学長ブログ
6月の学長ブログ
6月7日(土)は、好天のもと、もりりん中央(中央公民館)にて開講式でした。本年度申込者延べ125名、その半数近くが出席されていました。受付を担当した運営委員は「新規入学者が多く、年齢構成でも若返りが目立ちます」という手応えを感じたそうです。
冒頭の私(学長)挨拶では、本年度応募者数、入学者数のご説明、毎年のコース定員と抽選制度の見直しについて、さらに、もりや市民大学の設置理念の確認、運営委員会の実態に関するご説明、最後に、運営委員が受講生に期待することを順次お話しました。
後日、受講生と運営委員の双方から感想意見が寄せられました。いくつかご紹介しましょう。開講式について「思ったより出席者が少ない」、「運営委員の紹介がとても良かった、市民大学を身近に感じた」、「良いスタートでした」入学者について「不合格者ゼロは良かった」、「若い方がもっといると言い良い」などのご意見でした。
松丸市長の基調講演は「地方分権一括法施行後の地方自治のあり方」という少々堅苦しい標題で始まりました。松丸市長が「地方分権一括法という法律をご存じの方いますか?」と問いかけたところ、会場はほぼ無言、市長はやや笑っておられました。そこで、私も後で調べてみました。「地方分権一括法」は平成5年(1993年)に第1次が発出されて以降何度も改正が続き、令和6年(2024年)12月に第15次が閣議決定されていました。事務や権限を国から地方公共団体へ、或いは都道府県から市町村へと移譲する仕組みを前進させるというのが主な中身のようです。特に第15次では事務のデジタル化が強調されているようでした。松丸市長もデジタル化についてかなり前向きでした。「守谷市役所の窓口カウンターが消えて全てデジタル化される」という夢、なかなか同意するのが難しいなと思いつつ、そうなる日が来るかもしれない、などと想像しました。
そんなこんなで始まった本年の「もりや市民大学」、どうやら順調な滑り出しです。心配なのは42名全員入学を決めた「守谷を知るコース」「もりやいきいきコース」の教室座席です。多分、空席が無くなります。お早目の入室、前の席からの座席確保をお勧めします。
5月の学長ブログ
新緑の季節が来ました。どの植物も葉を広げ、枝を延ばしてきます。さて、私たち人間も大いに葉を広げ、枝を延ばしたいものです。そのためには何をすればよいか?その答えが「もりや市民大学」にあります。そうです、「守谷を知るコース」では身近な情報を楽しく学ぶというコンセプトで教室が満杯になります。「もりやいきいきコース」では世代を超えて心身ともに充実した生活をおくるためのヒントが満載です。どちらも募集人数を超過する人気コースであるため、抽選で外れる方が出ることを心苦しく思っています。
ところが一方、5月病と呼ばれる心身の不調が現れることも報告されています。環境変化で張り切っていた4月を乗り越え、連休で一息ついた後、心と体のバランスが崩れやすくなるそうです。環境変化への対応力、適応力が関係しているのでしょうか。とにかく、初夏、梅雨、真夏へと変化していくこの季節、互いに励まし合いながら元気に過ごしたいものです。
最近気になるのは、やはり健康や寿命の話題です。今年1月26日に開催した市民大学公開講座で、講師の阿部皓一さんが「日本人の平均寿命が延びた第一の理由はなんでしょうか?」と聴衆に質問されました。そして最前列の右端から順番に「あなたはどう思いますか?」と聞いて行きました。「医療の発達」「栄養状態の改善」「健康意識の向上」などの回答が続きましたが、なかなか講師の「正解」にたどり着きません。そして2列目の右端の女性を指名した時、その方が「平和」と答えました。阿部先生「そうです!」と絶賛。平和こそが日本人の寿命を延ばした第一理由、という回答。100名近い参加者一同「なるほど!」と膝を打った次第です。
