会いにより、「もしかしたらこれか?」と思われる3か所の貝塚を発見、または確認しました。
幸い、4月14日(日)に市民公開講座「貝塚が語る守谷の土と水」というお話をする機会を得ました。そこで、守谷近傍の3つの貝塚をどのようにして「発見」したのか、そしてその貝塚は、現在の我々の生活とどのように関連しているか、述べてみたいと思います。1件目の貝塚については昨年の市民大学講義でお話しました。2件目の貝塚については市民大学とは別の組織に依頼されて、初めてご披露しました。そして3件目は・・・、いや、公開講座でお話ししましょう。それは意外な「場所」にあったのです。
2月の学長ブログ
私には、セカンドハウスを持っている友人(高齢者)が3人います。Aさんは人口195万人の都市に住みながら車で3時間離れた人口約1800人の海辺の寒村に一軒家、Bさんは人口12万人の地方都市に住みつつ15kmほど離れた人口約5400人の山村に一軒家、Cさんは東京に住みつつ千葉県の人口7000人の町に一軒家、それぞれ入手して2重生活をしています。
Aさんの海辺の寒村には信号機が1個しかありません。敷地には畑があり、野菜を育てて楽しんでいます。アスパラガスの栽培が得意で、毎年収穫し、上下が逆にならないように注意してこの守谷に送ってくれます。また、冬場に鮭をさばいて寒干しし、鮭トバにして送ってくれます。どちらも旨いです。Bさんの山村は豪雪地帯で、購入した中古住宅の手入れに余念がありません。隣接した水田を借り受けしてお米を栽培するそうです。収穫したら送ってくれるとのこと、楽しみです。Cさんは小さな町の街おこしに尽力することを決意しました。この町に移住してきた若手農業従事者を支援したり、街の歴史を伝える文化遺産を発掘したり、街の魅力度を対外発信するパンフレットを定期的に発行したり、と工夫を凝らしています。
都市に住みつつセカンドハウスを持って自然に近い生活も満喫する、というライフスタイルが、こんなに身近にあることに驚きます。昔は「軽井沢に別荘」という金持ちの贅沢ライフしか知らなかったですが、今ではこんなにも庶民的なライフスタイルに変化しつつあるようです。
守谷市に住む皆さんはどうお考えでしょうか?趣味で細密油絵を描いて水戸の展覧会に出展し、同時に毎週クラシックピアノを習っている守谷市内在住文化人が、実は市の貸し農園で野菜作りを楽しんでいる、こっちの方が多くなってきた、というお話も伺いました。どうやらこうしたライフスタイルは広く定着しつつあるようです。人口減少時代が目前に迫っている昨今の日本、今後、空き家率も高くなる一方だそうです。そろそろ、空き家をセカンドハウスにして楽しむ生活を構想してもよろしいかもしれません。私?は、今のところ時間的な制約が多いので、もう少し後で考えてみます。
1月の学長ブログ
ある出版社から郵送されてくる月刊雑誌があります。その中で、軽妙な語り口が割と気に入っている記事に「言語学パーリ・トゥード」という不定期シリーズ物があります。著者の川添愛氏は言語学者であり、たとえば、「日本語は世にも曖昧な言語なのか」という小文で、英語でも日本語と同じくらいの曖昧さが沢山あることを紹介したりしています。分かり易くて面白い文を届けてくれるので、私も隠れファンの一人なのです。
しかし、問題は「パーリ・トゥード」って何?という疑問の方です。これはポルトガル語であり、ブラジルの格闘技の名称なのだそうです。しかも、「何でもあり」という意味を表す言葉です。つまり、私が愛読している記事の名称は「言語学、何でもあり」と解釈する次第です。聞いたことのない「パーリ・トゥード」なる標題を、あたかも誰でも知っているがごとくに使用する感性、そのことについて、私の頭が混乱し始めます。どうしてここにブラジルの格闘技名を使うのだろう?と不思議でなりませんが、なぜか「パーリ・トゥード」という聞きなれない言葉が耳に残って離れません。
