学長ブログ
3月の学長ブログ
「書評」という書き物は面白い、と思います。書評が魅力的だと、その本を読んでみたくなるのは当然でしょう。最近私が注目している書評というと、京都大学で食農思想史を専門とする藤原辰史准教授です。朝日新聞の書評欄で頻繁に目にします。農学分野なので、農業問題専門かと思いきや、かなり幅広い分野の書評を手掛けており、いつも心を動かされるのです。最近では「犠牲者意識ナショナリズムー国境を超える「記憶」の戦争―」「さすらう地」などの書評が心に刺さり、ご自分でも「戦争と農業」などの著書があります。
もっとすごい「書評」に出会いました。米原万里著「打ちのめされるようなすごい本」というタイトルです。そのおどろおどろしいタイトルに引かれて、図書館で借りてきました。米原万里さんはロシア語通訳を本業とした作家で、ロシアのゴルバチョフやエリツインが名指しで指名するほどのロシア語同時通訳者です。この本は、週刊文春や読売新聞などに掲載された同氏の「書評」全てを1冊の本にまとめ上げたもので535頁もあります。そこで取り上げた本は日本語とロシア語(和訳された)の膨大なもので、しかも一つ一つの「書評」がウーンとうならせるような濃度です。タイトルにある「打ちのめされるような」は伊達ではありませんでした。
ところで、この米原万里さんの本の最後尾にも「書評」(解説と書かれている)がありました。曰く、「「書評」は褒めれば甘いと叱られ、辛口にすればたぶん一生恨まれ、ほどほどにしておけば毒にも薬にもならない役立たずと軽んじられる。おまけに、手間暇はかかる。稿料は安い。大きく扱われることもない。」などと言いながら、嬉々としてその書評を書いていました。書いた人は井上ひさしです。あの、「ひょっこりひょうたん島」の作者です。この「書評の書評」が、さすがに面白いのです。
そんなことで、今回のブログは「書評」三昧でした。書評から手繰り寄せた本が自分にピタリと合うと、嬉しくて充実感を味わうことができます。逆に、「書評」がうますぎて、現物を読んだらそれほどでもなかったときは、何だか損をしたような気がします。さらに、友人、知人が「読んで面白かった」と知らせてくると、当然、触発されて自分も読んでみます。春うらら、読書しながらうつらうつら、となる気配です。
2月の学長ブログ
東京都日野市で「ネイバーズファーム」という農業生産経営を代表している川名さんのお話を聞く機会がありました。ネイバーズ、つまり「お隣さんちで採れた野菜だよ!」という近隣地域繋がりをそのまま拡大してビジネスにまで成長させた方です。農地のもつ価値を最大限発揮し30年後に続く都市農園を作るのが夢だそうです。環境制御や潅水制御、CO2再利用システム、データ管理システム、ファームカミングデー開催、ブランドコンセプトの明示、SNS・メディア活用など、新技術を最大限活用して地域農業振興を実践しておられる女性です。
続いて、静岡県で「エムスクエア」という農業生産経営を代表している加藤さんのお話も伺いました。2017年にやさいバス株式会社を創業したことでも知られています。野菜を作る人、それを使って飲食店や小売業を経営する人、そしてそれを食べる人、この3者のバリューサイクルを創ろうとの考えで始めたそうです。野菜作りで欠かせない除草技術において「雑草ふみふみ」という不思議な機械を創作して特許を取得しています。農業経営を通じて生き抜く力をはぐくむ「ジュニアビレッジ」も主催するなどが評価され、男女共同参画チャレンジャー賞を受賞された女性です。
昨年暮れ、日本学術会議で私が委員長を担当している「地域総合農学分科会」の参考人として上記お二人を招聘し、お話を伺った次第です。現実的で夢と希望があり、地域と密着しながら大きな世界観を持っておられるこのお二人のお話を聞いて、強く感銘を受けました。そして、思ったのです。守谷市でも地元産の野菜売り場が活況を呈していますが、そうした野菜の作り手(農家)、売り手(スーパーなど)、買い手(私たち消費者)の繋がりが薄いなー、と。上記お二人のお話を伺うと、安全でおいしいものを生み出すには生産者だけではダメで、生産者、販売者、消費者の間に良好なバリューサイクル(価値の共有?)のような関係性が必要なようです。
もりや市民大学で、農業にも目を向けた学びができたら良いなと思わずにはいられません。守谷駅前の「もりやコレクション」そして毎月第一日曜日に開催されている「朝市」は、このような考え方を実践している先進事例だと思われます。一度「朝市」に行ってみよう、と思いました。
1月の学長ブログ
