学長ブログ
11月の学長ブログ
晴天に恵まれた11月9日、今年の11月開講コースの開講式が開かれました。松丸市長にもご臨席いただき、祝辞を頂戴しました。今期の総合コース、専門コースの合計入学者は55名、これ以外に2つのオープンコースが予定されていて、ここでは合計36名の申し込みがありました。
先月、私は船橋市の船橋マスター学院に招かれ、「土と水の環境科学―船橋市―」と題する講演を行い、その後、この会を運営している方々と交流してきました。船橋市の人口は約63.5万人で、守谷市のちょうど10倍です。平成16年に開校した「ふなばし市民大学校」は、その規模も守谷市の10倍あります。そして、私を招いた船橋マスター学院というのは、もりや市民大学友の会のような組織でした。皆さん熱心に聞いて下さり、活発な質疑応答がありました。そのあとの交流会も楽しかったです。
そういえば、数年前には、川崎市民アカデミー(市民大学です)に招かれて講演したこともあります。川崎市は人口152万人の大都市です。ここでは「現代の水利用と農業」と題して、いわゆる水問題、地下水の問題、地球規模で起きている土と水の危機、などについてお話してきました。ついでに、市民大学の運営についてお話を伺いましたが、川崎市の規模が大きいので市民アカデミーも巨大な組織になり、その運営は大変な作業だと思いました。
翻って、我がもりや市民大学、こじんまりしていると思います。そのこじんまりさが、特徴を出しています。大規模な市民大学では、組織運営が大変です。プログラム作りも大変、広報活動も大変、会計処理も大変、学務管理も大変です。運営委員は入学者へのサービスにこれ努めます。一方、もりや市民大学では、運営委員自身が必要と考え、期待するようなコース設計を心掛け、かつ、自分でも受講生になることができる、珍しい形式を生み出しています。それゆえ、教室で受講生と運営委員の協働が生まれることもあります。まさに、協働のまちづくりが、もりや市民大学の教室内で実施されているとも言えます。小さな市だからこそできる市民大学運営と協働のまちづくり、今後も発展させたいと思います。
10月の学長ブログ
大きな災害が発生しました。台風19号です。千曲川、那珂川、久慈川といった有名な大河川の堤防があちらこちらで決壊し、大量の水が氾濫しました。守谷市でも、10月12日から13日にかけて、スマホや携帯が何度も鳴り、緊急警報が発せられました。そして、一夜明けたところのニュースでは、次々に河川の氾濫、堤防の決壊、犠牲者の続出が伝えられました。今現在も新たな被災ニュースが加わっているといった状況です。自然災害の恐ろしさを再認識しているところです。
もりや市民大学でも、台風19号の接近に伴い、12日に予定されていた総合コース最終日の講義と修了式を中止しました。講義を担当していたのは、私です。災害のお話をしようかと準備していたら、本物の災害が到来してしまいました。そして、私は、翌日の13日にTXに乗ったので、車窓から利根川の増水を見ました。恐ろしいほどに水位が上昇していました。私の事前調査では、守谷市内を流れる利根川の堤防高さ(標高)は約14mです。したがって、もし利根川の増水が続いて越流が起きたとすると、標高14m以下の土地では床下や床上の浸水が起きたはずです。仮にどこか近くで堤防が決壊したとすれば、標高14m以下の広い範囲で浸水が起きたことでしょう。危ないところだったと思います。
しかし、ニュースでも標高のことはあまり報道されません。どちらかというと、浸水の深さが4mだとか4.3mだ、などと報道され、家屋の場合も1m浸水、2m浸水などの表現が使われています。これは、目の前の現実を伝えるには適した報道ですが、そもそも堤防が決壊したり水位上昇で堤防を越流したりした場合、我が家に水が来るのか否か、という事前判断には適しません。住んでいる土地の標高さえわかれば、大河川の近くで安全な場所がどこにあるか、予測できます。
そんなことを、もりや市民大学の総合コース最終日にお話ししようと思っていたら、未曽有の大災害が起こってしまいました。今現在は、被災地の救済や復旧が第一に重要でしょう。鬼怒川、小貝川、利根川とともに生きていかねばならない守谷市の自然環境について、もりや市民大学の教室で、皆さんと議論したいと思っています。
9月の学長ブログ
忙しいので、落ち着いてブログを書く余裕がありません。なぜそんなに忙しいのか?と聞かれると、とても困るのです。そして、よく聞いてみると、私のまわりにも、忙しくて時間に追われている中高年者はたくさんおられます。特に、定年後の高齢者が一段と忙しくなっているように見受けられます。その理由を考えてみると、
① 定年延長で、60歳を過ぎても働いている人が増えた。
② 手取りの年金額が少ないので、定年後再雇用、再就職の人が増えた。
③ 定年後の社会活動、地域サークル、地域スポーツクラブ、などに所属してスケジュールが埋まっていく人が増えた。
④ 若い共稼ぎ夫婦が増え、孫の世話に駆り出される高齢者が増えた。
⑤ その他(病院通い、現役時代の延長線上で頑張っている、など)
こういったことが、忙しい高齢者を増やしていると思います。
私の場合も、この中のいくつかに該当し、予定表が早くから埋まっていきます。みんなが忙しい世の中、これは、どう考えればよいでしょうか?活気があり、希望に満ちた社会である、と見るのか、みんなが別の方向に向かってバタバタする落ち着きのない社会になっている、と見るのか。