そういえば、最近、このような意味不明の言葉があふれていると思いませんか?私は「アントレプレナー」という表現にもついていけません。ところが、2023年5月に、政府は小、中、高において「アントレプレナー教育」に力を入れる方針を発表したそうで、今や「アントレプレナーシップ」などの用語が世間を駆け巡っています。「アントレプレナー」はフランス語であり、起業家・事業家を指す言葉です。「アントレプレナーシップ教育に力を入れ、そのインキュベーションに貢献する」と言われてピンとくる方は、お若いのです。
最後に、「ファシリテータ」でも戸惑っていることを白状しましょう。最近はよく耳にする言葉ですが、自分で使用したことはありません。私の世代では、議長、座長、司会などまでしか使ったことが無く、「ファシリテータ」を使って会議進行を行った経験はありませんが、最近のシンポジウムやセミナーでは司会者と呼ばず「ファシリテータ(進行役)」と呼ぶことが多くなりました。これもラテン語から英語になったおしゃれな表現です。もりや市民大学の教室でも、これからは「司会者」と呼ばず「ファシリテータ」と言い直して、講義進行を積極的に支援する役割を持ちましょうか?新しい時代の到来です。
12月の学長ブログ
年の瀬を迎え、皆様いかがお過ごしですか?新型コロナの感染拡大の影響がおよそ3年間にも及び、忘年会や新年会の自粛が続いたので、制約から解放された今年の年末も、今一つ盛り上がりに欠けていると思います。最近出会った若い銀行員は「大人数の忘年会はまだ禁止です。許されるのは5~6人までの宴会だけです。そもそも、入行以来、上司との飲み会を一度も経験していません。」とのこと、気の毒に思いました。
年末恒例の年賀状挨拶は準備されているでしょうか?ここ数年、「本年をもって年賀状を終了します」というお断りが増え、また、私自身の年齢に近い方々からの欠礼はがきも増えてきました。90歳代のご両親他界の通知が最も多く、日本社会の高齢化を実感しています。
来年はどんな年にしましょうか?健康維持は最も大切な目標です。特に、正しく歩くことは健康維持にはとても大切な生活習慣のようで、守谷市でもウオーキングの会が盛んです。きっと、市民の平均寿命や健康寿命を改善することに役立っていると思います。先日テレビを見ていたら、正しい歩き方の指導をしていました。何でも、横断歩道の太い白線は45㎝間隔で描かれており、その幅に丁度合うように歩くのが良い、とのアドバイスがあり、早速国道294号線の横断歩道でやってみました。すると、45㎝幅が意外と広くて、その幅に一致する歩きができませんでした。もう少し速度を上げて一気に歩かないと、45㎝歩幅は確保できないようです。
さて、2023年が終わり、2024年が始まります。日本では国政のガタガタ、海外では理不尽な殺戮が続いています。人間はなぜもっと賢く、もっと気高く生きられないのか、とりわけ大きな権力を握っている人間の品性が劣ることについて、失望が絶えません。良き指導者、良き権力者を生み出す社会システムの創出は不可能なのか?問題意識は過大に膨らみますが、答えは用意されていません。このまま次世代にお任せで良いのか?答えのない問いは年を越すことになりそうです。皆様、良いお年をお迎えください。
11月の学長ブログ
「年を取ると知らないことが増える」と思います。たとえば、テレビに登場する俳優や歌手、タレントの顔や名前ですが、以前はほとんど知っていたのに、今ではほとんど分かりません。NHK紅白歌合戦に至っては、知らない歌手オンパレードです。流行り言葉もしかり。そもそも何が流行っているかも知りません。「アッザース」が「ありがとうございます」の短縮語であると知ったのは、ずっと後のことでした。
