学長ブログ

7月の学長ブログ

 小学校のクラス会、ここ数年開いていませんが、元同級生からまたやりたいという年賀状は届いています。小学校のクラス会では、久しぶりに再会しても「~さん」ではなく、「~クン」または「~ちゃん」呼ばわりです。私も「みやちゃんはさー、」などと言われる始末です。中学校のクラス会は、コロナが去ったので今年開催しました。主催者は「みんなに招待状出しているが、来るのか来ないのかさっぱりわからない」とこぼしていました。推定人数でお店を予約し、当日集まった人数で食事や飲み物を出してもらいました。ここでは、「健康を害しているという話題は止めようよ」ということになりました。これをやりだすとキリがない、と考えたからだそうです。

 

 高校のクラス会になると、だいぶ大人の雰囲気になります。しかし、クラス会に集まる人数は多くないので、同期会、つまり同期の全クラスが集まる会にしています。先日の集まりでは同学年約450人中70数名が集まりました。各方面で活躍された方が多く、話題が広いし、あの当時、実はこんなことがあった、という初めて聞くような情報も豊富、また、社会的な有名人になっている人や今現在も活躍中、など、やや刺激的な集まりになりました。高校卒業以来、60年ぶりに初めて会うという卒業生も出ました。私と同じ剣道部員同士でした。

 

 大学のクラス会は、コロナ禍以降開かれなくなり、再開のめどが立ちません。残念なことです。こんな具合に、過去の一時期に一緒だった人たちに久しぶりで再会することの良さはどこにあるでしょうか?会話をして感じるのは、今現在、何かの楽しみ何かの生きがいを持っておられる方が多いということです。逆に言えば、いまあまり元気でない方は、どうしても出席をためらいます。そうではなくて、今も忙しく活動しているので、とてもクラス会に出ている暇はない、という方も少数ながらおられます。こういう方のメッセージを見ると、すごいなーと感心します。

 

 もりや市民大学にも「友の会」が存在します。いわば常設のクラス会です。ここでは講師を呼んで話を聞くという活動から離れ、自主的な企画を持って自由に活動されています。受講生も過去の修了生も、さらには講師でお招きした方々も、もちろん現役運営委員も参加しています。みなで「良い思い出」を共有しつつ斬新な企画で楽しめることを、私も期待しています。間もなく「友の会」主催の暑気払いがあるそうですよ。

6月の学長ブログ

6月8日土曜日、晴天の中、令和6年度もりや市民大学開講式が開催されました。コースによっては、定員を上回る希望者が出て新規希望者を優先し、リピーターの方が抽選に回るといった対応が必要でしたが、「今回、抽選で当たったよ」と言ってニコニコ顔のリピーターさんが何人もおられ、こちらも嬉しくなりました。新規入学者の方も再度の入学者の方も、心から歓迎します。

 

今回の開講式では、松丸市長が市政講座「2024年度市長の思い」をお話され、守谷市の現状を広く紹介いただきました。その市長のお話の中で気になる事項がありました。それは、常総線の西側(国道294沿いの地域)と東側(松並地区やブランチがある地域)との間で生活利便性において違いがある、という状況についてでした。東側では人口が増加しているが、郵便局は本局のみであり分局が設置されていない不便、常総線をまたがる通学や往来においての不便、などの具体例も示されました。西側住民である私には、そのような課題があることを知らず、初めての気づきとなりました。

 

そういえば、私自身も、常総線の向こう側(東側)に用事があるときは、すぐに「どこの踏切を渡ろうか?」と思案しますし、自転車で行くときには「何とか駅舎を自転車で渡れないだろうか?」などと余計なことまで考えてしまいます。守谷市民にとって、市が線路で分画されていることは潜在的に感じていることではないかと思います。もちろん、常総線と国道294号線は無くてはならない中軸インフラですから、その存在を前提として市全体を俯瞰する必要があります。

 

宇都宮市にライトレール(https://www.miyarail.co.jp/)という路面電車が走っているのをご存じでしょうか?私はこれに乗ったことがあります。市民の乗車率は非常に高く、また、そのスタイルが先進的なので、若者にも歓迎されているように見えました。あのように路面電車様式だと町が分断されている感覚が生まれません。常総線も、守谷市内だけは路面電車に切り替え、取手方面や常総方面は従来通りの軌道列車でつなぐことはできないかな、などと勝手な空想を抱いた次第です。法令や規則を知らぬまま、勝手な妄想を記して失礼しました。東側、西側の違いを感じないような地域社会が実現すると良いのですが。

5月の学長ブログ

 「新しい酒は新しい革袋に盛れ」ということわざがあるそうです。新しい内容を表現するにはそれに応じた新しい形式が必要だ、という意味です。もりや市民大学でも「新しい酒」を考える時期が近づいています。開校以来12年を経過したもりや市民大学にどんな「新しい酒」が必要でしょう?令和6年度は6月8日に開講式を迎えます。人気の「守谷を知るコース」は定員35名のところ希望者が10人近く超過しているようです。「いきいきシニアコース」はまだ少し余裕があり「まちづくり協議会コース」は大分余裕があります。市民科学ゼミの希望者は前回を上回る希望者があります。

 

 開講式を間近に控え、従来どおりのコース設計で開講を準備している令和6年度のもりや市民大学は、令和7年度に向けて「新しい革袋」を考えることにしました。つまり新しい形式を模索します。それには、担当者の世代交代も重要です。12年の歴史を超え、新たな時代の要請に応えるための新たな形式、「新しい革袋」にご注目頂きたい。