私は、何だか落ち着かなくていやだなー、と思っています。天気でいえば、9月も中旬だというのに、夏型の台風が来るし、残暑は気温35℃近くまで上がって蒸し暑く、秋の気配が来ていません。社会に目を向ければ、内閣は改造するし、アイフォンは新機種を発表するし、消費税増税は目の前です。日韓関係、日米関係、日中関係なども、落ち着きません。来年はオリンピック・パラリンピックの日本開催ということで、特にマスコミがソワソワしています。
ここは、ひとつ気持ちを落ち着けて、何か良いことを始めてみませんか?たとえば、もりや市民大学に入ってみて、新たなヒントをつかむ、新しい仲間を見つける、といった展開です。個々人がバラバラで、かつそれぞれが忙しい、という社会は、あまり豊かとは思えません。共通点を見つけて共に歩むことを楽しむ、といったことができれば社会も健全な方向に向かえるような気がします。協働のまちづくり、という目標にも合致します。「落ち着かない」を逆手に取ったブログでした。
8月の学長ブログ
今後の予定をブログに書きます。まだ、公表されていない情報をいち早くリークすることで、注目を集めようという魂胆です。この種の情報、つまり、みんなはまだ知らないのに自分だけは先に情報を入手するときの妙な優越感というか、不思議なお得感といったものが、確かに世の中には存在しています。「ここだけの話ですが」という前置きで話をするとき、誰もが聞き耳を立てるのです。
8月31日(土)は公開講座「世界の山・日本の山」と題して、登山家の青木達哉さんが山の魅力を話してくれます。まだ受け付中です。ご期待ください。11月開講コースに向けても準備が進んでいます。たとえば、オープンコースで自動車運転シミュレーター体験という教室も予定しています。自動車運転時の危険予知能力の客観評価を受けることになります。希望者が多いと人数制限がかかるかもしれません。「助けて」と言えるまちづくりの専門コースも準備中です。周囲や地域に「助けて」と言えず、悲惨な事件にまで発展してしまったケースが報道されています。具体的で有効な助け合いとは何か、これからの時代に欠かせない生きた知識を準備しています。
ここだけの話ですが、来年4月以降のもりや市民大学は、がらりと構成を変える可能性があります。今までの6月開講コース、11月開講コース、といった組み立てそのものを変えるかもしれません。おやっ?何か違うぞ、どうなったかな?と思わせるような変身を考案中です。お・た・の・し・み・に。
「熱中症に気をつけましょう」が合言葉の今年の夏、皆様体調に気をつけて、元気に乗り越えましょう。孫の相手でお疲れでしょう。お盆休みの家族旅行サービスでお疲れでしょう。家族が集まった家での食事や洗濯、大変でしょう。でも、過ぎてしまえば良い思い出になります。と、自分に言い聞かせている今日この頃です。
7月の学長ブログ
現在続行中の専門コース「100歳まで元気に過ごす秘訣―健康寿命が延びるまちづくりを学ぶー」は大好評で、受講者数も出席者数も抜群に多いです。そんな中、7月9日には、株式会社つくばウエルネスリサーチの鶴園卓也先生が、サルコペニア・フレイル予防のお話をしてくださいました。加齢に伴い、筋肉が減少して機能低下につながることをどうやって防ぐか、という有意義な内容でした。特に、ウォーキングだけでは筋肉の減少は防げません、筋肉トレーニングが必要です、というお話には説得力がありました。
講師の鶴園先生の会社は柏市にあり、柏市内はもちろん、全国的な広がりの中で各地に赴いて講演活動などを続けておられます。豊富なご経験の中から、面白いご指摘をいただきました。それは、「全国各地、どこへ行っても、こういった教室の参加者は圧倒的に女性のほうが多い。6~7割が女性で、残りが男性ということが多い。柏市の場合、女性に引っ張り出された形で男性が参加していることも多いようだ」とのこと。そして、「守谷市では男性の受講生が圧倒的に多いというのは非常に驚いています」ということでした。
なぜ、もりや市民大学では男性の受講生が圧倒的に多いのでしょう?なぜ、女性の受講者数が少ないのでしょう?ここには、いくつもの疑問が含まれています。コース設計が男性向きに偏っているのか、女性の受講生が再受講したくなる魅力度が欠けているのか、初めから男性が多いので女性が来づらくなっているのか。そういえば、現在の運営委員会も圧倒的に男性の数が上回っています。これは、もりや市民大学の特有な問題ではないか、と思い至った次第です。
皆さん、ご意見やヒントをいただけませんか?「こうすれば女性受講者を増やすことできる」、「いやいや、そのような努力をする必要はない、自然の流れに任せておけばよい」など、アドバイスをいただければ幸いです。私の意見ですか?私の見たところ、もりや市民大学に集まる男性諸氏は、とてもエネルギッシュで粘り強く、しかも明るい方が多いのです。女性を排除するような気配は見当たりません。交流の機会を増やせば女性も安心して参加できるのではないか、と楽観しています。受講生の過半数が女性となるような魅力的なコース設計をやってみたい、という夢もあります。
6月の学長ブログ
6月1日に、松丸守谷市長をお迎えして、もりや市民大学6月開講コースの開講式が挙行されました。この日、私が学長挨拶として述べたことを今回のブログとして掲載します。それは、かつて私の恩師から「物事の本質を知るためには4つの目を持ちなさい」と教えられた内容を、受講生の皆さんにお伝えする、という内容でした。
1つ目は、詳細に見る目、細かいことも見逃さず注意深く見る目です。確かに、注意深く見ることで新たな事実に気づくことはいくらでもあります。不注意はいけません。特に運転中の不注意は絶対にダメです。近頃は「ボーっと生きてんじゃないよ」と怒ってくれるキャラクターもいるようです。
2つ目は大きな目です。細かいことだけに囚われず、大きな視野で俯瞰的にものごとを見ること、これも大切です。自分の姿を上空の鳥の目から見るような感覚です。全体を見る目、と言ういい方もできます。これは、経験と心がけと知識が必要でしょう。市民大学の講座も大いに参考になります。
