学長ブログ
11月の学長ブログ
6月開講コースが修了し、11月開講コースが始まりました。運営委員会では、修了コースはどうだったかを総括し、11月開講コースを運営しつつ、来年6月開講コースの設計を開始しています。なかなかに忙しいです。そんな中で、大人気だった修了コースと、受講者数が少なかった修了コースの反省をしました。
「健康ウォーキングマスター講座」は定員20名で募集しましたが、1日か2日で受講希望者が30名を超え、講師の宇佐美先生と相談のうえで定員をギリギリ35名まで増やしました。それでもこの定員を超えて次々と希望者からの問い合わせがあり、お断りするのが大変だし申し訳ない気持ちで一杯でした。そして、10回の講義修了時アンケートによると、コース満足度は90%以上、自由意見でも「痛みが生じず歩けるようになりました」「理論がわかった」「姿勢が良くなった」「疲れにくく歩けるようになった」「楽しかった」「多くの人に経験してほしい」「継続した方が良い」「分かり易く最高」といった書き込みが溢れました。受講生35名全員が修了証を受け取ったのも、もりや市民大学始まって以来のことでした。
「守谷をもっと良くしようプロジェクト」も定員20名で募集しましたが、受講希望者14名に留まり、開講可能性がギリギリでした。さてこのコースですが、10回の修了時アンケートを見ると、コース満足度はやはり90%以上でした。自由意見も「新たな気づき、学びをいただきました」「意見交換が良かった」「疑問点がよく分かった」「非常に面白かった」「具体的で分かり易かった」「守谷をもっと良くする為には必要な講座」「内容的に素晴らしいので受講者数を多くしてほしい」など、とても積極的でした。このコースは期待以上であった、と総括しています。
こうしてみると、受講者数の多い少ないは、コース名のつけ方が多いに影響しているのではないか、それは運営委員会の責任ではないか、ということになり、反省しきりでした。これからのコース設計では、より魅力的なコース名を考案し、受講者数をさらに広げていきたいと思います。いま、「守谷未来設計コース」といった名前のコース設計を検討中ですが、こんな名前はいかがですか?
10月の学長ブログ
良い季節になりました。涼しい、暑い、良い天気、さわやか、ストーブが必要、など全国各地からのメールの冒頭には、季節の変わり目に相応しい様々な時候の挨拶言葉が書いてあります。メールは、短ければ短いほど良いとされていますが、それでも時候の挨拶言葉が一言入っていると、なごみます。
それにしても、言葉の正確さ、重み、味わい、などについて心配です。A新聞のファクトチェックという欄を見ると、たとえば安倍首相が昨日の記者会見で言った言葉について、本当かどうかの事実確認をした結果を、地味な記事として1面中間あたりに記載しています。これを読むと、記者会見での発言は事実ではなかった、誤りだったことが証明されたりしています。それで、その後はどうなるのだろう?と思いますが、それ以上のフォロウアップ記事は見当たりません。
世の中に出た情報や言葉が、事実かどうか、という疑問はなかなか解消しないという現実社会に、大きな失望を感じます。科学の世界では、理論や予測が真実かどうか、事実かどうかが厳しく検証されます。そうでなくては科学の目的は達成されないからです。重力波の存在が100年も前に予測されましたが、それが事実であることを証明した人はノーベル賞を受賞しました。
人間社会だって同じではないでしょうか?言ったことが事実かどうか、それを確かめて、事実であることが証明されたら大いに高評価を与えるべきです。逆に、事実でないことを述べたり記述したりの場合、厳しく批判し、最後まで責任を問うべきです。しかし、昨今の様子では、事実でないことを口にしても、何かに勝つと、その責任は問われなくなる道がある、と教えているかのようです。「嘘も方便」という諺は仏教用語で、人間社会の潤滑油として許されています。でも、その場合は、人助けが目的です。自分を正当化するための「嘘も方便」が多すぎませんか?