ガザ地区の悲惨、ロシアのウクライナ侵攻の非道、シリアの独裁政権下の惨状、ミャンマーの軍事政権の不条理、まだまだ世界のあちらこちらで平和が実現されていない現実を報道で知るにつけ、「平和」の貴重さが身に沁みます。豊かさとは何か、という議論も注目の的ですが、その前に「平和」の維持が大前提だと改めて思い知らされました。新緑の季節を楽しむのも「平和」あってこそです。5月病を乗り越える力も「平和」が与えてくれると信じたいところです。
4月の学長ブログ
感謝状、功労賞、フェロー、学位記、修了証、卒業証など、この年度末年度初めには沢山の賞状が授与されます。受賞された皆様、おめでとうございます。ところで、受ける方ではなくて授与する側に立って初めて気づくことがあります。それは、この種の賞状には句読点が無いことです。句点、読点は文章を読みやすくするために欠かせない記号ですが、なぜか賞状には句読点が使われていないことに初めて気づきました。
海外でも多くの賞状が授与されます。そこで、英語圏の賞状でも句読点は省略されるのかを調べてみました。気づいたこととしては、賞状の本文には句読点は使われていない、ということでした。ただし、同じ賞状の中で別途説明文や激励文が添付されていることがあり、そこでは句読点が使われ、ビックリマークなども適当に使われているようです。英語圏では「~~に関する賞与」といった名詞形で本文を書くので、句読点は不必要なようです。
改めて過去に受け取った表彰状などを眺めてみると、確かにどこにも句点、読点が記載されていない、不思議な書面ばかりでした。そして、そのような書面はなぜか格調高く見えるのです。ところが、最近のメール交換では、句読点のない文章が流行りだと聞きます。実際、自分自身もメールやラインでの短い文章では句読点を意識的に省くことがあります。でも、格調高くするつもりはありません。不思議な一致点です。
今回、もりや市民大学でも退任された運営委員の方々に、市長、学長から感謝状が手渡されました。私も句読点のない感謝状本文を作成し、感慨深いものがありました。しかし、このようなしきたりはいつから始まったのでしょうか?日本文化に詳しい方にいつか聞いてみようと思います。もし、事の由来をご存じの方がおられたら、是非ご教示下さい。
3月の学長ブログ
3月は、卒業、退職、異動など、個々人にとって変化に富んだ月になります。それを祝って梅や桜も満開になり、記念写真を撮る人々が群がります。守谷市でも「もりや河津桜里親の会」が主催する維持管理の催しが開かれます。朝が早くなり、昼の時間が延びることもあって人々の活動が活発になって来ました。早朝の高速道路上では車の数が多くてびっくりすることもしばしばです。
そんな中にあって、もりや市民大学でも運営委員の世代交代が着々と進んでいます。当面、5人の現職が引退し、4人の新人が参入する予定です。引退される運営委員はこの13年間献身的なご尽力を頂いた方ばかりであり、いくら感謝してもしきれないほど多くの貢献をされました。毎年のプログラムを組み、講師の方々と交渉しながら一つ一つの講座を設営し、受講生を受け入れる実務を行い、開講式から修了式まで一切を手作りで仕切って来ました。それだけでなく、早い段階から次年度の開講計画に着手し、更には長期的な市民大学の在り方についても検討を怠りません。
いささか自画自賛になって来ました。それよりは「市民大学の出口」と言われているように、受講生のその後の活躍こそが財産です。お陰様で、多くの修了生の皆さんが市内各所で活躍されています。冒頭の「もりや河津桜里親の会」はもりや市民大学の教室から始まった活動です。それ以外にも「健幸ウオーキングもりや」や健康マージャン、認知症予防の料理教室など、多数の自発的市民活動が生まれています。さらには、受講生がその活動に共感し、もりや市民大学の運営委員になって下さるという嬉しい「出口」もあって、今後の発展に繋がると思われます。