辞書に載らない言葉も多く出回っており、なかなか確かめることができません。その中の一つに断捨離があります。広辞苑にも出てこないし、和英、英和辞典でも見つかりません。それなのに、私の周りには断捨離という言葉が普通に聞かれます。不思議に思って調べてみると、この言葉は1954年生まれのやましたひでこさんが生み出した新語だそうです。語源はヨガの「断行」「捨行」「離行」から発しているそうです。英語ではdecluttering(デクラッタリング)が該当するようですが、Web上の辞書でしか確かめることができません。
断捨離には、不要な物を捨てるだけでなく、不要なこと、つまり人間か関与する関係性を捨てることが含まれるようです。そのようにして身辺を整理するとより良い人生が送れる、というお勧めでしょうか。私は、断捨離は良いことだと思いつつ、なかなか実行できません。特に、書物に関して断捨離は勇気がいります。自分の知識を育ててくれた書物を捨てることは、なかなかできません。何年も手に取らなかった書物が、何かのきっかけで必要になることもあるからです。
知らない言葉は増える一方です。旅行先で多くの外国人観光客を目撃して「あー、インバウンドがすごいな」と言いつつ、インバウンドという言葉を全く知らない自分に気づきます。ニュースでよく耳にするのでついつい口移しで覚えただけです。最近のインボイスも分かりません。アメリカ留学時代に、請求書がインボイス(invoice)と表示されていましたが、それが日本でも使われるとは思いませんでした。こうして、時間と共に知らないことが増えてくる感覚、これが社会の進歩、世の中の移り変わり、ということなのかな、と思う今日この頃です。晩秋の寒風の中でのしばし黙考でした。
10月の学長ブログ
物思う秋の到来です。せっかく良い季節を迎えたので、少しじっくりと構えて、物事を深く考えてみたいのです。そう言えば、藤井聡太という稀有の棋士が登場し、まさに深く考える姿を全国に見せてくれました。将棋の盤面を睨んで長考する姿、カッコいいです。最近、めったに見ないその姿が眩しい。
一方、我が方は、当面のスケジュールをこなしてゆくことに専念しています。どちらかというと、スケジュールありきの日常が自分を支配しているようです。皆さんはいかがでしょう?スケジュールに追われてテキパキと課題に対応している自分を感じませんか?そう、「現代人はスケジュール管理のもとに生きている」と思うのです。
悲しいかな、高齢者はそのスケジュール表に沢山の病院通いが含まれていますが、これはこれで仕方のないことです。そして、そのスケジュールの中に運動や旅行が入っている場合、それなりの喜びと満足感が加わります。もりや市民大学の過去の授業によると、「運動だけに専念している人より、運動とボランティア活動の両方を行っている人の方が、健康寿命が長い」という“学説?”を何度か耳にしました。スケジュール表にそうしたバランスを持っている方、お喜びください。健康寿命が長いそうです。
物思う秋、こんなことを取り留めもなく考える自分に長考の機会は訪れるでしょうか?私のスケジュール表を見ると、今月と来月の予定がかなりびっしりと埋まっていて、先々は来年4月の日程まで書き込みが始まっています。手帳からスマートフォンへとスケジュール表管理を変更してから何年もたちました。慣れてしまえば後者を便利に使っています。社会のデジタル化の波に押し流されながら、自分のスケジュール管理に専念する、こういった日常に、「物思う秋」という哲学が入り込む余地があるか?自問と疑問に終わるブログでした。
9月の学長ブログ
クルージング、やや心をくすぐる言葉です。船や航空機であちらこちらを巡ることを言うそうです。ふと思い立ち、クルージングに行って参りました。乗客と船員併せて4000人規模の大型客船でした。「大船に乗った気持ち」を実際に味わってみたのです。大船なら、揺れない、沈まない、という安心感を伴って、遠くまで行けるロマンを提供してくれます。
