学長ブログ

9月の学長ブログ

 GOTOトラベルは、少し元気が出るキャンペーンだな、と共感し、10月末の国内小旅行を計画し、ツアーに申し込みました。さあ、費用を振り込もうと準備したところに、郵便が届きました。それは、予定の航空便が「新型コロナウイルス感染症による航空需要減少の影響から運休」するので、「やむなくツアーの催行中止を決定させていただきました」、との通知でした。楽しみにしていたのでガッカリしました。

 そんなさなかに、Zoom会議を何度か体験しました。今後もいくつかのZoom会議が予定されています。実は、市民大学運営委員のYUさんが、希望者に対し、市民活動支援センターの教室でZoomの使い方を教えてくれました。とてもありがたかったです。特に、呼びかけられてZoom会議に参加するだけでなく、自分がZoom会議の主催者として参加者を招集する方法まで伝授してくださったのが嬉しかったです。なぜYUさんはそんなことができるのか?というと、もともとのお仕事がAI関連だったこともありますが、それより、Zoom飲み会を定期的に楽しんでおられる、「つい、飲み過ぎてしまう」という楽しそうな裏話があったのです。「良いなー、私もやりたいな」と思ったので、Zoom教室に飛んで行った次第です。

 そこで、これは良い、と思って昔の飲み友達にZoomやりませんか?と持ち掛けましたが、反応なしです。その友人達、普通のメールでは結構長い文章を送ってくれるのですが、映像や声が届くZoomについては、あまり興味を示さないのです。どうやら、Zoomは、若い人や仕事の現役世代には広まっているが、高齢社会にはそれほど行きわたっていないのかもしれない、と思い至りました。高齢者は保守的なのか、或いは、新しいものに飛びつくには腰が重いのでしょう。

 今後、コロナ後の「新しい日常」には、デジタル社会が大きな位置を占めると思います。「新しい日常」が高齢者や一人住まいなど、社会とのコミュニケーションが希薄になりつつある生活者を置き去りにしないよう、切に望む次第です。

8月の学長ブログ

 運転免許証を更新しました。年齢が高いので事前講習を受けましたが、ゴールド免許のせいか、警察署での更新手続きは比較的簡略でした。久しぶりの警察署内を見渡すと、消毒用のアルコールスプレイがあちこちに置いてあり、壁には運転マナーや交通事故に関する張り紙ポスターがたくさん貼ってありました。で、待ち時間の間に考えました。交通事故の件数と新型コロナウイルス感染者数との関係はどうなのだろう、死者数はどうか、といった素朴な疑問です。

 帰宅してからインターネットで公表データを調べてみました。8月10日現在の統計データです。2020年の1月から6月までの全国交通事故件数は1日平均799件、全国交通事故死者数は1日平均7.4人でした。交通事故件数は前年比で22%も減少しているそうです。外出の自粛効果でしょうか。さて、一方新型コロナウイルスについて、8月10日現在の全国新規感染者数は839人と報告されていました。また、8月1日から10日までのウイルス感染死者数は1日平均4人でした。数字を見比べると、799対839、7.4対4、です。何と申しますか、ざっくり言えば、新型コロナウイルスで起きている危機と交通事故で起きている危険とは、ほぼ同レベルなのではないか、と思いました。

 交通事故をゼロにするための最善の方法は自動車の運転を全面禁止することです。新型コロナウイルスで言えば完全自粛か都市のロックダウンでしょうか。そして、それは現実的ではありません。先の警察署内では運転マナーを守りましょう、と注意を呼び掛けていました。新型コロナウイルスで言えば、緊密を避け、マスクを使用し、手洗い消毒を徹底しましょう、というキャンペーンに相当するでしょう。社会生活・社会活動を全部禁止しろ、というのは世の中の自動車を全部止めろ、というに等しいと思います。現実社会は、規則とマナーを守って安心安全を保つことが大切なのかな、と改めて思いました。

 運転免許証の更新手続きを完了し、いつの間にかこんなことを考えていたら、ラジオから「高校野球を部分的に再開したのはよろしくない」という声が聞こえてきました。私はそうは思いません。規則とマナーを守ってできるだけ試合を続行してほしい、自動車運転の全面停止を求めるような批判は行き過ぎではないか、と思いました。

7月の学長ブログ

 自粛生活から、「新しい生活様式」へと向かう日々、皆様どのようにお過ごしでしょうか?この間、何だか時間の流れが速くなっているように感じています。中国で発生した新型コロナウイルス感染が、全世界に広がり、半年以上経過したいま、日本国内の毎日の感染者数をドキドキしながら見守っています。今思うと、2月、3月、4月、5月、6月に何をしたか、と考えても、特段に記憶に残るイベントが残っていません。ただ、時間だけが高速で過ぎ去った感があります。

 そんな中で、特に印象的なのは、社会全体のデジタル化が急速に進んでいることです。大学の現役教員は、オンライン授業は勿論のこと、来年の大学入試でもオンライン入試を考えざるを得なくなっています。ご存じかもしれませんが、「ミラーワールド」という新しい社会モデルには驚いています。なんでも、現実の「ミラー」をネットワーク中に構成すると、その中でヒトやモノといった現実とミラーワールドの中の仮想現実とが一体化しているような世界を構築できる、というのです。

 昔、SF小説でタイムマシンと瞬間移動が出てきたときは、「想像するのは自由だね」とバカにしていましたが、その瞬間移動とほぼ同じことができる技術の実現が間近に迫っているといいます。例えば、ミラーワールドの大学では、教室にいる学生の半分は現実に出席しており、半分はネットワーク参加しているのに、その差をほとんど感じずに授業ができる、さらには、実験にもネットワークで参加できる、といったイメージだそうです。これはもう、瞬間移動しているのと同じではないでしょうか?

 「新しい生活様式」がどんなものか、分かりませんが、オンライン会議は実際にやってみると便利、という声も聞かれます。もりや市民大学でも、一部オンライン化の検討を始めます。新しい市民大学を模索せざるを得なくなりました。

6月の学長ブログ

 武漢に、朱という名前の中国人がいます。その朱さんのニュースを共同通信社の5月23日付配信で見かけました。何でも、新型コロナウイルスが広がった武漢在住の日本人が、急遽帰国する際、市当局と掛け合って輸送バスを手配し、全員が無事に飛行場まで移動できるように最大限の尽力をしてくれたと報じていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/a8c787684840f25c8761e0df235b658c70c555a4

 「おやおや?よく似た名前の人がいるな」と思いました。というのは、かつて、私が現職の大学教員だったころ、朱敦尧(ズー・ドンヤオ)という中国人留学生がいたことを思い出したからです。ニュースを見ると、件の朱さんも東京大学留学経験があると書いてあります。これは、ずいぶん近い話だな、と読み進むうち、これは、あの朱さん本人だ、と確信しました。

 そこで、「朱さんが日本人退避のために力を尽くされたことを、初めて知りました。まず、心からの御礼を申し上げます。本当にありがとう。」というメールをご本人に送りました。すると、朱さんから「皆さんとの出会いは私の人生として、幸せの種です。それを大切にして、ずっと。今回、日本からたくさん感謝のことばをいただき、大きい喜びです。映画になってもらいたいという方がいらっしゃる、確かに、永遠に経験できないシーンがいろいろ、ありました」との返信。

 こんな偶然の再会があるとは、夢にも思いませんでした。朱さんは、私のもとで環境地水学という専門分野の博士号を取り、研究者の道に進む予定でした。しかし、その後紆余曲折を経て、今では日中を結ぶIT関連会社の会長に上り詰めていました。社員1300人を率いているそうです。新型コロナウイルスが終息したら、また日本に来る予定だそうです。その時、お会いしましょう、と約束しています。楽しみです。守谷市民大学にご案内して、臨時講師でもやってもらいましょうか?

5月の学長ブログ

 すでにご承知かもしれませんが、もりや市民大学は、今年1年間の休校を決めました。できるだけ同じ内容のプログラムを、来年の4月以降に開校したいと考えています。この決定につき、講義を引き受けて下さった講師の皆さん、受講を予定されていた市民の皆さんに、お詫び申し上げるとともに、ご理解のほどを宜しくお願いいたします。

 さてさて、「今日の感染者数は?」が一番の関心事になりました。まず、東京都が100人以下、いやいや50人以下だと、ややほっとします。次に、茨城県内の感染者が0で留まっていると、「良かった」と思います。そういえば、守谷市は?と考えてスマホのMorinfoをのぞき込み、当然ながら感染者なしを確認します。その後、大阪はどうか、全国はどうか、ニューヨークはどうなった?世界は?と関心が広がり、ついにアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の集計にまで到達します。

 この、ジョンズ・ホプキンス大学が気になって調べてみました。アメリカ東海岸のメリーランド州ボルチモアに本部を置く医学系の私立大学だそうです。なんでも、ノーベル賞36人を輩出している、世界屈指の医学部を有するアメリカ最難関大学のひとつとか。実は、私はボルチモアに行ったことがあるので、懐かしく思います。かつて、研究者の卵としてカリフォルニア州に留学していた時代に、飛行機でワシントンへ行き、スミソニアン博物館を見学していた時のことです。幼い我が子2人(男)が、「こんなとこ、つまんない」とむずかるので、止むを得ず地図で(当時スマホはありませんでした)遊園地の所在を探し、ワシントンからボルチモアの遊園地へアムトラック鉄道で移動したのです。子供らは、こじんまりした遊園地でたいそう満足していました。

 あの、思い出のボルチモアにこんな立派な大学があったとは、知りませんでした。あれから37年にして初めて知ったのです。それにしても、世界中のコロナウイルス感染に関わる統計データを一手に引き受け、それを瞬時に世界へ発信し続ける仕組みは、どのようなものなのでしょう?一大学が国を超えて世界の状況を把握し、政府や国際機関よりも高い信頼を得てその情報を発信するという姿に、感動と驚きを禁じえません。何人くらいのどんな人が実務を担当しているのでしょうね?スゴイです。

4月の学長ブログ

 新聞を開く、ラジオをつける、テレビをつける、スマ―トフォンを開ける、どれをやっても、目に飛び込んでくるのは新型コロナウイルスのことばかりです。COVID-19と呼ぶ人もいますが、これはウイルスのことではなく、感染して起こす肺炎の名称だそうです。

 そんな中で、読書はささやかな癒しを与えてくれます。外出を控えよ、と言われてから私が読んだ本をご紹介しましょう。図書館に依頼して半年間待ち、ようやく順番が回ってきた本、イタリア人理論物理学者カルロ・ロヴェッツリの著書「時間は存在しない」を読んでみました。タイトルに引かれて読みましたが、原題はThe Order of Time(時間の秩序)でした。翻訳者と出版社がインパクトを強めるために意訳したようで、私も見事につかまりました。「時間」をめぐり、アインシュタイン、ループ量子重力理論、エントロピーの増大、スピンネットワーク、など、強烈なキーワードを用い、分かりやすいたとえを多く使って読ませます。分かったような気にさせる本でした。もう一冊は、1000ページという分厚い「虚数の情緒」(吉田武著)です。中学生から読める独学のための本だそうです。自然数や九九の計算から始まり、無理数、実数、虚数、指数、振子、重力へと進み、最後には場の量子論、量子脳力学まで連れていくというとんでもない本で、一人の著者がここまで広くカバーできるものか、と驚嘆します。その中で、野球のバッティング理論も展開し、これが案外参考になったりするのです。なぜか、愛読書の1つになりました。

 難しい本ばかり読んでいるとお思いでしょうが、ご安心ください。一方で、アンソニー・ホロヴィッツ「カササギ殺人事件」(上・下)を読みました。ミステリの最高峰などと宣伝されていたので、どれどれ、と手にしてみました。「それかよ?そう持っていくの?」とびっくりしました。面白いけどちょっと釈然としません。気になって、同じ作者の「007逆襲のトリガー」も読みました。おなじみジェームスボンドが活躍するサスペンス。まあ、いいかな、と許容しました。同じ著者によるもう一冊「メインテーマは殺人」は手元にあって、これから読みます。

 こんな具合です。私の友人(北大の名誉教授)は、こんな時だから、と土壌学の専門書を読み直しているそうです。自分の専門分野の周辺を勉強しなおす、という考えも納得です。そこにも新発見があるのだそうです。家に閉じこもる日々、何か楽しみがないといけませんね。そうそう、「ジャズ・スタンダード・バイブル(ジャズ・ピアノ・エチュード)」も、私の新たな一冊に加わりました。

3月の学長ブログ

 残念ながら、新型コロナウィルスが収まらず、今日(3月13日金曜日)のニュースではニューヨーク株式市場ダウ平均株価が2352ドル下落し、日経平均株価が17000円を下回るなど、その影響が拡大しています。無観客大相撲、春の選抜高校野球大会中止、東京ディズニーランドやユニバーサルスタジオジャパンの休業、ブロードウエーのミュージカルやオペラの休演など、信じられないニュースが飛び交っています。そして、ついに東京オリンピック開催の可否についても現実的な判断を迫られるに至りました。

