学長ブログ
7月の学長ブログ
7月10日夜、「もりや市民大学オープンコース、若者の力を取り入れよう!」という教室の第2回目がひらかれました。この日、参議院選当日とぶつかり、昼間の気温が30℃を大きく超えた暑い日となったので、オープンコースへの参加者が少ないのではないか、と危惧しました。が、ふたを開けてみると、いつの間にか教室一杯の市民が集まり、筑波大学T-actという活動紹介の話を聞きました。
講師は筑波大学助教の黒田先生が連れてきた現役筑波大学生(3年生と1年生、5人)。1つのグループは、昨年立ち上げた「盆LIVE」企画の実績と今年の計画を、他のグループは、「世界一大きな授業2016」という地域連携の取り組みを、それぞれ紹介してくれました。現役学生さんを講師とし、神妙な顔でその講義を聴くシニア世代。そこには、確かに教える側と教わる側の、整然とした「市民大学」教室がありました。
さて、「盆LIVE」の面白さ(盆踊りとミュージシャンライヴとの融合)についても報告したいのですが、ここは省略し、後半の「世界一大きな授業2016」について、新たに知ったことをご紹介します。実は、世界で文字を読めない成人の人口は7億7600万人と推計されているそうです。世界人口は、現在73億人を超えています。私が生まれた時の世界人口は約25億人でしたから、その3倍弱に膨れ上がっています。この世界人口の中で、飢餓に瀕している人口は7億9000万人、安全な飲料水を利用できない人口は8億8400万人、世界の貧困層人口もおよそ8億人、と公表されていますから、文字を読めない成人の数ともほぼ一致します。飢餓、水不足、貧困、文字が読めない、の何れも約8億人だ、という数値データは、それぞれ独立した情報として収集されたはずですから、意図的な一致ではありません。もちろん、8億人が同一人間に重なっているとは言えず、それぞれ別の地域、別の国で起きている問題ですが、総量は、それぞれがほぼ同じ8億人になるのです。
平和と豊かさを併せもつ持続可能な社会を実現するには、地球人口の8億人に手を差し伸べる必要がある、ということです。どうやら、まず自国の利益を最優先して既得権を保持する、といった例の大統領候補者の主張とは逆のことを考えなければ、この問題は解決しません。日本はどうするか、若ものは、すでにこういう視野をもって活動を開始しています。「盆LIVE」では外国人留学生が参加しやすいように配慮するそうですし、「世界一大きな授業」は筑波大学周辺の小中学校で開講予定だそうです。参院選当日の夜、もりや市民大学のオープンコースで、こうしたことを学びました。
6月の学長ブログ
「サタデー・ナイト・フィーバー」を記憶しておられる方はどれだけいるだろう?1977年、若者がディスコ文化を爆発させていた時代、アメリカ映画で主演のジョン・トラボルタが一躍有名になりました。当時30歳だった私は、研究論文の虫になっていて、娯楽映画からは遥かに遠ざかっておりましたが、それでも「サタデー・ナイト・フィーバー」という言葉は根深く記憶しています。「あれから40年!、今では※◎★♪」というのはお笑いのセリフですが、そうなんです、もう40年近くが経過したのです。
ところが、この守谷に「サーズデイ・ナイト・イン・モリヤ」が登場しました。さすがに「フィーバー」は言い過ぎなので、抑えましたが、もりや市民大学がイオンタウン守谷2階コミュニティーホールで開講したオープンコースのことです。昨夜6月9日が第1回目でした。夜7時、ホールに近づくとちょこんと受付があり、中に入ると20名ほどの先客。さて、どんな講義になるのかな、と思いながら聞いていました。講師の西辻さんは守谷で「自然素材西辻弥」という企業を起こした40代の人です。若々しくて、溌剌とした話しぶりに、だんだんと身が入ってきます。その間に、次々と入場者が増え、ホールはほぼ一杯になるほどの盛況ぶり。
西辻さんが「challenge」と「balance」をキーワードとして頑張ってきたこと、守谷を健康で健全な街にしたいと願っていること、農業生産者と生活者と地域をつなぐために役立ちたいと思っていること、などが熱く語られました。話が終わって拍手が送られたのち、活発な議論が展開され、ホール全体が「食べること」への関心をより強めることになりました。
大きな拍手で終えた今期第1回のオープンコース、いやー、これなら「フィーバー」と名付けても良かったかな、と思うほどでした。司会の福田さん(市民大学運営委員)のリードの上手さも光っていました。西辻さん、福田さん、そして担当運営委員やサポーター、夜遅くまで1人の退席者も出なかったのは、あなた方のお力によるものです。快く会場を提供下さっているイオンタウンさんにも感謝です。次回以降のオープンコースにも期待しましょう。
5月の学長ブログ
論語にいう「之を如何せんと曰わざる者には、吾之を如何ともするなきのみ。」という言葉が気に入っています。私の理解では、「どうしよう?とあれこれ悩む人には教えてあげられるが、そうでない人には何も教えられない」といった意味かと考えています。
要するに、なかなかうまく行かないことがあっても、「どうしたら上手くなれるだろう」「どうすればより良くなれるだろう」と悩む人でないと、導き教えても無駄だ、といったことでしょう。自分で思い当たるのは、50歳で始めた軟式野球、65歳で始めたゴルフ、独学でやっているピアノのことです。どれも、年齢や体力や能力のせいにすれば、うまく行かないことは当然、と割り切ることができます。しかし、練習と工夫によって上達できるのであれば、その分、楽しみが増します。そこで、論語の言うように、「如何せん、如何せん」と悩む日々を積み重ねてきました。
問題は、あれこれ悩み、教えを乞うても、なかなか上達せず、上手くもならないことです。「論語の教えを守っているのに、効果が出ない!」と、孔子さんに文句を言い始めます。 さて、どうでしょうか?孔子の教えは的確なのでしょうか?たとえば、野球です。少年野球を全く経験しなかった私が、50を超えていきなり軟式野球チームに入り、グローブも初めて買いました。それほどの無知から始めて、今では還暦野球の公式戦に出場できるようになったのですから、多少はできるようになりました。が、チャンスに打てません。ゴルフも若い時の経験が皆無で、65歳にして突如クラブを購入しゴルフ教室に通いました。やっとドライバーを打てるようになりましたが、アプローチがいけません。ダフリとトップのオンパレードです。ピアノは、現在ドビュッシーの「月の光」を練習中。ショパンの幻想即興曲は、ゆっくりなら何とか弾けるようになってきました。
論語の教えは奥が深いです。今では「悩むべきか、悩まざるべきか、それが問題だ」となってきました。もう諦めようかな、とも思います。この迷い、今度はシェイクスピア的になってきました。支離滅裂です。
4月の学長ブログ
守谷の散歩は、なかなか楽しいと思います。“幸福の路”ももちろんですが、住宅地を歩くのも快適です。週刊雑誌、日経ビジネスの1月25日号によると、活力ある都市ランキング(全国)の第8位に守谷市がありました。その理由をみると、「空き家が少ない」こと、「治安がよい」こと、「新しい住宅が多い」ことが記載されていました。特に、空き家の少なさは、何と全国1位だそうです。
そのせいでしょうか、どこを散歩していても、家がきれいだな、とか、庭やアプローチがしゃれているな、などと、つい見とれながらの散歩になります。確かに、廃屋を見ることは滅多にありません。「ふーん、全国1位の住宅街か」などと勝手に解釈しながらの散歩です。この街をもっときれいにできないでしょうか?それも、協働の町づくりという方針の下で、です。
本年、もりや市民大学の6月開講コースでは、専門コースとして「花のまちづくり園芸講座」を設置しました。ここでは、日本における園芸文化の歴史にも触れ、そして美しい街並みにもつながる家庭での装飾の工夫や公園での市民協働による花壇づくりの技術を習得する予定です。このコースを修了した受講生が、さらに美しい守谷を作ってくださるに違いありません。誠に楽しみです。
そのうち、日経ビジネスには「最も散歩したくなる街ランキング」という項目を作ってもらいましょう。もちろん、初代1位は、守谷市になるのです。