「どうだった?」と聞かれて「うん、良かったよ」と答えるのですが、そこから先の具体的な感想を述べるのが意外と難しいのです。何が良かったかを説明するのが難しい。スピードを楽しんだ訳ではない、大きい船だから良かったと説明するのも野暮、豪華だから良かったと言えば、豪華ホテルを褒めるのと同じ、台風でも揺れなかった、と説明するのは感情が伝わらない、という次第で、どう説明すればよいか戸惑っています。
日常から離れて旅をすることは、誰しも経験するでしょう。旅を嫌う人は少ないと思います。それでも、年齢が高くなると旅はおっくうであり、家で過ごすのが一番だ、と消極的になる傾向があるのは仕方のないことです。「さあ、旅に出よう」と呼びかけるか、「静かな毎日を家で過ごそう」と心に決めるか、人々はそれぞれの考えで日々を過ごしています。
今回、私は旅に出ました。クルージングでした。少しリフレッシュできました。帰宅しても以前と全く変わりない日常に戻りました。さて、あれはなんだったろう?旅は何をもたらしただろう?と自問しますが、答えは朦朧とするばかりです。強いて言えば、繰り返す日常に少しだけ変化を入れてみたら、心と体がリフレッシュしたな、と思います。そう言えば、昨年のいきいきシニアコースで「実践小旅行」講座がありました。講師は国内旅行業務取扱管理者の肩書を持つ飯嶋章氏でした。小旅行が脳トレ効果をもたらすことを解説してくれました。今回、私の脳はトレーニング効果を得たでしょうか?そんな恵みを頂けたらありがたいことです。
8月の学長ブログ
猛暑と頻発するゲリラ豪雨、お見舞い申し上げます。ところで、今年は暑中見舞いのハガキなどがほとんど来ません。そう言えば、冠婚葬祭の招待状が来なくなって久しいです。コロナ感染と共に、この種の生活上の慣例のようなものがかなり変化したと思います。ただ、古来の祭りや花火大会などは復活の兆しが濃厚です。何とかしてコロナ以前の勢いを取り戻したいと願う心は誰も同じなのでしょう。
色々な集まりについてはどうでしょうか?地域での集まり、全国各地からの集まり、更には国際的な集まりについて、以前とは違う変化が見られます。特に、オンライン会議、Zoom会議が増えたことは実感します。もともとは会って話し合っていた顔ぶれが、Zoomで十分機能する場合が増えました。それにより、会議欠席者が減ったかもしれません。「出席者100人の会議でした、ただし、会場には25人、残りはオンライン参加でした」などという報告を聞くと、「これで良かったのかなー?」と、複雑な思いです。
飲み会は別です。コロナ拡大時期に、「Zoom飲み会をやろう」という呼びかけが何度かありました。各自が缶ビールなどを手にもってパソコンを開き、画面を見て自由におしゃべりしながらビールを飲むのです。実際にやってみると、どうも盛り上がりに欠けたようです。早々に画面から消える人、最初から名前だけを出して顔を出さない人など、今一つ盛り上がりに欠けました。一方、そろそろ良いかな、と開催する旧来方式の飲み会は、どれも大盛況です。これまでのうっ憤を晴らすかのように、ガンガン飲んでしゃべります。
そんなこんなで、徐々に過去形になってきた新型コロナ感染、まだ油断はできません。思わぬ知人から「実は私コロナに感染しました。後遺症がしんどいです。」という知らせを受けました。テレビで感染症の専門医師が色々な情報を提供する場面もほとんど見なくなりました。マスクも「個人の判断で決めて下さい」と言われます。こうして過去形になっていくとき、あれは何だったのだろう?と自問自答しつつ前進します。もりや市民大学も、人数制限を無くして、従来通りの教室運営になりました。オンライン受講は、その幅を広げたという意味で、私たちは歓迎しています。