 そんな中、もりや市民大学でも、2月29日「総合コース:花のまちづくりの活動について」を録画ユーチューブ方式への切替え、3月7日の総合コース修了式中止、3月14日「オープンコース:はじめてのグリーンづくり講座」中止、3月18日運営委員会の中止、3月28日の公開講座中止、などを決めました。時間と労力を注いで実現までこぎつけた様々な計画が、このウィルスの影響で中止や延期に追い込まれています。それでも、私たちは6月開講コースの実現をめざします。

 新聞やテレビなどでは、新型コロナウィルス関連ニュースでほとんどが覆われる中、ところどころで5月以降のイベント案内や海外旅行案内などが出ています。そうしたコマーシャルを見るにつけ、この問題が何とか収まってくれるよう、そして一日も早く普通の日常が戻ってきますように、という、我々と同じ願いを感じずにはいられません。もりや市民大学も、今年の新しいプログラムを用意し、いま、まさに市民の皆様に広くお伝えしようと準備中なのです。

 世界中での「今後どうなる?」との思いが、対コロナウィルスへの有力な反撃力となるよう祈るばかりです。One Earth、地球は一つ、といった標語が、こんな形で現れるとは思ってもみませんでした。SF小説をはるかに凌ぐ、ウィルス対人類の壮絶な闘い、この結末を正しく見通すシナリオはありません。「明日は我が身」がますます現実味を帯びてきました。手洗いとうがいを励行し、じっと耐える、それしか見えません。

2月の学長ブログ

 1月の学長ブログで「上海の発展ぶりを見てきました」と得意げに述べたところ、その直後から新型コロナウィルス問題が発生し、瞬く間に中国からアジア、さらには全世界にまで影響が広まってしまいました。私も、「あなた、上海に行ってきた人?ウイルス運んでない?」と言われることを覚悟しなければなりません。まあ、1か月半経過しても何も起こらないので、危うく難を逃れたのかもしれません。

 難を逃れた人は幸運です。しかし、予想だにしなかった難に見舞われ、そこから逃れることができなかった方が大勢おられます。他人事とは思えません。「あんな豪華客船に、一度は乗ってみたい」は、どんな家庭でも話題に上るはずです。我が家も例外ではありませんでした。現在、船内に閉じ込められている皆さんも、全く同じ思いで乗船された方々が多いことでしょう。忍耐強く、問題解消を待たれている方々のお気持ちは、察するに余りあります。

 2つのことを考えさせられます。1つは、これまでのところ、感染者を「犯人扱い」するような報道や情報は発信されていないことです。理性がパニックを抑え、冷静さが勝っているものと考えています。2つ目は、「東洋人お断り」のような差別的対応が、主としてヨーロッパ方面から聞こえてくることです。これに対しては、怒りより悲しさが先に沸き上がります。風評被害の悲しさは、東日本大震災など身近で何度も経験しているはずです。恐らく、逆の現象、つまり冷静で差別しない善意も数多く働いているが、それはニュースにならないのだろうと思います。

 現在の新型コロナウィルス問題については、どなたも心配して成り行きを注視しておられます。今よりもっと深刻な事態に推移する可能性も無いとは言えません。ただただ、これ以上悲劇的な問題が加わらないこと、今回の大事件から人類共通の教訓を深く学び取ること、そうしたことを祈るばかりです。

1月の学長ブログ

 あけましておめでとうございます。お正月は5日まで休みがたっぷりで、お出かけの方も多かったことでしょう。かく言う私も、実は上海にお邪魔してきました。息子世代が3家族集合計画を立ててくれたものです。最も、そのうち1家族は、年末のインフルエンザに巻き込まれ、参加取りやめとなりましたが・・・。

 その上海について、3つばかり気づいたことをご報告します。最近、香港や台湾の政治情勢を伝えるニュースが多いですが、上海のことはあまり話題に上っていません。そこで、私が行って直接感じたことを話題に乗せてみます。その①、正月だというのに、特に混雑やお祭り気分が見当たらない、まるで平日のまま、という雰囲気でした。日本語がうまいガイドの中国人に聞いてみると、1月1日、2日、3日とも、特に行事はない、みんな春節待ち、つまり1月25日を中心として24日から30日までの春節休みを心待ちにしているとのこと。お国柄の違いを感じました。

 その②、街が静かで清潔なのです。特に道路がうるさくない。ふと気づくと、バイクの音がしないのです。たくさんのバイクが走っているのに音がしない。おやっと思って聞くと、上海のバイクはすべて電動バイクに変わったそうです。だから、バイクの音は自転車並みなのです。こりゃ静かになる訳だ、と納得しました。その③、子連れ家族が見当たらないのです。こざっぱりした若者がとても多いのですが、子供ががやがやしている様子がないのです。いるとすれば我々のような日本人観光客です。どうやら、中国の一人っ子政策の影響で、兄弟のいない若者世代が社会の前面に出てきて活躍中らしいのです。「大勢の子供ががやがやしている貧しい生活者」といった昔の中国の面影がありません。

 だからどう、といった話ではありませんが、ニュースにならない肌感覚の中国を見てきて、世の中は刻々と変化することを身に染みて感じました。古い記憶や経験だけで物事を判断してはいけない、今現在の姿を直接見聞きすることは大切、と思いました。もりや市民大学で学びなおすのも、同じ目的かもしれません。今の守谷、今の日本、今の世界を学びましょう。今年もどうぞよろしくお願いします。

12月の学長ブログ

 菅原文太をご存じですか?そう、やくざ映画「仁義なき戦い」などで有名となり、トラック野郎シリーズの主役でも有名な往年の東映映画スターです。その菅原文太がナレーションをしているDVDに「アフガンに命の水を」(ペシャワール会、2009年)があります。あの、アフガニスタンンで射殺された中村哲医師の活動を追ったドキュメンタリー映画です。菅原文太は、俳優引退後、山梨県に居住して農業を営みながら、こういった声優のような仕事を続けていました。そして、作成直後のDVDを山梨県庁にも届けていたのです。

 当時、山梨県公共事業評価委員長を担当していた私は、早速そのDVDを譲っていただき、大学での講義や研究室でのセミナーなどで活用しました。このDVDで中村哲医師の不屈の努力と貢献を知った誰もが、その活動に敬服し、感動しました。ですから、今回のテロ攻撃には、怒り、悲しみ、失望、などが入り混じる思いです。非常に残念です。

 戦争に武器はいらない。食べるものがまず必要です。誰もが食べて生活できるようになれば、戦争にはならない、と断言し、アフガニスタンの乾いた大地に全長25.5kmの水路を建設し、3000ヘクタールに及ぶ大規模な農地を作り、15万人以上の灌漑農業従事者を生んだ中村哲医師の行動力には、頭が下がるばかりです。しかも、現地の人たちと接する姿は、あくまでも自然体。DVDを通して、中村哲医師がいかに人々に信頼されていたかが分かります。

 菅原文太が生きていたら、きっと悔しがることでしょう。「俺が行って、たたっ切ってやる」とやくざセリフを言うでしょうか?いやいや、晩年の菅原文太は、農業を愛し、ニコニコした好々爺でした。中村哲さんをあの世で迎え入れ、「ようやってくれた。お疲れさん。なーに、後を継ぐ若者がちゃんとやってくれますよ」と慰めている頃だと思います。この俳優さん、何となく憎めないお人柄でした。

11月の学長ブログ

 晴天に恵まれた11月9日、今年の11月開講コースの開講式が開かれました。松丸市長にもご臨席いただき、祝辞を頂戴しました。今期の総合コース、専門コースの合計入学者は55名、これ以外に2つのオープンコースが予定されていて、ここでは合計36名の申し込みがありました。

 先月、私は船橋市の船橋マスター学院に招かれ、「土と水の環境科学―船橋市―」と題する講演を行い、その後、この会を運営している方々と交流してきました。船橋市の人口は約63.5万人で、守谷市のちょうど10倍です。平成16年に開校した「ふなばし市民大学校」は、その規模も守谷市の10倍あります。そして、私を招いた船橋マスター学院というのは、もりや市民大学友の会のような組織でした。皆さん熱心に聞いて下さり、活発な質疑応答がありました。そのあとの交流会も楽しかったです。

 そういえば、数年前には、川崎市民アカデミー(市民大学です)に招かれて講演したこともあります。川崎市は人口152万人の大都市です。ここでは「現代の水利用と農業」と題して、いわゆる水問題、地下水の問題、地球規模で起きている土と水の危機、などについてお話してきました。ついでに、市民大学の運営についてお話を伺いましたが、川崎市の規模が大きいので市民アカデミーも巨大な組織になり、その運営は大変な作業だと思いました。

 翻って、我がもりや市民大学、こじんまりしていると思います。そのこじんまりさが、特徴を出しています。大規模な市民大学では、組織運営が大変です。プログラム作りも大変、広報活動も大変、会計処理も大変、学務管理も大変です。運営委員は入学者へのサービスにこれ努めます。一方、もりや市民大学では、運営委員自身が必要と考え、期待するようなコース設計を心掛け、かつ、自分でも受講生になることができる、珍しい形式を生み出しています。それゆえ、教室で受講生と運営委員の協働が生まれることもあります。まさに、協働のまちづくりが、もりや市民大学の教室内で実施されているとも言えます。小さな市だからこそできる市民大学運営と協働のまちづくり、今後も発展させたいと思います。

10月の学長ブログ

 大きな災害が発生しました。台風19号です。千曲川、那珂川、久慈川といった有名な大河川の堤防があちらこちらで決壊し、大量の水が氾濫しました。守谷市でも、10月12日から13日にかけて、スマホや携帯が何度も鳴り、緊急警報が発せられました。そして、一夜明けたところのニュースでは、次々に河川の氾濫、堤防の決壊、犠牲者の続出が伝えられました。今現在も新たな被災ニュースが加わっているといった状況です。自然災害の恐ろしさを再認識しているところです。

 もりや市民大学でも、台風19号の接近に伴い、12日に予定されていた総合コース最終日の講義と修了式を中止しました。講義を担当していたのは、私です。災害のお話をしようかと準備していたら、本物の災害が到来してしまいました。そして、私は、翌日の13日にTXに乗ったので、車窓から利根川の増水を見ました。恐ろしいほどに水位が上昇していました。私の事前調査では、守谷市内を流れる利根川の堤防高さ(標高)は約14mです。したがって、もし利根川の増水が続いて越流が起きたとすると、標高14m以下の土地では床下や床上の浸水が起きたはずです。仮にどこか近くで堤防が決壊したとすれば、標高14m以下の広い範囲で浸水が起きたことでしょう。危ないところだったと思います。

 しかし、ニュースでも標高のことはあまり報道されません。どちらかというと、浸水の深さが4mだとか4.3mだ、などと報道され、家屋の場合も1m浸水、2m浸水などの表現が使われています。これは、目の前の現実を伝えるには適した報道ですが、そもそも堤防が決壊したり水位上昇で堤防を越流したりした場合、我が家に水が来るのか否か、という事前判断には適しません。住んでいる土地の標高さえわかれば、大河川の近くで安全な場所がどこにあるか、予測できます。

 そんなことを、もりや市民大学の総合コース最終日にお話ししようと思っていたら、未曽有の大災害が起こってしまいました。今現在は、被災地の救済や復旧が第一に重要でしょう。鬼怒川、小貝川、利根川とともに生きていかねばならない守谷市の自然環境について、もりや市民大学の教室で、皆さんと議論したいと思っています。

9月の学長ブログ

 忙しいので、落ち着いてブログを書く余裕がありません。なぜそんなに忙しいのか?と聞かれると、とても困るのです。そして、よく聞いてみると、私のまわりにも、忙しくて時間に追われている中高年者はたくさんおられます。特に、定年後の高齢者が一段と忙しくなっているように見受けられます。その理由を考えてみると、
①    定年延長で、60歳を過ぎても働いている人が増えた。
②    手取りの年金額が少ないので、定年後再雇用、再就職の人が増えた。
③    定年後の社会活動、地域サークル、地域スポーツクラブ、などに所属してスケジュールが埋まっていく人が増えた。
④    若い共稼ぎ夫婦が増え、孫の世話に駆り出される高齢者が増えた。
⑤    その他(病院通い、現役時代の延長線上で頑張っている、など)
こういったことが、忙しい高齢者を増やしていると思います。

 私の場合も、この中のいくつかに該当し、予定表が早くから埋まっていきます。みんなが忙しい世の中、これは、どう考えればよいでしょうか?活気があり、希望に満ちた社会である、と見るのか、みんなが別の方向に向かってバタバタする落ち着きのない社会になっている、と見るのか。

 私は、何だか落ち着かなくていやだなー、と思っています。天気でいえば、9月も中旬だというのに、夏型の台風が来るし、残暑は気温35℃近くまで上がって蒸し暑く、秋の気配が来ていません。社会に目を向ければ、内閣は改造するし、アイフォンは新機種を発表するし、消費税増税は目の前です。日韓関係、日米関係、日中関係なども、落ち着きません。来年はオリンピック・パラリンピックの日本開催ということで、特にマスコミがソワソワしています。

 ここは、ひとつ気持ちを落ち着けて、何か良いことを始めてみませんか?たとえば、もりや市民大学に入ってみて、新たなヒントをつかむ、新しい仲間を見つける、といった展開です。個々人がバラバラで、かつそれぞれが忙しい、という社会は、あまり豊かとは思えません。共通点を見つけて共に歩むことを楽しむ、といったことができれば社会も健全な方向に向かえるような気がします。協働のまちづくり、という目標にも合致します。「落ち着かない」を逆手に取ったブログでした。