3月の学長ブログ
先月のブログで予告したとおり、3月12日土曜日、東京大学農学部の弥生講堂にて、「食料は足りるのか」というテーマのシンポジウムが開催されました。
「世界の食料問題と日本のポジション」は、名古屋大学の生源寺眞一教授が農業経済学の観点からお話になりました。経済学的なデータ表をたくさん見せてくれましたが、専門的内容に入ると、難しく感じました。「水と気候変動と食料生産」は、東京大学生産技術研究所の沖大幹教授が工学的な予測技術を駆使した最先端知識を展開してくれました。3番目は「人間と食料」というタイトルで私が35分ほど講演しました。聴衆から「分かりやすかった」と言われました。4番目は「魚が獲れなくなることは大問題か?」で、東京大学の黒倉壽教授が問いかけました。海外の専門研究者同士の論争紹介が中心であり、ついていけませんでした。最後の「100億人を扶養するための食料生産:挑戦と課題」は、つくばの国際農林水産研究センターの岩永勝理事長が、ローマクラブ報告「成長の限界」に立返り、包括的・俯瞰的にお話くださいました。
このシンポジウム、弥生講堂305座席が99%埋まりました。赤ちゃん連れのお母さん、高校生、大学生、大学院生、ジャーナリスト、出版社、農業実践者、高校教師、地方大学教員、主婦、退職者、など、多種多様な参加者が集まり、とても熱心に聞いておられました。食べることへの関心の高さは、どこへ行っても変わらないものだと、改めて感心しました。
さて、3月26日は、我がもりや市民大学でも脇雅世さんをお迎えして「天皇の料理番の料理番来る!」と題する公開講座を開きます。ここでも、多種多様な参加者で全席満員となることは間違いありません。どんなお話を聞けるか楽しみですね。いつの世も、衣・食・住は、市民最大の関心事といって良いでしょう。ただし、平和な世の中であればこそ、です。
2月の学長ブログ
暖冬、と言われて始まったこの冬、確かに「気温が高いな」と思う日々もありましたが、1月から2月にかけて、寒い朝や寒い日が結構続きました。12月末には車をスタッドレスタイヤに履き替え、「いつ雪が降っても大丈夫」と準備してきましたが、これまでのところ守谷では雪が降っていません。せっかくスタッドレスに替えたのだから、1度ぐらい雪が降ってくれても良いな、と思う次第です。
それにしても、日本人は天気予報が好きだな、と思います。かつてアメリカで1年間在外研究を行ったとき、毎日のテレビで天気予報を見ていましたが、非常に大雑把な印象を受けました。何しろ東西4時間の時差がある国全体の天気予報ですから、予報対象のサイズがでかい。「低気圧が来て風が吹き、天気が荒れるでしょう」といった予報の対象地域は、私が住んでいたカリフォルニア州を含む、オレゴン州、ネバダ州、アリゾナ州などの広域で示されます。確かにおおまかな予報は理解できますが、果たして自分が出歩く時間帯に、その行先で雨が降るか、晴れるか、風が吹くか、などと言った詳細な予報は得られませんでした。日本では、例えば「茨城県南では雨、水戸では雪になるでしょう」などと言った親切な天気予報は、当然と思って受け止めます。しかし、カリフォルニアでは、日常のテレビ番組での天気予報には、そういったピンポイントレベルの天気予報はありませんでした。
話は変わりますが、海外から見た日本、というものは、恐らく全体としての状況をマクロに感じ取るのだと思います。我々日本人は、常に内部から、細かい違いや変化を敏感に感じ取って生活していますが、全体の状況を感じ取る機会が少ないかもしれません。天気予報のスケール感覚と同じで、自分に直結する詳細を知りたがる割に、全体の動向には案外と鈍感かもしれません。
そういった次第で、日本の天気、ではなくて、経済や政治や社会といった大きな動向についても、ローカルな理解だけにとどまらず、大局的に感じ取ることが必要だろうと思います。そんな思いを抱きながら、実は、3月に東京大学で開催される「食料は足りるのか」というテーマの公開シンポジウム講演を準備中です。私が話す内容は「人間と土壌」です。世界全体から見て、人間と土壌はどう関わっていけばよいのか、大局的見地からお話しできればいいな、と思案している今日この頃です。
1月の学長ブログ
明けましておめでとうございます。今年は、年明け早々世界のニュースが飛び込んできて、「日本の正月」を味わう気分が吹っ飛んでしまったかのようです。やれ「サウジアラビア(スンニ派)とイラン(シーア派)が国交断絶」(1月4日)、やれ「日経平均株価も中国株価も世界株価も連続値下がり」(1月4日から)、やれ「北朝鮮が“水爆”実験」(1月6日)、やれ「トルコで自爆テロか」(1月12日)など、お正月のしめ縄飾りをおろす間もなくザワザワしたニュースが飛び込んできました。
そうこうしているうちに成人式がありました。今年6月19日からは18歳投票権が適用されることもあってか、20歳の新人たちが意外と思慮深い発言をするな、と思いました。自分たちより年下の世代が投票権を持つということで、20歳もうかうかしていられない、と思ったのかもしれません。
さて、そんなお正月でしたが、皆さんはどのように過ごされたでしょうか?私ですか?いや、恥ずかしくてあまり公開したくないのですが・・・。はい、正直に申しますと、孫との時間を長く持ちました。「ご多分に洩れず」というところです。20kg 近い孫は瞬間的にしか抱っこできません。約15kgの孫は、しばらく抱っこしますが、どさくさまぎれに降ろすか誰かの手に横流ししてしまいます。約10kgの孫は、これなら大丈夫だろうと比較的長く抱っこしますが、その夜は肩が痛くて目が覚めます。というのは、私こと、両肩の腱板を損傷(断裂)しているからです。その原因については、いずれまたご報告します。
大上段に振りかぶったお正月ブログですが、やや情けないニュースに萎みました。こうしてマイニュースを重ねていくわけですが、世界で深刻化する国際間紛争の犠牲者である難民にも、震災や災害からの復興途上にある方々も、それぞれのマイニュースをお持ちです。彼らのマイニュースと私たち守谷市民のマイニュースが余りにもかけ離れていることに愕然とします。この地球上に同時代を生きている人類、もう少し仲良くできませんかね?今年の私の夢は、この辺にあります(現実はもっと厳しい、というお叱りは甘んじて受けます)。
12月の学長ブログ
守谷の「鳥のみち」を散策しました。もりや市民大学「友の会」の主催で、南守谷駅を起点とし、愛宕中学校の裏手にある「守谷野鳥の森散策道」と、それに続いて守谷小学校の裏手にある「鳥のみち」を散策してみよう、ということになった次第です。確かに、湿原があり、よく整備された木道(愛宕中学校の生徒さんたちが貢献してくれたとか)、そして各種の鳥たちがさえずる自然道が続いていました。歩くのも快適なところが多かったです。そこで、歩きながら、「湿原」について考えてみました。
そもそも、尾瀬や釧路の湿原地帯は、なぜあのように広く美しい景観を維持しているのでしょうか?それは、水に秘密があります。湿原が美しい景観を保つには、そこにある水が「貧栄養」でなければなりません。「貧」が「美」を作るのです。究極の「貧」は、雨水だけが流入し、他の一切の水の流入を阻止した場合に実現します。こうした条件下では、その栄養状態で生育できる限られた植物のみが繁殖するので、整然とした心休まる景観が出現します。その究極の姿がミズゴケ湿原です。ワタスゲやホロムイスゲもちらほら見えたりしますが、それ以上の雑木は水が「貧栄養」であるが故に生育しません。
これの反対語が「富栄養」です。富栄養水というのは、植物の落葉や枝、小動物の死骸など有機物、農地から流出する肥料や農薬成分、生活雑排水に混入している様々な化学物質など、水の中にたくさんの養分が含まれている水のことです。また、土砂の流入も栄養を一緒に持ち込むことになるので、「富栄養」に一役買います。こうした水が流入すると、様々な植物が繁茂し、人間の手入れが無ければ雑然とした雑木林になってしまいます。「富」が景観を台無しにするのです。
