学長ブログ

7月の学長ブログ

 7月10日夜、「もりや市民大学オープンコース、若者の力を取り入れよう!」という教室の第2回目がひらかれました。この日、参議院選当日とぶつかり、昼間の気温が30℃を大きく超えた暑い日となったので、オープンコースへの参加者が少ないのではないか、と危惧しました。が、ふたを開けてみると、いつの間にか教室一杯の市民が集まり、筑波大学T-actという活動紹介の話を聞きました。
 講師は筑波大学助教の黒田先生が連れてきた現役筑波大学生(3年生と1年生、5人)。1つのグループは、昨年立ち上げた「盆LIVE」企画の実績と今年の計画を、他のグループは、「世界一大きな授業2016」という地域連携の取り組みを、それぞれ紹介してくれました。現役学生さんを講師とし、神妙な顔でその講義を聴くシニア世代。そこには、確かに教える側と教わる側の、整然とした「市民大学」教室がありました。
 さて、「盆LIVE」の面白さ(盆踊りとミュージシャンライヴとの融合)についても報告したいのですが、ここは省略し、後半の「世界一大きな授業2016」について、新たに知ったことをご紹介します。実は、世界で文字を読めない成人の人口は7億7600万人と推計されているそうです。世界人口は、現在73億人を超えています。私が生まれた時の世界人口は約25億人でしたから、その3倍弱に膨れ上がっています。この世界人口の中で、飢餓に瀕している人口は7億9000万人、安全な飲料水を利用できない人口は8億8400万人、世界の貧困層人口もおよそ8億人、と公表されていますから、文字を読めない成人の数ともほぼ一致します。飢餓、水不足、貧困、文字が読めない、の何れも約8億人だ、という数値データは、それぞれ独立した情報として収集されたはずですから、意図的な一致ではありません。もちろん、8億人が同一人間に重なっているとは言えず、それぞれ別の地域、別の国で起きている問題ですが、総量は、それぞれがほぼ同じ8億人になるのです。
 平和と豊かさを併せもつ持続可能な社会を実現するには、地球人口の8億人に手を差し伸べる必要がある、ということです。どうやら、まず自国の利益を最優先して既得権を保持する、といった例の大統領候補者の主張とは逆のことを考えなければ、この問題は解決しません。日本はどうするか、若ものは、すでにこういう視野をもって活動を開始しています。「盆LIVE」では外国人留学生が参加しやすいように配慮するそうですし、「世界一大きな授業」は筑波大学周辺の小中学校で開講予定だそうです。参院選当日の夜、もりや市民大学のオープンコースで、こうしたことを学びました。

6月の学長ブログ

  「サタデー・ナイト・フィーバー」を記憶しておられる方はどれだけいるだろう?1977年、若者がディスコ文化を爆発させていた時代、アメリカ映画で主演のジョン・トラボルタが一躍有名になりました。当時30歳だった私は、研究論文の虫になっていて、娯楽映画からは遥かに遠ざかっておりましたが、それでも「サタデー・ナイト・フィーバー」という言葉は根深く記憶しています。「あれから40年!、今では※◎★♪」というのはお笑いのセリフですが、そうなんです、もう40年近くが経過したのです。
 ところが、この守谷に「サーズデイ・ナイト・イン・モリヤ」が登場しました。さすがに「フィーバー」は言い過ぎなので、抑えましたが、もりや市民大学がイオンタウン守谷2階コミュニティーホールで開講したオープンコースのことです。昨夜6月9日が第1回目でした。夜7時、ホールに近づくとちょこんと受付があり、中に入ると20名ほどの先客。さて、どんな講義になるのかな、と思いながら聞いていました。講師の西辻さんは守谷で「自然素材西辻弥」という企業を起こした40代の人です。若々しくて、溌剌とした話しぶりに、だんだんと身が入ってきます。その間に、次々と入場者が増え、ホールはほぼ一杯になるほどの盛況ぶり。
 西辻さんが「challenge」と「balance」をキーワードとして頑張ってきたこと、守谷を健康で健全な街にしたいと願っていること、農業生産者と生活者と地域をつなぐために役立ちたいと思っていること、などが熱く語られました。話が終わって拍手が送られたのち、活発な議論が展開され、ホール全体が「食べること」への関心をより強めることになりました。
 大きな拍手で終えた今期第1回のオープンコース、いやー、これなら「フィーバー」と名付けても良かったかな、と思うほどでした。司会の福田さん(市民大学運営委員)のリードの上手さも光っていました。西辻さん、福田さん、そして担当運営委員やサポーター、夜遅くまで1人の退席者も出なかったのは、あなた方のお力によるものです。快く会場を提供下さっているイオンタウンさんにも感謝です。次回以降のオープンコースにも期待しましょう。

