学長ブログ

4月の学長ブログ

 春が来ました。桜は散りつつあります。公園や学校、道路沿いの木々を見ると、内側の枝がすっぽりと払い落され、外側の緑が良い形で残されている、手入れの行き届いた姿に整っているものが少なくありません。私も真似をして、我が家のヤマモモの木に手入れし、枝振りを整えてみましたが、出来上がりは今一つです。このように、自然物に手を入れることをどう感じるかは、人によりずいぶんと異なるようです。私が教えていた大学キャンパスでは、4本のヒマラヤスギが並んでいました。しかし、あまりにも巨大化しすぎて、周辺が薄暗くなってしまいました。そのため2本を切り倒し、2本は残す、という方針を固めたところ、少数ながら伐採反対の意見がありました。
 このように、自然に手を入れるべきか、あるがままに任せるか、はいつも議論が分かれます。最近、日本全体の人工林について、密生しすぎの弊害が指摘されており、強度間伐という方法が検討されています。人工林の杉やヒノキを、約半分切り倒すという方法です。こうすると、日光が地表面にまで到達し、下草が元気になって土壌侵食が抑制され、雨水も良くしみ込むようになる、ということです。人間が手入れすることによる自然環境保全、という考え方が、進んできているな、と思います。

3月の学長ブログ

 ウクライナ情勢が連日報道されています。私は土壌科学者という立場から、マスコミ報道とは違った側面で事の成り行きを見守っています。それは、ウクライナの土壌のことです。実は、ロシアという広大な国の中で、農業生産力の高い肥沃な土は、主に国の南西部に存在し、その土はチェルノーゼムという名称で世界に知られています。皆さんも、世界の穀倉地帯、という知識を中学の社会科などで学んだことはありませんか?世界の穀倉地帯は、チェルノーゼムというカルシウムと有機質に富む肥沃な土を持つ地域において存在します。そして、ウクライナにはこの土が豊富に分布しているのです。争いのもとになっているクリミア半島でも、この土が豊富です。特に農村に広がる麦畑のほとんどはチェルノーゼムのようです。私は、ロシアもチェルノーゼムという肥沃な土壌地帯を確保したいのではないか、という穿った見方をしています。黒々とした有機物に富む肥沃な土は、まさに世界の穀倉地帯と呼ぶにふさわしい生産力と田園風景を誇ります。チェルノーゼムは誰のものか、ロシアか、ウクライナか、という図式で今の問題を考えているのは、私(もしかしたらプーチンさんも)だけでしょうね。

2月の学長ブログ

 8日の大雪には、びっくりしました。通勤や所用で外出していた方々は、大変な思いをされたことでしょう。お疲れ様でした。家の周りの雪かきは、何やらご近所力を発揮した行事のような賑わいになりました。
 さて、もりや市民大学は、平成26年度コースの設計に大わらわです。どうしたら市民のニーズに応えられるか、若い世代や子育て世代を、どうやって市民大学に招くか、市民大学の修了者が協働のまちづくりに参加していくプロセスを、どう設計するか、など、考えることはたくさんあります。何よりも、市民大学を知っていただくことが大切だろう、ということになり、平成26年度では従来と同様の「総合コース」「専門コース」に加えて「オープンコース」を併設することにしました。
「オープンコース」は、いわば体験コースのようなもので、市民大学を身近なものと感じていただくために設置します。テーマとしては、子育てお母さんのための講座、あるいは、親子で夏休みを満喫するための講座、定年や退職をひかえた人のための講座、などです。各講座とも、3回程度とコンパクトにまとめ、気軽に参加することによって市民大学の良さを知っていただこう、という企画になります。守谷広報等に掲載されますので、ぜひチェックしてみてください。