9月の学長ブログ
毎月、15種類以上のいろいろな学術雑誌が手元に届きます。その中の1つにJGL (Japan Geoscience Letters)という16ページ編集の薄い雑誌があり、日本地球惑星科学連合フェロー受賞者の記念特集記事がありました。この学会は、宇宙の科学から地球環境の科学、地球生命化学、地球温暖化、気象災害、地震など、地球と宇宙に関する科学全体の連合体です。フェロー受賞というのは、この分野で特に高い業績を挙げた研究者を名誉会員として表彰する制度です。
で、政府の地震調査委員会の長期評価部長だった方が、受賞者の1人として記念記事を書いておられました。記事のタイトルは「研究の面白さに、はまってしまった人へ」となっており、おや?珍しいタイトルだな、と思いました。この種の記事では、自分が歩んできた研究人生が認められて嬉しい、といった内容がほとんどだからです。そこで、どれどれ、と読み進んで行くと、何とこの方、怒っています。何に怒っているかというと、地震調査委員会で決定した事項が、社会への公表時に圧力を加えられたり書き加えられたりした、という経験を3回もした、と書いておられます。「不都合な真実」を覆い隠そうとする意図があったと思われる、と断言しています。
この名誉ある受賞者の方は、「研究の面白さにはまってしまった人、のめり込んでいる人、そんな人に、思いがけない落とし穴が待っている」と言うのです。その落とし穴とは、「科学的におかしなことが大手を振っている場が存在する」とのこと。どうやら、地震調査委員会のことをさしているようです。そして、研究で成果を挙げて人に知られるようになり、やがて声がかかって○○委員に指名されたとしても、居心地の悪い場にいることは時間の無駄だから、即刻退場したほうが良い、とアドバイスしています。地震調査会で、よっぽどいやな目に会ったのでしょう。名誉ある受賞者の記念記事としては異例の告発文でした。
科学が社会の役に立つためにはどうしたら良いか、というテーマは、今もとても重要な論点です。もりや市民大学と同じく、科学と社会の「協働」のあり方を模索している昨今です。しかし、科学的に正しいと信ずることを発信したくても、必ずしも科学者の思い通りには社会に届かない、とすると、どこかが狂ってきそうです。この受賞者さんの怒りは、科学者にも社会の側にも深い問題提起になっていました。この方が言う「科学的におかしなことは科学の場で批判せよ」という結論が社会に届くと良いのですが。
8月の学長ブログ
忘れてはならない日々が、8月上旬に集中しています。8月6日、9日、11日、15日です。広島原爆投下、長崎原爆投下、山の日、終戦記念日が、それぞれの該当日です。現代の若者に「今日は何の日?」と聞くと、これらの日を答えられない、といった嘆きの声がテレビレポーターなどから上がっていましたが、実は、熟年以上の私たちもこれらの日を即答できるかどうか、怪しいのです。
日々のニュースで「覚えていない」「記憶にない」といったセリフに怒りを覚えることの多い昨今ですが、自分に当てはめると愕然とします。本当に「覚えていない」「記憶にない」のです。外出中に、ふとある映画俳優の顔が目に浮かぶ時がありました。分かっているのです。彼が何者であり、どんな声、どんな演技をするのかもはっきり思い出します。ところが彼の名前が出てこない。うーん、と唸りながら何とか名前を思い出そうとするのですが、記憶の引き出しが開かない、と感じると、もうだめです。いくら絞っても名前が出てこない。そんな時は、諦めが肝心です。思い出すことを止めるのです。そして、別のことを考えたり行動したりして、一度心の外に出してしまうと、ある時フッと思い出すのです。その俳優の名前、「渡哲也」でした。
記憶、脳の働き、こういった話題が高齢者社会の到来とともに、新聞、雑誌、インターネット上で多出しています。ちゃっかり薬の宣伝をしたり、食べ物で記憶が良くなることを説明したり、生活スタイルの改善を指南する記事も出回っています。能トレを趣味としている方もおられるでしょう。
