学長ブログ

2月の学長ブログ

 菅原文太さん、と言えば「トラック野郎」ですか?その文太さん、実は「アフガンに命の水を」(2009年、企画:ペシャワール会、制作:日本電波ニュース社)というDVDの語り手になっています。大学の教室でこのDVDを学生に見せると、大きな感動を与えます。それは、中村哲という私と同世代の医師の壮大な取組みのお話です。
 中村哲医師は、1984年からパキスタンやアフガニスタンで診療活動を行って多くの命を救ってきましたが、「医療活動だけでは命を救えない。大干ばつに苦しむ砂漠地帯に水路を作って水を引き、食料生産すれば数十万の命が救える」と思い立ち、全長24㎞の水路建設という途方もない計画を立てた人です。その事業は2003年着工、2009年完工となり、実際に作物栽培を行って緑の大地を出現させました。資金は全て日本からの寄付金によりました。この工事には、現地住民が最大700人も自主的に参加しました。
 彼らの声を聴いてみましょう。
「現地に来て初めて人の情と絆に触れた」
「汗を流して働くことの嬉しさを知った」
「ドクター・サーブ、村はイード以上のお祭り騒ぎです。私たちも、こんなに誇りに思ったことはありません」(ドクター・サーブは中村医師の愛称、イードは断食明けの祝日)
「これが作れたのは、異教徒である筈の日本人たちの献身的な努力である。最近、『異教徒』を敵呼ばわりするイスラム教徒がいるが、これでも『敵』か」(アフガニスタン治安担当者)
「おお、ドクター・サーブ、万歳!ありがとう!アフガン人として感謝の至りです。これ以上の助けはないでしょう」(13km水路完成後、通水試験実施日)
 これらは、著書「医者、用水路を拓く」(中村哲著、石風社 2007年)の中で記述された現地住民の生の声です。住民が希望と誇りを得たことを、これ以上説明する必要はないでしょう。そして、これこそが究極の「協働」ではないか、と思いました。
 私は、中村医師とお会いしたことはありませんが、現地の人を思いやり、心を強く持って用水路を拓き、そして今も継続して医療活動と技術提供を両立させているペシャワール会の活動を、共感を持って見守っていきたいと考えています。

1月の学長ブログ

 新年あけましておめでとうございます。今月のテーマは「初笑い」です。協働のまちづくり、というテーマを追求しているもりや市民大学では、安倍内閣官房が発行している「ふるさとづくりガイドブック」を入手し、新年第1回目の運営委員会にそのコピーを配布、参照しました。すると、その有識者会議座長である小田切明治大学農学部教授の一文が目に止まりました。
 小田切教授によると、まちづくりには3つの「者」が必要だそうです。それは、「よそもの」「わかもの」「ばかもの」です。「よそもの」と言えば新住民のことですから、守谷では事欠きません。「わかもの」でいえば、平成26年12月1日現在の守谷市民平均年齢は41.36歳です。確かに、守谷では35~44歳人口が最大なのです。十分若い、と言えるでしょう。さて、「ばかもの」です。小田切教授によると「心底ふるさとを愛し、地域内で新しい風を起こそうとするアイディアマン(orウーマン?)」のことだそうです。
 運営委員会では、守谷に「ばかもの」は居るかなー?という議論に進みました。その時、発言がありました。「夜の6時7時に集まって、遅い時間まで熱い議論を続けているこの市民大学運営委員会こそ、“ばかもの”の集まりじゃないの?」と。そこで、会議は一気に爆笑、反対者ゼロで結論が出てしまいました。
 そんな次第で、今年の運営委員会は大笑いで幕を開けました。昔から「笑う門には福きたる」と申します。もりや市民大学にも福を招き入れつつ運営して行きたいと思います。市民の皆様のご参加、ご協力を心から願う次第です。 

