学長ブログ

1月の学長ブログ

 新年明けましておめでとうございます。今年が良い年であることを願っています。初詣の神社では多くの人が祈りをささげていました。「今年一年、家族が健康で幸せに過ごせるように」との願いが最も多いのでしょう。こんな当たり前の願いが到底かないそうもない国や地域が世界中に存在しています。平凡な願いが叶わない生活を強いられている人々のことを思うと心が痛みます。

 

 正月早々物騒なニュースが複数飛び込んできました。トランプ米大統領がベネズエラで軍事作戦、マデゥロ大統領拘束。殺人事件、詐欺事件、交通事故、山火事、国会解散(?)・・・。重大事項が目白押しで、スマートニュースも新聞解説記事も追いつくのが大変なようです。国民の側も今日のニュースが昨日のニュースに覆いかぶさり、個々の出来事を消化できないままに忘れ去っていきます。

 

 特に心配なのは、何が真実か、が分からないままに本当の情報と偽情報とが入り乱れていることです。ミネソタ州での銃撃事件について米国副大統領は「移民税関捜査局の職員が正当防衛のため発砲した」と発表しましたが、現地動画では殺された女性が職員に攻撃している様子は見られません。真実と「公式発表」との食い違いに不快感が増幅します。世界中や日本国内でも多くの重大事件が発生し、そのファクトチェックは不十分です。

 

 新聞、ラジオ、スマホやパソコンへのニュース配信、SNSなど情報源は沢山ありますが、何が真実かを知ることは非常に難しくなっていると思います。情報過多は認知機能、精神的影響、身体的影響にも及び脳が疲労すると言われていますが、多くの人の脳に疲労が蓄積すれば社会問題になります。もりや市民大学のプログラムは、脳を疲れさすというよりは逆に脳を休ませる効果が大きいような気がします。知らないことを教え込まれるというよりは、知っていたがその大切さを理解していなかった、という意味での「気づき」をもたらしてくれる講義が多いからです。今年もこの路線を貫く覚悟です。

 

12月の学長ブログ

 できれば高齢化を話題にしたくないと思っています。クラス会や同窓会の集まりに参加したとき、高齢化やそれに伴う病気、怪我の話が始まるともう止まりません。治療の経過などを詳細かつ具体的に語るご仁もおられ、途中でそのお話の腰を折る訳にもいかずじっと拝聴するばかりです。そうなることを見越して、場合によっては「今日は健康と病気の話は無しにしよう」と前置きをしたこともありました。

 

 では、どんな会話が楽しいでしょうか?一番良いのはすぐ先に予定している行動の相談です。前向きというより、それなしには先へ進めない切羽詰まった話し合いにもなりますが、とても具体的です。時間や場所、準備手順などを会話します。こういう時、参加者は年齢や病気の関心事から離れ、目の前の現実に集中しますから、思い出話に花を咲かせるわけにはいきません。こういう場面を持つことは、高齢者にとっても良いことかと思います。

 

 ボランティアの打ち合わせ会議、趣味グループのイベント相談会議、スポーツチームの次回試合への打ち合わせ、などなど、楽しい会話場面を沢山作り出すことは、街の活性化に繋がります。守谷市民活動支援センターはまさにこう言った会合の場を提供する貴重な設備です。センターには守谷市から委嘱されたスタッフが常駐し。利用者への便宜を図っています。センタースタッフはとても親切で、利用者が困らないように優しく気配りをしてくれますので、ますます利用者が増え、2階の会議室や1階の大部屋(市民ギャラリー)は予約でいっぱいのようです。

 

 かく言うもりや市民大学もこの支援センターをフル活用しています。と言うよりこの活動支援センターが無かったら市民大学も成立しなかったかもしれません。センターのスタッフの皆さんにはとても感謝しています。これからもどうぞよろしくお願いします。なお、この施設の1階2階合わせた全体は市民交流プラザと呼ばれ、活動支援センターは2階に設置されています。1階ではいつも子供の声がします。キ・ターレの愛称で知られる北守谷児童センターが設置されているからです。幅広い年齢層の市民が、このプラザで楽しい会話を生み出しています。