8月の学長ブログ

 今後の予定をブログに書きます。まだ、公表されていない情報をいち早くリークすることで、注目を集めようという魂胆です。この種の情報、つまり、みんなはまだ知らないのに自分だけは先に情報を入手するときの妙な優越感というか、不思議なお得感といったものが、確かに世の中には存在しています。「ここだけの話ですが」という前置きで話をするとき、誰もが聞き耳を立てるのです。

 8月31日(土)は公開講座「世界の山・日本の山」と題して、登山家の青木達哉さんが山の魅力を話してくれます。まだ受け付中です。ご期待ください。11月開講コースに向けても準備が進んでいます。たとえば、オープンコースで自動車運転シミュレーター体験という教室も予定しています。自動車運転時の危険予知能力の客観評価を受けることになります。希望者が多いと人数制限がかかるかもしれません。「助けて」と言えるまちづくりの専門コースも準備中です。周囲や地域に「助けて」と言えず、悲惨な事件にまで発展してしまったケースが報道されています。具体的で有効な助け合いとは何か、これからの時代に欠かせない生きた知識を準備しています。

 ここだけの話ですが、来年4月以降のもりや市民大学は、がらりと構成を変える可能性があります。今までの6月開講コース、11月開講コース、といった組み立てそのものを変えるかもしれません。おやっ?何か違うぞ、どうなったかな?と思わせるような変身を考案中です。お・た・の・し・み・に。

 「熱中症に気をつけましょう」が合言葉の今年の夏、皆様体調に気をつけて、元気に乗り越えましょう。孫の相手でお疲れでしょう。お盆休みの家族旅行サービスでお疲れでしょう。家族が集まった家での食事や洗濯、大変でしょう。でも、過ぎてしまえば良い思い出になります。と、自分に言い聞かせている今日この頃です。

7月の学長ブログ

 現在続行中の専門コース「100歳まで元気に過ごす秘訣―健康寿命が延びるまちづくりを学ぶー」は大好評で、受講者数も出席者数も抜群に多いです。そんな中、7月9日には、株式会社つくばウエルネスリサーチの鶴園卓也先生が、サルコペニア・フレイル予防のお話をしてくださいました。加齢に伴い、筋肉が減少して機能低下につながることをどうやって防ぐか、という有意義な内容でした。特に、ウォーキングだけでは筋肉の減少は防げません、筋肉トレーニングが必要です、というお話には説得力がありました。

 講師の鶴園先生の会社は柏市にあり、柏市内はもちろん、全国的な広がりの中で各地に赴いて講演活動などを続けておられます。豊富なご経験の中から、面白いご指摘をいただきました。それは、「全国各地、どこへ行っても、こういった教室の参加者は圧倒的に女性のほうが多い。6~7割が女性で、残りが男性ということが多い。柏市の場合、女性に引っ張り出された形で男性が参加していることも多いようだ」とのこと。そして、「守谷市では男性の受講生が圧倒的に多いというのは非常に驚いています」ということでした。

 なぜ、もりや市民大学では男性の受講生が圧倒的に多いのでしょう?なぜ、女性の受講者数が少ないのでしょう?ここには、いくつもの疑問が含まれています。コース設計が男性向きに偏っているのか、女性の受講生が再受講したくなる魅力度が欠けているのか、初めから男性が多いので女性が来づらくなっているのか。そういえば、現在の運営委員会も圧倒的に男性の数が上回っています。これは、もりや市民大学の特有な問題ではないか、と思い至った次第です。

 皆さん、ご意見やヒントをいただけませんか?「こうすれば女性受講者を増やすことできる」、「いやいや、そのような努力をする必要はない、自然の流れに任せておけばよい」など、アドバイスをいただければ幸いです。私の意見ですか?私の見たところ、もりや市民大学に集まる男性諸氏は、とてもエネルギッシュで粘り強く、しかも明るい方が多いのです。女性を排除するような気配は見当たりません。交流の機会を増やせば女性も安心して参加できるのではないか、と楽観しています。受講生の過半数が女性となるような魅力的なコース設計をやってみたい、という夢もあります。

6月の学長ブログ

  6月1日に、松丸守谷市長をお迎えして、もりや市民大学6月開講コースの開講式が挙行されました。この日、私が学長挨拶として述べたことを今回のブログとして掲載します。それは、かつて私の恩師から「物事の本質を知るためには4つの目を持ちなさい」と教えられた内容を、受講生の皆さんにお伝えする、という内容でした。

 1つ目は、詳細に見る目、細かいことも見逃さず注意深く見る目です。確かに、注意深く見ることで新たな事実に気づくことはいくらでもあります。不注意はいけません。特に運転中の不注意は絶対にダメです。近頃は「ボーっと生きてんじゃないよ」と怒ってくれるキャラクターもいるようです。

 2つ目は大きな目です。細かいことだけに囚われず、大きな視野で俯瞰的にものごとを見ること、これも大切です。自分の姿を上空の鳥の目から見るような感覚です。全体を見る目、と言ういい方もできます。これは、経験と心がけと知識が必要でしょう。市民大学の講座も大いに参考になります。 

 さて、3番目の目は、心の目です。何事も心で感じ取ること、勿論大切です。美しいと感じたり楽しいと感じたり、深く感動したりする心の動きは、心の目で見てこそ生まれるものです。感性を磨きなさい、と言われたようなものです。最近、良い話を聞いた、とか、良い映画を見た、とか、良い音楽を聴いた、なども心の目を養ってくれます。 

 最後の4番目の目は何でしょう?ちょっと考えてしまうかもしれません。4番目の目とは、時間軸で見る目、つまり過去、現在、未来という時間に沿って物を見る目です。歴史に学び、今を冷静に見極め、なおかつ未来を展望する。まさに目の働きの最高度の役割です。時間軸で物を見る目を養うのに、図書館は立派な助けになります。書を読むことの恩恵は計り知れません。今のスマホパソコンでのデジタル情報は、時間軸で言うと今現在が肥大化し、過去と未来にはそれほど多くのヒントを与えてくれません。私は、読書は時間軸の目を養うためにも大切だと考えています。

 以上、4つの目を持つことの勧めを述べて、学長あいさつに替えました。今期入学者の皆さんが、各コースにおいて大いに収穫を得て、無事に修了証を受け取っていただけることを願っています。

5月の学長ブログ

 「全体の中で部分を知る」という行為は、なかなか難しいと思います。たとえば、もりや市民大学で「守谷を知る」とはどういうことを意味するでしょう?守谷の地理、守谷の歴史、守谷の人などを幅広く知ることは、勿論大切です。しかし、その守谷が茨城県内でどんな特徴を持ち、また、関東全域あるいは日本全体から見てどんな地域なのか、さらに大きく、世界の中の守谷にまで視野を広げ、地元の特徴を知ることも、やはり「守谷を知る」ことになります。

 本学の総合コースでは、そうしたいろいろな観点から「守谷を知る」ことができるようなプログラムを組んでいます。今期6月開講コースでは、東京芸大の向井さんから「アート/日常風景から守谷らしさについて考える」のワークショップを計画して頂き、また、ハッフ・ルイーザさんからは「国際社会/ドイツから来た国際交流員が見た守谷」の講義があります。お陰様で、このコースは毎回好評であり、受講希望者は常に定員を上回っていますが、教室に収容できる限りは全ての希望者の入学を受け入れることにしています。全体を見ながら地域を知り、地域で何ができるかを考える、そのきっかけ作りがここにあります。

 そういえば、「地域」がキーワードになる議論も事欠きません。人間文化研究機構総合地球環境学研究所教授の佐藤哲氏は、その著書の中で、地域のリーダーに求められる資質は「地域の現状を冷静に分析し」「地域の宝を見つけ、それに光を当て磨きをかける」「住民の気持ちを粘り強くまとめる」力だ、と述べています。また、新潟大学教授の田中秀氏は、地域を支える人財を育てることは容易ではないが、「その人財は決して目立ちたがり屋のヒーローではない。むしろ、地味でどこにでもいるような普通の人たちだ。だが、地域を何とかしたいと思い、地域のために何をすればいいのか常に模索を続ける人たちだ。」と述べています。昨今の国立大学学部再編では、「文理融合」と「地域」がキーワードになり、宇都宮大学の「地域デザイン科学」、佐賀大学の「芸術地域デザイン」学部などが新設され、地域の人材育成を掲げています。

 日経BP社主催の「シティブランド・ランキング―住みよい街2017―」では、守谷市が全国1位(他2市と同位)になったり、東洋経済誌の「住みよさランキング2018」では、守谷市が全国4位(1位印西市、6位中央区、8位港区、など)になったりしているのは、守谷の地域力を示していると思われます。受講生の皆さんには、総合コース「守谷を知る」からさらに進んで専門コースへ進み、地域の人材、いや、人財としてご活躍頂くことを願っています。

4月の学長ブログ

 この3月23日、もりや市民大学の公開講座が開催され、東京大学名誉教授の阿部啓子先生をお迎えし、「健康寿命を伸ばす食生活の創出」と題する講演を頂きました。私たちの日常生活に直結する話題を科学技術の最先端から紹介いただき、大好評を得ました。講演後のアンケート調査自由記載欄は、とても良かった、聞いて良かった、と賞賛の嵐でした。

 私も講演を聞きながら、いろいろ考えさせられました。まず驚いたのは、それまで抱いていた「未病」の勘違いでした。良く、「自分は薬を飲んでいるので大丈夫」と言う方を見かけます。薬を飲んで平常値を維持していれば「未病」の状態かと思っていましたが、阿部先生の定義では、健康な人と半健康な人は「未病」であるが、治療薬を常用している状態はすでに「未病」から外れているとのこと。自分に甘かったかな、と反省しました。また、保健機能食品について、消費者庁から生活習慣病の一次予防に役立つと認められた「特定保健用食品(トクホ)」と、事業者が消費者庁に届出すれば良い「機能性表示食品」との見分け方を教えて頂きました。消費者庁許可マーク(あの万歳マークです)が入っているのが許可された食品だそうです。その他、日本固有の発酵食品が脳機能活性化に良いこと、咀嚼(噛むこと)が脳の血流を増やし、血圧低下作用もあること、など、たくさんの「目からうろこ」を教えて頂きました。

 最も記憶に残ったのは、健康寿命を伸ばすために3つの柱がある、という指摘でした。その3つとは、正しく栄養を取ること、運動を主とする身体運動を欠かさないこと、趣味やボランティアなど社会活動へ参加すること、です。さらに補足事項があります。食事は「孤食」を避け、できるだけ人と一緒に食事することが健康寿命につながるとのこと。もっと印象的だったのは、3つの柱の中で運動だけは続けているが社会活動には参加していない人と、ボランティア活動などの社会活動だけはやっているが運動はやっていない人との健康寿命を比較すると、明らかに後者の方が長い、という調査結果でした。運動さえやっていれば健康、と信じていた人にはショックだったと思います。

 そのほか、たくさんのヒントを頂きましたが、何よりも、この公開講座に参加してワイワイ議論することも健康寿命を伸ばす大事な生活スタイルであるとのお話に会場がワッと湧き上がったのが面白かったです。「孤食」を避ける意味で講座終了後に仲間同士で食事会をすることも大事だったでしょう。そういえば、この講座終了後に市民大学友の会の総会と懇親会がありましたが、講演の趣旨が良く生かされたと思います。友の会の皆さん、健康寿命が伸びましたよ。阿部先生、貴重なお話、誠にありがとうございました。

3月の学長ブログ

 この季節、花粉症対策が必須です。「今年は早めに薬を飲み始めたので大丈夫です」「毎年1回注射してもらい、これで症状は抑えられます」「何だかぐしょぐしょして、目もかゆいです」「昨夜は苦しくて眠れなかったので、すぐに医者に行きました」など、様々な体験談を耳にします。

 私もかなりの重傷患者でして、毎年ジルテックという薬を就寝前に飲んでいます。が、あまり効果が無く、毎晩鼻づまりで苦しんでいます。鼻の奥が塞がるだけでなく、喉の奥まで狭くなってしまい、呼吸困難を感じたことも何度もあります。副鼻腔炎の手術を受けたこともあります。医者から処方された目薬、鼻スプレーは、症状をやや緩和してくれますが、期待したほどの即効効果は得られません。

 最近は、物理的対処法を信頼しています。まず、家中に掃除機をかけます。机や棚などの埃を拭き取ります。寝室の枕回りや布団に埃取りのローラーをかけます。外から帰宅したときは上着の埃を振り払い、場合によっては自分の服や頭髪を濡れタオルで拭き取ったりします。各部屋に空気清浄器は欠かせません。トイレで目がチクチクするのは、恐らく換気装置の働きで室外から空気を吸い込み、トイレ室内で花粉が床や棚に舞い降りているのだと思います。これを拭い取ると効果を感じます。以上、要するに花粉を物理的に排除することが最も効果をあげると信じるようになりました。