12月の学長ブログ

 年末へ向けて、気になることがあります。それは、これまでに受け取った欠礼ハガキが15枚と、非常に多いことです。実は、私も欠礼ハガキをお送りした者です。皆さん永眠年齢を書いてくださるので、大変不謹慎ではありますが、その平均値を計算してみると、87.8才(最年少は82才、最高年齢は92才)でした。報道で見る日本人の平均寿命より高いようです。
 これから高齢化社会がさらに進行します。どなたも異口同音におっしゃるのは、「健康年齢をできるだけ長く、ピンピンコロリで往きたい」ということです。全く同感です。そして、そうあるための創意工夫が、これまた千差万別、いくら聞いても飽きないほど多量の情報が入手できます。しかし、そこは年の功、どなたも自分流を発見し、喜々としてその道を歩んでおられます。
 こうした中で、平成26年度の市民大学、特にオープンコースを運営していて気づかされたことがあります。それは、異世代間の交流があまり多くない、ということです。熟年・高齢者の皆さんは、どちらかというと自分の同世代の人と交わることに安心や喜びを見出しておられます。その結果、異世代間の交流というものが、意外と希薄になっていないでしょうか?本年度のオープンコースで異世代間の交流の機会がありましたが、それが新鮮な刺激をもたらしたのです。今のご時世、若い世代も高齢者世代も、それぞれ自力でやりましょう、という暗黙の了解があるとは思いますが、若干の勇気をもって異世代間の交流を企画してみると、意外な発見や収穫があるかもしれません。平成27年度のもりや市民大学コース設計では、そのことも考慮して斬新なプログラムを組んでみたいと考えています。
 年末に向かい、まずは離れ離れで生活している異世代家族が久しぶりに集まり、家族間の交流を楽しみましょう。そして、来年は、地域での異世代間交流についても、前向きに考えてみませんか?何か、良い正夢を見そうな期待が湧いてきました。皆様、良いお年をお迎えください。 

11月の学長ブログ

  11月開講の後期コースが始まりました。今回も総合コースは「守谷を知るコース」としています。ところで、「知る」というのは何でしょう。もの知り、と言えば昔から、いろいろなことを知っている人、主に過去の事実や知識を自分の頭に記憶している人のことを言います。

 しかし今日、携帯電話やスマートフォン、インターネットやGPSのお世話にならない日はありません。こういう新しい時代にあっては、「知る」は過去のことだけでなくリアルタイムの現在(例えば、今すぐ乗れる電車の時刻、今走っている車の先の渋滞情報など)に関する知識量や情報量も大切な意味を持つようです。

 それでは、過去と現在の情報を得れば「知る」ことができるのでしょうか?どうやらこれだけでも不十分のようです。今日では、今後起こるであろうこと、つまり未来についても情報を持つことが「知る」ことの重要な要素になりました。守谷市の今後の人口予測、財政予測や市民の年齢構成予測、災害の可能性予測、といった未来予測を含めて、初めて守谷を「知る」ことになるのです。その意味で、11月開講の総合コースでも、過去・現在・未来にわたって「知る」を追究することになるでしょう。

 私が長年送ってきた研究教育生活においても、「知る」内容がどんどん変化し、海外の先進研究を日本に導入すること(過去の知)、発達した測定機器を駆使してリアルタイムの数値データを取得すること(現在の知)、そして理論やコンピューターを最大の武器として未来予測を行うこと(未来の知)へと急速に発展しています。これからの若い世代の人たちは、こうした教育と環境の中で育っています。若い世代にとっての「知る」は、より一層“未来を知る”ことに傾くことでしょう。ただし、もりや市民大学では、過去・現在・未来の知をバランスよく提供することが大切だと思っています。

10月の学長ブログ

 毎月、心が痛くなるような災害が発生しています。が、そういった問題はひとまず措き、今回は、この1ヵ月で得た小さな喜びの話にします。それは、例のNHK朝ドラ「花子とアン」のおかげです。番組の最終回に近いとき、モンゴメリーの作品邦訳タイトルの話題がありました。原作の直訳ではインパクトが弱いので、日本語では「赤毛のアン」というタイトルに換えようということになりました。ドラマの主人公で翻訳者の村岡花子はこの案に反対しましたが、若い人が「それ、いいじゃない」と言うのを聞いて気が変わり、「赤毛のアン」に賛同したところ、この翻訳書は日本中で爆発的な売れ行きとなったそうです。
 実は、私も現在小さな本の執筆が終わったところなのですが、肝心のタイトルが面白みに欠けるな、と悩んでいました。その時このテレビドラマを見ていて、ふとアイディアが湧きました。そこで、そのアイディアについて、私が教えている大学の大学院生に「どう思う?」と聞いてみました。そうしたら、彼らが「それは良い、親しみがわく」という意見をくれたのです。そんな次第で、私の著書の新しいタイトルを決めることができました。どんな本か、何というタイトルか、という所は、出版後にご報告します。地味で専門的な薄い(130ページ)本です。
 テレビ、ラジオ、新聞、小説、インターネットなどから、ふとしたヒントをもらうことがあります。今回は、視聴率の高いNHK朝ドラからヒントを得て、小さな喜びを得たお話でした。 