春本番を迎えて何となくワクワクしてくる今日この頃、世界のニュースを見ると気持ちが落ち込むような事態が多方面で進行していますが、何とか前向きに明るく元気で進めると良いと思っています。その際、守谷市民の皆さんと連携したり協働したりしながら歩めるとなお幸せと安心を得ることができるでしょう。いささか能天気なブログになりましたが、春を迎える準備、ということでお見逃し下さい。
1月の学長ブログ
明けましておめでとうございます。昨年のお正月は能登半島地震で大揺れでした。能登では9月にも豪雨と洪水にも襲われ、甚大な被害に会いました。今年の正月は火事のニュースが多いです。戸締りと火の用心、お互い気をつけたいものです。インフルエンザの流行も気になります。手洗いうがいを徹底しましょう。
そんな中で、今年何となく気になっているのが「社会の変化についていけるか?」という漠然とした不安です。この問いかけには2つの意味が含まれていると思います。1つは同世代の人々の行動や考え方に自分はついていけているかどうか、です。頑張っている同世代には大いに勇気づけられます。もう1つの意味は、日本社会全体の変化に対応して自分の居場所を作っているかどうか、です。社会の原動力は30代~50代の働き盛りにありますから、この世代が牽引している社会を理解し、自分も役割をもって貢献しているかどうかです。特に高齢者にはこの問いが気になります。
残念ながら、一般的には高齢者や後期高齢者に上記第2の役割を期待するのは無理のようです(例外はあります)。最近、友人に勧められて「イノベーションの科学」(中公新書)という本を手にしました。イノベーションは、経済的な価値を生み出す新しいモノゴトを指すそうです。イノベーションは創造的破壊ともいわれ、古いモノゴトを新しいモノゴトが創造的に破壊する、そこには創造する人と破壊される人がいるという議論を展開しています。私自身はどう考えても「破壊される人」の側にいると思いますので、どんな風に破壊されるのか興味津々で読み始めました。結論はまだ読み終えていません。
「社会の変化」で最も身近に感じるのはスマホやパソコンを通じた情報や商品売買のデジタル化です。様々なスキルやタッチパネルの「常識」を要求され、間違いや疑問にぶつかって相談したくても、人間相手の電話相談などが消え去り、デジタル音声ガイドのみがボタンを押すことを要求し、最後の回答を得るまでにヘトヘトになるかできなくて断念するか、といった日常があります。この「社会の変化」に対しイライラとガッカリが何度も重なる自分は「社会の変化」についていけていない、と自覚するばかりです。
12月の学長ブログ
ノーベル平和賞を受賞した被団協の田中熙巳(てるみ)さん(92才)の受賞講演最後の言葉に注目しました。「人類が核兵器で自滅する事のないよう、そして核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう。」というメッセージです。一瞬、スピーチの最後を飾る軽い挨拶のようにも聞こえましたが、反芻してみるとかなり重い言葉が発せられたと思いました。そこで、「人類が核兵器で自滅する」という想定を数字で捉えてみることにしました。
現代の核兵器は広島型の1000倍や1500倍もの威力を発揮するものもあるようですが、米国が現在開発している新型爆弾は24倍だそうです。広島では昭和20年8月6日に原爆が投下され、その年の12月末までに14万人の死者が出たと記されていますから、仮にその24倍の威力を持つ新型爆弾が投下されたら14万人×24=336万人の死者が出ると推定されます。そして世界の核兵器数はおよそ12700位あるそうですから、336万人×12700≒426億人になります。地球人口は多く予想しても100億人止まりですから、地球人口の4倍を殺傷することができる、ということになりましょうか?