さて、わが「鳥のみち」は、湿原を貫く快適な木道とセットになって、美しい湿原景観に近づこうとしているのですが、水を観察してみると、周辺の土地から「富栄養水」がたくさん流入しているように見えました。これでは、美しい湿原風景に移行するのは難しいかもしれません。生活雑排水はもちろんですが、地表面を流れる自然の水もできるだけカットし、湿地帯には雨以外の水を入れないようにすれば、もっと景観が改善するのではないか、と思います。水は「富」より「貧」を好む。では、人間もそうか?などと無駄な思案をしながらの、楽しい2時間歩きでした。
11月の学長ブログ
「守谷市には6つの地区があります」と話し始めたのは、守谷市社会福祉協議会代表の女性です。「今から、各地区の地域福祉活動計画の具体的な取り組みを、写真などを使って説明します」と続きました。さて、どんなお話だろうか?と聞き耳をたてました。まず、「守谷地区」「高野地区」「大野地区」「大井沢地区」「北守谷地区」「みずきの地区」という6地区それぞれで、独自に展開している活動が、確かに具体的に紹介され、とても新鮮でした。中でも、鬼怒川氾濫で災害を受けた常総市に対する支援活動にいち早く取り組んだ「みずきの地区」の活動経過には感銘を受けました。
「みずきの地区」では、災害発生後数日を待たずに、毎日8名ずつのボランティア支援隊を組織して交代で現地派遣を行い、被災者支援に多大な貢献をなしたことを、この講義で初めて知りました。「みずきの地区」における日常的な地域福祉活動が良く組織化され、住民同士の相互信頼や連絡体制が整っていたからこそ、近隣市町村の突然の被災支援についても迅速な対応が取れたことを知り、日常活動レベルの高さと住民意識の深さを感じ取りました。
このお話を聞いたのは、11月7日、市民活動支援センター1階ホールで開催された、もりや市民大学平成27年度後期コースの開講式でのことです。第1回市政講座として、「地域福祉の現状は~地域福祉計画を踏まえて~」と「守谷市地域福祉活動計画~もりやのしあわせみんなで築こう~」という2テーマでの講義があり、その後半で聞くことができました。
「地域福祉計画」や「地域福祉活動計画」といった、漢字だらけで、ある種使いすぎの行政用語は、市民にとって鮮度の低い、言葉は悪いですが聞き飽きた文言になっているのではないかと思います。しかし、地域ごとのきめの細かい具体的な活動内容を伺うと、通り一遍の画一的な活動とは異なる、個性的で生き生きした具体的活動が浮かび上がってきます。こういう地域情報が、周辺地域にもうまく発信され、情報共有しつつ独自性を発揮できれば、もりや全体が多様性に富んだ発展を遂げられるのではないか、そんな思いがしました。
10月の学長ブログ
いきなり私事で恐縮です。私が4年前まで勤めていた東京大学農学部の正門入り口すぐの左側に、「朱舜水先生終焉之地」という石碑が立っています。現役時代、この先生は何の専門家だったのだろうか?と不思議に思いながら、疑問のままに定年退職してしまいました。
ところで、最近読んだ歴史小説に、その朱舜水先生が出てきてびっくりしました。この先生は、中国の明朝が滅亡した時に日本に亡命し、徳川家の水戸光圀に相談役として重用され、大きな影響を与えた人でした。続いて、あと2件びっくりしました。まず1件目は、当時の江戸における水戸屋敷の敷地と現在の東大農学部の敷地とは、ほとんど同一なのです。私は農学部7号館A棟というビルの5階教授室におりましたが、もしかすると、水戸光圀さんがお殿様として仕事(たとえば、大日本史の編纂事業)していた時の執務室と私の研究室とは、同じ場所だったのかも知れません。
もう1件は、あの「後楽園」の名付け親が朱舜水先生だと知ったことです。つい先日も、私はプロ野球の巨人・広島戦を観戦してきたばかりなのですが、その時はこれを知りませんでした。東京ドームに隣接する「後楽園」という名は、「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という意味で名づけたそうです。立派な価値観です。もっとも、楽しみを先行させるのは庶民の特権であり、お殿様はあとで楽しみなさい、という教えなので、ほっとしていますが・・・。
何はともあれ、身近な事項でありながら長年知らなかったことを、ある偶然で知ることになる、そんな喜びは無限にありそうです。協働の町づくりを目指すもりや市民大学でも、守谷の「知らなかった」をたくさん掘り起し、その知識をエネルギーにして新しい町づくりに生かそうとしています。「守谷を知る」というコース名は、そんなところから命名されました。
9月の学長ブログ
9月10日、鬼怒川上流で大雨が降り、常総市で堤防が決壊しました。常総市25km^2の住宅地と農地が浸水被害を受け、今日の時点で15人の行方不明者が出ています。もりや市民大学では、市内の町内会、自治会、自主防災組織の団体向けに募集した特別企画講座「地域固有の防災マップを作ろう」を、9月1日に開講したところですが、幸か不幸か、今回の企画講座は、今現在発生した洪水災害のような事態に対処するために、是非とも必要とされるプログラムとなった次第です。
それはそうと、災害の恐怖を思い、また、自分の命を守る避難行動のとり方を身に着けておくことの重要性が、今回も大きな教訓として残されることになります。「今まで生きてきて、こんな体験は初めてです」と語る高齢者が多いのも気になります。どうやら、50年に1度とか100年に1度ぐらいしか発生しない災害、だけでなく、場合によっては1000年に1度の災害への覚悟も求められるかもしれません。東日本大震災は、そういう規模でした。
「災害は忘れたころにやってくる」「転ばぬ先の杖」など、防災ことわざは、必ずしも多くありません。むしろ「とにかく逃げろ」とか、「家に戻ろうとするな」などの体験談が多く耳に残ります。防災行動は、なかなかパターン化しにくい事項なのでしょう。何があるかわからない、といった印象が正しいかもしれません。
守谷市は、下総上位面という海岸段丘上に位置し、標高20m~30mで、周辺地形と比べて5mほど高くなっています。良く「守谷の斜面林」が自慢の種になりますが、これは利根川対岸の野田市、柏市あたりより標高が高いため、同じ利根川河川敷から住宅地までの標高差が平均的に長くなり、斜面林の厚さが勝ることになるからです。守谷市は、地盤が比較的固く、標高も比較的高いことによって、地震や洪水などの災害に対して多少の安心感を持って住める場所です。ただし、守谷市内で、もとが水田のような低地部分を宅地化したところでは、標高が高いとは言えないところがあります。災害は、必ず起こる、という想定のもとで防災意識を高めることが必要と、つくづく思わされる鬼怒川氾濫です。
8月の学長ブログ
8月6日、9日、15日は、日本人にとって忘れてはならない日々です。過去の歴史をどう記憶し、今現在の自分の感覚にどう取り込むか、世代ごとにそれは異なるのでしょう。私の場合、1947年生まれなので、1945年の出来事を自分の体験として記憶することは、当然ながらできません。本で読んだり、資料館を訪ねたり、映像を見たり、人の話を聞いたり、といった積み重ねで記憶を形成しています。
いま、冲方丁著「光圀伝」(角川文庫)を読んでいますが、テレビで放映していた水戸黄門様とはえらい違いでびっくり仰天しています。また、マリーモニク・ロバン著「モンサント」(作品社)という分厚い本も読んでいますが、PCBやダイオキシンやベトナム枯葉剤など、過去の断片的な記憶がこのような巨大企業の歴史の中でつながっていたと知ることも驚きの連続です。ジョナサン・ハー著「シビル・アクションーある水道汚染訴訟―」(新潮文庫 上・下)は全米批評家賞最優秀ノンフィクション賞受賞作ですが、これとそっくりの地下水汚染問題が、今、宇都宮市でも起きていることを環境新聞の記事で読み、未解決の環境問題がまだまだ多いことを知りました。
それにしても、記憶というのは曖昧で不正確なものだと、つくづくそう思います。個人レベルの記憶が曖昧であることは、特に年齢が高くなると避けられなくなりますが、社会の記憶が曖昧であっては困ります。社会の記憶はできる限り正しく残され、後世に伝えられなければなりません。特に、歴史認識は、いま日本と世界が向き合うために、どうしても避けることができない問題になっています。