関東地方は天気に恵まれた静かな正月を迎えることができました。しかし、その後のコロナ感染拡大第8波の動向を見ても、世界の政治動向に目を転じてみても、素直に「おめでとう」と言えない事態が進んでいます。自然環境から社会情勢まで、地球全体が変わりつつあるような不安が増しています。さらに、急速に進む様々なサービスのデジタル化にも戸惑いを隠せません。
先日、あるクレジットカードでの購買決済をしていた時、どういう訳かそのカードが受け付けられなくなりました。いろいろ試してみても拒否されます。そこで、そのクレジットカードに記載されている問合せ電話番号に電話しましたが、何度試みても「ただいま大変込み合っております」という自動音声メッセージのみで、生身の人間に対応してもらええません。繰り返しトライしたのち、ついにあきらめて別のクレジットカードで決済しました。似たような経験は他にもあります。知人から受け取ったメールに添付されていたファイルがどうしても開けないので、そういう困りごとの相談Webサイトを開き解決策を教えてもらいましたが、試行錯誤の結果、解決しませんでした。やむなく、ファイル形式を変えて頂くよう依頼してやっと用事が済みました。
少し前には、このように困ったときは電話すれば大抵の困りごとは解決していたと思います。が、最近はそういったサービス提供の質が低下しているように感じます。たとえば、オンラインで様々な商品が届きますが、その商品利用に関する問い合わせ窓口が自動音声ばかりで、生身の人間に達することが難しくなっていると思います。明らかなサービス低下と思います。直接的な電話対応を縮小し、消費者からのクレームや相談をできるだけ自動音声で対応しようとするサービス低下に、かなりイライラが募ります。恐らく、多くの高齢者が似たような経験をお持ちと思われます。
若い人にはこのようなストレスが少ないのでしょう。いくつもの解決策を手早く見つけ、さっさと先へ進むことができているように見えます。つまり、高齢者の置き去り状態です。高齢者が甘えを捨ててもっと努力すればよいのか、それとも、高齢者を困らせないような寛容なサービスを提供すべきなのか、どちらへ向かって進むのかはよく見えません。ただ見えるのは、更に便利に、更に早く、更に自動化へ進む力だけは確実に強まっている、ということです。良い、悪い、と評価する前に、すでに止まらなくなっているこの動きを前にして、人間はどこまで行きたいの?と問いつつ、遠い目をするばかりです。
追記:この学長ブログ、前回まではコピー&ペイストでさっさと仕上げることができましたが、何故か今回は別に作成した原稿のペイスト(貼り付け)ができなくなり、この原稿欄に直接記載することになりました。この二重手間も、デジタル化のサービス低下の一例になります。
12月の学長ブログ
月並みの表現ですが、今年も間もなく暮れようとしています。そんな中、日本における今年1年を象徴する漢字一文字が「戦」であると報じられました。そうか、「戦」か、と考えさせられました。確かに、世界規模、地球規模で考えれば「戦」かもしれません。このニュースを聞いて、日本も世界と繋がっているのだなー、と改めて思うところがありました。
せっかくですから、今年1年のもりや市民大学を象徴する漢字一文字を考えてみましょう。私は「新」を選ぶことにします。思い返してみると、2020年度には2012年開講以来のコース設計大改革を行い、募集案内(パンフレット)を14ページに拡大し、さあ始めよう、という瞬間にコロナ感染拡大が始まり、この年度の開講が全面中止になりました。2021年度は、コロナ対策として開講コースをコンパクト化し、オンラインシステム(Zoom)を導入し、教室対面受講とオンライン受講を併設するハイブリッド型開講としました。募集案内(パンフレット)は見開き4ページで小さくまとめました。2022年度はコロナ感染が収束するかもしれないという期待を込めつつ警戒心も怠らず、ハイブリッド型講座を継続し、募集案内(パンフレット)8ページにまで回復しました。こうしてみると、予想もしなかったオンライン教室を併設開講したこと、また、この1~2年新しい運営委員を多く迎え入れたこと、など新しい体験が増えました。それで、「新」を選んだ次第です。
しかし、自分自身の身の回りを見直すと、どうも「新」よりは「古」の方が多くなっていますので、私の漢字一文字を選べ、と言われたら、別の文字が浮かんでしまいます。私の場合「続」かな、と思います。今まで通りのことが継続できること、それがありがたいのです。続けていた同窓会やクラス会、続けていたスポーツの趣味、続けていた家族内の交流、続けていた専門分野の仕事、などが、コロナだけでなく色々な事情で少しずつ続けられなくなりました。だから、「続」に希望と感謝の気持ちが湧くのです。来年も今年と同じように、いや、それ以上に続けることができたら、それは嬉しいことなのです。