11月の学長ブログ

 「来年のことを言うと鬼が笑う」てなことを申しますが・・・・、これは落語の冒頭セリフです。明日のことも分からないのに来年のことなど分かるはずはない、といったからかいの言葉ですが、もりや市民大学はいま、必死で来年のことを議論しています。いえ、再来年の3月までを見通しているのです。鬼も笑うと言うより、あきれているかもしれません。

 

 しかし、来年度1年間を見通して計画を練ることは容易ではありません。まず、コース内容を設計し、次に各コースの個別授業の講師を捜し、それぞれの講師候補者と交渉に入ります。交渉のお相手にも日程都合がありますから、相互の話し合いが欠かせません。さらに、各コースである程度の設計図が出来上がったところで、コースごとの整合性、全体との調和などを考慮します。類似性や相反性などが現れないよう工夫を要し、講義日程に重複が無いか点検も必要で、コース設計の修正などをお願いせざるを得ない場合もあります。

 

 組織やグループの将来計画というのは、こういった「鬼が笑う」ような作業の積み重ねで立ち上がるので、鬼にも協力していただく必要があります。もりや市民大学の運営委員17名は、いま、守谷市市民協働推進課や市民活動支援センターの職員と協働しながら、2026年度の市民大学運営を準備しています。関心をお持ちの市民の皆さんに魅力的なプログラムを提供したいと考えています。

 

 幸いなことに、もりや市民大学としてお招きしたいと望む講師の方々は、多くの場合快く引き受けて下さいます。これまでの経験によれば、講師の皆さんはもりや市民大学に呼ばれたことを光栄と受け止め、非常に手間暇をかけて講義の準備をしてくださいますので、中身の充実は期待以上のことが多く、受講生からも高評価を頂いてきました。今回もちょっと驚くような著名講師も招聘予定です。ご期待ください。

10月の学長ブログ

 今日(10/16)付の新聞に「ダークパターン」に関する記事がありました。通販サイトでショッピングを行う際、いつの間にか定期購入サイトに誘導されて予定外の支払い請求を迫られる被害についてです。しかもそれは日本だけでなく世界中で起きている迷惑問題だと知らされました。アメリカの連邦取引委員会(FTC)のホームページには被害者からの書込みが多数出ているそうです。「アッ、これだ」と、その記事に見入りました。実は私自身この被害に2回も会っているのです。

 

 私はゼブラの4色ボールペンを愛用していますが、黒色のボールペンの使用頻度が圧倒的に高いので、やがてインクが切れます。そこで、ネット販売を利用して黒色の油性ボールペン替芯を注文しました。早速入れ替えを行って快適に使用していたところ、1か月ほどたってメールが届きました。曰く「黒色油性ボールペン替芯が届きます」と。えっ、と驚いてメールの中身を見ると、あなたは定期購入者です、との記載もありました。黒色替芯は一箱10本入りですから、一箱あれば十分、定期購入などとんでもないことです。

 

 その際、販売元のアマゾンや支払い登録済みのクレジット会社などに連絡を取ろうとしましたが、PC画面上での処理が分からず、右往左往してとりあえず定期購入を取り消し、気持ちが悪いのでクレジットカードの再発行まで手を打ちました。

 

 その後数年して、今度は注文した覚えのない「粒状春ウコン」が宅配で届くという予告メールが届きました。数か月前に1回購入した品ですが、まだ十分残っていて新規購入の予定はしていない品でした。メールをよく見ると、これまた定期購入です、と記載されていました。再び発送元やアマゾンに連絡を試み「定期購入の意志は無い」と告げたところ、漸く取り消しができました。以上、個人的な2回の体験は、今日の新聞で「ダークパターン」と呼ばれている事項であることが判明し、ややこしい世の中になったなー、とため息をついているところです。