田中さんがおっしゃった「人類が核兵器で自滅する」ということの現実性は、数字で見る限りあり得ることでした。これは恐ろしいです。しかも、ボタンを押せばそれが実行されうるという現実。もし自爆テロリストが核のボタンに触れる機会を持ったとしたら、地球と人類は滅亡の可能性がある、つまり、田中さんのメッセージは極めて重いものだったと理解しました。
いま、地球全体で戦争、自然災害、異様な政変などが起きています。平和で豊かな2025年を迎え、更にその先まで持続可能な社会を維持するために、田中さんがおっしゃるように「共に頑張りましょう」と呼びかける以外に無さそうです。分かりやすく単純な言葉ですが、その意味するところの深さと大きさに、心を揺さぶられました。ノーベル平和賞をお祭り騒ぎに置き換えず、また、SNS上の悪意ある誹謗中傷に動揺せず、静かに心の中に収める必要があると感じた次第です。
11月の学長ブログ
もりや市民大学では学園ニュースを発信しているのでご存じの方が多いと思いますが、今回は「守谷を知るコース」第14回目にて茨城県自然博物館訪問の校外授業のニュースでした。私もこの校外授業に参加しました。340円の入場チケットを手に入館すると、直ちに研修室へ入室、そこで、守谷の昆虫の話と守谷の植物の話を聞きました。もとは守谷市と周辺市内の小学校教員だった石塚先生による昆虫のお話と学芸補助員の飯田先生による植物のお話、詳しくは学園ニュースをご覧ください。両先生は「守谷野鳥のみち」のガイドも引き受けて下さっているそうです。
オサムシの話には驚きました。マンガの巨匠、手塚治虫がオサムシの大ファンであり自分のペンネームを手塚オサムシにしたがった、という話です。オサムシに引っ掛けて治虫という名前にしたそうです。初耳でした。でも、それよりもっと私が注目したのは、石塚先生が何気なくおっしゃった「世代交代が早い昆虫は発展するのですよ」という一言でした。昆虫の多くは一年に一度の世代交代ですが、種類によっては一年に複数回世代交代できる昆虫もいるそうです。そして、そのような昆虫はより大きく繁栄するというのです。これも初耳でした。
昆虫の世界から学んだのは「世代交代はグループを発展させる」という自然法則でした。いま、もりや市民大学では運営委員の世代交代に取り組んでいます。運営委員を10年以上担当してきた方々はOBとしてその経験を次世代に伝えながら第一線から退いていただき、新しい運営委員にバトンタッチしたい、という希望です。まさに、世代交代によって市民大学を発展させたい、という思いなのです。幸いにして、守谷市広報11月号に市民大学運営委員募集の記事が掲載されました。関心ある方には是非応募していただきたいと思います。
もりや市民大学に入学することも、その運営委員に参画することも、決して敷居の高い話ではありません。今後ますます入学者同士のコミュニケーション、運営委員間のコミュニケーションを大事にして行こうという機運が高まっています。「興味を持った」という動機さえあれば、どなたでも参加できます。何か動いてみたいな、とお思いの貴方、ぜひ広報11月号の運営委員公募の呼びかけをご一考ください。お待ちしています。
10月
2015年9月の国連総会で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)は、地球の問題や課題を地球に住むすべての人たちで解決する社会づくりをめざし、2030年までに達成すべき目標を17件掲げました。さあ、「17件を全て言ってください」と言われて正しく答えられる人、いますか?1番目は「貧困をなくそう」です。6番目には「安全な水とトイレを世界中に」というのもありました。16番目は「平和と公正をすべての人に」もありました。こんな調子で、言われてみれば成程、といった目標が17件に纏められています。
その2030年まであと6年です。改めてSDGs17目標を眺めてみると、あと6年で実現できるような気がしません。逆に、目標から遠ざかっているような現実があるように思います。たとえば、先ほどの16番目の目標について言えば、世界は平和より戦争に向かってずるずると引き込まれているようです。あと6年で全ての人に平和と公正がもたらされるとは、残念ながら期待できません。そんなSDGsですが、11番目の「住み続けられるまちづくりを」という目標については、守谷市でも考えることができます。
SDGs11番目の目標「住み続けられるまちづくりを」では個人の意識、個人の行動に加えて、住民参加型或いは市民行政協働型の活動組織が必要でしょう。いま、もりや市民大学では「まちづくり協議会コース」を開講中です。このコースを受講されている方々は、皆さん地域活動に熱心で、指導的立場におられる方もいらっしゃいます。まちづくり協議会がいかにしてSDGs11番目の目標「住み続けられるまちづくり」を達成できるか、真剣な学びと議論が行われています。