正しい社会の記憶を残す道は、詳細な記述、記録に頼らざるを得ません。したがって、資料、記録、報告書の類はとても重要ですし、それらを吟味したうえで能力ある作家によって記述されるノンフィクション小説も大切です。暑い夏、冷房の効いた図書館や室内で読書するのも、避暑の一つですね。
7月の学長ブログ
オリンピックの新国立競技場建設費が2520億円に膨らんだことが話題になっています。このニュースを見ると、私は、今経済問題で苦しんでいるギリシャのパルテノン神殿の映像と重なって見えてしまいます。
絶大な権力を集中させると、歴史的な建造物や芸術などを生み出す結果につながるようです。これは、大英博物館を見学したときにも感じたことです。その裏には、物言わぬ多大な民の犠牲や貢献があったことも歴史が教える通りです。問題は、こうしたことをどう思うか、です。私には、パルテノン神殿は素晴らしい、しかし、新国立競技場はバカげていると、単純には感じ取れないのです。
新国立競技場の現行計画は、安藤忠雄氏が審査委員長を務めた審査委員会が最優秀に選んだ英国の建築家ザハ・ハディド氏のデザインが基になっているということです。関係者が多いので、詳しいいきさつは全く分かりませんが、私は、映像化されている設計案を見ると、「斬新ですごいなー」という第一印象を受けます。これだけのものが作れたらすごいし、見てみたい、と単純に思うのです。パルテノン神殿を見上げて「すごいなー」と思う感覚と似ています。
さて、金の掛り過ぎる箱モノを作ることについて、多くの国民、住民は善意の反対論を主張するのが常です。私も概ね同意します。しかし、時間と金に余裕があるとき、「ひとつ海外旅行でもして良いものを見て来よう」と思い立ち、行くところは、ローマ遺跡であったり、大英博物館であったり、とにかく世界遺産レベルの著名な歴史的建造物が多く候補に挙がることを否定しません。この矛盾。「巨大な歴史的箱モノは見たいが、今日そのようなものを建造することは愚の骨頂である」という理性に内在する矛盾について、私は戸惑います。
実は、新国立競技場のデザイン案、私は嫌いになれないのです。何とかデザインを活かしつつ建築コストを引き下げる、技術的解決法は無いのでしょうか?
6月の学長ブログ
最近、高音が聞き取りにくくなった、と感じます。加齢による聴力の低下は、誰も避けて通れぬ道だそうです。猫も同じです。猫も、加齢により高音が聞こえないのでしょうか?
我が家には、「猫の額」ほどの芝生の庭がありまして、そこに、時々野良猫が入り込みます。通過するだけなら良いのですが、非常にありがたくない「置き土産」を夜中に置いていきます。そこで、インターネットで色々探した結果、超音波ネコ被害軽減器と称する品を見つけ、これを取り寄せて庭に設置しました。確かに、普通の若い猫は近づかなくなったように思います。しかし、近所をうろつく老齢猫が、何とこの超音波ネコ被害軽減器の目の前に「置き土産」を置いていきました。全く気にかけた様子がありません。私の理解では、猫も高齢化すると高音部の聴力が衰え、超音波などは無きに等しいのではないか、と。
我が家には小さなサクランボの木もありまして、毎年真っ赤な実をつけます。が、鳥が来て全部食べてしまいます。そこで、パソコンプリンターを用いて大きな目玉の絵や猛禽類の羽の絵を描き、木にぶら下げてみました。しばらくの間、鳥は警戒して近づきませんでしたが、ある日、片っ端から食べられてしまいました。鳥は、危険かそうでないかを学習したのでしょう。
という次第で、我が家の猫の額(芝生の庭)には事件がいっぱい起きます。事件解決に色々な技を試しているのですが、完全勝利には届きません。「他人の不幸は蜜の味」とか申しますが、私の難問、市民大学で解決できないでしょうかね(学長ブログならぬ学長ボヤキ)?
5月の学長ブログ
今月は、土壌は女性の地位向上に貢献するか、という話題です。第68回国連総会(2013年)において、2015年を国際土壌年とすることが決議されました。その主文には「土壌は農業開発、生態系の基本的機能および食糧安全保障の基盤であることから、地球上の生命を維持する要です。さらに、土壌には、経済成長、生物多様性、持続可能な農業と食糧の安全保障、貧困撲滅、女性の地位向上、気候変動への対応、水利用の改善など、様々な問題を解決する可能性が秘められています。」(抜粋)と記載されています。
私は、土壌を大切にすることが持続可能な社会を作ることに欠かせないことを十分に理解していますが、土壌を大切にすることがなぜ女性の地位向上に貢献するのか、今一つ分かりませんでした。
実は、今年2月25日に守谷市で開催された「大好きいばらきネットワーカー」の県南ブロック大会で、「守谷の土」という模擬授業を行った際、180人余りの聴衆に向かって、この問題を宿題にして出しました。答えは、学長ブログ上で発表します、と高らかに宣言しました。
ところが、その後、いくら調べても土壌を大切にすることが女性の地位向上に貢献する理由が見つからないのです。そこで、自分で考えることにしました。私の考えはこうです。豊かな土壌が存在する国は、文明が発達します。エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中国文明などは洪水によって運ばれ堆積した肥沃な土壌が支えたものであることは良く知られています。文明は、社会の知識レベルを向上させ、そのことが女性の地位向上において決定的に重要になります。つまり、土壌は文明を支えるから、結果として女性の地位向上につながる、というのが答えではないか、と考えます。ノーベル平和賞を受賞したマララさんが、女性の教育を受ける権利を主張しているのも、類似した考え方です。
しかし、これだけでは漠然としていますね。もう少し具体的に、今日的な意味で土壌と女性の地位向上との関連を、今後も追究してみたいと思います。分かっているようで、よく分からない設問は、長く頭にとどめ、折に触れて考える、ということを繰り返すと良いのではないか、と気長に考えています。
4月の学長ブログ
新年度のスタートです。新学期、新入社員、人事異動、転勤、転居、そして新緑、全てが新しくスタートします。もりや市民大学も新学期のスタート、まずは、4月10日に募集を開始した6月開講コースの募集からです。
「守谷を知る」をテーマとする総合コースは、地域づくりや地域福祉、子育てや守谷の自然環境などを学びます。例年のように、双方向授業によって教室が活性化することでしょう。
「守谷ふるさとづくり」をテーマとする専門コースは、過去だけでなく、現在と未来の守谷を作る方向で開講しますから、最後には受講生が自分の考えを発表する機会を設けます。ここから、具体的な協働の提案が生まれることも期待されます。
「緑と人の健康」をテーマとする専門コースは、緑によって人が癒されることを深く追究します。緑を活かしたまちづくりの真髄に迫ることでしょう。
これらとは別に、オープンコースという自由な短期コースが開講されます。イオンタウン守谷を会場とした若者主体の「Thursday night in MORIYA Part2~僕らの10年後の守谷~」と、広報誌に携わりたい人に向けた「Wordで作る広報誌―初級」、という2コースです。
4月は、心機一転、何かを始めるに相応しい新緑の季節です。ひとつ、あなたも、もりや市民大学に接してみてはいかがですか?人生に新たな収穫が得られるかもしれませんよ。
3月の学長ブログ
今月3月8日は、渋谷駅で鎮座しているハチ没後80年の命日でした。ハチは「忠犬ハチ公」と呼んで親しまれ、海外でもリチャードギア主演の映画「HACHI、約束の犬」などで良く知られています。
そのハチの飼い主は上野英三郎という農学博士です。実は、私の6代ほど前の東大教授でした。正確に言うと、上野博士は明治末期に農業工学担任の初代教授となり近代日本の耕地整理を指導した人です。その後、この分野が発展して農業土木学となり、私もその中の1分野である「環境地水学」という研究室の教授を勤めた次第です。