5月の学長ブログ

 論語にいう「之を如何せんと曰わざる者には、吾之を如何ともするなきのみ。」という言葉が気に入っています。私の理解では、「どうしよう?とあれこれ悩む人には教えてあげられるが、そうでない人には何も教えられない」といった意味かと考えています。

 要するに、なかなかうまく行かないことがあっても、「どうしたら上手くなれるだろう」「どうすればより良くなれるだろう」と悩む人でないと、導き教えても無駄だ、といったことでしょう。自分で思い当たるのは、50歳で始めた軟式野球、65歳で始めたゴルフ、独学でやっているピアノのことです。どれも、年齢や体力や能力のせいにすれば、うまく行かないことは当然、と割り切ることができます。しかし、練習と工夫によって上達できるのであれば、その分、楽しみが増します。そこで、論語の言うように、「如何せん、如何せん」と悩む日々を積み重ねてきました。

 問題は、あれこれ悩み、教えを乞うても、なかなか上達せず、上手くもならないことです。「論語の教えを守っているのに、効果が出ない!」と、孔子さんに文句を言い始めます。 さて、どうでしょうか?孔子の教えは的確なのでしょうか?たとえば、野球です。少年野球を全く経験しなかった私が、50を超えていきなり軟式野球チームに入り、グローブも初めて買いました。それほどの無知から始めて、今では還暦野球の公式戦に出場できるようになったのですから、多少はできるようになりました。が、チャンスに打てません。ゴルフも若い時の経験が皆無で、65歳にして突如クラブを購入しゴルフ教室に通いました。やっとドライバーを打てるようになりましたが、アプローチがいけません。ダフリとトップのオンパレードです。ピアノは、現在ドビュッシーの「月の光」を練習中。ショパンの幻想即興曲は、ゆっくりなら何とか弾けるようになってきました。

 論語の教えは奥が深いです。今では「悩むべきか、悩まざるべきか、それが問題だ」となってきました。もう諦めようかな、とも思います。この迷い、今度はシェイクスピア的になってきました。支離滅裂です。

4月の学長ブログ

 守谷の散歩は、なかなか楽しいと思います。“幸福の路”ももちろんですが、住宅地を歩くのも快適です。週刊雑誌、日経ビジネスの1月25日号によると、活力ある都市ランキング(全国)の第8位に守谷市がありました。その理由をみると、「空き家が少ない」こと、「治安がよい」こと、「新しい住宅が多い」ことが記載されていました。特に、空き家の少なさは、何と全国1位だそうです。

 そのせいでしょうか、どこを散歩していても、家がきれいだな、とか、庭やアプローチがしゃれているな、などと、つい見とれながらの散歩になります。確かに、廃屋を見ることは滅多にありません。「ふーん、全国1位の住宅街か」などと勝手に解釈しながらの散歩です。この街をもっときれいにできないでしょうか?それも、協働の町づくりという方針の下で、です。

 本年、もりや市民大学の6月開講コースでは、専門コースとして「花のまちづくり園芸講座」を設置しました。ここでは、日本における園芸文化の歴史にも触れ、そして美しい街並みにもつながる家庭での装飾の工夫や公園での市民協働による花壇づくりの技術を習得する予定です。このコースを修了した受講生が、さらに美しい守谷を作ってくださるに違いありません。誠に楽しみです。