私の理解はこうです。人間、興味のあることは良く覚えているが、興味のないことはすぐに忘れる。年齢と共にそれが極端になる。ということです。だから、いろいろなことに興味を持つことが肝心なのでしょう。先日のスイス旅行では、ガイドさんが山の花の名前を次々に教えてくれました。が、何一つ覚えていません。実は、私、花の名前に興味がないのです。一切、覚えることができません。問題は、人間の名前です。目の前の人は、確かに会ったことがあるのに、名前が出てこない。これは「あなたに興味ありません」を意味するとしたら、何と失礼なことか。そうそう、冒頭の8月11日(山の日)ですが、実は私の誕生日です。興味、無いですよね・・・。
7月の学長ブログ
今回は、もりや市民大学の受講生に読んでもらいたいことを書きます。受講生の多くは、毎回の講義を受けて「良かった」「ためになった」「今後に生かせる」などの感想を寄せてくれます。しかし、その受講内容が何であったかは、感想からは伝わりません。
もりや市民大学の講義内容は、ビデオ記録などで後日見ることもできますが、その利用方法は限られています。それより、受講生の口から具体的に講義内容の特に良かったことなどを聞けると、とてもラッキーな思いがします。つまり、私が言いたいのは、受講生のみなさん、もっと自慢して周りに伝えてください、ということです。実際、運営委員やサポーターの間でも、担当したり聴講したりできる講義は限られていますから、担当以外のコースでどんなことがあったか、とても知りたいのです。そして、その話を聞いて、さらなる運営の参考にしたくなります。もっと言えば、「市民大学ではどんなことを教えているの?」という率直な疑問を持っている市民はとても多く、できれば講義内容の一端でも知りたいと思っているはずです。私も何度も聞かれます。
新聞や雑誌にある「書評」は、その取り上げた本の特徴を短い文章で描き出し、読者が読んでみたくなるように刺激します。私も、そうした「書評」を見て買い求めた本は少なくありません。映画、演劇、演奏会の類も、良い評論に出会うと自分も見たり聞いたりしたくなります。それと同じ効果が、日常会話でも期待できると思います。
と言う次第で、受講生や聴講生の皆さん、どうぞ受講内容を周囲に語ってください。世間話やマスコミ情報とは一味違う、生きた知識を広めるのです。何の遠慮がいりましょう?実は、7月6日で終了したオープンコース「香りの力で心と体にやさしい健康法」全4回の講義、私は日程が合わず参加できませんでした。だれか、その内容の一部で良いので、私にも教えてくれないかなー、これ、本音です。
6月の学長ブログ
もりや市民大学は、2012年(平成24年)10月に開校しました。以来5年目を迎え、6月10日に今期の開講式を挙行しました。「総合コース・守谷を知る」は35名、「専門コース・守谷をもっと良くしようプロジェクト」は14名、「「専門コース・健康ウォーキングマスター講座」は35名、「オープンコース・香りの力で心と体にやさしい健康法」は15名、「オープンコース・大学院生が教える夏休み自由研究」の募集はこれから、という開講でした。今期入学者の延べ人数は99人に達しました。ただし、重複受講生もおられるので、入学者実数はそれより下回ります。
その開講式ですが、毎回、学長挨拶、市長挨拶があり、続いて市役所総務部の代表者から守谷市の総合計画について「市政講座」を受講し、オリエンテーションを経て閉会します。市長、副市長、教育長ほか、多数の守谷市幹部の皆さんが臨席して下さるのは、大変ありがたいことです。長年、会田前市長にご挨拶頂いてきましたが、今回から松丸新市長にご挨拶頂いたのも新鮮でした。
今回の学長挨拶では、囲碁や将棋で有名になったディープラーニングを取り上げました。現役棋士をなぎ倒したコンピューターソフトの俗称です。私はディープラーニングについて何かを知っているわけではありません。ただ、これまでの人工知能が全ての可能性を評価して最適値を得るものだったとすれば、ディープラーニングは過去の限られた経験を学習してより良い答えを導き出す、といったロジックを持っているようです。これは、もりや市民大学と似ているなと思いました。「総合コース・守谷を知る」はディープラーニングのコースである、と述べてしまいました。
兎にも角にも、6月開講コースの始まりです。秋の修了式までに何が得られるか、そして、その後にどんな協働の姿が提起されるのか、楽しみにしています。新入生の皆さん、どうぞ最後まで出席して双方向授業を作っていって下さい。もりや市民大学は、延べ1000人の修了生を出すことを目指して、市民の皆さんと共に歩み続けます
