5月の学長ブログ
論語にいう「之を如何せんと曰わざる者には、吾之を如何ともするなきのみ。」という言葉が気に入っています。私の理解では、「どうしよう?とあれこれ悩む人には教えてあげられるが、そうでない人には何も教えられない」といった意味かと考えています。
要するに、なかなかうまく行かないことがあっても、「どうしたら上手くなれるだろう」「どうすればより良くなれるだろう」と悩む人でないと、導き教えても無駄だ、といったことでしょう。自分で思い当たるのは、50歳で始めた軟式野球、65歳で始めたゴルフ、独学でやっているピアノのことです。どれも、年齢や体力や能力のせいにすれば、うまく行かないことは当然、と割り切ることができます。しかし、練習と工夫によって上達できるのであれば、その分、楽しみが増します。そこで、論語の言うように、「如何せん、如何せん」と悩む日々を積み重ねてきました。
問題は、あれこれ悩み、教えを乞うても、なかなか上達せず、上手くもならないことです。「論語の教えを守っているのに、効果が出ない!」と、孔子さんに文句を言い始めます。 さて、どうでしょうか?孔子の教えは的確なのでしょうか?たとえば、野球です。少年野球を全く経験しなかった私が、50を超えていきなり軟式野球チームに入り、グローブも初めて買いました。それほどの無知から始めて、今では還暦野球の公式戦に出場できるようになったのですから、多少はできるようになりました。が、チャンスに打てません。ゴルフも若い時の経験が皆無で、65歳にして突如クラブを購入しゴルフ教室に通いました。やっとドライバーを打てるようになりましたが、アプローチがいけません。ダフリとトップのオンパレードです。ピアノは、現在ドビュッシーの「月の光」を練習中。ショパンの幻想即興曲は、ゆっくりなら何とか弾けるようになってきました。
論語の教えは奥が深いです。今では「悩むべきか、悩まざるべきか、それが問題だ」となってきました。もう諦めようかな、とも思います。この迷い、今度はシェイクスピア的になってきました。支離滅裂です。