 不思議なのは、外出して好きなこと(スポーツや散歩)をしているときにはあまり花粉症の症状に苦しまないのに、家に帰ってくつろぐと症状が強く出ることです。この点につき、妻は「好きなことをしている時は苦しまないの?」と言って、理解に苦しむと申しております。さて、花粉症は、心理的要因が働くのでしょうか?物理的処置が最も効果的なのでしょうか?薬に頼れば大丈夫なのでしょうか?注射がお勧めでしょうか?、食生活の改善が必要でしょうか?多分議論は尽きません。杉の平均寿命は約2000年とか、まだまだスギ花粉アレルギーの話題は続きます。あと2000年お待ち下さい。解決して見せます。

2月の学長ブログ

  植物の発芽や生育は、不思議です。土の中からいつの間にか小さな芽が出てきて、日に日に成長し、やがて枝や葉を伸ばしたうえ、花を咲かせたり実をつけたりして、たとえばスナップエンドウであれば、取っては食べ、取っては食べ、それでも次の日に行くと新しい実がなっています。

 あるいは、室内のゴムの木。大学の研究室で長年付き合ってくれたゴムの木を処分した際、葉っぱ数枚をつけた小枝を1本だけリュックサックに入れて持ち帰り、物置に転がっていた鉢に植えて土をかぶせ、水をやって放置しておきました。すると、どれだけの日数だったか忘れましたが、ある日、どう見ても「生きてるな」という感じの立ち姿に気づきました。それから注意してみると、にょきにょきと成長し、いつの間にか葉っぱが茂り、1m以上の高さに成長しました。これでは大きすぎる、ということで葉っぱを適宜処分し、てっぺんを切り取って背を低くしました。その後、再び枝や葉を伸ばし、今では立派なゴムの木として室内に鎮座しています。根もしっかり再生しました。

 徳富蘆花という作家、ご存じですか?「不如帰(ほととぎす)」を書いた明治の小説家です。この本を映画化したものは、18本を数えるほどに流行りました。徳富蘆花さんは、その後トルストイに会って感化され、「土と共に生きること」を学んだと伝えられています。その徳富蘆花さんが、「みみずのたはこと」というエッセイ集を書いています。岩波文庫でこれも108版を数えるほどのベストセラーでした。そのエッセイの中の1つに「農」が含まれています。そこに土のことが書いてありました。人は土の上に生まれ、土の生むものを食うて生き、而して死んで土になるから、人は「土の化物」に過ぎない、そして、「土の化物」に一番適当した仕事は、土に働くことであらねばならぬ、あらゆる生活の方法の中、尤もよきものを捉えらみ得た物(原文通り)は農である、と断じました。

 ああそうか、大事なのは植物の生命を支えている土なのだな、と理解する次第です。「土は大切だ」ということは、言葉では理解しますが実感を伴う理解はとても難しいものです。アメリカの有機栽培農家の男性が自分の畑の土を「I love it」と言い切ったのを見たことがあります。自分の作った土に惚れた、ということです。なかなかそこまでの実感を持つことはできませんが、土の中から生まれる生命を見ると、良いものだな、という実感はわきます。土の大切さ、土の良さを、どう表現し、どう伝えるか、実は、今でも私は模索しています。それを自分の言葉で表したいと思っています。

1月の学長ブログ

 明けましておめでとうございます。平成最後のお正月がやってきました。次の元号はずばり「平和」でいこう、いや、「金農」だ、などなど、かまびすしい次第です。それはさておき、私たちは、日本の歴史の中でも最も特異な時を生きている、という事実についてふと考えます。

 「日本史の謎は地形で解ける」と題する興味深い文庫本の中で、著者、竹村公太郎氏は、日本は特異点の中にある、と指摘しています。その特異点とは、日本の人口が歴史上のピークを迎え、そしてそれを越えてしまった瞬間を我々は生きている、ということのようです。日本の人口はいつ最高値を記録したか、ご存じですか?それは、平成20年(2008年)の1億2808万4千人です。平成30年(2018年)の人口は1億2652万9千人です。10年で155万5千人減りました。日本の歴史の中で、人口の最高値の時代に生きていることがそもそも奇跡的なことです。恐らく、「日本のピーク人口時代を生きた人間」が未来の社会科学の研究対象になることでしょう。私たちは、その研究にとって貴重なサンプルになるのです。

 で、どうしましょう。ピーク人口を過ぎて人口減少時代をいかに生き、そういう社会をどう形成するか、これは今後長く続く検討事項であり、その検討の第1歩を踏み出したのが現在の我々です。未来に向けて、いろいろな示唆を提示することが、いずれは「昔の人々の知恵」として尊重されるはずです。その際、日本が稀に見る長寿国であることも考慮する必要があります。「人口減少する長寿社会」、これをどう作るかが問われます。

 守谷市人口は67624人(2019年1月)で、去年の同時期より723人増加だそうです。守谷は「人口増加する長寿社会」ですが、いずれ人口ピークを過ぎると予測されています。守谷の「人口減少する長寿社会」も近い将来、市民大学の研究テーマになることでしょう。人口減少時代にはどんな計画が必要でしょうか?この問題は、いずれ起こる地球人口の減少時代の問題の先取りになるかもしれません。壮大で、かつ収拾のつかない思索で今年が始まりました。

12月の学長ブログ

 数日前の新聞投書欄に、18歳高校生の一文がありました。「若者は昔を中高年は今を学ぼう」という見出しでした。私は、これは面白い視点だな、と思いました。若者が過去に学ぶことを推奨したいのは、歴史の重要性や昔の人の知恵などに学ぶことの大切さを思うからでしょうが、私の眼を引いたのは、中高年が現在を学ぶという視点でした。文中には「昔からの固定観念を曲げようとしない中高年」、という厳しい指摘もありました。最後には「中高年の人々は昔を大切にしながらも今ある世界を学び生き」るべし、と諭されてしまいました。

 確かに、中高年にとって「今」が分かりにくくなっていると思います。たとえば、テレビをつけても知らない歌手が知らない歌を歌っている、と感じてしまいます。インターネットを開くと、AI, IoT, ICT, SNS, ・・・などと略号が溢れていて、何が何だか分からなくなってきた、もうついていけない、と考えてしまいます。そう、中高年者は「固定観念を曲げようとしない」のかもしれません。さて、これをどうしましょう?

 実は、2020年までに日本の小中学校教育も大きな変化を予定しています。まず、小学5年生から英語を教科化する、そして、小中学校全生徒にタブレット端末を渡し、タブレット教育を実現するよう推奨することになっています。しかも、守谷市ではタブレット教育を2019年から前倒しで実現する方向で準備していると聞きます。現代の若者だけでなく、孫世代の教育が、ますます中高年者の体験からかけ離れていくのです。

 そこで、もりや市民大学でもオープンコースで守谷のプログラミング教育の実態を学ぼうではないか、という検討を始めました。まさに、中高年が「今」に学ぶ、を実践しようという訳です。この件は、守谷の新しい教育に地域住民を巻き込むという方向にも繋がります。何が起きているか分からないままに世代交代が進むのか、それとも中高年者が固定観念にこだわらないで若者と可能な協働の道を作るのか、といった選択でもあります。もりや市民大学は、当初の設置目的に照らして、市と住民の協働によるまちづくりを目指しますが、小中学校教育の今からも学ぼうという検討が始まったことをご報告する次第です。

11月の学長ブログ

 音楽好きの方向けのブログです。杉原淳さん、といってもご存じの方は少ないでしょう。82才のジャズテナーサックス奏者で、かつて大橋巨泉の「11PM」番組で16年間レギュラー出演していた名手です。原田忠幸さんも82才のジャズバリトンサックス奏者で、あの女優雪村いずみの夫です。フランクシナトラとも共演したというから驚きです。そして、五十嵐明要さんは86才のアルトサックス奏者で、原信夫とシャープアンドフラッツの元メンバーです。この3人のジャズサックス奏者が率いるバンドが毎年2回中野坂上で開くコンサートを、何回か聞きました。ピアノは67才の本田富士旺、ベースは64才のジャンボ小野でした。息の合った素晴らしい演奏であり、完璧かつ心地よい音でした。また聞きたいと思います。

 「むかしむかし、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。」で始まる昔話のおじいさんやおばあさんを、何歳ぐらいとイメージしていましたか?私は60代をイメージしていました。歌にも「今年60のおじいさん~♪」とありますし。ところが、3人の80代サックス奏者は、現役の誰にも負けないような迫力・リズムで、極めて完成度の高いジャズ演奏を披露してくれます。今では、「むかしむかし、ある所に80代のおじいさんたちがいて、素晴らしいジャズ演奏をしていました。」で始まる昔話が必要です。

 そういえば、最近A新聞のかたえくぼ欄に「おじいさんとおばあさん、昔、ある所に住んでいました。今、いたる所に住んでいます。」とありました。その通りです。ところで、守谷市にもいたる所におじいさんとおばあさんが住んでいます。そしてその多くの方々が、超絶元気です。この力を活かさない手はありません。協働のまちづくりでも、いたる所に住んでいるおじいさん、おばあさんの力が不可欠です。ここでは、60代を若手、70代を現役、80代を先輩と呼ぶしかなさそうです。すごい世の中になってきました。過去に経験したことのないまちづくりを、これから創造していくことになります。

 のんびりごろ寝してテレビを見ている場合ではありませんぞ、ご同輩!まあ、無理をしない程度にもうちょっと頑張ろうではありませんか。学長ブログというより、80代現役プロミュージシャンに刺激された高齢者ブログになってしまいました。

10月の学長ブログ

 もりや市民大学6月開講コース全てが間もなく修了します。先日10月5日は、専門コース「守谷未来設計―魅力的なまちづくり―」が修了しました。全10コマの内9コマは東大高齢社会総合研究機構の矢冨直美先生が担当して下さいました。このコースには、以下のような特徴がありました。

 まず第1点は、入学者人数18名中17名が男性、1名のみが女性だったことです。過去の総合コース、専門コースを見ても、男女比がこれだけ偏ったことはありません。もう1つの専門コース「緑と人の健康」では、男性60%、女性40%でした。目の前にある具体的な問題への取り組みなら、男女差はなさそうです。では、なぜ「未来」問題だと、女性が参加しないのでしょう?よく分かりませんが、昔SF小説が流行ったことが有りました。私も若いころSF小説が大好きでした。しかし、女性でSF小説を好んで読む方を見た記憶がありません。未来の話はフィクションです。フィクションは想像の産物であり、現実とかけ離れているかもしれません。女性に避けられる理由がそのあたりにあるとすると、今後の専門コース設計でも注意が必要です。

 第2点は、このコースで行われた、守谷の未来に向けた事業実施組織を計画するというワークショップが、予想をはるかに上回る充実を示したことです。コース最終日に、5グループから具体的な守谷未来設計案が発表されました。各グループは、頭の中だけで計画を練るだけでなく、市民アンケートを実施したり、守谷市民大学の受講生として市役所の中の担当部局へヒヤリングに出かけたり、民間商業施設の関係者に面接したりと、精力的な活動を展開し、現実性を帯びた未来設計案を作成しました。この活動については、教室で指導された矢冨先生ご自身からも驚きをもって高い評価をいただき、「コース修了後も各グループの未来設計を実現する活動を継続して下さい。私も引き続き協力し、アドバイスします。」とのコメントをいただきました。

 「守谷未来設計」と称する専門コースは、以上のように、文字通り未来につながる形で修了しました。もしかすると、近い将来、たとえば「野菜作りの教室」コースや「守谷に親水公園を作る」コース、「障害者が暮らしやすいまちづくり」コース、「モコバスをもっと利用しやすくする」コース、「地域支援の子育て」コースなどが生まれるかもしれません。

9月の学長ブログ

 台風21号が関西に近づきつつある9月4日、京都大学で開催される学会参加の目的で新幹線のぞみに乗っていた私は、「まあ、京都まで着けば何とかなるだろう」と高をくくっていました。しかし、浜松駅へ近づくにつれて速度を落とした新幹線、とうとう、そこで停止してしまいました。「この先、台風の影響で全ての新幹線が止まっています。そのため、浜松駅で停車します。復旧のめどは立っていません。」とのアナウンス。新幹線は、上り下りとも完全停止してしまいました。さて、どうしよう?と考えました。

 昔、スイスエアラインの飛行機に乗ってポルトガルへ向かう一人旅をしていた時の記憶が蘇りました。あの時も、国際学会参加のための旅の途中でした。スイスエアラインのビジネスクラスに乗っていたのですが、乗り継ぎ予定空港であるチューリッヒに着陸したところ、そのチューリッヒ空港が騒然としていました。理由は、スイスエアラインの倒産でした。突然、全てのスイスエアライン職員が解雇され、飛行機燃料給油もストップし、チューリッヒ空港は世界の旅行者がごった返してパニック状態に陥っていました。日本人団体旅行のグループも、顔色を変えて情報収集していました。一人旅の私は困り果て、数時間を空港で過ごしましたが、その時、偶然向こうから古い知人がやってきました。身長190cmのアメリカ国籍ポーランド人です。「ヤアヤアしばらく、こんなところで何やってんの?」と聞かれ、事情を説明したところ、アメリカからチューリッヒに着いたばかりの彼は「私はここに1週間滞在して講義を予定している。ホテルも取ってあるから、一緒に来ないか。私の部屋にベッドを入れれば簡単に泊まれるよ。」との有難い言葉。九死に一生を得た思いで、彼のホテルへ直行しました。そこでは、他にも何人かの知り合いがいて、皆で大ジョッキービールを飲みあい、旧交を温めました。翌日、切り替え航空券を入手して、何とか目的地のポルトガルに飛ぶことができました。