5月の学長ブログ
かつて、世阿弥の「風姿花伝」を読んだとき、深く感じるところがありました。曰く、20代の頃は何をやっても華があり、皆がほめてくれるが、慢心せずに精進することが大事で、30代こそ本当の実力を身につけるときであり、40代になると本物だけが評価されるようになり、下り坂の50代でも、本物であれば控えめに振る舞うことでそこに華がある、といった内容だったと思います。
そこで、最近の20代、30代、40代、50代以降がどんなふうに見えるか、と私自身の周りを眺めてみました。20代というと大学の学部学生や大学院生です。私が毎週講義に行っている私立大学の学生諸君ですが、爽やかで素直な若者が多いと感じています。高齢者に向かって反抗的な言動や批判的な言葉を浴びせる若者は皆無、といっても良いほどです。
東京都内のある会社に縁があり、毎週出向いていますが、そこでは30代の会社員たちと交流があります。彼らは何でもできるのですが、自信を持っていないような気がします。バブル崩壊という時期に青年期を送っており、現実を直視する目が肥えているのかな、その分、夢を語るほどの大言壮語ができなくなったのかな、と少し心配です。
40代は現在猛烈に忙しくて、私の相手をしてくれる人は多くありません(私事で言えば息子世代です)。それなりに社会的責任を自覚して今現在の世の中を支えてくれているような感じです。
50代の皆さんはちょっとした強さを持っていると思います。かつては50代といえばゴール前の最終段階でしたが、今の50代は次に何をするかという準備をしつつ将来を考えています。長い老後を覚悟しているようです。
そして「風姿花伝」では寿命が尽きているはずの60代ですが、多様性に満ちています。過去の延長線上で頑張る人、過去と決別して今を充実させている人、新たな仕事を見つけて家計を支え続ける人、新しい自己開発や趣味に挑戦する人、社会のために貢献することを信条とする人、全く十人十色とはよく言ったもので、どう見ても「控えめの人生」とは思えません。そう、我々は、世阿弥の知らない世界を生きているのです。今月は、妙に気合が入りました。
4月の学長ブログ
岩波新書「シルバー・デモクラシー」―戦後世代の覚悟と責任―(寺島実郎著)という本を読みました。今年1月の出版です。本屋さんの店頭で、このタイトルに惹かれて買い求めました。
デモクラシーつまり民主主義が、なかなか良い働きをしてくれないことに、我々は皆気づいています。民主主義さえあれば平和と幸福と繁栄がもたらされる、と甘い考えを抱いていたのが、いろいろな場面で壊されています。そんなとき、シルバー限定のデモクラシーって何?と興味を持ちました。
何しろ、アメリカでトランプ大統領を選んだのも民主主義、日本で安倍首相が高い支持率を維持しているのも民主主義です。民主主義がどうも怪しい、或いは、危うい、と感じている方は決して少なくないと思います。寺島実郎氏は、ここでシルバー・デモクラシーという概念を提起します。この本によると、日本でも世界でも、高齢者の意見が世論を左右しており、例えばイギリスのEU離脱も、20代の若者の66%は残留支持だったのに、43歳以上の世代では離脱派が過半数であったといいます。2016年の日本の参院選では、高齢者の投票率が70%近いのに、20代の投票率はその半分程度だったことから、日本の政治的意思決定は「老人の、老人による、老人のための政治」となりつつあると指摘します。これがシルバー・デモクラシーです。
寺島氏は、「団塊の世代は戦後日本人の先頭世代としての責任をまだ果たしていない」と断言し、自分の世代が果たすべき役割がある、と意気盛んなのです。いやいや、お元気な方がおられるな、と感心し、その経歴を見せていただくと、早稲田大学政治学の大学院を出て、三井物産の重役を勤めた上に一般財団法人日本総合研究所の会長に就任され、多くの要職に就かれています。そして、生年月日を見たら、何と私と同年同月同日生まれの御仁でした。運勢占いもご一緒です。勝手ながら不思議なご縁を感じました。
3月の学長ブログ
3月は、卒業、修了、異動、転居など、人生の節目になる行事が集中する月です。もりや市民大学も、この3月11日をもって平成28年度の全てのコースを終了しました。
