学長ブログ

9月の学長ブログ

クルージング、やや心をくすぐる言葉です。船や航空機であちらこちらを巡ることを言うそうです。ふと思い立ち、クルージングに行って参りました。乗客と船員併せて4000人規模の大型客船でした。「大船に乗った気持ち」を実際に味わってみたのです。大船なら、揺れない、沈まない、という安心感を伴って、遠くまで行けるロマンを提供してくれます。

 

「どうだった?」と聞かれて「うん、良かったよ」と答えるのですが、そこから先の具体的な感想を述べるのが意外と難しいのです。何が良かったかを説明するのが難しい。スピードを楽しんだ訳ではない、大きい船だから良かったと説明するのも野暮、豪華だから良かったと言えば、豪華ホテルを褒めるのと同じ、台風でも揺れなかった、と説明するのは感情が伝わらない、という次第で、どう説明すればよいか戸惑っています。

 

日常から離れて旅をすることは、誰しも経験するでしょう。旅を嫌う人は少ないと思います。それでも、年齢が高くなると旅はおっくうであり、家で過ごすのが一番だ、と消極的になる傾向があるのは仕方のないことです。「さあ、旅に出よう」と呼びかけるか、「静かな毎日を家で過ごそう」と心に決めるか、人々はそれぞれの考えで日々を過ごしています。

 

今回、私は旅に出ました。クルージングでした。少しリフレッシュできました。帰宅しても以前と全く変わりない日常に戻りました。さて、あれはなんだったろう?旅は何をもたらしただろう?と自問しますが、答えは朦朧とするばかりです。強いて言えば、繰り返す日常に少しだけ変化を入れてみたら、心と体がリフレッシュしたな、と思います。そう言えば、昨年のいきいきシニアコースで「実践小旅行」講座がありました。講師は国内旅行業務取扱管理者の肩書を持つ飯嶋章氏でした。小旅行が脳トレ効果をもたらすことを解説してくれました。今回、私の脳はトレーニング効果を得たでしょうか?そんな恵みを頂けたらありがたいことです。

8月の学長ブログ

猛暑と頻発するゲリラ豪雨、お見舞い申し上げます。ところで、今年は暑中見舞いのハガキなどがほとんど来ません。そう言えば、冠婚葬祭の招待状が来なくなって久しいです。コロナ感染と共に、この種の生活上の慣例のようなものがかなり変化したと思います。ただ、古来の祭りや花火大会などは復活の兆しが濃厚です。何とかしてコロナ以前の勢いを取り戻したいと願う心は誰も同じなのでしょう。

 

色々な集まりについてはどうでしょうか?地域での集まり、全国各地からの集まり、更には国際的な集まりについて、以前とは違う変化が見られます。特に、オンライン会議、Zoom会議が増えたことは実感します。もともとは会って話し合っていた顔ぶれが、Zoomで十分機能する場合が増えました。それにより、会議欠席者が減ったかもしれません。「出席者100人の会議でした、ただし、会場には25人、残りはオンライン参加でした」などという報告を聞くと、「これで良かったのかなー?」と、複雑な思いです。

 

飲み会は別です。コロナ拡大時期に、「Zoom飲み会をやろう」という呼びかけが何度かありました。各自が缶ビールなどを手にもってパソコンを開き、画面を見て自由におしゃべりしながらビールを飲むのです。実際にやってみると、どうも盛り上がりに欠けたようです。早々に画面から消える人、最初から名前だけを出して顔を出さない人など、今一つ盛り上がりに欠けました。一方、そろそろ良いかな、と開催する旧来方式の飲み会は、どれも大盛況です。これまでのうっ憤を晴らすかのように、ガンガン飲んでしゃべります。

 

そんなこんなで、徐々に過去形になってきた新型コロナ感染、まだ油断はできません。思わぬ知人から「実は私コロナに感染しました。後遺症がしんどいです。」という知らせを受けました。テレビで感染症の専門医師が色々な情報を提供する場面もほとんど見なくなりました。マスクも「個人の判断で決めて下さい」と言われます。こうして過去形になっていくとき、あれは何だったのだろう?と自問自答しつつ前進します。もりや市民大学も、人数制限を無くして、従来通りの教室運営になりました。オンライン受講は、その幅を広げたという意味で、私たちは歓迎しています。

7月の学長ブログ

 夏休み、昔はこの言葉にワクワクしました。いま、夏休みと言われてもピンときません。夏休みとお盆休みが交通渋滞のピークになること、そちらへの関心のみ沸き起こります。季節の交通渋滞に巻き込まれないように気をつけて移動することに専念します。