 あの経験を思い出し、浜松駅では新幹線から下車し、すぐに駅前ホテルにチェックイン、コンビニで買った缶ビールを飲みながら、部屋で台風関係のニュースを見ていました。結局、新幹線は、一晩中浜松駅から動きませんでした。翌日、あきらめて東京に戻ったのも仕方ありません。私の報告をメールで受け取った口の悪い友人が「君は、旅先で良く災難に会うね」とからかいました。その数日後、北海道で震度7の地震がありました。ところで、その口の悪い友人は札幌に住んでいます。心からのお見舞いの言葉を送りました。

8月の学長ブログ

 もりや市民大学は開校以来6年を迎えました。現在、平成30年前期コースは佳境に入り、後期コースの準備も順調に整っています。「総合コース・守谷を知る」は、毎回好評であり、定員25名のところ、これを上回る入学者が続いています。定員上限は、教室の椅子や机の物理的容量から決めていますが、椅子を持ち込めば多少の人数超過を受け入れることが可能です。「専門コース・緑と人の健康」は7月26日に修了しました。定員30名のところ15名入学、その全員が無事修了しました。アンケート結果によると、このコースの修了者全員がその内容を非常に高く評価していたことが分かりました。コース満足度では、期待以上と期待通りの合計が93%という驚異的な数字でした。コース名から伝わる以上の深い内容だったことが分かります。

 「毎回、どうしてこんなに新しいテーマや新しい講師が見つかるのですか?」といった素朴な疑問をお持ちの方が多いようです。市民大学運営委員会では、毎回、新しいアイディア、情報、問題提起があり、それらを吟味していくうちに次の道が開けてくるので、結構ワクワクするのです。以前、「紹介無しの飛び込みで講師の依頼をしても、滅多に断られない」という話題を、このブログ欄で紹介したことがありますが、それだけではありません。守谷市の市民協働推進課では、役場全体に市民大学への要望や情報提供に関するアンケート調査を実施し、「こんなテーマが良い」「こんな人を知っている」という多数のヒントを獲得して運営委員会に提供してくれました。ここからも、豊富なコース設計が生み出されつつあります。

 私自身も、出身大学のもと同僚教授らと懇談する中で、「もりや市民大学から呼ばれれば喜んで行きますよ」という有難いお申し出をいくつも頂いています。皆さん、「あの守谷市に呼ばれる」という点にも魅力を感じておられるようです。近々、公開講座に東大教授をお呼びして、とっておきのお話をお願いしようか、と画策中です。

 平成30年後期コースは11月3日が開講日です。9月の守谷広報に受講申込案内が出ます。同時にパンフレットも発行されます。このコース設計では、「馴染のないカタカナが多い」という意見が運営委員会で出され、どうしたものかと議論中です。カタカナが新しい問題提起として受け入れられるのか、それとも、何を言っているのか分からん、と敬遠されるのか、この辺も見極めなければなりません。もちろん、内容には自信があります。ご期待ください。

7月の学長ブログ

 白樺派の志賀直哉は、兵庫県の城崎温泉を訪れて「城の崎にて」という短編を書きました。山手線で怪我をしてその治療のために温泉療養に滞在したとか。私は、7月第1週末、その城崎温泉に行って来ました。天気は豪雨。丸山川という大きな川沿いにバスで運ばれて温泉に到着しました。その途中、バスの車窓から見た丸山川の水位が異様に高く、何だか怖いなーと思っていました。

 その夜、「先ほどバスで通った国道は、丸山川が氾濫したため通行止めになりました。ここから外に出られなくなりました」というアナウンスがありました。今回の豪雨で、兵庫県にも多量の雨が降り、河川が氾濫したのです。窓の外では、温泉街を流れて丸山川に合流する小規模な河川がありましたが、ゴーゴーと音を立てて流れ、水位もぐいぐい上昇しました。その晩、携帯電話やスマートフォンにエリアメールという警戒情報が発信され、一晩に5~6回けたたましい緊急速報発信音が鳴り響きました。

 その後、テレビや新聞、ネット上で報道されている通り、九州、四国、中国、近畿という広域で200人以上の犠牲者が出て、未だ行方不明者が大勢いることを知り、自然災害の恐ろしさを実感しました。災害が身近に迫っているとき、その危険度を察知することは非常に難しいです。何故かわかりませんが、「それほどひどくはならないだろう」という楽観論に傾く傾向があります。そして、実際に災害が起きてみると、想定より甚大な被害が起きたことを思い知らされます。

 守谷市でも災害マップ作りや防災訓練を行っていますが、「守谷は大丈夫だろう」という楽観論があります。私自身もこの楽観論に傾いています。しかし、守谷市の中にも災害の度合いが高くなる可能性のある地域があることは否定できません。自分の中にある楽観論を戒め、予想していなかった自然災害に対する備えを怠ってはならない、と考えました。とりあえず、日常的に水を多めに確保しておくこと、車のガソリンは空っぽにしないように気を付けること、ガスや電気が止まってもしばらくは何とか食べて行けるような備蓄をしておくこと、地域のコミュニケーションを大切にすること、などは最低限必要です。

 城崎にて、自然災害を甘く見たことを反省し、わが身に起こるかも知れない災害への備えを改めて考えた7月上旬でした。なお、足止めされた城崎温泉からは、1日遅れで脱出できましたが、道路がいたるところで通行止めになっていました。犠牲者には心から哀悼の意を表し、被災地の復旧を祈ります。

6月の学長ブログ

 6月6日は、降りしきる雨の中、「もりや市民大学友の会」主催の永田町ウォーキングデーでした。総勢18名の参加者は、賑やかに千代田線赤坂駅に降りたち、まず向かったのは日枝神社。きれいに整備された伝統ある神社には、翌日から山王祭が始まるというので、豪華な神輿などが並んでいました。お参りを済ませ、ビル街を歩いて国会の議員会館到着、議員秘書さんと待ち合わせて議員食堂へ。カツカレーやかつ丼を食べた後、国会議事堂に入り、参院本会議場などの見学でした。引率して説明してくれたのは、国会議事堂職員のようですが、これが語り上手で、まるで渋谷のDJポリスのよう。いろいろと笑いを取りながら、飽きさせないよう、また騒がないように、上手に案内してくれました。

 続いて、いよいよ首相官邸です。いつもテレビに出てくる首相官邸に入りますと、建物は天然の石と木材でつくられていて、なかなか快適でした。ガラス越しに見える大きな部屋では、大勢の人がいてカメラも並び、何やら取材している様子。そして、組閣の時に大臣が並んで写真を撮る階段に、我々も並んで記念写真を撮りました。次に、いつも菅官房長官が記者会見する部屋に入り、参加者は1人ずつ演壇の後ろに立ち、記者の質問に答えている気持ちに浸りました。「ウソをついてはいかんぞ」と心に誓いながら・・・。

 当日はあいにくの雨模様でしたが、老若男女、修学旅行の高校生もまじって、大勢の見学者が出入りしていたのは驚きでした。国会や首相官邸に踏み込んだのは初めてですが、一つ気づいたことがあります。それは、厳重なセキュリティーチェックは当然ありましたが、全体として「こらこら、近づいてはいかん!」といったような禁止、監視が強いということはなく、むしろ、見学者は国民であって国民はここの主人公である、ここに来るのは当然だ、と思えたことです。守谷からわいわい訪れた18名が、厳重な警戒のもとで邪魔をしないようにビクビクしながら見学したのではなく、国民として丁重に扱われた、という思いで見学できたことは、幸いでした。

 こうして、日本の民主主義の成熟度を感じ取り、なるほど一度は来てみるものだな、と思う1日が無事に終了した次第です。友の会の柗本会長、紹介議員である松下参議院議員と秘書の方、大変お世話になり、ありがとうございました。

5月の学長ブログ

 毎年、この時期になると市民大学の自己評価を行います。もりや市民大学の運営委員全員が、この1年を振り返り、事業目標は達成されたか、成果は期待通りであったかなど、多くの項目について自己評価点をつけます。評価は、5:十分に達成した 4:達成した 3:概ね達成した 2:あまり達成できなかった 1:達成できなかった という5段階評価です。

 よくよく考えてみると、もりや市民大学もオール5という訳に行かず、いくつかの項目で3をつけざるを得ないものがありました。頑張ってみたけれど目標通りには達成できない課題は、人生にも日常生活にも決して少なくありません。そして、自己評価は難しいと思いました。なぜなら、これは主観的にならざるを得ない行為であり、自分を客観的に評価して点数をつけることには迷いが生じるからです。この自己評価という行動原理は、比較的最近日本に定着した文化です。かつて、評価というのは他者や管理者、指導者が行うものであり、より客観的であることが要求されていました。しかし、1991年に大学設置基準の改正があり、全国の大学で自己点検・評価を努力義務とすることが決定されて以降、多くの組織や団体で自己評価が行われるようになりました。当時現役の大学教員だった私は、自己評価のやり方に随分戸惑い、労力と時間を注いだことを覚えています。

 私がある大学で連続講義を行っていたとき、「あなたは、この講義を受講した自分に何点をつけますか?理由を述べて採点しなさい」というレポート課題を与えました。学生に自己評価をさせたのです。満点を100点としました。その結果は興味深いものでした。受講生の自己評価点が、私自身の評価点数と近いものが多かったのですが、中には辛目の70点をつけた学生もいました。その学生は出席率も良く、講義を聞いて「研究してみたい面白いテーマが見つかった」と述べています。講義する側から言えば、こういう反応こそが一番楽しいのですが、学生側からは、自分の目標とするところに比較して足りないところが多すぎた、と反省し、自らに辛めの点数を与えたようです。この学生に関しては、激励の意味を込めてもう少し高い点をつけました。

 そんなことで、市民大学の自己評価も間もなく集計が終わります。結果の数値よりも、自己評価を考えるプロセスにより大きな意味と意義があるような気がします。良い点を取ることに汲々とするより、自分になぜ何点をつけるかという思索に意味がある、ということだと思います。

4月の学長ブログ

  急に、表彰される機会が増えました。地盤工学会という学会に安くはない学会費を30年以上払い続けてきたので、その経済的貢献度が大きいから、4月中に表彰して下さるそうです。何でも長くやっていると褒められる、ということです。5月には、日本地球惑星科学連合という巨大学会から「土壌物理学および環境地水学における,時空間変動する土壌中の移動現象の解明と理論化に関する顕著な功績により」という理由でフェローの称号が与えられます。表彰してくれる学会に文句をつける筋合いはありませんが、日本と地球と惑星という3つを繋げて命名する学会は不思議な感じがします。学の境界線がどこにあるのかな、と思うほど守備範囲が広いです。

 ところで、フェローを日本語に訳すと何になるのでしょう?ネット検索しても、フェローはフェローでしょ、とばかりにそのままカタカナで書いてあります。無理に日本語にすると、特別研究員、大学理事、仲間、同僚とかの意になり、何だか変です。奨学金をもらう研究員もフェローですが、今回はそう言った実利面のご褒美はなく、名誉だけを授ける、といった趣旨のようです。誠にありがたいことです。こだわるようですが、フェローの適切な日本語訳はありませんか?

 賞を頂くのは嬉しいものです。何よりも推薦してくれる人がいてこそ受賞が決まるのです。自己推薦というのはなかなか難しく、多くの場合、他者からの推薦によって受賞の運びとなります。その意味では、推薦されるような立派な行いをしました、という面が一番大切かも知れません。

 そういえば、守谷市でも、いやいや市民大学の運営委員や受講生にも、いろいろな賞を受賞されている方々がおられます。スポーツ大会の入賞や優勝も素晴らしい受賞です。ゴルフコンペの優勝などは、誰かに自慢せずにはいられません。賞を頂く、表彰される、こういう体験は、子供でいえば「褒めて育てる」ことに繋がります。年長者の場合は「褒めて長生きさせる」のが効用でしょうか。

3月の学長ブログ

 私の学術的な専門分野は「土壌物理学」です。だから、土壌に関連するニュースやら評論やら小説やらが時々注目されるのが楽しみです。

 最近では、アンディ・ウィアーという著者が書いた「アルテミス」(邦訳、「火星の人」2015年)が話題となり、「オデッセイ」という名前の映画として日本でも上映されました。この本は、火星に1人取り残された主人公が、基地に残された31日分の食料で、如何にして救助隊が来るまでの長期間を生き延びるか、という宇宙開発新時代のサバイバルSFです。そのカギとなるのが土壌でした。火星の土を基地施設内に持ち込んで、地球から積み込んできたジャガイモを植え付け、栽培して増やして食料生産を行おうというシナリオです。この本では、全体のドラマチックな展開を損なうことなく、土壌が詳細に分かり易く記述されていて、小説として大いに楽しむことができました。全世界で驚異的なベストセラーだったそうです。

 国内では、高村薫が2016年に「土の記」という小説を発表しました。現役時代には電気工業会社の社員だった主人公が、妻を失い古希を迎えて奈良県の棚田でコメ作りをしている話です。夫婦を取り巻くいろいろな人間関係が主題ですが、その背景でふんだんに土が出てきます。「粘土質の黒い北関東ローム層」「水の通りの悪いグライ土の灰白色のB層」「典型的な褐色森林土」「花崗岩の薄黄色い集積層」「鉄やアルミの溶脱」「シベリアの永久凍土のポドゾルの色」「出穂30日前から葉の色と幼穂の有無」「原基が形成されたあとの幼穂の成長」などの専門用語が使われ、びっくりです。

 今月3月11日(東日本大震災7年目)、A新聞36面に、育てるコツ「理想の土壌」という記事が載っていました。理想の土壌って何だろう?と興味津々で読んでみました。「“いい土”とは、適度の水分と空気がまんべんなく含まれた、ふんわり柔らかい土」「pHは、中性から弱酸性が理想的」「水はけも良く、雨が降った後にはさっと水が引く」「少々日照りが続いても適度な湿度を保つことができ、植物を支え続ける」こういったものが理想の土壌だそうです。さて、そんな土はどこにあるとお考えでしょうか?