9月の学長ブログ

 今月は、書くことが思いつきません。なぜでしょう?この1ヵ月間、いろいろなことがありました。特に、8月20日広島で発生した「平成26年8月豪雨」は、大規模な災害となりました。私の専門分野である土壌科学から見ると、瀬戸内海沿岸の四国側では「領家花崗岩」が風化したマサ土、広島県側では「広島型花崗岩」が風化したマサ土が分布しています。広島型花崗岩のマサ土は、粘着力が少なくて透水性が高いという傾向があります。あれだけの豪雨があると、透水性の高さゆえに全ての水を飲みこんで地下水が異常に上昇し、土石流を起こしたのだろうと考えています。
 どのような土地に住むか、ということが長期的な安全や安心にも影響してきます。守谷市は標高が20~25mぐらいの土地が多く、例えば近隣の野田市や竜ヶ崎市と比べても5mぐらい高い標高になっています。実は5000~6000年前に縄文海進という時代があって、その頃は守谷だけが陸地(下総上位面という)であり、守谷の東西と南の土地の多くが海面下にありました。ですから、守谷市の土地は、津波や洪水のような災害に対して少し安全性が高いのです。
 どこに住むか、ということについて言えば、災害の心配の少ない土地に住みたい、と望むのは当然です。広島の災害だけでなく、豪雨災害、津波災害、地震災害、最近ではウイルス災害にも用心しなければなりません。まさか守谷市にまでデング熱ウイルスを持つ蚊が飛んできたりしてはいないだろうな、と微妙な不安も生まれます。
 そんなこんなで、のんびりとブログを書く心境になれませんでした(と言いつつ書きました)。 

8月の学長ブログ

 「昔の話をすると、そんなの知らない、と言われて寂しい気持ちになる」と言ったのは、20代前半で塾の講師アルバイトをしている若者です。塾の正規講師、アルバイト講師、職員のいずれも短い期間で入れ替わるので、いつの間にか自分が最古参になってしまったという訳です。数年前にいた名物講師の話、教室での出来事など、記憶を共有できないと言います。若い彼の言う「昔の話」とは数年前のことに過ぎません。

 さて、数十年、更には半世紀を超えた社会の記憶、歴史の記憶はどうでしょう?今も、戦争の記憶、原爆の記憶を語り継ぐことの重要性と難しさがいつも話題に上ります。価値ある記憶、忘れてはならない記憶を風化させないためには、特別の努力が必要です。しかもその記憶は正確でなければなりません。そういえば、「昔の守谷駅はこうだったのだ」と言って過去の記憶を口にすると、現在の守谷駅しか知らない世代は「ふーん、そうなの」という軽い反応です。別にそれを非難する気はありませんが、自分にとっては当たり前の記憶が、他人にとってはその事実が存在すらしない、という現実。伝えることの重要さと難しさを認識せずにはおられません。
 もりや市民大学も開校して早2年、協働のまちづくりを担う人材育成を目指して、着々と進んでいます。まだ過去の記憶を語るには早すぎますが、20代の若者の例を思うと、うかうかしていられません。初心忘るべからず、そして、温故知新で行きたいものです。
 ところで、温故知新、古きをたずねて新しきを知る、という諺そのものが、「知らないなー」になっているかもしれません。今月のブログは、何かの教訓めいたセリフを書くのではなく、こういう現実をどう感じるか、そしてどう考えるか、という漠然とした視界を持つところにとどめ置きたいと思います。8月はそういうことを考えるに相応しい月です。

7月の学長ブログ

  「あなたの趣味は何ですか?」と聞かれたら、私は、まず野球、そしてゴルフ、水泳、ピアノ演奏、スキー、読書と続きます。野球とピアノは50歳で始めました。水泳とスキーは30代で始め、ゴルフは65歳が初体験です。どちらかというと上達を楽しむタイプですが、なかなか上手くならないもので、まあ上達することを信じてその過程を楽しむということになります。特に、他人と比較すると趣味がストレスに代わるので注意が必要です。楽しみつつ上達すること、これが一番ですね。