さて、このハチと上野英三郎博士は、別々の思い出の中に記憶されてきましたが、この3月8日の命日に80数年ぶりの再開を果たしました。ハチが上野博士に飛びつき、全身で喜びを表している姿が、見事なブロンズ像となって東京大学農学部キャンパスに再現したのです。私もこのブロンズ像建立をお世話する会に関与してきましたので、感無量です。除幕式には多数の市民が押し寄せ、多くの報道機関もカメラを構えていましたので、テレビニュースを見た方もおられるでしょう。私は、改めて、ハチが日本人に広く愛されていることを知りました。
愛犬家の皆さん、そして、近代日本の農業の礎を築いた人物を見てみたい方、どうぞ、東京大学弥生キャンパスに足を運んでみてはいかがでしょうか?地下鉄南北線に乗って東大前駅で降り立つと、徒歩1分でハチと上野博士に会うことができます。そして、犬と飼い主との心の交流を感じ取れるような素晴らしいブロンズ像を見ることができます。
2月の学長ブログ
菅原文太さん、と言えば「トラック野郎」ですか?その文太さん、実は「アフガンに命の水を」(2009年、企画:ペシャワール会、制作:日本電波ニュース社)というDVDの語り手になっています。大学の教室でこのDVDを学生に見せると、大きな感動を与えます。それは、中村哲という私と同世代の医師の壮大な取組みのお話です。
中村哲医師は、1984年からパキスタンやアフガニスタンで診療活動を行って多くの命を救ってきましたが、「医療活動だけでは命を救えない。大干ばつに苦しむ砂漠地帯に水路を作って水を引き、食料生産すれば数十万の命が救える」と思い立ち、全長24㎞の水路建設という途方もない計画を立てた人です。その事業は2003年着工、2009年完工となり、実際に作物栽培を行って緑の大地を出現させました。資金は全て日本からの寄付金によりました。この工事には、現地住民が最大700人も自主的に参加しました。
彼らの声を聴いてみましょう。
「現地に来て初めて人の情と絆に触れた」
「汗を流して働くことの嬉しさを知った」
「ドクター・サーブ、村はイード以上のお祭り騒ぎです。私たちも、こんなに誇りに思ったことはありません」(ドクター・サーブは中村医師の愛称、イードは断食明けの祝日)
「これが作れたのは、異教徒である筈の日本人たちの献身的な努力である。最近、『異教徒』を敵呼ばわりするイスラム教徒がいるが、これでも『敵』か」(アフガニスタン治安担当者)
「おお、ドクター・サーブ、万歳!ありがとう!アフガン人として感謝の至りです。これ以上の助けはないでしょう」(13km水路完成後、通水試験実施日)
これらは、著書「医者、用水路を拓く」(中村哲著、石風社 2007年)の中で記述された現地住民の生の声です。住民が希望と誇りを得たことを、これ以上説明する必要はないでしょう。そして、これこそが究極の「協働」ではないか、と思いました。
私は、中村医師とお会いしたことはありませんが、現地の人を思いやり、心を強く持って用水路を拓き、そして今も継続して医療活動と技術提供を両立させているペシャワール会の活動を、共感を持って見守っていきたいと考えています。
1月の学長ブログ
新年あけましておめでとうございます。今月のテーマは「初笑い」です。協働のまちづくり、というテーマを追求しているもりや市民大学では、安倍内閣官房が発行している「ふるさとづくりガイドブック」を入手し、新年第1回目の運営委員会にそのコピーを配布、参照しました。すると、その有識者会議座長である小田切明治大学農学部教授の一文が目に止まりました。
小田切教授によると、まちづくりには3つの「者」が必要だそうです。それは、「よそもの」「わかもの」「ばかもの」です。「よそもの」と言えば新住民のことですから、守谷では事欠きません。「わかもの」でいえば、平成26年12月1日現在の守谷市民平均年齢は41.36歳です。確かに、守谷では35~44歳人口が最大なのです。十分若い、と言えるでしょう。さて、「ばかもの」です。小田切教授によると「心底ふるさとを愛し、地域内で新しい風を起こそうとするアイディアマン(orウーマン?)」のことだそうです。
運営委員会では、守谷に「ばかもの」は居るかなー?という議論に進みました。その時、発言がありました。「夜の6時7時に集まって、遅い時間まで熱い議論を続けているこの市民大学運営委員会こそ、“ばかもの”の集まりじゃないの?」と。そこで、会議は一気に爆笑、反対者ゼロで結論が出てしまいました。
そんな次第で、今年の運営委員会は大笑いで幕を開けました。昔から「笑う門には福きたる」と申します。もりや市民大学にも福を招き入れつつ運営して行きたいと思います。市民の皆様のご参加、ご協力を心から願う次第です。
12月の学長ブログ
年末へ向けて、気になることがあります。それは、これまでに受け取った欠礼ハガキが15枚と、非常に多いことです。実は、私も欠礼ハガキをお送りした者です。皆さん永眠年齢を書いてくださるので、大変不謹慎ではありますが、その平均値を計算してみると、87.8才(最年少は82才、最高年齢は92才)でした。報道で見る日本人の平均寿命より高いようです。
これから高齢化社会がさらに進行します。どなたも異口同音におっしゃるのは、「健康年齢をできるだけ長く、ピンピンコロリで往きたい」ということです。全く同感です。そして、そうあるための創意工夫が、これまた千差万別、いくら聞いても飽きないほど多量の情報が入手できます。しかし、そこは年の功、どなたも自分流を発見し、喜々としてその道を歩んでおられます。
こうした中で、平成26年度の市民大学、特にオープンコースを運営していて気づかされたことがあります。それは、異世代間の交流があまり多くない、ということです。熟年・高齢者の皆さんは、どちらかというと自分の同世代の人と交わることに安心や喜びを見出しておられます。その結果、異世代間の交流というものが、意外と希薄になっていないでしょうか?本年度のオープンコースで異世代間の交流の機会がありましたが、それが新鮮な刺激をもたらしたのです。今のご時世、若い世代も高齢者世代も、それぞれ自力でやりましょう、という暗黙の了解があるとは思いますが、若干の勇気をもって異世代間の交流を企画してみると、意外な発見や収穫があるかもしれません。平成27年度のもりや市民大学コース設計では、そのことも考慮して斬新なプログラムを組んでみたいと考えています。
年末に向かい、まずは離れ離れで生活している異世代家族が久しぶりに集まり、家族間の交流を楽しみましょう。そして、来年は、地域での異世代間交流についても、前向きに考えてみませんか?何か、良い正夢を見そうな期待が湧いてきました。皆様、良いお年をお迎えください。
11月の学長ブログ
11月開講の後期コースが始まりました。今回も総合コースは「守谷を知るコース」としています。ところで、「知る」というのは何でしょう。もの知り、と言えば昔から、いろいろなことを知っている人、主に過去の事実や知識を自分の頭に記憶している人のことを言います。
しかし今日、携帯電話やスマートフォン、インターネットやGPSのお世話にならない日はありません。こういう新しい時代にあっては、「知る」は過去のことだけでなくリアルタイムの現在(例えば、今すぐ乗れる電車の時刻、今走っている車の先の渋滞情報など)に関する知識量や情報量も大切な意味を持つようです。
それでは、過去と現在の情報を得れば「知る」ことができるのでしょうか?どうやらこれだけでも不十分のようです。今日では、今後起こるであろうこと、つまり未来についても情報を持つことが「知る」ことの重要な要素になりました。守谷市の今後の人口予測、財政予測や市民の年齢構成予測、災害の可能性予測、といった未来予測を含めて、初めて守谷を「知る」ことになるのです。その意味で、11月開講の総合コースでも、過去・現在・未来にわたって「知る」を追究することになるでしょう。
私が長年送ってきた研究教育生活においても、「知る」内容がどんどん変化し、海外の先進研究を日本に導入すること(過去の知)、発達した測定機器を駆使してリアルタイムの数値データを取得すること(現在の知)、そして理論やコンピューターを最大の武器として未来予測を行うこと(未来の知)へと急速に発展しています。これからの若い世代の人たちは、こうした教育と環境の中で育っています。若い世代にとっての「知る」は、より一層“未来を知る”ことに傾くことでしょう。ただし、もりや市民大学では、過去・現在・未来の知をバランスよく提供することが大切だと思っています。