7月の学長ブログ
夏休み、昔はこの言葉にワクワクしました。いま、夏休みと言われてもピンときません。夏休みとお盆休みが交通渋滞のピークになること、そちらへの関心のみ沸き起こります。季節の交通渋滞に巻き込まれないように気をつけて移動することに専念します。
夏休み、宿題と自由研究の季節です。ChatGPTなる生成AIが跋扈しています。若者の間では、今年の夏休み、このChatGPTが陰に陽に活躍することでしょう。かつて当然と思っていた「自分の頭で考えろ」という説得力ある助言、これもどうなることか。何しろ賢い助言者が誰の手の中にも存在しているのですから。
夏休み、さて、高齢者や後期高齢者にとって夏休みとは何でしょうか?まずは暑さに耐える季節、体調を維持することに注意する季節、孫が訪れることについて覚悟しておく季節、ちょっとは外出、旅行も楽しみたい季節です。国内外で報道される異常高温に驚かされることもあります。地球温暖化と関係があるのかないのか、あいさつ代わりの話題にすることも多くなります。
夏休み、学長ブログもテーマを見つけ出すことができず、発信力が低下します。そうか、夏休みだから学長ブログも休みで良いかな、と言い訳します。猛暑日には「無用の外出を控えよ」「激しい運動をするな」と忠告されるのですから、積極的な情報発信のモチベーションが不足がちです。さあ、こんな夏休みの到来、皆さんはどのような計画をお持ちでしょうか?「夏休みに計画を持つ」というマインドこそが大切です。今からでも遅くありません、「あなたの夏休みの計画は?」と聞かれたときの答えを用意しましょう。私?ですか。私は・・・、これから考えます。
6月の学長ブログ
2023年度もりや市民大学「守谷を知る」コースにて、久しぶりに講師を勤めました。パワーポイントを準備し、配布資料を編集して臨みました。お題は「守谷の土と水―その恩恵を考えるー」でした。お陰様で、教室は定員いっぱい、満席状態でした。オンライン出席の方も2名おられ、川崎運営委員の司会にてハイブリッド方式の講義が始まりました。
聴衆を前にしてお話をする際、いつも心掛けているのは、自分が面白いと思わない話は聞いている人も面白くない、ということです。では、自分が面白いと思う話とは何か、と言えば、自らの手、足、頭、目などを動員して獲得した知見や情報を整理し、筋道を立て、何が言いたいかをはっきり示すことです。自分が抱いた疑問をどのように解きほぐして行ったか、そのプロセスもお伝えしたい中身になります。守谷市に貝塚がある、と聞いて実際に現地へ行き、貝塚を発見するに至ったプロセスは、自分でも「面白いな」と思いました。
問題は、自分が面白いと思う事項を聴衆も面白いと思うか、という疑問です。これはyes/no どちらもあること、当然です。私が疑問に思い、知りたいと思うことは、他者もまたそのように思うだろう、という信念を貫くと、NHK朝ドラの主人公、植物学者の牧野富太郎になれます。この植物の名前を知りたい、と心から願い、また、日本中いや世界中の人々もその花の名前を知りたいと願っているに相違なし、と信じて疑わないので、初めは疑心暗鬼だった周囲の人々も、やがて牧野富太郎に引き寄せられ、共感すら得ていきます。
こんな朝ドラを見せてもらうと、一人の人間が「知りたい」と思う純粋な疑問を解き明かす作業というのは、人の心に触れるほどに深い魅力を持つのだろうと思わずにはいられません。さて、私の「守谷の土と水を知りたい」の願い、皆様に通じたでしょうか?講義後にはアンケート調査が用意されています。そこにどんなご意見が記載されているか、楽しみです。なお、一般に、教室の後方に着席する受講生は、その講師に対して厳しい評価を下すことが統計学的に証明されています。後方座席の皆様からのアンケート結果が出たら、再び学長ブログにご紹介しましょうか?