さて、皆様、どうぞ自分の一文字をお探しください。希望に満ちた一文字を選ばれた方は、明日に向かって進むのみですね。「勝」でも「幸」でも結構。応援します。
11月の学長ブログ
もりや市民大学は2012年10月に開校したので、今期で10年目を迎えました。そこで、運営委員会では、この10年を振り返り、これからどう発展させればよいかを自由に語り合おう、ということになりました。10年前、手探りで始めた市民大学、なんとかここまでやってきました。運営委員の皆さん、講師の皆さん、サポート役の皆さん、受講生の皆さん、守谷市役所市民協働推進課の皆さん、市民活動支援センターの皆さん、市民大学友の会の皆さん、こうした方々の支えがあって今日があります。
この10年間、世の中はどのように変化したでしょうか?もりや市民大学が開講した2012年12月には第46回衆院選があり、自民党が294議席を得て圧勝、民主党は惨敗し、退陣した野田佳彦首相は党代表も辞任しました。2013年の流行語大賞に「お・も・て・な・し」が選ばれ、オリンピック・パラリンピックの日本開催決定に浮かれていました。しかし、ご承知のように、その後、金銭をめぐる深い疑惑が残されました。2018年は日産のゴーン社長が逮捕されました。2019年、元号が平成から令和へ移行し、ペシャワールの会の中村哲医師が殺され、渋野日向子が全英女子オープンゴルフで優勝しました。2020年は新型コロナの感染拡大でオリンピック・パラリンピックの日本開催が延期され、甲子園の高校野球は中止となりました。もりや市民大学も開講中止でした。2021年にはオリンピック・パラリンピックが開催され、アメリカではバイデン政権が発足しました。日本では熱海で土砂災害が発生しました。2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、その後、このニュースがあまりにも重いので、他の出来事の記憶がかすんでしまうほどです。
一方、もりや市民大学の10年を振り返ると、はじめのころは「守谷町から守谷市へ」「守谷の町内会」「守谷の子どもたち」「守谷の自然と環境」「守谷の防災」「守谷の国際交流」「守谷の教育」など、守谷を知ろうという内容の講義が多かったのですが、その後「パートナーシップによる緑のまちづくり」「<わたし>を生かす地域プロジェクトをつくろう!」などといった専門コースを充実させ、実際の行動へと発展させてきました。特に「脳いきいき!ウォーキングで健康貯筋」コースからはウォーキングを市民に広げる活動へと発展しました。これから先、どんな方向へ展開するか、「お・た・の・し・み」と行きたいものです。
10月の学長ブログ
コロナ禍はまだ終息しません。そんな中では各種の会議がオンラインで開催されます。つい先日も15人ほどの全国規模での学者のZoom会議が開催され、私も出席しました。この中で、私はガッカリ気落ちする出来事がありました 。それは、会議中に「プラネタリーバウンダリー」とか「レギュラトリーサイエンス」という言葉が頻繁に使われたからです。「パラダイム」とか「ロバストネス」とか「レジリエント」などの言葉にやっと慣れてきたと思っていたら、更に新しい言葉が登場していました。
集団の会話の中で、新しいカタカナ文字がまるで昔から使われていた共通用語であるかのように使われるとき、その言葉を知らなかった者は強烈な疎外感に襲われます。知らないのは自分だけなのか、とがっくり来ます。他の人は、その新しいカタカナ文字を当たり前として会話しているのですから、ついていけない参加者は蚊帳の外になります。いったい、その言葉はいつからどこで使われ始めたのか、誰が言い始めたのか、チンプンカンプンです。そこで、急いでスマートホンにその言葉を書き込んでネット検索し、何とか遅ればせながら会議の会話に追いつこうとします。
こうした経験は、恐らくどなたもお持ちだろうと思います。新しい言葉を、あたかも皆が知っているかのように当たり前の言葉として使うこと、これは刺激的ですが少々辛い状況です。若者の場合、新しい言葉を瞬時に共通語として認知する運動神経が非常に鋭いのですが、高齢者の場合、新しいカタカナ文字に馴染むには時間がかかります。ちょうど、パソコンやスマホに馴染むのに時間がかかるのと同じだと思います。
会議の中で知らない言葉が当たり前に使われるときに味わう疎外感、それに耐える力が必要でしょうか?それとも、「日本語が乱れとる!」と怒るのが正道なのか?皆さんはどうお考えですか?私は、まずはガッカリ気落ちします。それから、気を取り直してその新しいカタカナ文字が表現している現実社会を眺めます。そして、考え込むのです。そうか、新しい視野はこうして開かれるのか、と感慨深いのです。