平成26年1月のブログ

 新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。さて、今回も、講義ネタで参ります。というのも、この年末年始は休日が長くなり、大学の講義もしばらく休業状態となりました。そこで、冬休みの宿題を出しました。「休み中に何か自慢できることを見つけて来なさい」という宿題です。おかしな宿題ですが、意外と難問です。なぜなら、「自慢」は、日本人にとってある種の品の悪さ、人格の低さと通じるような概念として使われているので、「自慢しろ」と言われるとハードルが高いのです。ところが、NHKのど自慢とか、故郷自慢など、日常的には「自慢」を肯定的にも使っています。これを個人のレベルに引き下ろすと、なぜ否定的な概念になるのでしょう?そういうことも考えて、わざと「自慢せよ」との宿題を出しました。どんな答えが出てくるか楽しみです。
 ところで、皆さんはどんなことを「自慢」できるでしょうか?私自身も、何かを自慢してみろ、と言われると、何だか居心地が悪くなります。が、幸い、私にはこれまで育ててきた優秀な後輩と教え子がたくさんいることが自慢です。そこで、この市民大学でも素晴らしい卒業生をたくさん輩出すれば、新たな自慢の種になると思います。「私の自慢は、もりや市民大学の卒業生である」と、胸を張って言えるよう、ますます充実した市民大学を運営したいと思っています。年頭のブログが、決意表明みたいになってしまいました。

12月のブログ

 大学では、学生の成績評価で苦労します。私の場合、現役を退いた現在も、毎年、複数の大学・大学院で非常勤講師として教鞭を執っていますが、記憶力を試すような試験問題は、あまり好みません。そこで、「この授業を受けて、自分は何点だと思うか、理由をつけて評価点を述べよ」という設問をしました。その答案を読むのはとても楽しかったです。
 ある学生は「自分は0点だと思う。なぜなら、あまりにも知らないことが多すぎた」といった謙虚な答案。この学生、将来大物になるかも、と思いまして、私の評価点は最高点に近いものでした。また「82点。なぜなら・・・・・・」と言う評価点が、私から見てもピッタリという答案もありました。点数は私と一致するものも不一致のものもありましたが、その理由については、なるほどと思うことが多いのです。今の学生、なかなかに自分を客観視しているなー、と感心しました。
 さて、何かと話題の安倍政権、自分に何点をつけているのでしょうか?私の教室経験に照らすと、かなり甘い自己採点をつけているのではないか。しかし、正しい採点は国民がするものでしたね。

11月のブログ

 福島第一原発から30~50Km離れた飯舘村に行ってきました。豊かで美しい農村でした。道路から眺める限り、整備された農地、こざっぱりした農家、手入れされた山林が目に入ります。が、よく見ると、人の気配がない。そうです、「計画的避難区域」に指定された村です。あまりにも良く手入れされた家屋と庭木があったので、もう少し近づいてみると、家の中で数個の扇風機が回っていました。家の中で湿気が滞留しないよう、家が傷まぬよう、細心の注意をしていると分かりました。家人の心を推し量り、一瞬、胸が熱くなりました。
 この村に、放射線計測、除染活動、農業再生、被災者ケア、情報発信などの諸活動を、被災者と協働で行うNPO法人「ふくしま再生の会」がありました。この指とまれ方式で集まった学者、知識人、精神科医、各種シニアボランティアなどの皆さんです。飯館村が再生するためには、放射線量データを自分たちで測定し、信頼できる情報をもとに方針を立てなければだめ、という村民主体の体制を作ったそうです。詳細は省きますが、とても有意義な活動を継続しており、「協働」の実態を目の当たりにした思いです。そうか、「協働」というのは、異なる立場の人々が課題を共有し、より高い解決方法を探求する新しい活動様式なのだな、と学んだ次第です。
 もりやでも「協働」を推進していますが、まだ、明確な形を示しているとは言えないようです。この市民大学がそれを示していけるようになれば、大学を開校した意義も、より明らかになることと期待します。