9月の学長ブログ

 ファラデーという19世紀の科学者がいました。電磁気学の父、と呼ばれたイギリス人です。「ローソクの科学」(1861年)という本の著者としても有名です。かつて私もこの本を買ったのですが、どうにも興味が持てなくて読まないままどこかへ消えてしまいました。ところが、最近ふと手にした別の書籍で久しぶりにファラデーの名前を目にし、「そんなことを言う人だったのか」と突然好きになりました。

 

 その書籍によると、ファラデーはあるご婦人から「そんなことが一体何の役に立つのですか?」と質問されたそうです。この質問は、大学や研究所で専門的な研究や基礎的な研究を行っている人には常に投げかけられます。「何の研究をしていらっしゃるのですか?」という質問でも、研究の内容を説明するよりそれが何の役に立つかを説明する方が喜ばれるのが普通です。残念なことに、私自身も含めて研究者はこの種の質問に上手に答えられず、何か分かりにくい言葉でもやもやした返事をすることが多いのです。

 

 ところが、かのファラデーさんの返事はこうでした。「貴女は生まれたての赤ん坊が将来どういう役に立つのか答えられますか?」。なんとまあスマートな返事でしょう。そうなのです。生まれたての知識、新しい知識は、それが何の役に立つか、すぐには分からないのが当たり前なのです。そこをズバリと言い当てたファラデーさん、さすがです。

 

 そしてさらに加えたエピソードです。ファラデーさんが生きていた時代にクリミア戦争(1853~1856年)が勃発しました。ロシア帝国と西側連合国との領土争いです。ここでは連合国が勝利し、ロシア帝国が破れました。そのクリミア戦争でファラデーは連合国側のイギリス政府から化学兵器の作成を依頼されました。その時ファラデーは「作ることは簡単だ。でも絶対に手を貸さない!」と断ったそうです。そう、戦争に手を貸さない、と断言したファラデーさん、この点でも私はますます好きになりました。以上のエピソードを教えてくれた著書「学ぶとは」(ミシマ社、伊原康隆、藤原辰史著、2025年)にも感謝です。

8月の

 

 日本列島で連続する35℃以上の猛暑、突然の「線状降水帯」、予期せぬ時期の地震、自然の猛威は容赦がありません。異常気象は人間活動に起因するとの学説をほぼ信じています。「地震・雷・火事・おやじ」は何やら大正~昭和時代を思わせますが、今なら「地震・異常気象・核・戦争」でしょうか。多様な危険が身近に迫っていると理解しています。

 

 実は私は8月生まれです。そのせいか、暑い夏が比較的好きです。汗をダラダラ流しながら野外スポーツをしたり庭木の剪定をしたりするのは嫌いではありません。そのあとでスポーツクラブのプールまたはお風呂、そしてサウナに入って、最後に冷たい水風呂に入る。実はその先があります。ご想像通りです。家に帰ってプロ野球のナイター戦を見ながら冷たいビールをグイっと飲む。これで完了です。夏はこうしたルーチンが貴重です。

 

 そう言いつつも太陽が早く沈むようになり、秋が近づいています。茨城県産のお米が順調に収穫できることを願っています。そして、9月の「もりや市民大学」は、公開講座(9/21)、守谷を知るコース(9/18)、もりやいきいきコース(9/5, 9/26)、みんなのまちづくり入門コース(9/6)、みんなのまちづくり専門コース(9/9)が目白押しです。どなたでも公開講座への積極的なご参加を歓迎します。

 

7月の学長ブログ

 団体やグループを運営する際、多くの場合「規約」「会則」「要綱」などといった約束を作成するのが通常です。そういう書類は、渡されたときには「はい、わかりました」と受け取りますが、まじめに熟読することは殆どないかと思います。しかし、時にはこれが重要な役割を果たすこともあるから、やはり無駄ではないのでしょう。

 