脚注:プラネタリーバウンダリー「人類が生存できる安全な活動領域とその限界点(ウィキペディア)、2020年頃から世界に広まった新概念」、レギュラトリーサイエンス「身の回りの現象に関する科学的研究成果を国民の健康に資するための科学(私の意訳)、2011年閣議決定の中で使われた新用語」、パラダイム「ものの見方、考え方を支配する認識の枠組み(オックスフォードラングイッジ)」、ロバストネス「外乱の影響によって変化することを阻止する内的な仕組み(ウイキペディア)」、レジリエント「弾力性、柔軟性、回復力のある(ソフトバンク)」、一応、上記の新語の説明文を付記しました。
9月の学長ブログ
筑波山頂から東へ約7.5km離れた場所に石岡市柿岡という地名があります。さらに東へ約2㎞進むと東筑波カントリークラブというゴルフ場があります。さて、この石岡市柿岡という地名がTXや常磐線と関係が深く、しかも世界における重要拠点である、ということを知ったのはごく最近のことです。
8月28日(日)朝は生憎の雨でしたが、TX守谷駅改札口に珍しい光景がありました。小学校高学年の子供とその親15組が集合でした。目的は、もりや市民大学公開講座「学ぼう!TX講座」親子イベントへの参加でした。お父さんが多い様でした。この講座、人気が高くて、抽選で外れてしまった方も大勢でした。さて、TX講座の話の中で登場したのが石岡市柿岡です。この地に気象庁磁気観測所(海外ではKAKIOKAと呼ばれている)が設置されているそうです。
そして、講座で学んだのは、TXは秋葉原から守谷まで直流電流、守谷駅からつくば駅までは交流電流、JR常磐線は上野から藤代駅付近まで直流電流、藤代駅付近から北では交流電流で運行しているという事実でした。なぜ直流から交流に切り替えているのか、その答えは、柿岡に設置された地磁気観測器に影響を与えないためだ、というのです。直流電流のノイズは観測に大きな影響を与えるから、直流から交流へ切り替えているのだと。立ち入り禁止の観測地には、高精度の磁気観測装置や地下変位計、比較校正室などが配置され現在も稼働中で、そのデータは宇宙天気予報、磁気嵐、火山噴火予測などの目的で世界で共有されている、といいます。それも、109年前から連続して測定されているというから驚きです。戦争中は男性が次々と戦場に送られる中で、女性所員たちが観測を続けたそうです。建物は関東大震災にも東日本大震災にも耐えたそうです。
この話は、小学生には難しかったかもしれません。参加した小学生たちは、そのあとの特別回送列車に乗って車両基地まで移動し、運転席体験などを大いに楽しみました。同行した大人たちにとっては、TX乗車体験も結構でしたが、地磁気観測所が常磐線やTXの設置にまで影響していたことを知り、感慨深いものでした。少なくとも私は石岡市柿岡という地名を深く記憶したことは間違いありません。
8月の学長ブログ
8月11日の発表によると、守谷市のコロナ累計感染者数は7950件だそうです。8月の市民人口70239人をこの感染者数で割ると、8.8人になります。つまり、8.8人中1人が感染したことになります。守谷市の家族構成は平均2.4人/家なので、4軒中に1人以上は感染したことになります。市内では、向こう3軒両隣に1人以上の感染者がおられたとしても不思議ではありません。無論、自分自身を含めてです。
日本全体での累計感染者数は約1510万人です。日本人口は1億2560万人なので、8.3人中1人が感染しています。守谷市とほとんど同じ水準です。こうなると、もう他人ごとではなくなりました。ご近所、知人・友人、身内に感染者が誰一人いない、という日本人はいなくなった、と言えるでしょう。
こんな時代を経験するとは思いませんでした。カミュの小説「ペスト」が書かれたように、今度は「コロナ」という小説を準備している作家がいるかもしれません。思いもよらぬこの時代をどのように過ごしてきたか、また、この先をどう生きたか、小説でも読んでみたいですね。私としては、「コロナ後」を考えたいです。まず、コロナは必ず収束する、或いは、インフルエンザや普通の風邪と同じレベルの存在になるという理解は、それがいつになるかは別として、確信になっています。
そして、どんな日常が戻るのでしょう。
① ほぼコロナ前と同じレベルの日常に戻る。
② コロナを経験したので、マスク手洗いをし続ける人が増える。
③ オンラインで仕事や会議を経験したので、ある程度その方式が社会に定着する。
④ リバウンド効果が大きく、人々が活発に動き回り、好景気が始まる。
⑤ コロナのある時代に学園生活を送った若者たちが、失ったものを取り戻すために大きなエネルギーを発揮する。