さて、3番目の目は、心の目です。何事も心で感じ取ること、勿論大切です。美しいと感じたり楽しいと感じたり、深く感動したりする心の動きは、心の目で見てこそ生まれるものです。感性を磨きなさい、と言われたようなものです。最近、良い話を聞いた、とか、良い映画を見た、とか、良い音楽を聴いた、なども心の目を養ってくれます。
最後の4番目の目は何でしょう?ちょっと考えてしまうかもしれません。4番目の目とは、時間軸で見る目、つまり過去、現在、未来という時間に沿って物を見る目です。歴史に学び、今を冷静に見極め、なおかつ未来を展望する。まさに目の働きの最高度の役割です。時間軸で物を見る目を養うのに、図書館は立派な助けになります。書を読むことの恩恵は計り知れません。今のスマホパソコンでのデジタル情報は、時間軸で言うと今現在が肥大化し、過去と未来にはそれほど多くのヒントを与えてくれません。私は、読書は時間軸の目を養うためにも大切だと考えています。
以上、4つの目を持つことの勧めを述べて、学長あいさつに替えました。今期入学者の皆さんが、各コースにおいて大いに収穫を得て、無事に修了証を受け取っていただけることを願っています。
5月の学長ブログ
「全体の中で部分を知る」という行為は、なかなか難しいと思います。たとえば、もりや市民大学で「守谷を知る」とはどういうことを意味するでしょう?守谷の地理、守谷の歴史、守谷の人などを幅広く知ることは、勿論大切です。しかし、その守谷が茨城県内でどんな特徴を持ち、また、関東全域あるいは日本全体から見てどんな地域なのか、さらに大きく、世界の中の守谷にまで視野を広げ、地元の特徴を知ることも、やはり「守谷を知る」ことになります。
本学の総合コースでは、そうしたいろいろな観点から「守谷を知る」ことができるようなプログラムを組んでいます。今期6月開講コースでは、東京芸大の向井さんから「アート/日常風景から守谷らしさについて考える」のワークショップを計画して頂き、また、ハッフ・ルイーザさんからは「国際社会/ドイツから来た国際交流員が見た守谷」の講義があります。お陰様で、このコースは毎回好評であり、受講希望者は常に定員を上回っていますが、教室に収容できる限りは全ての希望者の入学を受け入れることにしています。全体を見ながら地域を知り、地域で何ができるかを考える、そのきっかけ作りがここにあります。
そういえば、「地域」がキーワードになる議論も事欠きません。人間文化研究機構総合地球環境学研究所教授の佐藤哲氏は、その著書の中で、地域のリーダーに求められる資質は「地域の現状を冷静に分析し」「地域の宝を見つけ、それに光を当て磨きをかける」「住民の気持ちを粘り強くまとめる」力だ、と述べています。また、新潟大学教授の田中秀氏は、地域を支える人財を育てることは容易ではないが、「その人財は決して目立ちたがり屋のヒーローではない。むしろ、地味でどこにでもいるような普通の人たちだ。だが、地域を何とかしたいと思い、地域のために何をすればいいのか常に模索を続ける人たちだ。」と述べています。昨今の国立大学学部再編では、「文理融合」と「地域」がキーワードになり、宇都宮大学の「地域デザイン科学」、佐賀大学の「芸術地域デザイン」学部などが新設され、地域の人材育成を掲げています。
日経BP社主催の「シティブランド・ランキング―住みよい街2017―」では、守谷市が全国1位(他2市と同位)になったり、東洋経済誌の「住みよさランキング2018」では、守谷市が全国4位(1位印西市、6位中央区、8位港区、など)になったりしているのは、守谷の地域力を示していると思われます。受講生の皆さんには、総合コース「守谷を知る」からさらに進んで専門コースへ進み、地域の人材、いや、人財としてご活躍頂くことを願っています。
4月の学長ブログ
この3月23日、もりや市民大学の公開講座が開催され、東京大学名誉教授の阿部啓子先生をお迎えし、「健康寿命を伸ばす食生活の創出」と題する講演を頂きました。私たちの日常生活に直結する話題を科学技術の最先端から紹介いただき、大好評を得ました。講演後のアンケート調査自由記載欄は、とても良かった、聞いて良かった、と賞賛の嵐でした。
私も講演を聞きながら、いろいろ考えさせられました。まず驚いたのは、それまで抱いていた「未病」の勘違いでした。良く、「自分は薬を飲んでいるので大丈夫」と言う方を見かけます。薬を飲んで平常値を維持していれば「未病」の状態かと思っていましたが、阿部先生の定義では、健康な人と半健康な人は「未病」であるが、治療薬を常用している状態はすでに「未病」から外れているとのこと。自分に甘かったかな、と反省しました。また、保健機能食品について、消費者庁から生活習慣病の一次予防に役立つと認められた「特定保健用食品(トクホ)」と、事業者が消費者庁に届出すれば良い「機能性表示食品」との見分け方を教えて頂きました。消費者庁許可マーク(あの万歳マークです)が入っているのが許可された食品だそうです。その他、日本固有の発酵食品が脳機能活性化に良いこと、咀嚼(噛むこと)が脳の血流を増やし、血圧低下作用もあること、など、たくさんの「目からうろこ」を教えて頂きました。
最も記憶に残ったのは、健康寿命を伸ばすために3つの柱がある、という指摘でした。その3つとは、正しく栄養を取ること、運動を主とする身体運動を欠かさないこと、趣味やボランティアなど社会活動へ参加すること、です。さらに補足事項があります。食事は「孤食」を避け、できるだけ人と一緒に食事することが健康寿命につながるとのこと。もっと印象的だったのは、3つの柱の中で運動だけは続けているが社会活動には参加していない人と、ボランティア活動などの社会活動だけはやっているが運動はやっていない人との健康寿命を比較すると、明らかに後者の方が長い、という調査結果でした。運動さえやっていれば健康、と信じていた人にはショックだったと思います。