 

 夏休み、宿題と自由研究の季節です。ChatGPTなる生成AIが跋扈しています。若者の間では、今年の夏休み、このChatGPTが陰に陽に活躍することでしょう。かつて当然と思っていた「自分の頭で考えろ」という説得力ある助言、これもどうなることか。何しろ賢い助言者が誰の手の中にも存在しているのですから。

 

 夏休み、さて、高齢者や後期高齢者にとって夏休みとは何でしょうか?まずは暑さに耐える季節、体調を維持することに注意する季節、孫が訪れることについて覚悟しておく季節、ちょっとは外出、旅行も楽しみたい季節です。国内外で報道される異常高温に驚かされることもあります。地球温暖化と関係があるのかないのか、あいさつ代わりの話題にすることも多くなります。

 

 夏休み、学長ブログもテーマを見つけ出すことができず、発信力が低下します。そうか、夏休みだから学長ブログも休みで良いかな、と言い訳します。猛暑日には「無用の外出を控えよ」「激しい運動をするな」と忠告されるのですから、積極的な情報発信のモチベーションが不足がちです。さあ、こんな夏休みの到来、皆さんはどのような計画をお持ちでしょうか?「夏休みに計画を持つ」というマインドこそが大切です。今からでも遅くありません、「あなたの夏休みの計画は?」と聞かれたときの答えを用意しましょう。私?ですか。私は・・・、これから考えます。

6月の学長ブログ

 2023年度もりや市民大学「守谷を知る」コースにて、久しぶりに講師を勤めました。パワーポイントを準備し、配布資料を編集して臨みました。お題は「守谷の土と水―その恩恵を考えるー」でした。お陰様で、教室は定員いっぱい、満席状態でした。オンライン出席の方も2名おられ、川崎運営委員の司会にてハイブリッド方式の講義が始まりました。

 

 聴衆を前にしてお話をする際、いつも心掛けているのは、自分が面白いと思わない話は聞いている人も面白くない、ということです。では、自分が面白いと思う話とは何か、と言えば、自らの手、足、頭、目などを動員して獲得した知見や情報を整理し、筋道を立て、何が言いたいかをはっきり示すことです。自分が抱いた疑問をどのように解きほぐして行ったか、そのプロセスもお伝えしたい中身になります。守谷市に貝塚がある、と聞いて実際に現地へ行き、貝塚を発見するに至ったプロセスは、自分でも「面白いな」と思いました。

 

 問題は、自分が面白いと思う事項を聴衆も面白いと思うか、という疑問です。これはyes/no どちらもあること、当然です。私が疑問に思い、知りたいと思うことは、他者もまたそのように思うだろう、という信念を貫くと、NHK朝ドラの主人公、植物学者の牧野富太郎になれます。この植物の名前を知りたい、と心から願い、また、日本中いや世界中の人々もその花の名前を知りたいと願っているに相違なし、と信じて疑わないので、初めは疑心暗鬼だった周囲の人々も、やがて牧野富太郎に引き寄せられ、共感すら得ていきます。

 

 こんな朝ドラを見せてもらうと、一人の人間が「知りたい」と思う純粋な疑問を解き明かす作業というのは、人の心に触れるほどに深い魅力を持つのだろうと思わずにはいられません。さて、私の「守谷の土と水を知りたい」の願い、皆様に通じたでしょうか?講義後にはアンケート調査が用意されています。そこにどんなご意見が記載されているか、楽しみです。なお、一般に、教室の後方に着席する受講生は、その講師に対して厳しい評価を下すことが統計学的に証明されています。後方座席の皆様からのアンケート結果が出たら、再び学長ブログにご紹介しましょうか?

 

5月の学長ブログ

 最近、集まって飲み会やろう、食事会やろう、という声が増えていると思いませんか?私の周りでは確実に増えています。3年、いや、4年ぶりの集まりもあるようです。日程が重ならない限り、まず参加することになります。飲み会、食事会だけでなく、前向きな姿勢が社会全体に広がると、なにやら明るい希望が芽生えてきます。テレビや新聞のニュースで深刻な事件、世界の不安、地球環境の危機などを見ると、そんな能天気で良いのか?と疑問が湧きますが、何はともあれ元気であることが大切かと。

 