 

 12年前、もりや市民大学発足当時は、すでに開講している他の自治体における市民大学の先例に学ぶことが重要でした。中でも、うらやす市民大学からは、良き先例として学ぶことができました。その後、ご承知のように2019年末から2023年の間に何度も新型コロナ感染の波が押し寄せ、もりや市民大学の運営も2020年度の募集・開講を断念しました。それでも2021年度以降はZoom利用によるハイブリッド形式の講義を取り入れ再開することができたのは、運営委員の自主的努力の賜物でした。コロナ禍の中、市民大学をハイブリッド形式で開講したのは、もりや市民大学が全国で最も早かったのではないかと自負しています。

 

 このような困難な時代を経た今、もりや市民大学は過去の成果に甘んずることなく、新しい形式を求めて再出発したいと考えています。「新しい酒」と「新しい革袋」両方を求めています。そのための世代交代もしっかり進めます。この再出発が成功したら、私も是非「新しい革袋」に満たされた「新しい酒」を飲みたいなー、と願望する次第です。飲み過ぎに注意しつつですが。

4月の学長ブログ

 4月14日(日)、もりや市民大学公開講座が開催され、「貝塚が語る守谷の土と水」というタイトルで私がお話しました。多くの市民の方々や守谷市周辺の方々も足を運んでくださいました。誠にありがたく思いました。担当の運営委員から「公開講座もありますが、令和6年度の市民大学開講を紹介して受講申し込みをPRすることも忘れないように」と、しっかり釘を刺されました。

 

 天気が良かったからでしょうか、大変出足が良く、開場時間と同時に入室される方が多く見受けられました。予約なしで当日飛び入り参加の方もかなりおられました。公開講座は、希望者をどなたでも幅広く受け入れる準備をしています。一応、募集期間や募集定員を明示していますが、来て下さる方はどなたでも受け入れたいというのが本音です。

 

 ところで、最近のパンフレットやチラシを見ると、必ずQRコードが印刷されています。今回の公開講座案内や申し込みも、QRコードをフル活用しました。QRコードは、スマホのカメラをそこに向けると容易に関連サイトに繋がります。そのQRコードは自動車部品の日本企業(デンソー)による1994年の発明品だというから驚きです。そして、JIS/ISO規格に従っていれば誰でも自由に使用できるそうです。特許は取っているが、使用はフリー、というおおらかさが社会に受け入れられていると感じます。発明者、原昌宏氏に感謝・脱帽です。QRコードは自分で作成することもできるそうですが、私はまだ自分の手で作ったことがありません。

 

 さて、私がお話した公開講座、カギは国土地理院発行5万分の1地図でした。私が使用したのは昭和61年(1986年)発行のものでした。あの頃、現地調査に当たっては5万分の1地図が必携でした。今ではスマホ1個で地理情報は何でも入手できます。が、広域の等高線図を手に入れようとするとスマホ地図ではなかなか情報が得られず、5万分の1地図の方がずっと便利であることを認識しました。「デジタルよりアナログの方が優れていることもあるぞ」と主張するのは恥ずかし過ぎますが、ちょっとニヤリとしました。

3月の学長ブログ

 牧野富太郎はNHK朝ドラ「らんまん」ですっかり有名になりました。牧野富太郎著、日本植物図鑑(1940年初版出版)は、今でも読者層をつかんでいます。ところで、実は、もうひとり気になる人物がいます。牧野富太郎より10年ぐらい後に東大理学部の助手として採用されていた地理学者、東木龍七(とうぎりゅうしち)という人です。福岡県出身、師範学校の卒業生で、小学校教諭を経て上京、東大助手になりました。やはり学歴の壁などがあったようです。

 

 この方は、地理学・地質学の優れた研究者です。特に関東地方の貝塚を「巡検」という地道な調査方法によって詳しく調べ、貝塚の存在地点を地図上にプロットし、これを繋いだ複雑な地形分布曲線を描き出しました。そして、この貝塚分布曲線は、当時の海岸線と平行しているに違いない、と考察し、その結果、大胆にも「縄文海進」と呼ばれる過去の海岸線を浮き彫りにしました。今から6千年~7千年前の縄文時代、海面は現在より5~7m高かった、というのです。そうでなければ広範囲に広がる貝塚分布の理由を説明できない、と結論しました。この説は支持され、今では定説となっています。

 

 彼は、守谷方面にも「巡検」に来たようです。今の守谷市のあたりで3点の貝塚を地図上にプロットしています。しかし、その後、守谷近傍の貝塚3点を実際に再確認した報告は見当たりません。幻の貝塚、と呼んでも差し支えないでしょう。ところで、私は、最近、偶然の出会いにより、「もしかしたらこれか?」と思われる3か所の貝塚を発見、または確認しました。

 

 幸い、4月14日(日)に市民公開講座「貝塚が語る守谷の土と水」というお話をする機会を得ました。そこで、守谷近傍の3つの貝塚をどのようにして「発見」したのか、そしてその貝塚は、現在の我々の生活とどのように関連しているか、述べてみたいと思います。1件目の貝塚については昨年の市民大学講義でお話しました。2件目の貝塚については市民大学とは別の組織に依頼されて、初めてご披露しました。そして3件目は・・・、いや、公開講座でお話ししましょう。それは意外な「場所」にあったのです。