そのほか、たくさんのヒントを頂きましたが、何よりも、この公開講座に参加してワイワイ議論することも健康寿命を伸ばす大事な生活スタイルであるとのお話に会場がワッと湧き上がったのが面白かったです。「孤食」を避ける意味で講座終了後に仲間同士で食事会をすることも大事だったでしょう。そういえば、この講座終了後に市民大学友の会の総会と懇親会がありましたが、講演の趣旨が良く生かされたと思います。友の会の皆さん、健康寿命が伸びましたよ。阿部先生、貴重なお話、誠にありがとうございました。
3月の学長ブログ
この季節、花粉症対策が必須です。「今年は早めに薬を飲み始めたので大丈夫です」「毎年1回注射してもらい、これで症状は抑えられます」「何だかぐしょぐしょして、目もかゆいです」「昨夜は苦しくて眠れなかったので、すぐに医者に行きました」など、様々な体験談を耳にします。
私もかなりの重傷患者でして、毎年ジルテックという薬を就寝前に飲んでいます。が、あまり効果が無く、毎晩鼻づまりで苦しんでいます。鼻の奥が塞がるだけでなく、喉の奥まで狭くなってしまい、呼吸困難を感じたことも何度もあります。副鼻腔炎の手術を受けたこともあります。医者から処方された目薬、鼻スプレーは、症状をやや緩和してくれますが、期待したほどの即効効果は得られません。
最近は、物理的対処法を信頼しています。まず、家中に掃除機をかけます。机や棚などの埃を拭き取ります。寝室の枕回りや布団に埃取りのローラーをかけます。外から帰宅したときは上着の埃を振り払い、場合によっては自分の服や頭髪を濡れタオルで拭き取ったりします。各部屋に空気清浄器は欠かせません。トイレで目がチクチクするのは、恐らく換気装置の働きで室外から空気を吸い込み、トイレ室内で花粉が床や棚に舞い降りているのだと思います。これを拭い取ると効果を感じます。以上、要するに花粉を物理的に排除することが最も効果をあげると信じるようになりました。
不思議なのは、外出して好きなこと(スポーツや散歩)をしているときにはあまり花粉症の症状に苦しまないのに、家に帰ってくつろぐと症状が強く出ることです。この点につき、妻は「好きなことをしている時は苦しまないの?」と言って、理解に苦しむと申しております。さて、花粉症は、心理的要因が働くのでしょうか?物理的処置が最も効果的なのでしょうか?薬に頼れば大丈夫なのでしょうか?注射がお勧めでしょうか?、食生活の改善が必要でしょうか?多分議論は尽きません。杉の平均寿命は約2000年とか、まだまだスギ花粉アレルギーの話題は続きます。あと2000年お待ち下さい。解決して見せます。
2月の学長ブログ
植物の発芽や生育は、不思議です。土の中からいつの間にか小さな芽が出てきて、日に日に成長し、やがて枝や葉を伸ばしたうえ、花を咲かせたり実をつけたりして、たとえばスナップエンドウであれば、取っては食べ、取っては食べ、それでも次の日に行くと新しい実がなっています。
あるいは、室内のゴムの木。大学の研究室で長年付き合ってくれたゴムの木を処分した際、葉っぱ数枚をつけた小枝を1本だけリュックサックに入れて持ち帰り、物置に転がっていた鉢に植えて土をかぶせ、水をやって放置しておきました。すると、どれだけの日数だったか忘れましたが、ある日、どう見ても「生きてるな」という感じの立ち姿に気づきました。それから注意してみると、にょきにょきと成長し、いつの間にか葉っぱが茂り、1m以上の高さに成長しました。これでは大きすぎる、ということで葉っぱを適宜処分し、てっぺんを切り取って背を低くしました。その後、再び枝や葉を伸ばし、今では立派なゴムの木として室内に鎮座しています。根もしっかり再生しました。
徳富蘆花という作家、ご存じですか?「不如帰(ほととぎす)」を書いた明治の小説家です。この本を映画化したものは、18本を数えるほどに流行りました。徳富蘆花さんは、その後トルストイに会って感化され、「土と共に生きること」を学んだと伝えられています。その徳富蘆花さんが、「みみずのたはこと」というエッセイ集を書いています。岩波文庫でこれも108版を数えるほどのベストセラーでした。そのエッセイの中の1つに「農」が含まれています。そこに土のことが書いてありました。人は土の上に生まれ、土の生むものを食うて生き、而して死んで土になるから、人は「土の化物」に過ぎない、そして、「土の化物」に一番適当した仕事は、土に働くことであらねばならぬ、あらゆる生活の方法の中、尤もよきものを捉えらみ得た物(原文通り)は農である、と断じました。
ああそうか、大事なのは植物の生命を支えている土なのだな、と理解する次第です。「土は大切だ」ということは、言葉では理解しますが実感を伴う理解はとても難しいものです。アメリカの有機栽培農家の男性が自分の畑の土を「I love it」と言い切ったのを見たことがあります。自分の作った土に惚れた、ということです。なかなかそこまでの実感を持つことはできませんが、土の中から生まれる生命を見ると、良いものだな、という実感はわきます。土の大切さ、土の良さを、どう表現し、どう伝えるか、実は、今でも私は模索しています。それを自分の言葉で表したいと思っています。
1月の学長ブログ
明けましておめでとうございます。平成最後のお正月がやってきました。次の元号はずばり「平和」でいこう、いや、「金農」だ、などなど、かまびすしい次第です。それはさておき、私たちは、日本の歴史の中でも最も特異な時を生きている、という事実についてふと考えます。