 そのうち、日経ビジネスには「最も散歩したくなる街ランキング」という項目を作ってもらいましょう。もちろん、初代1位は、守谷市になるのです。

3月の学長ブログ

 先月のブログで予告したとおり、3月12日土曜日、東京大学農学部の弥生講堂にて、「食料は足りるのか」というテーマのシンポジウムが開催されました。
 「世界の食料問題と日本のポジション」は、名古屋大学の生源寺眞一教授が農業経済学の観点からお話になりました。経済学的なデータ表をたくさん見せてくれましたが、専門的内容に入ると、難しく感じました。「水と気候変動と食料生産」は、東京大学生産技術研究所の沖大幹教授が工学的な予測技術を駆使した最先端知識を展開してくれました。3番目は「人間と食料」というタイトルで私が35分ほど講演しました。聴衆から「分かりやすかった」と言われました。4番目は「魚が獲れなくなることは大問題か?」で、東京大学の黒倉壽教授が問いかけました。海外の専門研究者同士の論争紹介が中心であり、ついていけませんでした。最後の「100億人を扶養するための食料生産:挑戦と課題」は、つくばの国際農林水産研究センターの岩永勝理事長が、ローマクラブ報告「成長の限界」に立返り、包括的・俯瞰的にお話くださいました。
 このシンポジウム、弥生講堂305座席が99%埋まりました。赤ちゃん連れのお母さん、高校生、大学生、大学院生、ジャーナリスト、出版社、農業実践者、高校教師、地方大学教員、主婦、退職者、など、多種多様な参加者が集まり、とても熱心に聞いておられました。食べることへの関心の高さは、どこへ行っても変わらないものだと、改めて感心しました。
 さて、3月26日は、我がもりや市民大学でも脇雅世さんをお迎えして「天皇の料理番の料理番来る!」と題する公開講座を開きます。ここでも、多種多様な参加者で全席満員となることは間違いありません。どんなお話を聞けるか楽しみですね。いつの世も、衣・食・住は、市民最大の関心事といって良いでしょう。ただし、平和な世の中であればこそ、です。 

2月の学長ブログ

  暖冬、と言われて始まったこの冬、確かに「気温が高いな」と思う日々もありましたが、1月から2月にかけて、寒い朝や寒い日が結構続きました。12月末には車をスタッドレスタイヤに履き替え、「いつ雪が降っても大丈夫」と準備してきましたが、これまでのところ守谷では雪が降っていません。せっかくスタッドレスに替えたのだから、1度ぐらい雪が降ってくれても良いな、と思う次第です。
 それにしても、日本人は天気予報が好きだな、と思います。かつてアメリカで1年間在外研究を行ったとき、毎日のテレビで天気予報を見ていましたが、非常に大雑把な印象を受けました。何しろ東西4時間の時差がある国全体の天気予報ですから、予報対象のサイズがでかい。「低気圧が来て風が吹き、天気が荒れるでしょう」といった予報の対象地域は、私が住んでいたカリフォルニア州を含む、オレゴン州、ネバダ州、アリゾナ州などの広域で示されます。確かにおおまかな予報は理解できますが、果たして自分が出歩く時間帯に、その行先で雨が降るか、晴れるか、風が吹くか、などと言った詳細な予報は得られませんでした。日本では、例えば「茨城県南では雨、水戸では雪になるでしょう」などと言った親切な天気予報は、当然と思って受け止めます。しかし、カリフォルニアでは、日常のテレビ番組での天気予報には、そういったピンポイントレベルの天気予報はありませんでした。
 話は変わりますが、海外から見た日本、というものは、恐らく全体としての状況をマクロに感じ取るのだと思います。我々日本人は、常に内部から、細かい違いや変化を敏感に感じ取って生活していますが、全体の状況を感じ取る機会が少ないかもしれません。天気予報のスケール感覚と同じで、自分に直結する詳細を知りたがる割に、全体の動向には案外と鈍感かもしれません。
 そういった次第で、日本の天気、ではなくて、経済や政治や社会といった大きな動向についても、ローカルな理解だけにとどまらず、大局的に感じ取ることが必要だろうと思います。そんな思いを抱きながら、実は、3月に東京大学で開催される「食料は足りるのか」というテーマの公開シンポジウム講演を準備中です。私が話す内容は「人間と土壌」です。世界全体から見て、人間と土壌はどう関わっていけばよいのか、大局的見地からお話しできればいいな、と思案している今日この頃です。