 そんな雰囲気の中で始まる2023年度もりや市民大学、開講日(6月10日)が近づきました。新型コロナ感染も第5類になり、ようやく日常生活を取り戻しつつある中での開講、どれだけの市民が参加してくれるか、期待と不安の中で募集締め切りとなりました。集計結果を見ると、「守谷を知るコース」定員35名のところ、約50名の応募を頂きました。「いきいきシニアコース」の応募もおよそ30人、「まちづくり協議会コース」の応募も約23組(グループで申込可能でした)、何れも予想を上回り、定員超過分を公平な抽選などで選ばなければならない状況が生まれています。

 

世の中全体もコロナ後に向かって急速に活動を再開する中、皆さんが積極的に動き出すのは当然なのでしょう。市民大学運営委員会では、このような状況を歓迎しております。コロナ禍の中で、教室授業だけでなくオンライン授業が可能となったことは収穫でした。Zoomが使えるので受講可能となった方も増えただろうと思います。今回、定員超過で抽選の結果ご希望に添えないことが生じることにつき、申し訳ない気持ちで一杯です。希望者全員の入学を許可したい気持ちは山々ですが、教室の物理的限界などのためご容赦願います。

 

教室では、講師と受講生間の交流だけでなく、受講生同士の交流ももっと盛んになることが期待されます。「袖すり合うも他生の縁」とはうまいことを言うものです。教室で大いに「袖すり合い」を試してください。実は、もと受講生だった方が希望して運営委員に加わって下さった例が多数あります。受講生の先輩にあたる運営委員との「袖すり合い」もよろしくお願いします。

4月の学長ブログ

 

 黄砂の話題が急浮上しています。空が霞む、車の屋根に粉状の汚れがつく、アレルギー症状が出る、といった迷惑体験が報じられています。私自身も花粉症と同じような健康被害を自覚しているところです。

  この件について、私も参加した研究チームから12年前に発表した「黄砂・越境大気汚染物質の地球規模循環の解明とその影響対策」という報告書(日本学術会議風送大気物質問題分科会)では、黄砂のデメリットとメリットを並列して記載することにしました。黄砂はニュースで報じられるよりもっと悪いデメリットと、実は地球環境に良い影響を与えるメリットとが、併存している事実を科学的に報告したものです。まず、デメリットですが、冒頭に記載したような生活密着型のデメリット以外にも、黄砂に付着した病原菌として家畜の口蹄疫、豚コレラ、麦サビ病、などが疑われています。さらに、精密機器への障害、目詰まり、遮光害、などもあります。

  ところが、黄砂には意外なメリットがあるのです。まず、魚類の餌となる植物プランクトンを増殖させる効果をもたらす栄養塩(カリウムやカルシウムや鉄などの微量要素)を自然生態系にもたらしていると考えられています。さらには、中国の黄砂は、実はアルカリ性なので、酸性物質を中和する働きがあります。一昔前に公害で騒がれた酸性雨も、黄砂によって中和作用が働いていたのです。もっと驚くべきメリット、それは、あの原発事故でばらまかれた放射能物質を吸着して作物を放射能汚染から守る力がある、ということです。この研究は、日本の最新研究で解明された新発見です。詳しい理論をこの学長ブログに記載することは、無理があると思います。

  しかし、これだけは言いたいです。我々が暮らしている守谷市を含め関東地方全体を覆っている火山灰土壌(黒ボクと呼ばれる)は放射性セシウムを吸着する力が弱く、したがって、セシウムは自由に動き回って大気や地下水や土壌を汚染するはずでした。ところが、長い年月、黄砂が降り注いでいたので、黄砂に多く含まれる雲母系鉱物が土に混入し、この雲母系物質が放射性セシウムをガッチリ掴んで離さない、したがって、セシウムは環境中に拡散しないし、植物や生態系にも移行しない、ということが分かってきたのです。黄砂は我々を助けてくれてもいる、という科学的事実。まだ、専門研究者の間でしか知られていない事実ですが、「黄砂」を敵視するだけでは、科学的判断を誤る、とだけ申し上げておきたかった次第です。

3月の学長ブログ

 「書評」という書き物は面白い、と思います。書評が魅力的だと、その本を読んでみたくなるのは当然でしょう。最近私が注目している書評というと、京都大学で食農思想史を専門とする藤原辰史准教授です。朝日新聞の書評欄で頻繁に目にします。農学分野なので、農業問題専門かと思いきや、かなり幅広い分野の書評を手掛けており、いつも心を動かされるのです。最近では「犠牲者意識ナショナリズムー国境を超える「記憶」の戦争―」「さすらう地」などの書評が心に刺さり、ご自分でも「戦争と農業」などの著書があります。