「日本史の謎は地形で解ける」と題する興味深い文庫本の中で、著者、竹村公太郎氏は、日本は特異点の中にある、と指摘しています。その特異点とは、日本の人口が歴史上のピークを迎え、そしてそれを越えてしまった瞬間を我々は生きている、ということのようです。日本の人口はいつ最高値を記録したか、ご存じですか?それは、平成20年(2008年)の1億2808万4千人です。平成30年(2018年)の人口は1億2652万9千人です。10年で155万5千人減りました。日本の歴史の中で、人口の最高値の時代に生きていることがそもそも奇跡的なことです。恐らく、「日本のピーク人口時代を生きた人間」が未来の社会科学の研究対象になることでしょう。私たちは、その研究にとって貴重なサンプルになるのです。
で、どうしましょう。ピーク人口を過ぎて人口減少時代をいかに生き、そういう社会をどう形成するか、これは今後長く続く検討事項であり、その検討の第1歩を踏み出したのが現在の我々です。未来に向けて、いろいろな示唆を提示することが、いずれは「昔の人々の知恵」として尊重されるはずです。その際、日本が稀に見る長寿国であることも考慮する必要があります。「人口減少する長寿社会」、これをどう作るかが問われます。
守谷市人口は67624人(2019年1月)で、去年の同時期より723人増加だそうです。守谷は「人口増加する長寿社会」ですが、いずれ人口ピークを過ぎると予測されています。守谷の「人口減少する長寿社会」も近い将来、市民大学の研究テーマになることでしょう。人口減少時代にはどんな計画が必要でしょうか?この問題は、いずれ起こる地球人口の減少時代の問題の先取りになるかもしれません。壮大で、かつ収拾のつかない思索で今年が始まりました。
12月の学長ブログ
数日前の新聞投書欄に、18歳高校生の一文がありました。「若者は昔を中高年は今を学ぼう」という見出しでした。私は、これは面白い視点だな、と思いました。若者が過去に学ぶことを推奨したいのは、歴史の重要性や昔の人の知恵などに学ぶことの大切さを思うからでしょうが、私の眼を引いたのは、中高年が現在を学ぶという視点でした。文中には「昔からの固定観念を曲げようとしない中高年」、という厳しい指摘もありました。最後には「中高年の人々は昔を大切にしながらも今ある世界を学び生き」るべし、と諭されてしまいました。
確かに、中高年にとって「今」が分かりにくくなっていると思います。たとえば、テレビをつけても知らない歌手が知らない歌を歌っている、と感じてしまいます。インターネットを開くと、AI, IoT, ICT, SNS, ・・・などと略号が溢れていて、何が何だか分からなくなってきた、もうついていけない、と考えてしまいます。そう、中高年者は「固定観念を曲げようとしない」のかもしれません。さて、これをどうしましょう?
実は、2020年までに日本の小中学校教育も大きな変化を予定しています。まず、小学5年生から英語を教科化する、そして、小中学校全生徒にタブレット端末を渡し、タブレット教育を実現するよう推奨することになっています。しかも、守谷市ではタブレット教育を2019年から前倒しで実現する方向で準備していると聞きます。現代の若者だけでなく、孫世代の教育が、ますます中高年者の体験からかけ離れていくのです。
そこで、もりや市民大学でもオープンコースで守谷のプログラミング教育の実態を学ぼうではないか、という検討を始めました。まさに、中高年が「今」に学ぶ、を実践しようという訳です。この件は、守谷の新しい教育に地域住民を巻き込むという方向にも繋がります。何が起きているか分からないままに世代交代が進むのか、それとも中高年者が固定観念にこだわらないで若者と可能な協働の道を作るのか、といった選択でもあります。もりや市民大学は、当初の設置目的に照らして、市と住民の協働によるまちづくりを目指しますが、小中学校教育の今からも学ぼうという検討が始まったことをご報告する次第です。
11月の学長ブログ
音楽好きの方向けのブログです。杉原淳さん、といってもご存じの方は少ないでしょう。82才のジャズテナーサックス奏者で、かつて大橋巨泉の「11PM」番組で16年間レギュラー出演していた名手です。原田忠幸さんも82才のジャズバリトンサックス奏者で、あの女優雪村いずみの夫です。フランクシナトラとも共演したというから驚きです。そして、五十嵐明要さんは86才のアルトサックス奏者で、原信夫とシャープアンドフラッツの元メンバーです。この3人のジャズサックス奏者が率いるバンドが毎年2回中野坂上で開くコンサートを、何回か聞きました。ピアノは67才の本田富士旺、ベースは64才のジャンボ小野でした。息の合った素晴らしい演奏であり、完璧かつ心地よい音でした。また聞きたいと思います。
「むかしむかし、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。」で始まる昔話のおじいさんやおばあさんを、何歳ぐらいとイメージしていましたか?私は60代をイメージしていました。歌にも「今年60のおじいさん~♪」とありますし。ところが、3人の80代サックス奏者は、現役の誰にも負けないような迫力・リズムで、極めて完成度の高いジャズ演奏を披露してくれます。今では、「むかしむかし、ある所に80代のおじいさんたちがいて、素晴らしいジャズ演奏をしていました。」で始まる昔話が必要です。