1月の学長ブログ

  明けましておめでとうございます。今年は、年明け早々世界のニュースが飛び込んできて、「日本の正月」を味わう気分が吹っ飛んでしまったかのようです。やれ「サウジアラビア(スンニ派)とイラン(シーア派)が国交断絶」(1月4日)、やれ「日経平均株価も中国株価も世界株価も連続値下がり」(1月4日から)、やれ「北朝鮮が“水爆”実験」(1月6日)、やれ「トルコで自爆テロか」(1月12日)など、お正月のしめ縄飾りをおろす間もなくザワザワしたニュースが飛び込んできました。
 そうこうしているうちに成人式がありました。今年6月19日からは18歳投票権が適用されることもあってか、20歳の新人たちが意外と思慮深い発言をするな、と思いました。自分たちより年下の世代が投票権を持つということで、20歳もうかうかしていられない、と思ったのかもしれません。
 さて、そんなお正月でしたが、皆さんはどのように過ごされたでしょうか?私ですか?いや、恥ずかしくてあまり公開したくないのですが・・・。はい、正直に申しますと、孫との時間を長く持ちました。「ご多分に洩れず」というところです。20kg 近い孫は瞬間的にしか抱っこできません。約15kgの孫は、しばらく抱っこしますが、どさくさまぎれに降ろすか誰かの手に横流ししてしまいます。約10kgの孫は、これなら大丈夫だろうと比較的長く抱っこしますが、その夜は肩が痛くて目が覚めます。というのは、私こと、両肩の腱板を損傷(断裂)しているからです。その原因については、いずれまたご報告します。
 大上段に振りかぶったお正月ブログですが、やや情けないニュースに萎みました。こうしてマイニュースを重ねていくわけですが、世界で深刻化する国際間紛争の犠牲者である難民にも、震災や災害からの復興途上にある方々も、それぞれのマイニュースをお持ちです。彼らのマイニュースと私たち守谷市民のマイニュースが余りにもかけ離れていることに愕然とします。この地球上に同時代を生きている人類、もう少し仲良くできませんかね?今年の私の夢は、この辺にあります(現実はもっと厳しい、というお叱りは甘んじて受けます)。

12月の学長ブログ

 守谷の「鳥のみち」を散策しました。もりや市民大学「友の会」の主催で、南守谷駅を起点とし、愛宕中学校の裏手にある「守谷野鳥の森散策道」と、それに続いて守谷小学校の裏手にある「鳥のみち」を散策してみよう、ということになった次第です。確かに、湿原があり、よく整備された木道(愛宕中学校の生徒さんたちが貢献してくれたとか)、そして各種の鳥たちがさえずる自然道が続いていました。歩くのも快適なところが多かったです。そこで、歩きながら、「湿原」について考えてみました。
 そもそも、尾瀬や釧路の湿原地帯は、なぜあのように広く美しい景観を維持しているのでしょうか?それは、水に秘密があります。湿原が美しい景観を保つには、そこにある水が「貧栄養」でなければなりません。「貧」が「美」を作るのです。究極の「貧」は、雨水だけが流入し、他の一切の水の流入を阻止した場合に実現します。こうした条件下では、その栄養状態で生育できる限られた植物のみが繁殖するので、整然とした心休まる景観が出現します。その究極の姿がミズゴケ湿原です。ワタスゲやホロムイスゲもちらほら見えたりしますが、それ以上の雑木は水が「貧栄養」であるが故に生育しません。
 これの反対語が「富栄養」です。富栄養水というのは、植物の落葉や枝、小動物の死骸など有機物、農地から流出する肥料や農薬成分、生活雑排水に混入している様々な化学物質など、水の中にたくさんの養分が含まれている水のことです。また、土砂の流入も栄養を一緒に持ち込むことになるので、「富栄養」に一役買います。こうした水が流入すると、様々な植物が繁茂し、人間の手入れが無ければ雑然とした雑木林になってしまいます。「富」が景観を台無しにするのです。
 さて、わが「鳥のみち」は、湿原を貫く快適な木道とセットになって、美しい湿原景観に近づこうとしているのですが、水を観察してみると、周辺の土地から「富栄養水」がたくさん流入しているように見えました。これでは、美しい湿原風景に移行するのは難しいかもしれません。生活雑排水はもちろんですが、地表面を流れる自然の水もできるだけカットし、湿地帯には雨以外の水を入れないようにすれば、もっと景観が改善するのではないか、と思います。水は「富」より「貧」を好む。では、人間もそうか?などと無駄な思案をしながらの、楽しい2時間歩きでした。