SDGsを我々の日常生活と関連付けることは容易ではありません。単なるスローガン、絵にかいた餅、お題目、といったレッテルで終わらせるのはもったいない目標です。残念ながら、SDGsが国内政治、国際政治に影響力を及ぼしているとも感じられません。理想を掲げ、それを訴えることと、現実政治、現実社会の具体的課題に対応することには大きな隔たりがあります。そうであっても、もりや市民大学の「まちづくり協議会コース」はSDGs11番目の目標を実現するために学んでいるのです。これは、日常生活に限定される小さな目標ではなく、世界が目指す大きな目標の一つなのだということを忘れたくありません。
9月の学長ブログ
夏が終わりません。猛暑の連続、身近でも熱中症が疑われる症状を訴える人が増えています。自分自身も「ここで水を飲まないと危ないな、ちょっと頭がふらふらするし」などと警戒心を強めています。そんな中ですが、先日、守谷市内の公園に隣接する野球グランドで準備運動をしていた時、芝生の地面を見ました。すると、紅葉した葉っぱがたくさん落ちていたので、「あー、秋が来ている」と一瞬ながら実感しました。大丈夫です、間もなく秋が来ます。
ところで、野球グランドで準備運動?そうなのです、その野球場でシニアの軟式野球を楽しんでいるのです。野球チームは「守谷スターズ」といいます。約30年の歴史を誇ります。80歳代2名、70歳代8名、60歳代6名、50歳代5名、40歳代1名、総勢22名です。高齢化社会の縮図のようなチームです。なんと、若手は私の長男より若いのです。そんな仲間と練習したり他チームと試合をしたり、楽しい時間を共有しています。
神栖市の野球場で、土浦の還暦野球チームと対戦していた時のことです。3対2で負けていました。塁が埋まり、相手チームの打者が大きな外野フライを打ち、走者一掃の大量失点、と思いきや、3塁ランナーがホーム直前でピタッと止まってしまいました。足の裏側がつったようで一歩も動けません。あと数歩という所で停止したまま、我がチーム外野からの返球が届いてアウトにしました。足を痛めた方、お気の毒です。多分、あまりの暑さで筋肉に変調をもたらしたのではないでしょうか。こんなリスクを犯してまでプレーする必要、ありませんね。どうやらその方は今回初参加の方だったようです。
そんな次第で、暑さの中での野外活動は注意深く、また良く準備してからでないとやってはいけません。「熱中症アラート」が発せられる中、よくよく注意し、自己責任を自覚し、そのうえで楽しみを続けたいものです。野球の試合の続きですか?相手の怪我もそれほどではなかったようなので試合続行し、同点タイブレーク対決に至り、最後は逆転の8対6で勝利しました。次の試合は涼しくなっていると良いのですが。
8月の学長ブログ
お盆休み真只中でしたが、南海トラフ大地震に備えよ、大型で強い台風7号の接近に備えよ、などと警告が続き、夏休み計画に影響を受けた方も多いのではないでしょうか?ラジオ、テレビ、スマホの文字ニュースに至るまで、同じことの繰り返しでした。ちょっと前にはパリオリンピックのニュース一色でしたね。こんな風に、情報が一色に染まることに、やや違和感を持ちます。全く同じ映像と同じ説明を繰り返し見聞きすると、「重要な情報なのだろうな」と理解しつつ、過剰だなとも感じます。
他にも心配していることがあります。それは、ふとした疑問について、スマートホンにキーワードを入れると瞬時にその答えが返ってくること、についてです。そもそも、最近疑問を持ち続けるという姿勢が激減していると思います。疑問はスマートホンですぐ解決するからです。でも、疑問を長く持ち続けることで新しい知識や新しい着想にたどり着く、あの喜びはどこへ行ってしまったのでしょうか?便利さと引き換えに失ってしまったものへの郷愁を感じます。これこそ、年寄りの感傷そのものなのでしょう。
解けない謎を持ち続ける喜び、これは過去の遺物となりました。しかし、戦争を止めさせるにはどうしたら良いか、とか、災害に備えるにはどうしたら良いか、などの大きな問いに対する答えは、恐らく常識的な答えが返ってくることでしょう。それも含めて、いまや、答えのない問いはない、と言い切っても良いかもしれません。学術研究において問いを楽しんできた身としては、やはり寂しい気持ちが湧きます。
試しに「世代交代とは」というキーワードでネット検索してみました。すると、情報通信システムの世代交代はおよそ10年ごとに更新されてきたことや、組織団体の世代交代は10年~12年間隔で行われているようだ、などの知識が記載されていました。いま、もりや市民大学運営委員会も「世代交代」を検討中です。発足以来12年を経過した市民大学が「世代交代」を考えるのは妥当かな、と思う次第です。こんな問いにもこたえてくれるパソコンやスマートホン、やっぱり便利ですね。