そういえば、最近A新聞のかたえくぼ欄に「おじいさんとおばあさん、昔、ある所に住んでいました。今、いたる所に住んでいます。」とありました。その通りです。ところで、守谷市にもいたる所におじいさんとおばあさんが住んでいます。そしてその多くの方々が、超絶元気です。この力を活かさない手はありません。協働のまちづくりでも、いたる所に住んでいるおじいさん、おばあさんの力が不可欠です。ここでは、60代を若手、70代を現役、80代を先輩と呼ぶしかなさそうです。すごい世の中になってきました。過去に経験したことのないまちづくりを、これから創造していくことになります。
のんびりごろ寝してテレビを見ている場合ではありませんぞ、ご同輩!まあ、無理をしない程度にもうちょっと頑張ろうではありませんか。学長ブログというより、80代現役プロミュージシャンに刺激された高齢者ブログになってしまいました。
10月の学長ブログ
もりや市民大学6月開講コース全てが間もなく修了します。先日10月5日は、専門コース「守谷未来設計―魅力的なまちづくり―」が修了しました。全10コマの内9コマは東大高齢社会総合研究機構の矢冨直美先生が担当して下さいました。このコースには、以下のような特徴がありました。
まず第1点は、入学者人数18名中17名が男性、1名のみが女性だったことです。過去の総合コース、専門コースを見ても、男女比がこれだけ偏ったことはありません。もう1つの専門コース「緑と人の健康」では、男性60%、女性40%でした。目の前にある具体的な問題への取り組みなら、男女差はなさそうです。では、なぜ「未来」問題だと、女性が参加しないのでしょう?よく分かりませんが、昔SF小説が流行ったことが有りました。私も若いころSF小説が大好きでした。しかし、女性でSF小説を好んで読む方を見た記憶がありません。未来の話はフィクションです。フィクションは想像の産物であり、現実とかけ離れているかもしれません。女性に避けられる理由がそのあたりにあるとすると、今後の専門コース設計でも注意が必要です。
第2点は、このコースで行われた、守谷の未来に向けた事業実施組織を計画するというワークショップが、予想をはるかに上回る充実を示したことです。コース最終日に、5グループから具体的な守谷未来設計案が発表されました。各グループは、頭の中だけで計画を練るだけでなく、市民アンケートを実施したり、守谷市民大学の受講生として市役所の中の担当部局へヒヤリングに出かけたり、民間商業施設の関係者に面接したりと、精力的な活動を展開し、現実性を帯びた未来設計案を作成しました。この活動については、教室で指導された矢冨先生ご自身からも驚きをもって高い評価をいただき、「コース修了後も各グループの未来設計を実現する活動を継続して下さい。私も引き続き協力し、アドバイスします。」とのコメントをいただきました。
「守谷未来設計」と称する専門コースは、以上のように、文字通り未来につながる形で修了しました。もしかすると、近い将来、たとえば「野菜作りの教室」コースや「守谷に親水公園を作る」コース、「障害者が暮らしやすいまちづくり」コース、「モコバスをもっと利用しやすくする」コース、「地域支援の子育て」コースなどが生まれるかもしれません。
9月の学長ブログ
台風21号が関西に近づきつつある9月4日、京都大学で開催される学会参加の目的で新幹線のぞみに乗っていた私は、「まあ、京都まで着けば何とかなるだろう」と高をくくっていました。しかし、浜松駅へ近づくにつれて速度を落とした新幹線、とうとう、そこで停止してしまいました。「この先、台風の影響で全ての新幹線が止まっています。そのため、浜松駅で停車します。復旧のめどは立っていません。」とのアナウンス。新幹線は、上り下りとも完全停止してしまいました。さて、どうしよう?と考えました。
昔、スイスエアラインの飛行機に乗ってポルトガルへ向かう一人旅をしていた時の記憶が蘇りました。あの時も、国際学会参加のための旅の途中でした。スイスエアラインのビジネスクラスに乗っていたのですが、乗り継ぎ予定空港であるチューリッヒに着陸したところ、そのチューリッヒ空港が騒然としていました。理由は、スイスエアラインの倒産でした。突然、全てのスイスエアライン職員が解雇され、飛行機燃料給油もストップし、チューリッヒ空港は世界の旅行者がごった返してパニック状態に陥っていました。日本人団体旅行のグループも、顔色を変えて情報収集していました。一人旅の私は困り果て、数時間を空港で過ごしましたが、その時、偶然向こうから古い知人がやってきました。身長190cmのアメリカ国籍ポーランド人です。「ヤアヤアしばらく、こんなところで何やってんの?」と聞かれ、事情を説明したところ、アメリカからチューリッヒに着いたばかりの彼は「私はここに1週間滞在して講義を予定している。ホテルも取ってあるから、一緒に来ないか。私の部屋にベッドを入れれば簡単に泊まれるよ。」との有難い言葉。九死に一生を得た思いで、彼のホテルへ直行しました。そこでは、他にも何人かの知り合いがいて、皆で大ジョッキービールを飲みあい、旧交を温めました。翌日、切り替え航空券を入手して、何とか目的地のポルトガルに飛ぶことができました。
あの経験を思い出し、浜松駅では新幹線から下車し、すぐに駅前ホテルにチェックイン、コンビニで買った缶ビールを飲みながら、部屋で台風関係のニュースを見ていました。結局、新幹線は、一晩中浜松駅から動きませんでした。翌日、あきらめて東京に戻ったのも仕方ありません。私の報告をメールで受け取った口の悪い友人が「君は、旅先で良く災難に会うね」とからかいました。その数日後、北海道で震度7の地震がありました。ところで、その口の悪い友人は札幌に住んでいます。心からのお見舞いの言葉を送りました。
8月の学長ブログ