10月のブログ

 新田次郎著「槍ヶ岳開山」を読みました。播隆上人が困難に打ち勝って開山を成し遂げた史実を入念に取材した上で、播隆上人を取り巻く人々の物語を創作したものです。時代を超えた筆の力は「半沢直樹」ストーリーをも凌ぐ迫力です。
 それは良いとして、この本を読んで「人の生き方」に、思いを馳せました。1つの信念に向かってひたすら前進する人生です。人生これ修行であります。
 ところで、昨今も中高年、高齢者、後期高齢者、いずれもより良き人生を求めることは健全ですが、目標は何だろうか?ゴールを求める生き方から、現在の幸せをより長く持続することを希望する生き方へと変貌しているのではないか、と考えてみました。それを否定しているわけではありません。ただ、現状が少しでも長く維持できたら良い、と考えることは、実は、現在がとても平和で幸せである、ということの証拠でもあります。いま困っている人、苦しんでいる人、危機に瀕している人、そういった人々を助けて、共に幸せを享受できたら、これほどありがたいことはない。そんな風に考えています。
 先日、踏切で動けなくなった老人を、自分の命を捨てて助けあげた方がいました。このニュースに接して涙が止まりませんでした。新田次郎から最近のニュースまでを繋ぐ、「人の生き方」という縦糸を思いました。

9月のブログ

 2020年オリンピック・パラリンピック東京開催が決定し、日本中が沸き立っているようです。福島第一原発の汚染水漏洩問題について安倍首相が「アンダーコントロールにある」と力強く述べたことが効果的だったと報道されています。私は、土壌科学の専門家として、この問題は簡単に「コントロール」できないと思っているので、とても心配です。地表面下の水の動きは複雑です。海と陸地の境界付近の地下水は、比重の異なる真水と塩水が入り混じるので、タンクから漏洩した放射性物質で汚染された地下水がどのように動き、そしてどういう経路で海洋を汚染するか、そう簡単に分かるものではありません。セシウム137を吸着して水と一緒に運ばれる土粒子の動きも追わなくてはなりません。これも人間のコントロールがなかなか及びません。他に、漏洩タンク近傍の地下水からストロンチウム90、トリチウムの検出も報道されています。今回の汚染水漏洩問題は、情報を全て開示し、国際対応チームを立ち上げてもおかしくない重要問題です。今後の政府の対応が、非常に気になります。

8月のブログ

 再び川崎市民アカデミーの話です。実は、私を講師で招聘した東京大学名誉教授は、この4月からアカデミーの学長に就任されました。ご専門は森林科学で、最近「森林飽和―国土の変貌を考える」(NHK出版)という珍しいタイトルの本を出版されました。現代日本は、森林の飽和状態、つまり、「歴史上かつてないほど豊かな緑を背景にして生きている」という驚くべき事実が記述され、注目されています。
 ところで、私たち人間は「飽和」しているでしょうか?言い換えれば、「満たされている」でしょうか?恐らく多くの方が、まだ、満たされてはいない、もっと知りたい、もっと豊かでありたい、もっと高まりたい、と考えておられるでしょう。つまり、私たちは「不飽和」な存在です。そして、飽和になりたいと思うとき、力を発揮します。不飽和は力の源です。そう考えてみると、満たされていない状態、「不飽和」な存在は、実は成長する力を内包した若々しい姿でもあるのです。市民大学は、不飽和な人を歓迎します。そう、その人こそ、明日の飽和へ向かって成長する人、つまり本学の学生なのです。
 やや、我田引水に傾きました。一人で盛り上がってしまいました。これには理由があります。なぜなら、私は不飽和土壌の専門家だからです。水で満たされていない土壌が不飽和土壌です。不飽和土壌は、もっと水を吸い込みたくてうずうずしています。そういう土壌の振る舞いを研究してみると、地球上の様々な物質循環の姿が見えてきて、興味が尽きません。そんな研究人生を送ってきたので、「飽和」「不飽和」に過剰反応した次第です。研究者は、やっぱり変人がなるもの、と思われたことでしょう。否定しません。