 と言いつつ、こっそりと私のレベルを白状しますので、どうぞ優越感なり羨望なりを味わってください。ピアノは自己流です。今練習しているのはドビュッシーの「月の光」、暗譜はなかなか厳しいです。ショパンの「幻想即興曲」を最終セクション以外のほとんどを暗譜できて、一応全曲弾けるようになったときは、嬉しかったです。「雨のち晴レルヤ」は譜面をインターネットでダウンロードしてコード演奏してみました。即興のお気楽演奏も時々楽しみます。ゴルフは全く経験がなく、7月でちょうど1年目です。120を切るのが目標です。軟式野球は50歳の時が初体験。大変でした。ルールも道具の知識も技術も、何も知らずにシニア野球に飛び込み、1から10まで教えてもらいました。ソックスのはき方、スパイクのはき方、グローブの手入れ法、正しいキャッチボールのやり方、全てが初体験。「守谷スターズ」という素敵なチームの一員です。去年の公式戦平均打率は3割2分ぐらいでした。読書は、吉村昭、池井戸潤、有川浩、宮城谷昌光、ジェフリーアーチャー、アーサーヘイリー、といった、ちょっと社会派の大衆文学を好みます。
 初対面同士の集団で自己紹介をするとき、多くの場合「私の趣味は・・・」と述べますが、あれは日本人特有の文化なのでしょうか?そういえば、誰かが言ってました。「趣味とは理想的な暇潰し方法である」と。

6月の学長ブログ

  4年に1回開催される国際土壌科学会という大会に出席してきました。開催地は韓国済州島(チェジュ島)、130国以上、2500人以上の参加で、盛大でした。私も、米国、オーストリア、オランダの研究者と4人で一緒に昼食を共にしてこれからの土壌科学ジャーナル(専門誌)の編集方針を議論したり、海外の友人知人たちと再会したりと、国際色を楽しんできました。

 ところで、今回の開催趣旨は「健全な土は世界の平和と人間の命の源である」というメッセージを発信することでした。このテーマに沿った国際学会としては成功していると思いますが、私としてはもう一つ物足りなさも感じました。その理由ですが、個々の研究発表の内容とレベルについて、これは、と目を見張るような新発見や新理論といったものに、あまりお目にかからなかったからです。それよりも、世界のこと、地球全体のことを考えて、個別分散化した専門分野の協働を進めること、といった目標が大きな支持を集めていました。
こういった傾向、つまり“個々の発展も良いけれど、大きな目標に向かって協働しようよ!”という呼びかけは大いに賛成ですが、その言葉に酔ってはいけないのではないか、と考えさせられた次第です。そういえば、「自分の言葉に酔っている」という批判、どこかで耳にしたことありませんか?
 私の国際土壌科学会も、大会は成功したかに見えますが、自分の言葉に酔っただけ、という批判を浴びないよう、内実を固めることの重要さを改めて考えた次第です。何が大切か、という本質的な問いかけは、いつも忘れてはいけませんね。

5月の学長ブログ

 1月の学長ブログでご紹介した冬休みの宿題、その結果について、しばし考えさせられました。若者(大学院生です)の自慢話が、素晴らしかったのです。曰く「成層圏まで行った」「集中力がある」「日本全国47都道府県と年賀状交換している」etc。
 「成層圏まで行った」大学院生、実は学部生時代にワンダーフォーゲル部に在籍して登った山の高さの合計が約40kmで、その高さは成層圏に達している、という「自慢」でした。登山をどう自慢するか、その表現力に工夫と独創性が見られました。「集中力がある」大学院生は、何と5歳からバイオリンを引いていて、大学のオーケストラで一番前の座席でバイオリンを弾いていた、という才人であり、その演奏において集中力を磨いたそうです。圧巻は「日本全国47都道府県と年賀状交換している」大学院生でした。学部生時代に国内全ての都道府県の農家を泊まり歩き、その後全ての県の農学部学生に呼びかけて「全国の学生と共に日本の1次産業を盛り上げる」という理念の学生団体を立ち上げ、その活動により農林水産大臣賞を獲得していました。確かに自慢してよろしい。かくして、私は思い至りました。今の若者、大いに期待できる、と。
 学生時代に独創的な活動を行い、就職活動では平均50社近くの面接を受け、日常的にスマートフォンやインターネットで広いネットワークを持っている若者たち、彼らの視野は、ひょっとすると、終身雇用だけで退職を迎えた高齢者よりずっと広いのかもしれません。