もりや市民大学は開校以来6年を迎えました。現在、平成30年前期コースは佳境に入り、後期コースの準備も順調に整っています。「総合コース・守谷を知る」は、毎回好評であり、定員25名のところ、これを上回る入学者が続いています。定員上限は、教室の椅子や机の物理的容量から決めていますが、椅子を持ち込めば多少の人数超過を受け入れることが可能です。「専門コース・緑と人の健康」は7月26日に修了しました。定員30名のところ15名入学、その全員が無事修了しました。アンケート結果によると、このコースの修了者全員がその内容を非常に高く評価していたことが分かりました。コース満足度では、期待以上と期待通りの合計が93%という驚異的な数字でした。コース名から伝わる以上の深い内容だったことが分かります。
「毎回、どうしてこんなに新しいテーマや新しい講師が見つかるのですか?」といった素朴な疑問をお持ちの方が多いようです。市民大学運営委員会では、毎回、新しいアイディア、情報、問題提起があり、それらを吟味していくうちに次の道が開けてくるので、結構ワクワクするのです。以前、「紹介無しの飛び込みで講師の依頼をしても、滅多に断られない」という話題を、このブログ欄で紹介したことがありますが、それだけではありません。守谷市の市民協働推進課では、役場全体に市民大学への要望や情報提供に関するアンケート調査を実施し、「こんなテーマが良い」「こんな人を知っている」という多数のヒントを獲得して運営委員会に提供してくれました。ここからも、豊富なコース設計が生み出されつつあります。
私自身も、出身大学のもと同僚教授らと懇談する中で、「もりや市民大学から呼ばれれば喜んで行きますよ」という有難いお申し出をいくつも頂いています。皆さん、「あの守谷市に呼ばれる」という点にも魅力を感じておられるようです。近々、公開講座に東大教授をお呼びして、とっておきのお話をお願いしようか、と画策中です。
平成30年後期コースは11月3日が開講日です。9月の守谷広報に受講申込案内が出ます。同時にパンフレットも発行されます。このコース設計では、「馴染のないカタカナが多い」という意見が運営委員会で出され、どうしたものかと議論中です。カタカナが新しい問題提起として受け入れられるのか、それとも、何を言っているのか分からん、と敬遠されるのか、この辺も見極めなければなりません。もちろん、内容には自信があります。ご期待ください。
7月の学長ブログ
白樺派の志賀直哉は、兵庫県の城崎温泉を訪れて「城の崎にて」という短編を書きました。山手線で怪我をしてその治療のために温泉療養に滞在したとか。私は、7月第1週末、その城崎温泉に行って来ました。天気は豪雨。丸山川という大きな川沿いにバスで運ばれて温泉に到着しました。その途中、バスの車窓から見た丸山川の水位が異様に高く、何だか怖いなーと思っていました。
その夜、「先ほどバスで通った国道は、丸山川が氾濫したため通行止めになりました。ここから外に出られなくなりました」というアナウンスがありました。今回の豪雨で、兵庫県にも多量の雨が降り、河川が氾濫したのです。窓の外では、温泉街を流れて丸山川に合流する小規模な河川がありましたが、ゴーゴーと音を立てて流れ、水位もぐいぐい上昇しました。その晩、携帯電話やスマートフォンにエリアメールという警戒情報が発信され、一晩に5~6回けたたましい緊急速報発信音が鳴り響きました。
その後、テレビや新聞、ネット上で報道されている通り、九州、四国、中国、近畿という広域で200人以上の犠牲者が出て、未だ行方不明者が大勢いることを知り、自然災害の恐ろしさを実感しました。災害が身近に迫っているとき、その危険度を察知することは非常に難しいです。何故かわかりませんが、「それほどひどくはならないだろう」という楽観論に傾く傾向があります。そして、実際に災害が起きてみると、想定より甚大な被害が起きたことを思い知らされます。
守谷市でも災害マップ作りや防災訓練を行っていますが、「守谷は大丈夫だろう」という楽観論があります。私自身もこの楽観論に傾いています。しかし、守谷市の中にも災害の度合いが高くなる可能性のある地域があることは否定できません。自分の中にある楽観論を戒め、予想していなかった自然災害に対する備えを怠ってはならない、と考えました。とりあえず、日常的に水を多めに確保しておくこと、車のガソリンは空っぽにしないように気を付けること、ガスや電気が止まってもしばらくは何とか食べて行けるような備蓄をしておくこと、地域のコミュニケーションを大切にすること、などは最低限必要です。
城崎にて、自然災害を甘く見たことを反省し、わが身に起こるかも知れない災害への備えを改めて考えた7月上旬でした。なお、足止めされた城崎温泉からは、1日遅れで脱出できましたが、道路がいたるところで通行止めになっていました。犠牲者には心から哀悼の意を表し、被災地の復旧を祈ります。
6月の学長ブログ
6月6日は、降りしきる雨の中、「もりや市民大学友の会」主催の永田町ウォーキングデーでした。総勢18名の参加者は、賑やかに千代田線赤坂駅に降りたち、まず向かったのは日枝神社。きれいに整備された伝統ある神社には、翌日から山王祭が始まるというので、豪華な神輿などが並んでいました。お参りを済ませ、ビル街を歩いて国会の議員会館到着、議員秘書さんと待ち合わせて議員食堂へ。カツカレーやかつ丼を食べた後、国会議事堂に入り、参院本会議場などの見学でした。引率して説明してくれたのは、国会議事堂職員のようですが、これが語り上手で、まるで渋谷のDJポリスのよう。いろいろと笑いを取りながら、飽きさせないよう、また騒がないように、上手に案内してくれました。