こんな社会が想像できます。気づくのは、なぜか肯定的、楽天的な想像が優先することです。どう考えても、より悪くなるシナリオを考え付くことができません。ただ、地球規模の気候変動やロシアによるウクライナ侵攻など、コロナ以外の懸念材料が世界を覆っていることを忘れてはなりませんね。
7月の学長ブログ
日頃、人口について考えることは滅多にありません。新聞、テレビ、スマホのスマートニュースでも、見出しに「人口」が表記されることは稀です。今月11日は国連が定めた「世界人口デー」でした。ここで、本年11月15日に世界人口が80億人に達すると予測されました。私が生まれた1947年の地球人口は約25億人程度でしたから、3.2倍です。これだけの地球人口を養うには、ウクライナの小麦を輸出しなければ到底足りないのに、ロシアは何と愚かしい侵略を行っていることか。
一方、守谷市の広報を見ると、いつの間にか人口が7万人を超えていました。なかなか7万人の壁を突破しないな、と思っていましたが、人口が増えたのですね。もりや市民大学の本年入学生にも、最近守谷市へ引っ越してこられた方々もおられます。6月4日の開講式で集計したアンケートによると、全回答41人中27人が初めての入学者でしたから、この中には守谷在住1年以内という「新人」もおられることでしょう。
ところで、最近「関係人口」という、地域社会にとって新しい考え方が広まっています。「関係人口」は「定住人口」とも「交流人口」とも異なる第3の人口で、地域に心を寄せる人、或いは、地域に関わりを持つ人、そういう人々のことを指すそうです。でも、「関係人口」の数はどうやって数えるのでしょう?分かるような、分からないような、ふわふわっとした新概念です。
そこで、もりや市民大学では、この「関係人口」を解明し、守谷市で実践的に「関係人口」を増やす構想を研究しよう、というコースを立ち上げました。それが、市民科学ゼミという2年間コースです。こんなコースを設置して大丈夫か?と恐る恐る開講したところ、予想を上回る希望者が現れ、すでにゼミが開始されました。茨城大学人文社会科学部の伊藤哲司教授がゼミの指導をしてくださいます。伊藤先生は「つどうつながるつむぎだすラボ」という任意団体の代表も務められており、今回の市民大学ゼミは、この団体の初仕事だそうです。聞きつけた市民の中には、いまからでもゼミに参加したいという希望者がいるそうです。このゼミ、守谷市の新時代を開いてくれそうですよ。
6月の学長ブログ
6月4日(土)守谷市中央公民館講堂にて、2022年度もりや市民大学開講式が挙行されました。2019年度通常開講、2020年度全面中止、2021年度ハイブリッド方式の開講、これらの特別体制を経て、今年度もハイブリッド方式の開講となりました。公開講座を除く4コース定員65名にて募集した結果、申込者数79名(延べ人数)となり、入学者数の調整が必要となりました。
定員超過に対する公平な対処方法としては、「先着順」「抽選」などが普通であり、もりや市民大学でも「抽選」を準備していました。ところが、思わぬ問題が発生しました。それは、ハイブリッド方式(教室対面受講とオンライン受講の混合)特有の問題でした。教室対面式の人数制限は新型コロナ感染対策上の制約なので、破ることができません。一方、オンライン方式は人数を増やしても特段の問題は生じませんので、申込者数超過のために抽選漏れとなった方々に「オンラインならどうぞ」とお誘いすることができるのです。
ここで2つの問題が生じました。①オンライン方式で受講することが可能な方と不可能な方がおられること、②校外授業や施設利用授業では定員以上の人数を受け入れられないこと、です。この2点で公平性を保つことの困難が生じました。そのため、単純な抽選方式を適用できないことが分かりました。何しろ経験したことのない事態なので、この事態を予測することができず、困惑しました。市民の皆さんにご迷惑をかけたことは深くお詫びしますが、我々運営委員会の経験不足、力不足なので、どうか御容赦いただきたい。
こうして、もたつきのある出発となった2022年度もりや市民大学ですが、明るい兆しも見えます。それは、受講生の年齢幅がこれまでになく広がり、20代から80代まで万遍無く各世代からの受講生が集まったこと、もう一つは、実現可能かどうかを心配していた「市民科学ゼミ」という新規コースに9人もの入学者を得たことです。守谷市を発展させるための人材育成としてこれほど心強いことはありません。2022年度のもりや市民大学がより良い成果を挙げるべく、運営委員一同、受講生に寄り添いながらさらに努力する所存です。本年度も、どうぞ宜しくお願い致します。