7月の学長ブログ
オリンピックの新国立競技場建設費が2520億円に膨らんだことが話題になっています。このニュースを見ると、私は、今経済問題で苦しんでいるギリシャのパルテノン神殿の映像と重なって見えてしまいます。
絶大な権力を集中させると、歴史的な建造物や芸術などを生み出す結果につながるようです。これは、大英博物館を見学したときにも感じたことです。その裏には、物言わぬ多大な民の犠牲や貢献があったことも歴史が教える通りです。問題は、こうしたことをどう思うか、です。私には、パルテノン神殿は素晴らしい、しかし、新国立競技場はバカげていると、単純には感じ取れないのです。
新国立競技場の現行計画は、安藤忠雄氏が審査委員長を務めた審査委員会が最優秀に選んだ英国の建築家ザハ・ハディド氏のデザインが基になっているということです。関係者が多いので、詳しいいきさつは全く分かりませんが、私は、映像化されている設計案を見ると、「斬新ですごいなー」という第一印象を受けます。これだけのものが作れたらすごいし、見てみたい、と単純に思うのです。パルテノン神殿を見上げて「すごいなー」と思う感覚と似ています。
さて、金の掛り過ぎる箱モノを作ることについて、多くの国民、住民は善意の反対論を主張するのが常です。私も概ね同意します。しかし、時間と金に余裕があるとき、「ひとつ海外旅行でもして良いものを見て来よう」と思い立ち、行くところは、ローマ遺跡であったり、大英博物館であったり、とにかく世界遺産レベルの著名な歴史的建造物が多く候補に挙がることを否定しません。この矛盾。「巨大な歴史的箱モノは見たいが、今日そのようなものを建造することは愚の骨頂である」という理性に内在する矛盾について、私は戸惑います。
実は、新国立競技場のデザイン案、私は嫌いになれないのです。何とかデザインを活かしつつ建築コストを引き下げる、技術的解決法は無いのでしょうか?