総合コース「守谷を知る」では、定員25名のところ申込者が40名に登り、全員入学を認めました。7割以上の出席をされた36人が、無事、修了証を手にしました。このコースでは、防災、医療、経済、教育、若者、JA、行政、環境、健康といった幅広い知識を習得できましたが、「ここで学んだことを、守谷の協働にどう生かすのか?」がこれからの課題です。
専門コース「コミュニティービジネス・地域課題解決」は、定員20名のところ27名の申込みがあり、全員入学して22名が修了しました。このコースの最大の特徴は、平均年齢の若さです。30代、40代の受講生も多く、平均年齢57才は、最若記録です。修了生の多くが、ここで得た新しい知識を今後に生かしたい、と意欲に満ちた感想を述べたのが印象的です。
専門コース「楽しく健康づくりニュースポーツの世界」は、定員20名のところ19名の申込み、12名の修了者でした。人数は少なかったのですが、毎回、とても楽しそうでした。最終回では、健康運動指導士、屋嘉部先生のリードでワークショップが進行し、今後、地域や仲間でリーダーやファシリテータとして活躍したいとの決意が満ちていました。
オープンコース「Thursday night course in MORIYA Part4」は、イオンタウン守谷のコミュニティーホールで開かれましたが、毎回、驚くほどの多人数の参加で、こうしたコースの必要性がとても高いことが認識できます。講師良し、参加者(女性多い)良し、進行良し、と3拍子揃っているのが強みです。
オープンコース「守谷市美術部!アートへの関わり方講座」は、兎に角アートです。参加すると、日常と切り離された異次元を体験します。このコースをお世話した運営委員が、そろって“目が覚めたような”不思議な表情で教室の様子を報告するので、きっと、参加者の多くが異次元体験を楽しんだのだな、と理解しました。
2月の学長ブログ
もりや市民大学の運営委員会を重ねながら常々思っているのですが、我々が外部の方に講師を依頼すると、不思議なことにまず断られることがありません。非常に限られた予算の中で講義をお願いするので、交渉に際しては恐縮しつつお願いする、という具合なのですが、その際、断られるケースは、「どうしてもスケジュールが合わない」「所属組織からの了解が得にくい」といった理由がある場合で、それ以外では、皆さん快く引き受けてくださいます。このことに感謝しています。
で、最近特に感じる特徴ですが、お引き受け頂いた講師の方が、「ここでやめてしまうのはもったいない、もっと先に進めましょう」といって、講師のリピーターを率先して引き受けてくださることです。この現象については、我々運営委員も、やや驚いています。受講生が「もりや市民大学、おもしろい」といってリピーターになって下さるのは大変ありがたいのですが、まさか講師の方々まで「もっとやりましょう」というリピーターを希望される、これは何でしょうか?
思うに、もりや市民大学の教室は、いわゆる「手応え」があるのかも知れません。市民向け講義ということで、できるだけ分かりやすく話をされるよう、講師の方々は工夫をしてこられます。講義の後は、質疑応答が続きます。この時間帯で、講師の先生方は「ここの受講生はちょっと違う。生涯学習のように知識の充実を求めているだけではなく、守谷を良くするために自分たちでできることは何か、を真剣に求めている」と気付かれるのでしょう。
以上のような最近の特徴は、例えば平成28年後期のコミュニティービジネスを担当された柳田公市先生、健康づくりニュースポーツを担当された徳田太郎先生、そして、3月25日予定の公開講座講師、宇佐美彰朗先生までもが、次の専門コース設計に向けて準備中だったり考慮中だったりされています。オープンコースの講師の方々からも、単発で終わらせず継続を、と望む声が多く出ています。全く有難いことで、運営委員一同は、お招きしている先生方に感謝すると同時に、「うちの受講生は、そんじょそこらの市民大学受講生とはちと違いますぞ」といったささやかな自信も抱きつつあるのです。ま、そうは言っても、目に見える成果を出していかなければ、ささやかなままで終わってしまいます。受講生の皆さん、リピーター先生の多いわが市民大学、稀勢の里といっしょに「恩返し」を頑張りましょう。