10月の学長ブログ
毎月、心が痛くなるような災害が発生しています。が、そういった問題はひとまず措き、今回は、この1ヵ月で得た小さな喜びの話にします。それは、例のNHK朝ドラ「花子とアン」のおかげです。番組の最終回に近いとき、モンゴメリーの作品邦訳タイトルの話題がありました。原作の直訳ではインパクトが弱いので、日本語では「赤毛のアン」というタイトルに換えようということになりました。ドラマの主人公で翻訳者の村岡花子はこの案に反対しましたが、若い人が「それ、いいじゃない」と言うのを聞いて気が変わり、「赤毛のアン」に賛同したところ、この翻訳書は日本中で爆発的な売れ行きとなったそうです。
実は、私も現在小さな本の執筆が終わったところなのですが、肝心のタイトルが面白みに欠けるな、と悩んでいました。その時このテレビドラマを見ていて、ふとアイディアが湧きました。そこで、そのアイディアについて、私が教えている大学の大学院生に「どう思う?」と聞いてみました。そうしたら、彼らが「それは良い、親しみがわく」という意見をくれたのです。そんな次第で、私の著書の新しいタイトルを決めることができました。どんな本か、何というタイトルか、という所は、出版後にご報告します。地味で専門的な薄い(130ページ)本です。
テレビ、ラジオ、新聞、小説、インターネットなどから、ふとしたヒントをもらうことがあります。今回は、視聴率の高いNHK朝ドラからヒントを得て、小さな喜びを得たお話でした。
9月の学長ブログ
今月は、書くことが思いつきません。なぜでしょう?この1ヵ月間、いろいろなことがありました。特に、8月20日広島で発生した「平成26年8月豪雨」は、大規模な災害となりました。私の専門分野である土壌科学から見ると、瀬戸内海沿岸の四国側では「領家花崗岩」が風化したマサ土、広島県側では「広島型花崗岩」が風化したマサ土が分布しています。広島型花崗岩のマサ土は、粘着力が少なくて透水性が高いという傾向があります。あれだけの豪雨があると、透水性の高さゆえに全ての水を飲みこんで地下水が異常に上昇し、土石流を起こしたのだろうと考えています。
どのような土地に住むか、ということが長期的な安全や安心にも影響してきます。守谷市は標高が20~25mぐらいの土地が多く、例えば近隣の野田市や竜ヶ崎市と比べても5mぐらい高い標高になっています。実は5000~6000年前に縄文海進という時代があって、その頃は守谷だけが陸地(下総上位面という)であり、守谷の東西と南の土地の多くが海面下にありました。ですから、守谷市の土地は、津波や洪水のような災害に対して少し安全性が高いのです。
どこに住むか、ということについて言えば、災害の心配の少ない土地に住みたい、と望むのは当然です。広島の災害だけでなく、豪雨災害、津波災害、地震災害、最近ではウイルス災害にも用心しなければなりません。まさか守谷市にまでデング熱ウイルスを持つ蚊が飛んできたりしてはいないだろうな、と微妙な不安も生まれます。
そんなこんなで、のんびりとブログを書く心境になれませんでした(と言いつつ書きました)。
8月の学長ブログ
「昔の話をすると、そんなの知らない、と言われて寂しい気持ちになる」と言ったのは、20代前半で塾の講師アルバイトをしている若者です。塾の正規講師、アルバイト講師、職員のいずれも短い期間で入れ替わるので、いつの間にか自分が最古参になってしまったという訳です。数年前にいた名物講師の話、教室での出来事など、記憶を共有できないと言います。若い彼の言う「昔の話」とは数年前のことに過ぎません。
さて、数十年、更には半世紀を超えた社会の記憶、歴史の記憶はどうでしょう?今も、戦争の記憶、原爆の記憶を語り継ぐことの重要性と難しさがいつも話題に上ります。価値ある記憶、忘れてはならない記憶を風化させないためには、特別の努力が必要です。しかもその記憶は正確でなければなりません。そういえば、「昔の守谷駅はこうだったのだ」と言って過去の記憶を口にすると、現在の守谷駅しか知らない世代は「ふーん、そうなの」という軽い反応です。別にそれを非難する気はありませんが、自分にとっては当たり前の記憶が、他人にとってはその事実が存在すらしない、という現実。伝えることの重要さと難しさを認識せずにはおられません。
もりや市民大学も開校して早2年、協働のまちづくりを担う人材育成を目指して、着々と進んでいます。まだ過去の記憶を語るには早すぎますが、20代の若者の例を思うと、うかうかしていられません。初心忘るべからず、そして、温故知新で行きたいものです。
ところで、温故知新、古きをたずねて新しきを知る、という諺そのものが、「知らないなー」になっているかもしれません。今月のブログは、何かの教訓めいたセリフを書くのではなく、こういう現実をどう感じるか、そしてどう考えるか、という漠然とした視界を持つところにとどめ置きたいと思います。8月はそういうことを考えるに相応しい月です。
7月の学長ブログ
「あなたの趣味は何ですか?」と聞かれたら、私は、まず野球、そしてゴルフ、水泳、ピアノ演奏、スキー、読書と続きます。野球とピアノは50歳で始めました。水泳とスキーは30代で始め、ゴルフは65歳が初体験です。どちらかというと上達を楽しむタイプですが、なかなか上手くならないもので、まあ上達することを信じてその過程を楽しむということになります。特に、他人と比較すると趣味がストレスに代わるので注意が必要です。楽しみつつ上達すること、これが一番ですね。
と言いつつ、こっそりと私のレベルを白状しますので、どうぞ優越感なり羨望なりを味わってください。ピアノは自己流です。今練習しているのはドビュッシーの「月の光」、暗譜はなかなか厳しいです。ショパンの「幻想即興曲」を最終セクション以外のほとんどを暗譜できて、一応全曲弾けるようになったときは、嬉しかったです。「雨のち晴レルヤ」は譜面をインターネットでダウンロードしてコード演奏してみました。即興のお気楽演奏も時々楽しみます。ゴルフは全く経験がなく、7月でちょうど1年目です。120を切るのが目標です。軟式野球は50歳の時が初体験。大変でした。ルールも道具の知識も技術も、何も知らずにシニア野球に飛び込み、1から10まで教えてもらいました。ソックスのはき方、スパイクのはき方、グローブの手入れ法、正しいキャッチボールのやり方、全てが初体験。「守谷スターズ」という素敵なチームの一員です。去年の公式戦平均打率は3割2分ぐらいでした。読書は、吉村昭、池井戸潤、有川浩、宮城谷昌光、ジェフリーアーチャー、アーサーヘイリー、といった、ちょっと社会派の大衆文学を好みます。
初対面同士の集団で自己紹介をするとき、多くの場合「私の趣味は・・・」と述べますが、あれは日本人特有の文化なのでしょうか?そういえば、誰かが言ってました。「趣味とは理想的な暇潰し方法である」と。
6月の学長ブログ
4年に1回開催される国際土壌科学会という大会に出席してきました。開催地は韓国済州島(チェジュ島)、130国以上、2500人以上の参加で、盛大でした。私も、米国、オーストリア、オランダの研究者と4人で一緒に昼食を共にしてこれからの土壌科学ジャーナル(専門誌)の編集方針を議論したり、海外の友人知人たちと再会したりと、国際色を楽しんできました。
ところで、今回の開催趣旨は「健全な土は世界の平和と人間の命の源である」というメッセージを発信することでした。このテーマに沿った国際学会としては成功していると思いますが、私としてはもう一つ物足りなさも感じました。その理由ですが、個々の研究発表の内容とレベルについて、これは、と目を見張るような新発見や新理論といったものに、あまりお目にかからなかったからです。それよりも、世界のこと、地球全体のことを考えて、個別分散化した専門分野の協働を進めること、といった目標が大きな支持を集めていました。
こういった傾向、つまり“個々の発展も良いけれど、大きな目標に向かって協働しようよ!”という呼びかけは大いに賛成ですが、その言葉に酔ってはいけないのではないか、と考えさせられた次第です。そういえば、「自分の言葉に酔っている」という批判、どこかで耳にしたことありませんか?