 

 もっとすごい「書評」に出会いました。米原万里著「打ちのめされるようなすごい本」というタイトルです。そのおどろおどろしいタイトルに引かれて、図書館で借りてきました。米原万里さんはロシア語通訳を本業とした作家で、ロシアのゴルバチョフやエリツインが名指しで指名するほどのロシア語同時通訳者です。この本は、週刊文春や読売新聞などに掲載された同氏の「書評」全てを1冊の本にまとめ上げたもので535頁もあります。そこで取り上げた本は日本語とロシア語(和訳された)の膨大なもので、しかも一つ一つの「書評」がウーンとうならせるような濃度です。タイトルにある「打ちのめされるような」は伊達ではありませんでした。

 

 ところで、この米原万里さんの本の最後尾にも「書評」(解説と書かれている)がありました。曰く、「「書評」は褒めれば甘いと叱られ、辛口にすればたぶん一生恨まれ、ほどほどにしておけば毒にも薬にもならない役立たずと軽んじられる。おまけに、手間暇はかかる。稿料は安い。大きく扱われることもない。」などと言いながら、嬉々としてその書評を書いていました。書いた人は井上ひさしです。あの、「ひょっこりひょうたん島」の作者です。この「書評の書評」が、さすがに面白いのです。

 

 そんなことで、今回のブログは「書評」三昧でした。書評から手繰り寄せた本が自分にピタリと合うと、嬉しくて充実感を味わうことができます。逆に、「書評」がうますぎて、現物を読んだらそれほどでもなかったときは、何だか損をしたような気がします。さらに、友人、知人が「読んで面白かった」と知らせてくると、当然、触発されて自分も読んでみます。春うらら、読書しながらうつらうつら、となる気配です。

2月の学長ブログ

 東京都日野市で「ネイバーズファーム」という農業生産経営を代表している川名さんのお話を聞く機会がありました。ネイバーズ、つまり「お隣さんちで採れた野菜だよ!」という近隣地域繋がりをそのまま拡大してビジネスにまで成長させた方です。農地のもつ価値を最大限発揮し30年後に続く都市農園を作るのが夢だそうです。環境制御や潅水制御、CO2再利用システム、データ管理システム、ファームカミングデー開催、ブランドコンセプトの明示、SNS・メディア活用など、新技術を最大限活用して地域農業振興を実践しておられる女性です。

 続いて、静岡県で「エムスクエア」という農業生産経営を代表している加藤さんのお話も伺いました。2017年にやさいバス株式会社を創業したことでも知られています。野菜を作る人、それを使って飲食店や小売業を経営する人、そしてそれを食べる人、この3者のバリューサイクルを創ろうとの考えで始めたそうです。野菜作りで欠かせない除草技術において「雑草ふみふみ」という不思議な機械を創作して特許を取得しています。農業経営を通じて生き抜く力をはぐくむ「ジュニアビレッジ」も主催するなどが評価され、男女共同参画チャレンジャー賞を受賞された女性です。

 昨年暮れ、日本学術会議で私が委員長を担当している「地域総合農学分科会」の参考人として上記お二人を招聘し、お話を伺った次第です。現実的で夢と希望があり、地域と密着しながら大きな世界観を持っておられるこのお二人のお話を聞いて、強く感銘を受けました。そして、思ったのです。守谷市でも地元産の野菜売り場が活況を呈していますが、そうした野菜の作り手(農家)、売り手(スーパーなど)、買い手(私たち消費者)の繋がりが薄いなー、と。上記お二人のお話を伺うと、安全でおいしいものを生み出すには生産者だけではダメで、生産者、販売者、消費者の間に良好なバリューサイクル(価値の共有?)のような関係性が必要なようです。

 もりや市民大学で、農業にも目を向けた学びができたら良いなと思わずにはいられません。守谷駅前の「もりやコレクション」そして毎月第一日曜日に開催されている「朝市」は、このような考え方を実践している先進事例だと思われます。一度「朝市」に行ってみよう、と思いました。

1月の学長ブログ

 関東地方は天気に恵まれた静かな正月を迎えることができました。しかし、その後のコロナ感染拡大第8波の動向を見ても、世界の政治動向に目を転じてみても、素直に「おめでとう」と言えない事態が進んでいます。自然環境から社会情勢まで、地球全体が変わりつつあるような不安が増しています。さらに、急速に進む様々なサービスのデジタル化にも戸惑いを隠せません。