 「もりや市民大学友の会」にも会則があり、最近も活発に運営されています。その運営がとても楽しそうなので、「私も入れてもらいたい」という希望者が増加傾向です。そんな中で、市民大学の受講経験は無いけれど友の会に入りたい、という希望者がおられました。喜んで受け入れたい、と思いながら友の会の会則に目を通したところ、会員は「受講生、修了生、聴講生、運営委員、講師など」となっており、一般市民が自由に入会することはできないと知りました。市民大学ではなく友の会に入りたい、という希望者が現れたことに驚きを隠せません。

 

 では、「もりや市民大学友の会」のどこにそんな魅力があるのでしょうか?私自身は友の会の活動にそれ程参加していませんが、友の会の方々の集まりには幾度となく出会っています。そこで毎回気づくのは、友の会の方々は常に笑顔が絶えない、皆さんいつも笑顔なのです。とても楽しそうです。この、笑顔、が肝心です。多くの笑顔が集まると、人は自然にその集団に引き付けられます。「なにがそんなに楽しいの?」と近づいてみたくなるのです。そう、「もりや市民大学友の会」には笑顔が満ちているようなのです。

 

 東日本大震災をきっかけにして2011年に発足した「一般財団法人日本笑顔プロジェクト」では、農業と防災に役立つ重機の操作を活動主体としているそうです。笑顔で重機を操る?何やら不可思議な構想ですが、いたって真面目に取り組んでおられます。その本部は長野県の浄光寺にあります。また、世界で唯一、笑顔コンサルタントを名乗る門川義彦氏によると、笑顔が持続可能な社会の実現に寄与するそうです。なにはともあれ、笑顔を武器とする団体やグループには発展の兆しが見えます。「もりや市民大学友の会」も笑顔で発展しそうな気配です。

6月の学長ブログ

 6月7日(土)は、好天のもと、もりりん中央(中央公民館)にて開講式でした。本年度申込者延べ125名、その半数近くが出席されていました。受付を担当した運営委員は「新規入学者が多く、年齢構成でも若返りが目立ちます」という手応えを感じたそうです。

 

 冒頭の私(学長)挨拶では、本年度応募者数、入学者数のご説明、毎年のコース定員と抽選制度の見直しについて、さらに、もりや市民大学の設置理念の確認、運営委員会の実態に関するご説明、最後に、運営委員が受講生に期待することを順次お話しました。

 

 後日、受講生と運営委員の双方から感想意見が寄せられました。いくつかご紹介しましょう。開講式について「思ったより出席者が少ない」、「運営委員の紹介がとても良かった、市民大学を身近に感じた」、「良いスタートでした」入学者について「不合格者ゼロは良かった」、「若い方がもっといると言い良い」などのご意見でした。

 

 松丸市長の基調講演は「地方分権一括法施行後の地方自治のあり方」という少々堅苦しい標題で始まりました。松丸市長が「地方分権一括法という法律をご存じの方いますか?」と問いかけたところ、会場はほぼ無言、市長はやや笑っておられました。そこで、私も後で調べてみました。「地方分権一括法」は平成5年(1993年)に第1次が発出されて以降何度も改正が続き、令和6年(2024年)12月に第15次が閣議決定されていました。事務や権限を国から地方公共団体へ、或いは都道府県から市町村へと移譲する仕組みを前進させるというのが主な中身のようです。特に第15次では事務のデジタル化が強調されているようでした。松丸市長もデジタル化についてかなり前向きでした。「守谷市役所の窓口カウンターが消えて全てデジタル化される」という夢、なかなか同意するのが難しいなと思いつつ、そうなる日が来るかもしれない、などと想像しました。

 

 そんなこんなで始まった本年の「もりや市民大学」、どうやら順調な滑り出しです。心配なのは42名全員入学を決めた「守谷を知るコース」「もりやいきいきコース」の教室座席です。多分、空席が無くなります。お早目の入室、前の席からの座席確保をお勧めします。