11月の学長ブログ

  「守谷市には6つの地区があります」と話し始めたのは、守谷市社会福祉協議会代表の女性です。「今から、各地区の地域福祉活動計画の具体的な取り組みを、写真などを使って説明します」と続きました。さて、どんなお話だろうか?と聞き耳をたてました。まず、「守谷地区」「高野地区」「大野地区」「大井沢地区」「北守谷地区」「みずきの地区」という6地区それぞれで、独自に展開している活動が、確かに具体的に紹介され、とても新鮮でした。中でも、鬼怒川氾濫で災害を受けた常総市に対する支援活動にいち早く取り組んだ「みずきの地区」の活動経過には感銘を受けました。
 「みずきの地区」では、災害発生後数日を待たずに、毎日8名ずつのボランティア支援隊を組織して交代で現地派遣を行い、被災者支援に多大な貢献をなしたことを、この講義で初めて知りました。「みずきの地区」における日常的な地域福祉活動が良く組織化され、住民同士の相互信頼や連絡体制が整っていたからこそ、近隣市町村の突然の被災支援についても迅速な対応が取れたことを知り、日常活動レベルの高さと住民意識の深さを感じ取りました。
 このお話を聞いたのは、11月7日、市民活動支援センター1階ホールで開催された、もりや市民大学平成27年度後期コースの開講式でのことです。第1回市政講座として、「地域福祉の現状は~地域福祉計画を踏まえて~」と「守谷市地域福祉活動計画~もりやのしあわせみんなで築こう~」という2テーマでの講義があり、その後半で聞くことができました。
 「地域福祉計画」や「地域福祉活動計画」といった、漢字だらけで、ある種使いすぎの行政用語は、市民にとって鮮度の低い、言葉は悪いですが聞き飽きた文言になっているのではないかと思います。しかし、地域ごとのきめの細かい具体的な活動内容を伺うと、通り一遍の画一的な活動とは異なる、個性的で生き生きした具体的活動が浮かび上がってきます。こういう地域情報が、周辺地域にもうまく発信され、情報共有しつつ独自性を発揮できれば、もりや全体が多様性に富んだ発展を遂げられるのではないか、そんな思いがしました。

10月の学長ブログ

  いきなり私事で恐縮です。私が4年前まで勤めていた東京大学農学部の正門入り口すぐの左側に、「朱舜水先生終焉之地」という石碑が立っています。現役時代、この先生は何の専門家だったのだろうか?と不思議に思いながら、疑問のままに定年退職してしまいました。
 ところで、最近読んだ歴史小説に、その朱舜水先生が出てきてびっくりしました。この先生は、中国の明朝が滅亡した時に日本に亡命し、徳川家の水戸光圀に相談役として重用され、大きな影響を与えた人でした。続いて、あと2件びっくりしました。まず1件目は、当時の江戸における水戸屋敷の敷地と現在の東大農学部の敷地とは、ほとんど同一なのです。私は農学部7号館A棟というビルの5階教授室におりましたが、もしかすると、水戸光圀さんがお殿様として仕事(たとえば、大日本史の編纂事業)していた時の執務室と私の研究室とは、同じ場所だったのかも知れません。
 もう1件は、あの「後楽園」の名付け親が朱舜水先生だと知ったことです。つい先日も、私はプロ野球の巨人・広島戦を観戦してきたばかりなのですが、その時はこれを知りませんでした。東京ドームに隣接する「後楽園」という名は、「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という意味で名づけたそうです。立派な価値観です。もっとも、楽しみを先行させるのは庶民の特権であり、お殿様はあとで楽しみなさい、という教えなので、ほっとしていますが・・・。
 何はともあれ、身近な事項でありながら長年知らなかったことを、ある偶然で知ることになる、そんな喜びは無限にありそうです。協働の町づくりを目指すもりや市民大学でも、守谷の「知らなかった」をたくさん掘り起し、その知識をエネルギーにして新しい町づくりに生かそうとしています。「守谷を知る」というコース名は、そんなところから命名されました。