 先日、あるクレジットカードでの購買決済をしていた時、どういう訳かそのカードが受け付けられなくなりました。いろいろ試してみても拒否されます。そこで、そのクレジットカードに記載されている問合せ電話番号に電話しましたが、何度試みても「ただいま大変込み合っております」という自動音声メッセージのみで、生身の人間に対応してもらええません。繰り返しトライしたのち、ついにあきらめて別のクレジットカードで決済しました。似たような経験は他にもあります。知人から受け取ったメールに添付されていたファイルがどうしても開けないので、そういう困りごとの相談Webサイトを開き解決策を教えてもらいましたが、試行錯誤の結果、解決しませんでした。やむなく、ファイル形式を変えて頂くよう依頼してやっと用事が済みました。

 少し前には、このように困ったときは電話すれば大抵の困りごとは解決していたと思います。が、最近はそういったサービス提供の質が低下しているように感じます。たとえば、オンラインで様々な商品が届きますが、その商品利用に関する問い合わせ窓口が自動音声ばかりで、生身の人間に達することが難しくなっていると思います。明らかなサービス低下と思います。直接的な電話対応を縮小し、消費者からのクレームや相談をできるだけ自動音声で対応しようとするサービス低下に、かなりイライラが募ります。恐らく、多くの高齢者が似たような経験をお持ちと思われます。

 若い人にはこのようなストレスが少ないのでしょう。いくつもの解決策を手早く見つけ、さっさと先へ進むことができているように見えます。つまり、高齢者の置き去り状態です。高齢者が甘えを捨ててもっと努力すればよいのか、それとも、高齢者を困らせないような寛容なサービスを提供すべきなのか、どちらへ向かって進むのかはよく見えません。ただ見えるのは、更に便利に、更に早く、更に自動化へ進む力だけは確実に強まっている、ということです。良い、悪い、と評価する前に、すでに止まらなくなっているこの動きを前にして、人間はどこまで行きたいの?と問いつつ、遠い目をするばかりです。

 

 追記:この学長ブログ、前回まではコピー&ペイストでさっさと仕上げることができましたが、何故か今回は別に作成した原稿のペイスト(貼り付け)ができなくなり、この原稿欄に直接記載することになりました。この二重手間も、デジタル化のサービス低下の一例になります。

12月の学長ブログ

 月並みの表現ですが、今年も間もなく暮れようとしています。そんな中、日本における今年1年を象徴する漢字一文字が「戦」であると報じられました。そうか、「戦」か、と考えさせられました。確かに、世界規模、地球規模で考えれば「戦」かもしれません。このニュースを聞いて、日本も世界と繋がっているのだなー、と改めて思うところがありました。

 せっかくですから、今年1年のもりや市民大学を象徴する漢字一文字を考えてみましょう。私は「新」を選ぶことにします。思い返してみると、2020年度には2012年開講以来のコース設計大改革を行い、募集案内(パンフレット)を14ページに拡大し、さあ始めよう、という瞬間にコロナ感染拡大が始まり、この年度の開講が全面中止になりました。2021年度は、コロナ対策として開講コースをコンパクト化し、オンラインシステム(Zoom)を導入し、教室対面受講とオンライン受講を併設するハイブリッド型開講としました。募集案内(パンフレット)は見開き4ページで小さくまとめました。2022年度はコロナ感染が収束するかもしれないという期待を込めつつ警戒心も怠らず、ハイブリッド型講座を継続し、募集案内(パンフレット)8ページにまで回復しました。こうしてみると、予想もしなかったオンライン教室を併設開講したこと、また、この1~2年新しい運営委員を多く迎え入れたこと、など新しい体験が増えました。それで、「新」を選んだ次第です。

 しかし、自分自身の身の回りを見直すと、どうも「新」よりは「古」の方が多くなっていますので、私の漢字一文字を選べ、と言われたら、別の文字が浮かんでしまいます。私の場合「続」かな、と思います。今まで通りのことが継続できること、それがありがたいのです。続けていた同窓会やクラス会、続けていたスポーツの趣味、続けていた家族内の交流、続けていた専門分野の仕事、などが、コロナだけでなく色々な事情で少しずつ続けられなくなりました。だから、「続」に希望と感謝の気持ちが湧くのです。来年も今年と同じように、いや、それ以上に続けることができたら、それは嬉しいことなのです。

 さて、皆様、どうぞ自分の一文字をお探しください。希望に満ちた一文字を選ばれた方は、明日に向かって進むのみですね。「勝」でも「幸」でも結構。応援します。