 実は、守谷の土は、まさにこの条件全てに当てはまります。つまり、我々は「理想の土」の上に住んでいるのです(*_*)。その下に常総粘土と呼ばれる白い土が出てきますが、これは残念ながら理想の土ではありません。地表面に見られる黒っぽい守谷の土を見直してください。これは、「理想の土」なのです。(注:ただし、植物によっては若干の肥料調整が必要です。)

2月の学長ブログ

 今月はピンチです。学長ブログに何を書こうか、一向に決まらないのです。あれかな?これかな?と、多少は思いつくのですが、話の展開を考えると、どれも陳腐だったり、観念的だったりで、魅力に欠けます。こんな時はどうすれば良いか、悩んでいます。

 そうだ、「ブログが書けない」というキーワードでインターネットを検索しよう、と思いつきました。それで、覗いてみると、あるあるで大変です。「ブログが書けない」という壁にぶち当たっている人が世の中にはこんなに沢山いるのだ、と知りました。しかも、何故書けないか、の分析まで細かく書いてあります。どれどれ、とそのアドバイスを読んでみましたが、まあ、「完璧主義過ぎるから」「納得するまで出せないから」「詰め込み過ぎだから」などの理由が書いてありまして、そうかも知れないとは思いました。でも、どうすれば書けるか、は結局わかりませんでした。

 そもそも、毎月の学長ブログは、なぜ書く必要があるのだろう?誰が決めた?とだんだん疑い深くなって、根源にまで遡っていきます。が、よく分かりません。ここを追求しても答えは見えそうもありません。さて、道は塞がってしまいました。今月の学長ブログはパスしようか、と思い始めています。書くことがないからです。「面白い本を読んだか?」と聞かれれば、「期待して読み始めた本がつまらなかった」と答えます。「何か心躍る体験があったか?」と聞かれれば、「寒い日が続いて、特に楽しい出来事は無かった」と答えます。「誰か珍しい人に会ったか?」と聞かれれば「相変わらずいつも会う人たちと楽しく会っています」と答えます。こんな調子でいくと、何を聞かれても平々凡々、ドラマがありません。これではブログを書けません。

 結論です。今月は学長ブログをパスします。書く内容が見当たらないからです。何だか寂しいです。そうそう、守谷市議会だより「こじゅけい」の表紙に私たちの写真がでかでかと印刷されました。気恥ずかしいような、嬉しいような、微妙な気持ちです。ブログ欄がこのように空疎だったので、「こじゅけい」誌の写真と記事をもって代行とさせて下さい。来月までには、何とかドラマを作っておきたいと思います。

1月の学長ブログ

 明けましておめでとうございます。平成30年の幕開けです。市民大学の専門コース、オープンコースも動き出しました。間もなく、守谷の市議会だより「こじゅけい」に、もりや市民大学のインタビュー記事が掲載される予定になっています。議会からどんな印象を持たれているかが分かるかもしれません。

 さて、私こと、この正月に「ちきゅう」を見てきました。いえいえ、宇宙船に乗ったわけではありません。地球深部探査船「ちきゅう」号に乗船してきたのです。国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)という厳めしい組織が運営する5万6千トンの海底探査船です。海底から採取したボーリング試料を分析して、メタンハイドレートや熱水と生命の謎を研究しています。東北地方太平洋沖の地震調査掘削では、日本海溝のプレート境界断層の試料、つまり、この地を襲ったあの3.11大震災の原因となった地球内部の直接的な地層証拠物件を採取したというから、驚きです。「ちきゅう」号の定員は200名で、研究者はその1/3程度でしょうか。あとは、船を動かす乗組員です。なにしろ国際的な最先端研究を行っているので、船内の情報伝達は英語が基本です。英語の勉強、大事ですね。

 一番驚いたのは、深さ6900mに達する海底まで「ちきゅう」号からパイプを下げる技術と、海底下の地層3000mまで掘って試料を採取する技術です。海流あり、波あり風ありの中で、パイプを吊り下げた状態でどうやって船を安定的に静止させておくのでしょう?何と、GPSを用いて船の現在位置を常時モニタリングし、洋上で同じ位置同じ方向に静止するように6個の特殊スクリューを自動制御で回しているそうです。その位置誤差は1m以内というから驚きです。船長さんもこの件を説明するときは得意げでした。

 お正月に「ちきゅう」を見てきた話しは以上です。大きな夢を見た思いです。何よりも、乗船している研究者の皆さんが、胸を張り、誇らしげに、しかも嬉しそうに研究のお話をされるのが印象的でした。今の時代、こんなに楽しそうに仕事ができる方々は幸せだな、と思いました。さあ、「ちきゅう」から「もりや」に帰って、自分の仕事に戻りましょう。ここにも大きな夢があるはずです。

12月の学長ブログ

 私が卒業し、かつ、教授を務めた大学の研究室出身者の話です。その研究室からは、3人の学長が生まれました。国立I大学、国立U大学、もりや市民大学(私)、の各学長です。先日、そのうちの1人が亡くなり、もう1人の現職学長が弔辞を述べました。弔辞の中のエピソードで、亡くなった元学長は、生前、「君ねー、教育というのは、童謡の“かなりあ”の歌詞のようであれば良いのだよ」と話していたそうです。

 それで、ここに童謡「かなりあ」(詩・西条八十)の歌詞を再掲します。
     歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
    いえいえ それはかわいそう
   歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
    いえいえ それはなりませぬ
   歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
    いえいえ それはかわいそう
   歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
    月夜の海に浮かべれば忘れた歌を思い出す

 2番の「埋ける」は「いける」と読みます。教育は、できの悪い子を叱責するのではなく、そういう子も大切に優しく守ってあげれば花開くのですよ、という意味でしょう。とても良い話でした。国立大学の学長同士がこういう会話を交わしていたのです。さすが、2人とも私の後輩だけのことはあります。良い話だなーと胸を打たれました。

 もりや市民大学でも、受講生、修了生を山に捨てたり小籔に埋けたり柳で鞭打ったりはしません。象牙の舟は、動物愛護の観点から言って作れませんので、まあ、修了証の授与で勘弁してもらいます。それにしても、童謡「かなりあ」の歌詞は、結構過激ですね。「役に立たぬ者は捨ててしまえ」といった価値観が当時の社会には存在していたと考えられます。私も「かなりあ」がこんな激しい言葉で歌われていたことを知りませんでした。今年、歌手の「ゆず」が新曲「カナリア」をリリースしたそうですが、こちらの歌詞はもっと明るく希望に満ちています。歌が作られた時代を反映していると思います。

11月の学長ブログ

 6月開講コースが修了し、11月開講コースが始まりました。運営委員会では、修了コースはどうだったかを総括し、11月開講コースを運営しつつ、来年6月開講コースの設計を開始しています。なかなかに忙しいです。そんな中で、大人気だった修了コースと、受講者数が少なかった修了コースの反省をしました。

 「健康ウォーキングマスター講座」は定員20名で募集しましたが、1日か2日で受講希望者が30名を超え、講師の宇佐美先生と相談のうえで定員をギリギリ35名まで増やしました。それでもこの定員を超えて次々と希望者からの問い合わせがあり、お断りするのが大変だし申し訳ない気持ちで一杯でした。そして、10回の講義修了時アンケートによると、コース満足度は90%以上、自由意見でも「痛みが生じず歩けるようになりました」「理論がわかった」「姿勢が良くなった」「疲れにくく歩けるようになった」「楽しかった」「多くの人に経験してほしい」「継続した方が良い」「分かり易く最高」といった書き込みが溢れました。受講生35名全員が修了証を受け取ったのも、もりや市民大学始まって以来のことでした。

 「守谷をもっと良くしようプロジェクト」も定員20名で募集しましたが、受講希望者14名に留まり、開講可能性がギリギリでした。さてこのコースですが、10回の修了時アンケートを見ると、コース満足度はやはり90%以上でした。自由意見も「新たな気づき、学びをいただきました」「意見交換が良かった」「疑問点がよく分かった」「非常に面白かった」「具体的で分かり易かった」「守谷をもっと良くする為には必要な講座」「内容的に素晴らしいので受講者数を多くしてほしい」など、とても積極的でした。このコースは期待以上であった、と総括しています。

 こうしてみると、受講者数の多い少ないは、コース名のつけ方が多いに影響しているのではないか、それは運営委員会の責任ではないか、ということになり、反省しきりでした。これからのコース設計では、より魅力的なコース名を考案し、受講者数をさらに広げていきたいと思います。いま、「守谷未来設計コース」といった名前のコース設計を検討中ですが、こんな名前はいかがですか? 

10月の学長ブログ

 良い季節になりました。涼しい、暑い、良い天気、さわやか、ストーブが必要、など全国各地からのメールの冒頭には、季節の変わり目に相応しい様々な時候の挨拶言葉が書いてあります。メールは、短ければ短いほど良いとされていますが、それでも時候の挨拶言葉が一言入っていると、なごみます。

 それにしても、言葉の正確さ、重み、味わい、などについて心配です。A新聞のファクトチェックという欄を見ると、たとえば安倍首相が昨日の記者会見で言った言葉について、本当かどうかの事実確認をした結果を、地味な記事として1面中間あたりに記載しています。これを読むと、記者会見での発言は事実ではなかった、誤りだったことが証明されたりしています。それで、その後はどうなるのだろう?と思いますが、それ以上のフォロウアップ記事は見当たりません。

 世の中に出た情報や言葉が、事実かどうか、という疑問はなかなか解消しないという現実社会に、大きな失望を感じます。科学の世界では、理論や予測が真実かどうか、事実かどうかが厳しく検証されます。そうでなくては科学の目的は達成されないからです。重力波の存在が100年も前に予測されましたが、それが事実であることを証明した人はノーベル賞を受賞しました。

 人間社会だって同じではないでしょうか?言ったことが事実かどうか、それを確かめて、事実であることが証明されたら大いに高評価を与えるべきです。逆に、事実でないことを述べたり記述したりの場合、厳しく批判し、最後まで責任を問うべきです。しかし、昨今の様子では、事実でないことを口にしても、何かに勝つと、その責任は問われなくなる道がある、と教えているかのようです。「嘘も方便」という諺は仏教用語で、人間社会の潤滑油として許されています。でも、その場合は、人助けが目的です。自分を正当化するための「嘘も方便」が多すぎませんか?

9月の学長ブログ

 毎月、15種類以上のいろいろな学術雑誌が手元に届きます。その中の1つにJGL (Japan Geoscience Letters)という16ページ編集の薄い雑誌があり、日本地球惑星科学連合フェロー受賞者の記念特集記事がありました。この学会は、宇宙の科学から地球環境の科学、地球生命化学、地球温暖化、気象災害、地震など、地球と宇宙に関する科学全体の連合体です。フェロー受賞というのは、この分野で特に高い業績を挙げた研究者を名誉会員として表彰する制度です。

 で、政府の地震調査委員会の長期評価部長だった方が、受賞者の1人として記念記事を書いておられました。記事のタイトルは「研究の面白さに、はまってしまった人へ」となっており、おや?珍しいタイトルだな、と思いました。この種の記事では、自分が歩んできた研究人生が認められて嬉しい、といった内容がほとんどだからです。そこで、どれどれ、と読み進んで行くと、何とこの方、怒っています。何に怒っているかというと、地震調査委員会で決定した事項が、社会への公表時に圧力を加えられたり書き加えられたりした、という経験を3回もした、と書いておられます。「不都合な真実」を覆い隠そうとする意図があったと思われる、と断言しています。

 この名誉ある受賞者の方は、「研究の面白さにはまってしまった人、のめり込んでいる人、そんな人に、思いがけない落とし穴が待っている」と言うのです。その落とし穴とは、「科学的におかしなことが大手を振っている場が存在する」とのこと。どうやら、地震調査委員会のことをさしているようです。そして、研究で成果を挙げて人に知られるようになり、やがて声がかかって○○委員に指名されたとしても、居心地の悪い場にいることは時間の無駄だから、即刻退場したほうが良い、とアドバイスしています。地震調査会で、よっぽどいやな目に会ったのでしょう。名誉ある受賞者の記念記事としては異例の告発文でした。