5月の学長ブログ
最近、集まって飲み会やろう、食事会やろう、という声が増えていると思いませんか?私の周りでは確実に増えています。3年、いや、4年ぶりの集まりもあるようです。日程が重ならない限り、まず参加することになります。飲み会、食事会だけでなく、前向きな姿勢が社会全体に広がると、なにやら明るい希望が芽生えてきます。テレビや新聞のニュースで深刻な事件、世界の不安、地球環境の危機などを見ると、そんな能天気で良いのか?と疑問が湧きますが、何はともあれ元気であることが大切かと。
そんな雰囲気の中で始まる2023年度もりや市民大学、開講日(6月10日)が近づきました。新型コロナ感染も第5類になり、ようやく日常生活を取り戻しつつある中での開講、どれだけの市民が参加してくれるか、期待と不安の中で募集締め切りとなりました。集計結果を見ると、「守谷を知るコース」定員35名のところ、約50名の応募を頂きました。「いきいきシニアコース」の応募もおよそ30人、「まちづくり協議会コース」の応募も約23組(グループで申込可能でした)、何れも予想を上回り、定員超過分を公平な抽選などで選ばなければならない状況が生まれています。
世の中全体もコロナ後に向かって急速に活動を再開する中、皆さんが積極的に動き出すのは当然なのでしょう。市民大学運営委員会では、このような状況を歓迎しております。コロナ禍の中で、教室授業だけでなくオンライン授業が可能となったことは収穫でした。Zoomが使えるので受講可能となった方も増えただろうと思います。今回、定員超過で抽選の結果ご希望に添えないことが生じることにつき、申し訳ない気持ちで一杯です。希望者全員の入学を許可したい気持ちは山々ですが、教室の物理的限界などのためご容赦願います。
教室では、講師と受講生間の交流だけでなく、受講生同士の交流ももっと盛んになることが期待されます。「袖すり合うも他生の縁」とはうまいことを言うものです。教室で大いに「袖すり合い」を試してください。実は、もと受講生だった方が希望して運営委員に加わって下さった例が多数あります。受講生の先輩にあたる運営委員との「袖すり合い」もよろしくお願いします。
4月の学長ブログ
黄砂の話題が急浮上しています。空が霞む、車の屋根に粉状の汚れがつく、アレルギー症状が出る、といった迷惑体験が報じられています。私自身も花粉症と同じような健康被害を自覚しているところです。
この件について、私も参加した研究チームから12年前に発表した「黄砂・越境大気汚染物質の地球規模循環の解明とその影響対策」という報告書(日本学術会議風送大気物質問題分科会)では、黄砂のデメリットとメリットを並列して記載することにしました。黄砂はニュースで報じられるよりもっと悪いデメリットと、実は地球環境に良い影響を与えるメリットとが、併存している事実を科学的に報告したものです。まず、デメリットですが、冒頭に記載したような生活密着型のデメリット以外にも、黄砂に付着した病原菌として家畜の口蹄疫、豚コレラ、麦サビ病、などが疑われています。さらに、精密機器への障害、目詰まり、遮光害、などもあります。
ところが、黄砂には意外なメリットがあるのです。まず、魚類の餌となる植物プランクトンを増殖させる効果をもたらす栄養塩(カリウムやカルシウムや鉄などの微量要素)を自然生態系にもたらしていると考えられています。さらには、中国の黄砂は、実はアルカリ性なので、酸性物質を中和する働きがあります。一昔前に公害で騒がれた酸性雨も、黄砂によって中和作用が働いていたのです。もっと驚くべきメリット、それは、あの原発事故でばらまかれた放射能物質を吸着して作物を放射能汚染から守る力がある、ということです。この研究は、日本の最新研究で解明された新発見です。詳しい理論をこの学長ブログに記載することは、無理があると思います。
しかし、これだけは言いたいです。我々が暮らしている守谷市を含め関東地方全体を覆っている火山灰土壌(黒ボクと呼ばれる)は放射性セシウムを吸着する力が弱く、したがって、セシウムは自由に動き回って大気や地下水や土壌を汚染するはずでした。ところが、長い年月、黄砂が降り注いでいたので、黄砂に多く含まれる雲母系鉱物が土に混入し、この雲母系物質が放射性セシウムをガッチリ掴んで離さない、したがって、セシウムは環境中に拡散しないし、植物や生態系にも移行しない、ということが分かってきたのです。黄砂は我々を助けてくれてもいる、という科学的事実。まだ、専門研究者の間でしか知られていない事実ですが、「黄砂」を敵視するだけでは、科学的判断を誤る、とだけ申し上げておきたかった次第です。