学長ブログ

12月の学長ブログ

 ノーベル平和賞を受賞した被団協の田中熙巳(てるみ)さん(92才)の受賞講演最後の言葉に注目しました。「人類が核兵器で自滅する事のないよう、そして核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう。」というメッセージです。一瞬、スピーチの最後を飾る軽い挨拶のようにも聞こえましたが、反芻してみるとかなり重い言葉が発せられたと思いました。そこで、「人類が核兵器で自滅する」という想定を数字で捉えてみることにしました。

 

 現代の核兵器は広島型の1000倍や1500倍もの威力を発揮するものもあるようですが、米国が現在開発している新型爆弾は24倍だそうです。広島では昭和20年8月6日に原爆が投下され、その年の12月末までに14万人の死者が出たと記されていますから、仮にその24倍の威力を持つ新型爆弾が投下されたら14万人×24=336万人の死者が出ると推定されます。そして世界の核兵器数はおよそ12700位あるそうですから、336万人×12700≒426億人になります。地球人口は多く予想しても100億人止まりですから、地球人口の4倍を殺傷することができる、ということになりましょうか?

 

 田中さんがおっしゃった「人類が核兵器で自滅する」ということの現実性は、数字で見る限りあり得ることでした。これは恐ろしいです。しかも、ボタンを押せばそれが実行されうるという現実。もし自爆テロリストが核のボタンに触れる機会を持ったとしたら、地球と人類は滅亡の可能性がある、つまり、田中さんのメッセージは極めて重いものだったと理解しました。

 

 いま、地球全体で戦争、自然災害、異様な政変などが起きています。平和で豊かな2025年を迎え、更にその先まで持続可能な社会を維持するために、田中さんがおっしゃるように「共に頑張りましょう」と呼びかける以外に無さそうです。分かりやすく単純な言葉ですが、その意味するところの深さと大きさに、心を揺さぶられました。ノーベル平和賞をお祭り騒ぎに置き換えず、また、SNS上の悪意ある誹謗中傷に動揺せず、静かに心の中に収める必要があると感じた次第です。

11月の学長ブログ

 もりや市民大学では学園ニュースを発信しているのでご存じの方が多いと思いますが、今回は「守谷を知るコース」第14回目にて茨城県自然博物館訪問の校外授業のニュースでした。私もこの校外授業に参加しました。340円の入場チケットを手に入館すると、直ちに研修室へ入室、そこで、守谷の昆虫の話と守谷の植物の話を聞きました。もとは守谷市と周辺市内の小学校教員だった石塚先生による昆虫のお話と学芸補助員の飯田先生による植物のお話、詳しくは学園ニュースをご覧ください。両先生は「守谷野鳥のみち」のガイドも引き受けて下さっているそうです。

 

 オサムシの話には驚きました。マンガの巨匠、手塚治虫がオサムシの大ファンであり自分のペンネームを手塚オサムシにしたがった、という話です。オサムシに引っ掛けて治虫という名前にしたそうです。初耳でした。でも、それよりもっと私が注目したのは、石塚先生が何気なくおっしゃった「世代交代が早い昆虫は発展するのですよ」という一言でした。昆虫の多くは一年に一度の世代交代ですが、種類によっては一年に複数回世代交代できる昆虫もいるそうです。そして、そのような昆虫はより大きく繁栄するというのです。これも初耳でした。

 

 昆虫の世界から学んだのは「世代交代はグループを発展させる」という自然法則でした。いま、もりや市民大学では運営委員の世代交代に取り組んでいます。運営委員を10年以上担当してきた方々はOBとしてその経験を次世代に伝えながら第一線から退いていただき、新しい運営委員にバトンタッチしたい、という希望です。まさに、世代交代によって市民大学を発展させたい、という思いなのです。幸いにして、守谷市広報11月号に市民大学運営委員募集の記事が掲載されました。関心ある方には是非応募していただきたいと思います。

 

 もりや市民大学に入学することも、その運営委員に参画することも、決して敷居の高い話ではありません。今後ますます入学者同士のコミュニケーション、運営委員間のコミュニケーションを大事にして行こうという機運が高まっています。「興味を持った」という動機さえあれば、どなたでも参加できます。何か動いてみたいな、とお思いの貴方、ぜひ広報11月号の運営委員公募の呼びかけをご一考ください。お待ちしています。

10月

 2015年9月の国連総会で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)は、地球の問題や課題を地球に住むすべての人たちで解決する社会づくりをめざし、2030年までに達成すべき目標を17件掲げました。さあ、「17件を全て言ってください」と言われて正しく答えられる人、いますか?1番目は「貧困をなくそう」です。6番目には「安全な水とトイレを世界中に」というのもありました。16番目は「平和と公正をすべての人に」もありました。こんな調子で、言われてみれば成程、といった目標が17件に纏められています。

 

 その2030年まであと6年です。改めてSDGs17目標を眺めてみると、あと6年で実現できるような気がしません。逆に、目標から遠ざかっているような現実があるように思います。たとえば、先ほどの16番目の目標について言えば、世界は平和より戦争に向かってずるずると引き込まれているようです。あと6年で全ての人に平和と公正がもたらされるとは、残念ながら期待できません。そんなSDGsですが、11番目の「住み続けられるまちづくりを」という目標については、守谷市でも考えることができます。

 