 科学が社会の役に立つためにはどうしたら良いか、というテーマは、今もとても重要な論点です。もりや市民大学と同じく、科学と社会の「協働」のあり方を模索している昨今です。しかし、科学的に正しいと信ずることを発信したくても、必ずしも科学者の思い通りには社会に届かない、とすると、どこかが狂ってきそうです。この受賞者さんの怒りは、科学者にも社会の側にも深い問題提起になっていました。この方が言う「科学的におかしなことは科学の場で批判せよ」という結論が社会に届くと良いのですが。 

8月の学長ブログ

 忘れてはならない日々が、8月上旬に集中しています。8月6日、9日、11日、15日です。広島原爆投下、長崎原爆投下、山の日、終戦記念日が、それぞれの該当日です。現代の若者に「今日は何の日?」と聞くと、これらの日を答えられない、といった嘆きの声がテレビレポーターなどから上がっていましたが、実は、熟年以上の私たちもこれらの日を即答できるかどうか、怪しいのです。

 日々のニュースで「覚えていない」「記憶にない」といったセリフに怒りを覚えることの多い昨今ですが、自分に当てはめると愕然とします。本当に「覚えていない」「記憶にない」のです。外出中に、ふとある映画俳優の顔が目に浮かぶ時がありました。分かっているのです。彼が何者であり、どんな声、どんな演技をするのかもはっきり思い出します。ところが彼の名前が出てこない。うーん、と唸りながら何とか名前を思い出そうとするのですが、記憶の引き出しが開かない、と感じると、もうだめです。いくら絞っても名前が出てこない。そんな時は、諦めが肝心です。思い出すことを止めるのです。そして、別のことを考えたり行動したりして、一度心の外に出してしまうと、ある時フッと思い出すのです。その俳優の名前、「渡哲也」でした。

 記憶、脳の働き、こういった話題が高齢者社会の到来とともに、新聞、雑誌、インターネット上で多出しています。ちゃっかり薬の宣伝をしたり、食べ物で記憶が良くなることを説明したり、生活スタイルの改善を指南する記事も出回っています。能トレを趣味としている方もおられるでしょう。

 私の理解はこうです。人間、興味のあることは良く覚えているが、興味のないことはすぐに忘れる。年齢と共にそれが極端になる。ということです。だから、いろいろなことに興味を持つことが肝心なのでしょう。先日のスイス旅行では、ガイドさんが山の花の名前を次々に教えてくれました。が、何一つ覚えていません。実は、私、花の名前に興味がないのです。一切、覚えることができません。問題は、人間の名前です。目の前の人は、確かに会ったことがあるのに、名前が出てこない。これは「あなたに興味ありません」を意味するとしたら、何と失礼なことか。そうそう、冒頭の8月11日(山の日)ですが、実は私の誕生日です。興味、無いですよね・・・。

7月の学長ブログ

 今回は、もりや市民大学の受講生に読んでもらいたいことを書きます。受講生の多くは、毎回の講義を受けて「良かった」「ためになった」「今後に生かせる」などの感想を寄せてくれます。しかし、その受講内容が何であったかは、感想からは伝わりません。

 もりや市民大学の講義内容は、ビデオ記録などで後日見ることもできますが、その利用方法は限られています。それより、受講生の口から具体的に講義内容の特に良かったことなどを聞けると、とてもラッキーな思いがします。つまり、私が言いたいのは、受講生のみなさん、もっと自慢して周りに伝えてください、ということです。実際、運営委員やサポーターの間でも、担当したり聴講したりできる講義は限られていますから、担当以外のコースでどんなことがあったか、とても知りたいのです。そして、その話を聞いて、さらなる運営の参考にしたくなります。もっと言えば、「市民大学ではどんなことを教えているの?」という率直な疑問を持っている市民はとても多く、できれば講義内容の一端でも知りたいと思っているはずです。私も何度も聞かれます。

 新聞や雑誌にある「書評」は、その取り上げた本の特徴を短い文章で描き出し、読者が読んでみたくなるように刺激します。私も、そうした「書評」を見て買い求めた本は少なくありません。映画、演劇、演奏会の類も、良い評論に出会うと自分も見たり聞いたりしたくなります。それと同じ効果が、日常会話でも期待できると思います。

 と言う次第で、受講生や聴講生の皆さん、どうぞ受講内容を周囲に語ってください。世間話やマスコミ情報とは一味違う、生きた知識を広めるのです。何の遠慮がいりましょう?実は、7月6日で終了したオープンコース「香りの力で心と体にやさしい健康法」全4回の講義、私は日程が合わず参加できませんでした。だれか、その内容の一部で良いので、私にも教えてくれないかなー、これ、本音です。

6月の学長ブログ

 もりや市民大学は、2012年(平成24年)10月に開校しました。以来5年目を迎え、6月10日に今期の開講式を挙行しました。「総合コース・守谷を知る」は35名、「専門コース・守谷をもっと良くしようプロジェクト」は14名、「「専門コース・健康ウォーキングマスター講座」は35名、「オープンコース・香りの力で心と体にやさしい健康法」は15名、「オープンコース・大学院生が教える夏休み自由研究」の募集はこれから、という開講でした。今期入学者の延べ人数は99人に達しました。ただし、重複受講生もおられるので、入学者実数はそれより下回ります。

 その開講式ですが、毎回、学長挨拶、市長挨拶があり、続いて市役所総務部の代表者から守谷市の総合計画について「市政講座」を受講し、オリエンテーションを経て閉会します。市長、副市長、教育長ほか、多数の守谷市幹部の皆さんが臨席して下さるのは、大変ありがたいことです。長年、会田前市長にご挨拶頂いてきましたが、今回から松丸新市長にご挨拶頂いたのも新鮮でした。

 今回の学長挨拶では、囲碁や将棋で有名になったディープラーニングを取り上げました。現役棋士をなぎ倒したコンピューターソフトの俗称です。私はディープラーニングについて何かを知っているわけではありません。ただ、これまでの人工知能が全ての可能性を評価して最適値を得るものだったとすれば、ディープラーニングは過去の限られた経験を学習してより良い答えを導き出す、といったロジックを持っているようです。これは、もりや市民大学と似ているなと思いました。「総合コース・守谷を知る」はディープラーニングのコースである、と述べてしまいました。

 兎にも角にも、6月開講コースの始まりです。秋の修了式までに何が得られるか、そして、その後にどんな協働の姿が提起されるのか、楽しみにしています。新入生の皆さん、どうぞ最後まで出席して双方向授業を作っていって下さい。もりや市民大学は、延べ1000人の修了生を出すことを目指して、市民の皆さんと共に歩み続けます

5月の学長ブログ

  かつて、世阿弥の「風姿花伝」を読んだとき、深く感じるところがありました。曰く、20代の頃は何をやっても華があり、皆がほめてくれるが、慢心せずに精進することが大事で、30代こそ本当の実力を身につけるときであり、40代になると本物だけが評価されるようになり、下り坂の50代でも、本物であれば控えめに振る舞うことでそこに華がある、といった内容だったと思います。
 そこで、最近の20代、30代、40代、50代以降がどんなふうに見えるか、と私自身の周りを眺めてみました。20代というと大学の学部学生や大学院生です。私が毎週講義に行っている私立大学の学生諸君ですが、爽やかで素直な若者が多いと感じています。高齢者に向かって反抗的な言動や批判的な言葉を浴びせる若者は皆無、といっても良いほどです。
 東京都内のある会社に縁があり、毎週出向いていますが、そこでは30代の会社員たちと交流があります。彼らは何でもできるのですが、自信を持っていないような気がします。バブル崩壊という時期に青年期を送っており、現実を直視する目が肥えているのかな、その分、夢を語るほどの大言壮語ができなくなったのかな、と少し心配です。
 40代は現在猛烈に忙しくて、私の相手をしてくれる人は多くありません(私事で言えば息子世代です)。それなりに社会的責任を自覚して今現在の世の中を支えてくれているような感じです。
 50代の皆さんはちょっとした強さを持っていると思います。かつては50代といえばゴール前の最終段階でしたが、今の50代は次に何をするかという準備をしつつ将来を考えています。長い老後を覚悟しているようです。
 そして「風姿花伝」では寿命が尽きているはずの60代ですが、多様性に満ちています。過去の延長線上で頑張る人、過去と決別して今を充実させている人、新たな仕事を見つけて家計を支え続ける人、新しい自己開発や趣味に挑戦する人、社会のために貢献することを信条とする人、全く十人十色とはよく言ったもので、どう見ても「控えめの人生」とは思えません。そう、我々は、世阿弥の知らない世界を生きているのです。今月は、妙に気合が入りました。

4月の学長ブログ

 岩波新書「シルバー・デモクラシー」―戦後世代の覚悟と責任―(寺島実郎著)という本を読みました。今年1月の出版です。本屋さんの店頭で、このタイトルに惹かれて買い求めました。

 デモクラシーつまり民主主義が、なかなか良い働きをしてくれないことに、我々は皆気づいています。民主主義さえあれば平和と幸福と繁栄がもたらされる、と甘い考えを抱いていたのが、いろいろな場面で壊されています。そんなとき、シルバー限定のデモクラシーって何?と興味を持ちました。

 何しろ、アメリカでトランプ大統領を選んだのも民主主義、日本で安倍首相が高い支持率を維持しているのも民主主義です。民主主義がどうも怪しい、或いは、危うい、と感じている方は決して少なくないと思います。寺島実郎氏は、ここでシルバー・デモクラシーという概念を提起します。この本によると、日本でも世界でも、高齢者の意見が世論を左右しており、例えばイギリスのEU離脱も、20代の若者の66%は残留支持だったのに、43歳以上の世代では離脱派が過半数であったといいます。2016年の日本の参院選では、高齢者の投票率が70%近いのに、20代の投票率はその半分程度だったことから、日本の政治的意思決定は「老人の、老人による、老人のための政治」となりつつあると指摘します。これがシルバー・デモクラシーです。

 寺島氏は、「団塊の世代は戦後日本人の先頭世代としての責任をまだ果たしていない」と断言し、自分の世代が果たすべき役割がある、と意気盛んなのです。いやいや、お元気な方がおられるな、と感心し、その経歴を見せていただくと、早稲田大学政治学の大学院を出て、三井物産の重役を勤めた上に一般財団法人日本総合研究所の会長に就任され、多くの要職に就かれています。そして、生年月日を見たら、何と私と同年同月同日生まれの御仁でした。運勢占いもご一緒です。勝手ながら不思議なご縁を感じました。

3月の学長ブログ

 3月は、卒業、修了、異動、転居など、人生の節目になる行事が集中する月です。もりや市民大学も、この3月11日をもって平成28年度の全てのコースを終了しました。

 総合コース「守谷を知る」では、定員25名のところ申込者が40名に登り、全員入学を認めました。7割以上の出席をされた36人が、無事、修了証を手にしました。このコースでは、防災、医療、経済、教育、若者、JA、行政、環境、健康といった幅広い知識を習得できましたが、「ここで学んだことを、守谷の協働にどう生かすのか?」がこれからの課題です。

 専門コース「コミュニティービジネス・地域課題解決」は、定員20名のところ27名の申込みがあり、全員入学して22名が修了しました。このコースの最大の特徴は、平均年齢の若さです。30代、40代の受講生も多く、平均年齢57才は、最若記録です。修了生の多くが、ここで得た新しい知識を今後に生かしたい、と意欲に満ちた感想を述べたのが印象的です。

 専門コース「楽しく健康づくりニュースポーツの世界」は、定員20名のところ19名の申込み、12名の修了者でした。人数は少なかったのですが、毎回、とても楽しそうでした。最終回では、健康運動指導士、屋嘉部先生のリードでワークショップが進行し、今後、地域や仲間でリーダーやファシリテータとして活躍したいとの決意が満ちていました。

 オープンコース「Thursday night course in MORIYA Part4」は、イオンタウン守谷のコミュニティーホールで開かれましたが、毎回、驚くほどの多人数の参加で、こうしたコースの必要性がとても高いことが認識できます。講師良し、参加者(女性多い)良し、進行良し、と3拍子揃っているのが強みです。

 オープンコース「守谷市美術部!アートへの関わり方講座」は、兎に角アートです。参加すると、日常と切り離された異次元を体験します。このコースをお世話した運営委員が、そろって“目が覚めたような”不思議な表情で教室の様子を報告するので、きっと、参加者の多くが異次元体験を楽しんだのだな、と理解しました。

2月の学長ブログ

 もりや市民大学の運営委員会を重ねながら常々思っているのですが、我々が外部の方に講師を依頼すると、不思議なことにまず断られることがありません。非常に限られた予算の中で講義をお願いするので、交渉に際しては恐縮しつつお願いする、という具合なのですが、その際、断られるケースは、「どうしてもスケジュールが合わない」「所属組織からの了解が得にくい」といった理由がある場合で、それ以外では、皆さん快く引き受けてくださいます。このことに感謝しています。

 で、最近特に感じる特徴ですが、お引き受け頂いた講師の方が、「ここでやめてしまうのはもったいない、もっと先に進めましょう」といって、講師のリピーターを率先して引き受けてくださることです。この現象については、我々運営委員も、やや驚いています。受講生が「もりや市民大学、おもしろい」といってリピーターになって下さるのは大変ありがたいのですが、まさか講師の方々まで「もっとやりましょう」というリピーターを希望される、これは何でしょうか?