5月の学長ブログ

 新緑の季節が来ました。どの植物も葉を広げ、枝を延ばしてきます。さて、私たち人間も大いに葉を広げ、枝を延ばしたいものです。そのためには何をすればよいか?その答えが「もりや市民大学」にあります。そうです、「守谷を知るコース」では身近な情報を楽しく学ぶというコンセプトで教室が満杯になります。「もりやいきいきコース」では世代を超えて心身ともに充実した生活をおくるためのヒントが満載です。どちらも募集人数を超過する人気コースであるため、抽選で外れる方が出ることを心苦しく思っています。

 

 ところが一方、5月病と呼ばれる心身の不調が現れることも報告されています。環境変化で張り切っていた4月を乗り越え、連休で一息ついた後、心と体のバランスが崩れやすくなるそうです。環境変化への対応力、適応力が関係しているのでしょうか。とにかく、初夏、梅雨、真夏へと変化していくこの季節、互いに励まし合いながら元気に過ごしたいものです。

 

 最近気になるのは、やはり健康や寿命の話題です。今年1月26日に開催した市民大学公開講座で、講師の阿部皓一さんが「日本人の平均寿命が延びた第一の理由はなんでしょうか?」と聴衆に質問されました。そして最前列の右端から順番に「あなたはどう思いますか?」と聞いて行きました。「医療の発達」「栄養状態の改善」「健康意識の向上」などの回答が続きましたが、なかなか講師の「正解」にたどり着きません。そして2列目の右端の女性を指名した時、その方が「平和」と答えました。阿部先生「そうです!」と絶賛。平和こそが日本人の寿命を延ばした第一理由、という回答。100名近い参加者一同「なるほど!」と膝を打った次第です。

 

 ガザ地区の悲惨、ロシアのウクライナ侵攻の非道、シリアの独裁政権下の惨状、ミャンマーの軍事政権の不条理、まだまだ世界のあちらこちらで平和が実現されていない現実を報道で知るにつけ、「平和」の貴重さが身に沁みます。豊かさとは何か、という議論も注目の的ですが、その前に「平和」の維持が大前提だと改めて思い知らされました。新緑の季節を楽しむのも「平和」あってこそです。5月病を乗り越える力も「平和」が与えてくれると信じたいところです。

 

4月の学長ブログ

 感謝状、功労賞、フェロー、学位記、修了証、卒業証など、この年度末年度初めには沢山の賞状が授与されます。受賞された皆様、おめでとうございます。ところで、受ける方ではなくて授与する側に立って初めて気づくことがあります。それは、この種の賞状には句読点が無いことです。句点、読点は文章を読みやすくするために欠かせない記号ですが、なぜか賞状には句読点が使われていないことに初めて気づきました。

 

 海外でも多くの賞状が授与されます。そこで、英語圏の賞状でも句読点は省略されるのかを調べてみました。気づいたこととしては、賞状の本文には句読点は使われていない、ということでした。ただし、同じ賞状の中で別途説明文や激励文が添付されていることがあり、そこでは句読点が使われ、ビックリマークなども適当に使われているようです。英語圏では「~~に関する賞与」といった名詞形で本文を書くので、句読点は不必要なようです。

 

 改めて過去に受け取った表彰状などを眺めてみると、確かにどこにも句点、読点が記載されていない、不思議な書面ばかりでした。そして、そのような書面はなぜか格調高く見えるのです。ところが、最近のメール交換では、句読点のない文章が流行りだと聞きます。実際、自分自身もメールやラインでの短い文章では句読点を意識的に省くことがあります。でも、格調高くするつもりはありません。不思議な一致点です。

 

 今回、もりや市民大学でも退任された運営委員の方々に、市長、学長から感謝状が手渡されました。私も句読点のない感謝状本文を作成し、感慨深いものがありました。しかし、このようなしきたりはいつから始まったのでしょうか?日本文化に詳しい方にいつか聞いてみようと思います。もし、事の由来をご存じの方がおられたら、是非ご教示下さい。