私の国際土壌科学会も、大会は成功したかに見えますが、自分の言葉に酔っただけ、という批判を浴びないよう、内実を固めることの重要さを改めて考えた次第です。何が大切か、という本質的な問いかけは、いつも忘れてはいけませんね。
5月の学長ブログ
1月の学長ブログでご紹介した冬休みの宿題、その結果について、しばし考えさせられました。若者(大学院生です)の自慢話が、素晴らしかったのです。曰く「成層圏まで行った」「集中力がある」「日本全国47都道府県と年賀状交換している」etc。
「成層圏まで行った」大学院生、実は学部生時代にワンダーフォーゲル部に在籍して登った山の高さの合計が約40kmで、その高さは成層圏に達している、という「自慢」でした。登山をどう自慢するか、その表現力に工夫と独創性が見られました。「集中力がある」大学院生は、何と5歳からバイオリンを引いていて、大学のオーケストラで一番前の座席でバイオリンを弾いていた、という才人であり、その演奏において集中力を磨いたそうです。圧巻は「日本全国47都道府県と年賀状交換している」大学院生でした。学部生時代に国内全ての都道府県の農家を泊まり歩き、その後全ての県の農学部学生に呼びかけて「全国の学生と共に日本の1次産業を盛り上げる」という理念の学生団体を立ち上げ、その活動により農林水産大臣賞を獲得していました。確かに自慢してよろしい。かくして、私は思い至りました。今の若者、大いに期待できる、と。
学生時代に独創的な活動を行い、就職活動では平均50社近くの面接を受け、日常的にスマートフォンやインターネットで広いネットワークを持っている若者たち、彼らの視野は、ひょっとすると、終身雇用だけで退職を迎えた高齢者よりずっと広いのかもしれません。
4月の学長ブログ
春が来ました。桜は散りつつあります。公園や学校、道路沿いの木々を見ると、内側の枝がすっぽりと払い落され、外側の緑が良い形で残されている、手入れの行き届いた姿に整っているものが少なくありません。私も真似をして、我が家のヤマモモの木に手入れし、枝振りを整えてみましたが、出来上がりは今一つです。このように、自然物に手を入れることをどう感じるかは、人によりずいぶんと異なるようです。私が教えていた大学キャンパスでは、4本のヒマラヤスギが並んでいました。しかし、あまりにも巨大化しすぎて、周辺が薄暗くなってしまいました。そのため2本を切り倒し、2本は残す、という方針を固めたところ、少数ながら伐採反対の意見がありました。
このように、自然に手を入れるべきか、あるがままに任せるか、はいつも議論が分かれます。最近、日本全体の人工林について、密生しすぎの弊害が指摘されており、強度間伐という方法が検討されています。人工林の杉やヒノキを、約半分切り倒すという方法です。こうすると、日光が地表面にまで到達し、下草が元気になって土壌侵食が抑制され、雨水も良くしみ込むようになる、ということです。人間が手入れすることによる自然環境保全、という考え方が、進んできているな、と思います。
3月の学長ブログ
ウクライナ情勢が連日報道されています。私は土壌科学者という立場から、マスコミ報道とは違った側面で事の成り行きを見守っています。それは、ウクライナの土壌のことです。実は、ロシアという広大な国の中で、農業生産力の高い肥沃な土は、主に国の南西部に存在し、その土はチェルノーゼムという名称で世界に知られています。皆さんも、世界の穀倉地帯、という知識を中学の社会科などで学んだことはありませんか?世界の穀倉地帯は、チェルノーゼムというカルシウムと有機質に富む肥沃な土を持つ地域において存在します。そして、ウクライナにはこの土が豊富に分布しているのです。争いのもとになっているクリミア半島でも、この土が豊富です。特に農村に広がる麦畑のほとんどはチェルノーゼムのようです。私は、ロシアもチェルノーゼムという肥沃な土壌地帯を確保したいのではないか、という穿った見方をしています。黒々とした有機物に富む肥沃な土は、まさに世界の穀倉地帯と呼ぶにふさわしい生産力と田園風景を誇ります。チェルノーゼムは誰のものか、ロシアか、ウクライナか、という図式で今の問題を考えているのは、私(もしかしたらプーチンさんも)だけでしょうね。
2月の学長ブログ
8日の大雪には、びっくりしました。通勤や所用で外出していた方々は、大変な思いをされたことでしょう。お疲れ様でした。家の周りの雪かきは、何やらご近所力を発揮した行事のような賑わいになりました。
さて、もりや市民大学は、平成26年度コースの設計に大わらわです。どうしたら市民のニーズに応えられるか、若い世代や子育て世代を、どうやって市民大学に招くか、市民大学の修了者が協働のまちづくりに参加していくプロセスを、どう設計するか、など、考えることはたくさんあります。何よりも、市民大学を知っていただくことが大切だろう、ということになり、平成26年度では従来と同様の「総合コース」「専門コース」に加えて「オープンコース」を併設することにしました。
「オープンコース」は、いわば体験コースのようなもので、市民大学を身近なものと感じていただくために設置します。テーマとしては、子育てお母さんのための講座、あるいは、親子で夏休みを満喫するための講座、定年や退職をひかえた人のための講座、などです。各講座とも、3回程度とコンパクトにまとめ、気軽に参加することによって市民大学の良さを知っていただこう、という企画になります。守谷広報等に掲載されますので、ぜひチェックしてみてください。
平成26年1月のブログ
新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。さて、今回も、講義ネタで参ります。というのも、この年末年始は休日が長くなり、大学の講義もしばらく休業状態となりました。そこで、冬休みの宿題を出しました。「休み中に何か自慢できることを見つけて来なさい」という宿題です。おかしな宿題ですが、意外と難問です。なぜなら、「自慢」は、日本人にとってある種の品の悪さ、人格の低さと通じるような概念として使われているので、「自慢しろ」と言われるとハードルが高いのです。ところが、NHKのど自慢とか、故郷自慢など、日常的には「自慢」を肯定的にも使っています。これを個人のレベルに引き下ろすと、なぜ否定的な概念になるのでしょう?そういうことも考えて、わざと「自慢せよ」との宿題を出しました。どんな答えが出てくるか楽しみです。
ところで、皆さんはどんなことを「自慢」できるでしょうか?私自身も、何かを自慢してみろ、と言われると、何だか居心地が悪くなります。が、幸い、私にはこれまで育ててきた優秀な後輩と教え子がたくさんいることが自慢です。そこで、この市民大学でも素晴らしい卒業生をたくさん輩出すれば、新たな自慢の種になると思います。「私の自慢は、もりや市民大学の卒業生である」と、胸を張って言えるよう、ますます充実した市民大学を運営したいと思っています。年頭のブログが、決意表明みたいになってしまいました。