続いて、いよいよ首相官邸です。いつもテレビに出てくる首相官邸に入りますと、建物は天然の石と木材でつくられていて、なかなか快適でした。ガラス越しに見える大きな部屋では、大勢の人がいてカメラも並び、何やら取材している様子。そして、組閣の時に大臣が並んで写真を撮る階段に、我々も並んで記念写真を撮りました。次に、いつも菅官房長官が記者会見する部屋に入り、参加者は1人ずつ演壇の後ろに立ち、記者の質問に答えている気持ちに浸りました。「ウソをついてはいかんぞ」と心に誓いながら・・・。
当日はあいにくの雨模様でしたが、老若男女、修学旅行の高校生もまじって、大勢の見学者が出入りしていたのは驚きでした。国会や首相官邸に踏み込んだのは初めてですが、一つ気づいたことがあります。それは、厳重なセキュリティーチェックは当然ありましたが、全体として「こらこら、近づいてはいかん!」といったような禁止、監視が強いということはなく、むしろ、見学者は国民であって国民はここの主人公である、ここに来るのは当然だ、と思えたことです。守谷からわいわい訪れた18名が、厳重な警戒のもとで邪魔をしないようにビクビクしながら見学したのではなく、国民として丁重に扱われた、という思いで見学できたことは、幸いでした。
こうして、日本の民主主義の成熟度を感じ取り、なるほど一度は来てみるものだな、と思う1日が無事に終了した次第です。友の会の柗本会長、紹介議員である松下参議院議員と秘書の方、大変お世話になり、ありがとうございました。
5月の学長ブログ
毎年、この時期になると市民大学の自己評価を行います。もりや市民大学の運営委員全員が、この1年を振り返り、事業目標は達成されたか、成果は期待通りであったかなど、多くの項目について自己評価点をつけます。評価は、5:十分に達成した 4:達成した 3:概ね達成した 2:あまり達成できなかった 1:達成できなかった という5段階評価です。
よくよく考えてみると、もりや市民大学もオール5という訳に行かず、いくつかの項目で3をつけざるを得ないものがありました。頑張ってみたけれど目標通りには達成できない課題は、人生にも日常生活にも決して少なくありません。そして、自己評価は難しいと思いました。なぜなら、これは主観的にならざるを得ない行為であり、自分を客観的に評価して点数をつけることには迷いが生じるからです。この自己評価という行動原理は、比較的最近日本に定着した文化です。かつて、評価というのは他者や管理者、指導者が行うものであり、より客観的であることが要求されていました。しかし、1991年に大学設置基準の改正があり、全国の大学で自己点検・評価を努力義務とすることが決定されて以降、多くの組織や団体で自己評価が行われるようになりました。当時現役の大学教員だった私は、自己評価のやり方に随分戸惑い、労力と時間を注いだことを覚えています。
私がある大学で連続講義を行っていたとき、「あなたは、この講義を受講した自分に何点をつけますか?理由を述べて採点しなさい」というレポート課題を与えました。学生に自己評価をさせたのです。満点を100点としました。その結果は興味深いものでした。受講生の自己評価点が、私自身の評価点数と近いものが多かったのですが、中には辛目の70点をつけた学生もいました。その学生は出席率も良く、講義を聞いて「研究してみたい面白いテーマが見つかった」と述べています。講義する側から言えば、こういう反応こそが一番楽しいのですが、学生側からは、自分の目標とするところに比較して足りないところが多すぎた、と反省し、自らに辛めの点数を与えたようです。この学生に関しては、激励の意味を込めてもう少し高い点をつけました。
そんなことで、市民大学の自己評価も間もなく集計が終わります。結果の数値よりも、自己評価を考えるプロセスにより大きな意味と意義があるような気がします。良い点を取ることに汲々とするより、自分になぜ何点をつけるかという思索に意味がある、ということだと思います。
4月の学長ブログ
急に、表彰される機会が増えました。地盤工学会という学会に安くはない学会費を30年以上払い続けてきたので、その経済的貢献度が大きいから、4月中に表彰して下さるそうです。何でも長くやっていると褒められる、ということです。5月には、日本地球惑星科学連合という巨大学会から「土壌物理学および環境地水学における,時空間変動する土壌中の移動現象の解明と理論化に関する顕著な功績により」という理由でフェローの称号が与えられます。表彰してくれる学会に文句をつける筋合いはありませんが、日本と地球と惑星という3つを繋げて命名する学会は不思議な感じがします。学の境界線がどこにあるのかな、と思うほど守備範囲が広いです。
ところで、フェローを日本語に訳すと何になるのでしょう?ネット検索しても、フェローはフェローでしょ、とばかりにそのままカタカナで書いてあります。無理に日本語にすると、特別研究員、大学理事、仲間、同僚とかの意になり、何だか変です。奨学金をもらう研究員もフェローですが、今回はそう言った実利面のご褒美はなく、名誉だけを授ける、といった趣旨のようです。誠にありがたいことです。こだわるようですが、フェローの適切な日本語訳はありませんか?
賞を頂くのは嬉しいものです。何よりも推薦してくれる人がいてこそ受賞が決まるのです。自己推薦というのはなかなか難しく、多くの場合、他者からの推薦によって受賞の運びとなります。その意味では、推薦されるような立派な行いをしました、という面が一番大切かも知れません。
そういえば、守谷市でも、いやいや市民大学の運営委員や受講生にも、いろいろな賞を受賞されている方々がおられます。スポーツ大会の入賞や優勝も素晴らしい受賞です。ゴルフコンペの優勝などは、誰かに自慢せずにはいられません。賞を頂く、表彰される、こういう体験は、子供でいえば「褒めて育てる」ことに繋がります。年長者の場合は「褒めて長生きさせる」のが効用でしょうか。