 思うに、もりや市民大学の教室は、いわゆる「手応え」があるのかも知れません。市民向け講義ということで、できるだけ分かりやすく話をされるよう、講師の方々は工夫をしてこられます。講義の後は、質疑応答が続きます。この時間帯で、講師の先生方は「ここの受講生はちょっと違う。生涯学習のように知識の充実を求めているだけではなく、守谷を良くするために自分たちでできることは何か、を真剣に求めている」と気付かれるのでしょう。

 以上のような最近の特徴は、例えば平成28年後期のコミュニティービジネスを担当された柳田公市先生、健康づくりニュースポーツを担当された徳田太郎先生、そして、3月25日予定の公開講座講師、宇佐美彰朗先生までもが、次の専門コース設計に向けて準備中だったり考慮中だったりされています。オープンコースの講師の方々からも、単発で終わらせず継続を、と望む声が多く出ています。全く有難いことで、運営委員一同は、お招きしている先生方に感謝すると同時に、「うちの受講生は、そんじょそこらの市民大学受講生とはちと違いますぞ」といったささやかな自信も抱きつつあるのです。ま、そうは言っても、目に見える成果を出していかなければ、ささやかなままで終わってしまいます。受講生の皆さん、リピーター先生の多いわが市民大学、稀勢の里といっしょに「恩返し」を頑張りましょう。

1月の学長ブログ

  新年、明けましておめでとうございます。今年一年が、皆様にとって良い年であるよう、心から願わずにはおれません。平成29年、2017年、どちらもやや記憶しにくい数字で、書類を書くとき気をつけないと間違えそうです。もう一年先は覚えやすい年号ですが。

 さて、2017年はどんな年になるのでしょうか?まずはアメリカのトランプ新大統領です。オバマさんが1月10日に行った最後の演説で、アメリカは「自由に選出された1人の大統領から次の大統領へと力が平和裏に移行するのです。ちょうどブッシュ大統領が私に対してしたように、私も次期大統領トランプに、私の政治ができる限りスムーズに移行できるように、完全に引き渡します。」と述べました。しかし、アメリカのマスコミは、この退任演説自体が前例の少ない異常事態であり、トランプ新政権への危機感の表れではないか、と分析しているそうです。

 東京大学の元総長である佐々木毅氏は、アメリカ国民がトランプ政権を選択したということは、「経済のグローバル化と一国民主政との矛盾」が噴出したもの、と解説しています。つまり、経済のグローバル化を推し進めていくと、一つの国の中での平等、公平、安心、平和といった民主主義の根幹が揺らいでしまう、かといってグローバル化を拒絶して一つの国内だけの国民の幸せを孤立的に求めていけば、グローバリズムに真っ向から対抗する保護主義に陥ってしまう、という訳です。確かに矛盾です。

 2017年は、歴史の大きな矛盾を全人類が体験することになりそうです。さて、守谷市民の皆さん、こうした世界の動きが、どうやら我々の日常的な市民生活と無縁ではないようです。そこのところを意識して、市民大学をますます充実させ、時代に遅れをとらず、良い時代を築く為、引き続き学びの機会を大切にしましょう。もりや市民大学では、時代の動きを見ながら、さらに充実したコースを設計して皆様をお待ちします。

12月の学長ブログ

 予想外の論文原稿を依頼されて困っています。私は、土と水というシンプルな自然物が見せる不思議な現象を基礎的に研究することが専門で、室内実験や理論解析が得意でした。土の中では水蒸気はどんな風に動くか、とか、平地に浸透する雨水と傾斜地に浸透する雨水に違いがあるか、とか、土壌微生物が関与すると土の中の水やガス(CO2やO2)の移動はどう変化するか、などといった、すぐには役に立たない研究ばかりやってきました。今回、オートファジーの研究でノーベル医学・生理学賞を受賞された大隅博士も、すぐに役立つ研究にばかりお金を注ぎ込まないで、もっと基礎研究を大切にしなさい、と口を酸っぱくして主張されています。
 さて、そんな私に、ある科学雑誌編集部から、「地球温暖化で水資源や耕作適地はどうなってしまうのか?」を4回連載で論文にせよ、という注文が届きました。まさに、役に立つ研究です。しかも、今現在の問題だけでなく、未来予測に基づく人類の危機を説明せよ、という訳です。学生の期末試験でレポート課題に出したいような良問です。
 おかげで、今年の年末、年始はこの連載論文に頭を悩まされ、きっと追い詰められた夢ばかり見ることでしょう。初夢??そんな楽しい話ではなくなりました。しかし、気候変動や温室効果は、地球全体にそれほどの暗雲をもたらしているのでしょうか?ちょうど、福島第一原発事故後の放射性物質拡散の問題と類似していて、「非常に深刻な問題である」から「それほど騒ぐ必要がない」まで、専門家の間でも広く意見が分かれています。同様に、地球温暖化問題も、「このままでは人類は滅びる」から「それほど大騒ぎする必要なし」まで、やはり見解が分かれます。一般社会人は、要するにどうなんだ、と科学者や専門家を問い詰めます。今回、私が問い詰められた次第です。
 これからこの難題に立ち向かう私は、自分の立ち位置をどこに置くか、忘年会・新年会の宴会席上でも悶々と悩んでいるわけです(はたから見ると楽しく酔っ払っているように見えると思いますが・・・)。私としては、何事にせよ「ファクトファースト」で行きたい訳でして、そのファクト(事実、実態)を見つけ出すことに苦労します。こうして、「私は困っています」と白状して今年を終えたいと思います。皆様、良いお年をお迎えください(できれば私も)。

11月の学長ブログ

 11月5日は、もりや市民大学11月開講コースの開講式でした。当日出席された入学者50名の方々に入学時アンケートへの記載をお願いし、回収しました。その結果を見ると、入学動機は「自治会や町内会の活動など、まちづくりに関する様々な地域活動に興味を持っていた」「自分の住む町について知りたいと思っていた」が約60%を占めていました。また、協働のまちづくりに今後参加したいかどうかを尋ねたところ、今回初めて市民大学に入学した方々の37%、再入学(リピーター)した方々の68%が、それぞれ参加したい、と回答されました。
 
 もりや市民大学で開講する各コースは、毎回斬新なコース設計となっており、繰り返しの講義はほとんどありません。そのため、何回入学しても新しい知識が吸収でき、協働のまちづくりに関する新たな視点や手法を学ぶことができます。私としては、プログラムを見て初めて入学される方も、やみつきになって(!?)何度でも再入学される方も、ともに歓迎したいと思っています。
 
 それで、「教育効果はどうなのだろう?」という点がしばしば運営委員会の話題になります。延べ600人を超える修了生を輩出しているもりや市民大学は、「協働のまちづくりを担う人材を十分に生み出しているだろうか?」と自問自答する次第です。さて、客観的に見て、どうでしょうか?私は、人材育成はかなり上手く行っていると自画自賛しています。市民大学の修了生は、互いのネットワークを活用するだけでなく、それぞれお住まいの地域でも活動の輪を広げておられます。コミュニティーづくり、認知症予防の地域活動、防災マップ作り、緑のまちづくり、などなど、具体的な動きを掘り出せば、いくらでも出てきます。
 
 これまでの4年余のもりや市民大学の受講生を見ていると、何よりも皆さんが明るく元気になったように思えてなりません。笑顔が増え、動きが生き生きとしておられます。教室の雰囲気も、年々改善され、講師の方との双方向授業づくりも初期に比べて格段に充実してきました(言いたい放題言える、という意味かも知れませんが・・・)。次の目標は、市民活動支援センターから遠いところに居住されている守谷市民がこの大学に入学し易いような手立てを考えることです。市民大学の教室(開講場所)の移動なども視野に入れながら、今後の展開を考えているところです。

10月の学長ブログ

 秋です。突然、秋が訪れたように感じます。前日はクーラーを効かしていたのに、今日は暖房が恋しい。季節の変わり目とはこんなもんだったかな?と今更ながら驚いています。

 この秋、「科学者は災害軽減と持続的社会の形成に役立っているか?」という学術フォーラムが開催されます。「役立っている」、「役立っていない」という答えを見つけよう、という訳ではありません。学術的に優れた研究が即社会の役に立ち、社会に評価されるとは限らないことは、今回のノーベル医学生理学賞「オートファジーの仕組みの解明」を受賞した大隅良典東工大栄誉教授の例でも明らかです。この研究は、細胞の中のたんぱく質やそれを覆う袋のような物質の分解やリサイクル利用につながる話ですが、即社会の役に立つ、とは考えられません。その大隈氏は、競争的資金に走る研究費予算には批判的で、基礎科学の重要性を強調されているそうです。

 では、この問いは、何を意味しているのでしょうか?学術フォーラムでは、「研究者から見た社会への説得力」「水とグローバルリスク」「土壌と持続的食料生産」「気象災害」「地質と地盤情報」「火山災害」「地震災害」「災害と地球環境」「フューチャーアース」などのテーマで、いろいろな専門分野の研究者が科学と社会の関係について持論を展開し、意見交換を行います。何を持って「役に立つ」と言えるのか、その問いは、研究者が常に頭に置き、自らの研究を通してその答えを求めるのです。

 さて、もの思う秋に相応しいこの学術フォーラム、よろしかったらどうぞご参加ください。11月13日(日)13時から、地下鉄千代田線乃木坂駅から1分の日本学術会議講堂で開催されます。参加費無料です。問題は、この中の1件を私が担当することです。私は農学分野の土壌物理学・環境地水学を専門としています。さて、私の担当課題はどれでしょうか?・・・・今月のブログ、しょうもない設問で終わります。

9月の学長ブログ

  オリンピックと都知事選と台風が駆け抜けた今年の夏、何だか短かったように感じます。皆様、それぞれのスケジュールを目一杯消化できたでしょうか?
 私の場合、今年の夏は、海と山と学会、という3イベントが想い出に残りました。まず海ですが、家内の実家が伊豆の下賀茂よりさらに奥にありまして、その実家から伊豆の海に出ることができます。複雑な岩山に囲まれた小さな湾は、外海が荒れていても波はほとんど来ません。その海で貝を取ってきて味噌汁で頂くと、旨いのなんのって・・・。皆さんに差し上げたいほどです。次に山ですが、7歳と3歳の孫も一緒に、親子3代で八ヶ岳連峰2泊の登山に行きました。赤岳は手ごわいので、もう少し下の2600m級の山頂5つを征服しました。7歳の孫に後れを取る自分の年齢を思い知りました。そして、夏の終わりは、仙台市で農業農村工学会という学会に参加しました。台風10号が仙台へ向かったのと同時に、同じ方向へ向かったのです。嵐を越えて参加したのは、私の後輩や教え子4人がそれぞれに学会賞を受賞したので、そのお祝いに駆け付けたかったからです。
 この間、8月27日に開催したもりや市民大学公開講座「芥川賞選考の舞台裏に迫る」は、読売新聞文化部編集委員の鵜飼哲夫氏(守谷市在住)を迎えての講座でした。市民交流プラザの円形ドームに集まった100名ほどの聴衆は、鵜飼氏の淡々とした、それでいて取材経験に基づくリアルなお話に酔いました。太宰治や石川達三、吉村昭、石原慎太郎、又吉直樹といった候補者や受賞者、更にはこうした人々を選考する川端康成、三島由紀夫、大江健三郎などの著名人たちの生の声を伝えてくれました。本当に面白かったです。特に、受賞を逃した人々の話が人間的で楽しかったです。
 さあ、今度は秋、秋は収穫の季節です。畑からも田んぼからも、そして市民大学の教室からも、それぞれの収穫を挙げたいですね。

8月の学長ブログ

 このブログを読んでくださる皆様、暑中お見舞い申し上げます。学長ブログのネタを見つけるのは、なかなか大変です。お察しください。そこで、今月は仲間の噂話を書きます。市民大学の運営委員の噂、です。アルファベットの頭文字を使うとご本人が特定されてしまいますので、分からないようにA,B,C・・・を使います。

 Aさんは、スポーツマンです。いえ、Bさんもスポーツマンですが、Aさんの方が太陽に当たる時間が長いです。CさんとDさんはともに現役の大学院生ですが、卒業後の進路はDさんの方がはっきり決まっています。EさんとFさんは、ともに町内会や自治会活動の重鎮で、様々な地域活動を指導しておられますが、女性に親切なのがEさんで、女性が親切なのはFさんでしょうか(私見です)。GさんとHさんはパソコンやインターネットが得意であり、Hさんは、弟さんが時々協力してくれるようです。IさんとJさんは、どちらもおしゃれですが、砂漠でもおしゃれが通用しそうなのはIさんです。Kさんは、ウォークマンですが、ソニーではありません。Lさんは、こんな上司の下で働きたいなと思わせるナイスガイです。Mさんがクラシック音楽狂と知っている人は少ないかもしれません。そしてNさんは、持てる力を秘めた我が運営委員会の秘密兵器です。 

 ブログを使って遊んでしまいました。ネタ切れなのと、38℃(今日の羽田空港の最高気温)という猛暑に免じてお許しください。来月は、大所高所からテーマを見つけてきます。

 「心頭滅却すれば火もまた涼し」とやせ我慢するか、「喉が渇く前に水分補給を」「室内での熱中症対策としてエアコンを適切に使用するように」というアドバイスに素直に従うか、いずれにせよ、夏休みを楽しくお過ごしください。