12月のブログ
大学では、学生の成績評価で苦労します。私の場合、現役を退いた現在も、毎年、複数の大学・大学院で非常勤講師として教鞭を執っていますが、記憶力を試すような試験問題は、あまり好みません。そこで、「この授業を受けて、自分は何点だと思うか、理由をつけて評価点を述べよ」という設問をしました。その答案を読むのはとても楽しかったです。
ある学生は「自分は0点だと思う。なぜなら、あまりにも知らないことが多すぎた」といった謙虚な答案。この学生、将来大物になるかも、と思いまして、私の評価点は最高点に近いものでした。また「82点。なぜなら・・・・・・」と言う評価点が、私から見てもピッタリという答案もありました。点数は私と一致するものも不一致のものもありましたが、その理由については、なるほどと思うことが多いのです。今の学生、なかなかに自分を客観視しているなー、と感心しました。
さて、何かと話題の安倍政権、自分に何点をつけているのでしょうか?私の教室経験に照らすと、かなり甘い自己採点をつけているのではないか。しかし、正しい採点は国民がするものでしたね。
11月のブログ
福島第一原発から30~50Km離れた飯舘村に行ってきました。豊かで美しい農村でした。道路から眺める限り、整備された農地、こざっぱりした農家、手入れされた山林が目に入ります。が、よく見ると、人の気配がない。そうです、「計画的避難区域」に指定された村です。あまりにも良く手入れされた家屋と庭木があったので、もう少し近づいてみると、家の中で数個の扇風機が回っていました。家の中で湿気が滞留しないよう、家が傷まぬよう、細心の注意をしていると分かりました。家人の心を推し量り、一瞬、胸が熱くなりました。
この村に、放射線計測、除染活動、農業再生、被災者ケア、情報発信などの諸活動を、被災者と協働で行うNPO法人「ふくしま再生の会」がありました。この指とまれ方式で集まった学者、知識人、精神科医、各種シニアボランティアなどの皆さんです。飯館村が再生するためには、放射線量データを自分たちで測定し、信頼できる情報をもとに方針を立てなければだめ、という村民主体の体制を作ったそうです。詳細は省きますが、とても有意義な活動を継続しており、「協働」の実態を目の当たりにした思いです。そうか、「協働」というのは、異なる立場の人々が課題を共有し、より高い解決方法を探求する新しい活動様式なのだな、と学んだ次第です。
もりやでも「協働」を推進していますが、まだ、明確な形を示しているとは言えないようです。この市民大学がそれを示していけるようになれば、大学を開校した意義も、より明らかになることと期待します。
10月のブログ
新田次郎著「槍ヶ岳開山」を読みました。播隆上人が困難に打ち勝って開山を成し遂げた史実を入念に取材した上で、播隆上人を取り巻く人々の物語を創作したものです。時代を超えた筆の力は「半沢直樹」ストーリーをも凌ぐ迫力です。
それは良いとして、この本を読んで「人の生き方」に、思いを馳せました。1つの信念に向かってひたすら前進する人生です。人生これ修行であります。
ところで、昨今も中高年、高齢者、後期高齢者、いずれもより良き人生を求めることは健全ですが、目標は何だろうか?ゴールを求める生き方から、現在の幸せをより長く持続することを希望する生き方へと変貌しているのではないか、と考えてみました。それを否定しているわけではありません。ただ、現状が少しでも長く維持できたら良い、と考えることは、実は、現在がとても平和で幸せである、ということの証拠でもあります。いま困っている人、苦しんでいる人、危機に瀕している人、そういった人々を助けて、共に幸せを享受できたら、これほどありがたいことはない。そんな風に考えています。
先日、踏切で動けなくなった老人を、自分の命を捨てて助けあげた方がいました。このニュースに接して涙が止まりませんでした。新田次郎から最近のニュースまでを繋ぐ、「人の生き方」という縦糸を思いました。
9月のブログ
2020年オリンピック・パラリンピック東京開催が決定し、日本中が沸き立っているようです。福島第一原発の汚染水漏洩問題について安倍首相が「アンダーコントロールにある」と力強く述べたことが効果的だったと報道されています。私は、土壌科学の専門家として、この問題は簡単に「コントロール」できないと思っているので、とても心配です。地表面下の水の動きは複雑です。海と陸地の境界付近の地下水は、比重の異なる真水と塩水が入り混じるので、タンクから漏洩した放射性物質で汚染された地下水がどのように動き、そしてどういう経路で海洋を汚染するか、そう簡単に分かるものではありません。セシウム137を吸着して水と一緒に運ばれる土粒子の動きも追わなくてはなりません。これも人間のコントロールがなかなか及びません。他に、漏洩タンク近傍の地下水からストロンチウム90、トリチウムの検出も報道されています。今回の汚染水漏洩問題は、情報を全て開示し、国際対応チームを立ち上げてもおかしくない重要問題です。今後の政府の対応が、非常に気になります。
8月のブログ
再び川崎市民アカデミーの話です。実は、私を講師で招聘した東京大学名誉教授は、この4月からアカデミーの学長に就任されました。ご専門は森林科学で、最近「森林飽和―国土の変貌を考える」(NHK出版)という珍しいタイトルの本を出版されました。現代日本は、森林の飽和状態、つまり、「歴史上かつてないほど豊かな緑を背景にして生きている」という驚くべき事実が記述され、注目されています。
ところで、私たち人間は「飽和」しているでしょうか?言い換えれば、「満たされている」でしょうか?恐らく多くの方が、まだ、満たされてはいない、もっと知りたい、もっと豊かでありたい、もっと高まりたい、と考えておられるでしょう。つまり、私たちは「不飽和」な存在です。そして、飽和になりたいと思うとき、力を発揮します。不飽和は力の源です。そう考えてみると、満たされていない状態、「不飽和」な存在は、実は成長する力を内包した若々しい姿でもあるのです。市民大学は、不飽和な人を歓迎します。そう、その人こそ、明日の飽和へ向かって成長する人、つまり本学の学生なのです。
やや、我田引水に傾きました。一人で盛り上がってしまいました。これには理由があります。なぜなら、私は不飽和土壌の専門家だからです。水で満たされていない土壌が不飽和土壌です。不飽和土壌は、もっと水を吸い込みたくてうずうずしています。そういう土壌の振る舞いを研究してみると、地球上の様々な物質循環の姿が見えてきて、興味が尽きません。そんな研究人生を送ってきたので、「飽和」「不飽和」に過剰反応した次第です。研究者は、やっぱり変人がなるもの、と思われたことでしょう。否定しません。