 SDGs11番目の目標「住み続けられるまちづくりを」では個人の意識、個人の行動に加えて、住民参加型或いは市民行政協働型の活動組織が必要でしょう。いま、もりや市民大学では「まちづくり協議会コース」を開講中です。このコースを受講されている方々は、皆さん地域活動に熱心で、指導的立場におられる方もいらっしゃいます。まちづくり協議会がいかにしてSDGs11番目の目標「住み続けられるまちづくり」を達成できるか、真剣な学びと議論が行われています。

 

 SDGsを我々の日常生活と関連付けることは容易ではありません。単なるスローガン、絵にかいた餅、お題目、といったレッテルで終わらせるのはもったいない目標です。残念ながら、SDGsが国内政治、国際政治に影響力を及ぼしているとも感じられません。理想を掲げ、それを訴えることと、現実政治、現実社会の具体的課題に対応することには大きな隔たりがあります。そうであっても、もりや市民大学の「まちづくり協議会コース」はSDGs11番目の目標を実現するために学んでいるのです。これは、日常生活に限定される小さな目標ではなく、世界が目指す大きな目標の一つなのだということを忘れたくありません。

9月の学長ブログ

 夏が終わりません。猛暑の連続、身近でも熱中症が疑われる症状を訴える人が増えています。自分自身も「ここで水を飲まないと危ないな、ちょっと頭がふらふらするし」などと警戒心を強めています。そんな中ですが、先日、守谷市内の公園に隣接する野球グランドで準備運動をしていた時、芝生の地面を見ました。すると、紅葉した葉っぱがたくさん落ちていたので、「あー、秋が来ている」と一瞬ながら実感しました。大丈夫です、間もなく秋が来ます。

 

 ところで、野球グランドで準備運動?そうなのです、その野球場でシニアの軟式野球を楽しんでいるのです。野球チームは「守谷スターズ」といいます。約30年の歴史を誇ります。80歳代2名、70歳代8名、60歳代6名、50歳代5名、40歳代1名、総勢22名です。高齢化社会の縮図のようなチームです。なんと、若手は私の長男より若いのです。そんな仲間と練習したり他チームと試合をしたり、楽しい時間を共有しています。

 

 神栖市の野球場で、土浦の還暦野球チームと対戦していた時のことです。3対2で負けていました。塁が埋まり、相手チームの打者が大きな外野フライを打ち、走者一掃の大量失点、と思いきや、3塁ランナーがホーム直前でピタッと止まってしまいました。足の裏側がつったようで一歩も動けません。あと数歩という所で停止したまま、我がチーム外野からの返球が届いてアウトにしました。足を痛めた方、お気の毒です。多分、あまりの暑さで筋肉に変調をもたらしたのではないでしょうか。こんなリスクを犯してまでプレーする必要、ありませんね。どうやらその方は今回初参加の方だったようです。

 

 そんな次第で、暑さの中での野外活動は注意深く、また良く準備してからでないとやってはいけません。「熱中症アラート」が発せられる中、よくよく注意し、自己責任を自覚し、そのうえで楽しみを続けたいものです。野球の試合の続きですか?相手の怪我もそれほどではなかったようなので試合続行し、同点タイブレーク対決に至り、最後は逆転の8対6で勝利しました。次の試合は涼しくなっていると良いのですが。

8月の学長ブログ

 お盆休み真只中でしたが、南海トラフ大地震に備えよ、大型で強い台風7号の接近に備えよ、などと警告が続き、夏休み計画に影響を受けた方も多いのではないでしょうか?ラジオ、テレビ、スマホの文字ニュースに至るまで、同じことの繰り返しでした。ちょっと前にはパリオリンピックのニュース一色でしたね。こんな風に、情報が一色に染まることに、やや違和感を持ちます。全く同じ映像と同じ説明を繰り返し見聞きすると、「重要な情報なのだろうな」と理解しつつ、過剰だなとも感じます。

 

 他にも心配していることがあります。それは、ふとした疑問について、スマートホンにキーワードを入れると瞬時にその答えが返ってくること、についてです。そもそも、最近疑問を持ち続けるという姿勢が激減していると思います。疑問はスマートホンですぐ解決するからです。でも、疑問を長く持ち続けることで新しい知識や新しい着想にたどり着く、あの喜びはどこへ行ってしまったのでしょうか?便利さと引き換えに失ってしまったものへの郷愁を感じます。これこそ、年寄りの感傷そのものなのでしょう。

 

 解けない謎を持ち続ける喜び、これは過去の遺物となりました。しかし、戦争を止めさせるにはどうしたら良いか、とか、災害に備えるにはどうしたら良いか、などの大きな問いに対する答えは、恐らく常識的な答えが返ってくることでしょう。それも含めて、いまや、答えのない問いはない、と言い切っても良いかもしれません。学術研究において問いを楽しんできた身としては、やはり寂しい気持ちが湧きます。

 

 試しに「世代交代とは」というキーワードでネット検索してみました。すると、情報通信システムの世代交代はおよそ10年ごとに更新されてきたことや、組織団体の世代交代は10年~12年間隔で行われているようだ、などの知識が記載されていました。いま、もりや市民大学運営委員会も「世代交代」を検討中です。発足以来12年を経過した市民大学が「世代交代」を考えるのは妥当かな、と思う次第です。こんな問いにもこたえてくれるパソコンやスマートホン、やっぱり便利ですね。