学長ブログ
5月の学長ブログ
新緑の季節が来ました。どの植物も葉を広げ、枝を延ばしてきます。さて、私たち人間も大いに葉を広げ、枝を延ばしたいものです。そのためには何をすればよいか?その答えが「もりや市民大学」にあります。そうです、「守谷を知るコース」では身近な情報を楽しく学ぶというコンセプトで教室が満杯になります。「もりやいきいきコース」では世代を超えて心身ともに充実した生活をおくるためのヒントが満載です。どちらも募集人数を超過する人気コースであるため、抽選で外れる方が出ることを心苦しく思っています。
ところが一方、5月病と呼ばれる心身の不調が現れることも報告されています。環境変化で張り切っていた4月を乗り越え、連休で一息ついた後、心と体のバランスが崩れやすくなるそうです。環境変化への対応力、適応力が関係しているのでしょうか。とにかく、初夏、梅雨、真夏へと変化していくこの季節、互いに励まし合いながら元気に過ごしたいものです。
最近気になるのは、やはり健康や寿命の話題です。今年1月26日に開催した市民大学公開講座で、講師の阿部皓一さんが「日本人の平均寿命が延びた第一の理由はなんでしょうか?」と聴衆に質問されました。そして最前列の右端から順番に「あなたはどう思いますか?」と聞いて行きました。「医療の発達」「栄養状態の改善」「健康意識の向上」などの回答が続きましたが、なかなか講師の「正解」にたどり着きません。そして2列目の右端の女性を指名した時、その方が「平和」と答えました。阿部先生「そうです!」と絶賛。平和こそが日本人の寿命を延ばした第一理由、という回答。100名近い参加者一同「なるほど!」と膝を打った次第です。
ガザ地区の悲惨、ロシアのウクライナ侵攻の非道、シリアの独裁政権下の惨状、ミャンマーの軍事政権の不条理、まだまだ世界のあちらこちらで平和が実現されていない現実を報道で知るにつけ、「平和」の貴重さが身に沁みます。豊かさとは何か、という議論も注目の的ですが、その前に「平和」の維持が大前提だと改めて思い知らされました。新緑の季節を楽しむのも「平和」あってこそです。5月病を乗り越える力も「平和」が与えてくれると信じたいところです。
4月の学長ブログ
感謝状、功労賞、フェロー、学位記、修了証、卒業証など、この年度末年度初めには沢山の賞状が授与されます。受賞された皆様、おめでとうございます。ところで、受ける方ではなくて授与する側に立って初めて気づくことがあります。それは、この種の賞状には句読点が無いことです。句点、読点は文章を読みやすくするために欠かせない記号ですが、なぜか賞状には句読点が使われていないことに初めて気づきました。
海外でも多くの賞状が授与されます。そこで、英語圏の賞状でも句読点は省略されるのかを調べてみました。気づいたこととしては、賞状の本文には句読点は使われていない、ということでした。ただし、同じ賞状の中で別途説明文や激励文が添付されていることがあり、そこでは句読点が使われ、ビックリマークなども適当に使われているようです。英語圏では「~~に関する賞与」といった名詞形で本文を書くので、句読点は不必要なようです。
改めて過去に受け取った表彰状などを眺めてみると、確かにどこにも句点、読点が記載されていない、不思議な書面ばかりでした。そして、そのような書面はなぜか格調高く見えるのです。ところが、最近のメール交換では、句読点のない文章が流行りだと聞きます。実際、自分自身もメールやラインでの短い文章では句読点を意識的に省くことがあります。でも、格調高くするつもりはありません。不思議な一致点です。
今回、もりや市民大学でも退任された運営委員の方々に、市長、学長から感謝状が手渡されました。私も句読点のない感謝状本文を作成し、感慨深いものがありました。しかし、このようなしきたりはいつから始まったのでしょうか?日本文化に詳しい方にいつか聞いてみようと思います。もし、事の由来をご存じの方がおられたら、是非ご教示下さい。
3月の学長ブログ
3月は、卒業、退職、異動など、個々人にとって変化に富んだ月になります。それを祝って梅や桜も満開になり、記念写真を撮る人々が群がります。守谷市でも「もりや河津桜里親の会」が主催する維持管理の催しが開かれます。朝が早くなり、昼の時間が延びることもあって人々の活動が活発になって来ました。早朝の高速道路上では車の数が多くてびっくりすることもしばしばです。
そんな中にあって、もりや市民大学でも運営委員の世代交代が着々と進んでいます。当面、5人の現職が引退し、4人の新人が参入する予定です。引退される運営委員はこの13年間献身的なご尽力を頂いた方ばかりであり、いくら感謝してもしきれないほど多くの貢献をされました。毎年のプログラムを組み、講師の方々と交渉しながら一つ一つの講座を設営し、受講生を受け入れる実務を行い、開講式から修了式まで一切を手作りで仕切って来ました。それだけでなく、早い段階から次年度の開講計画に着手し、更には長期的な市民大学の在り方についても検討を怠りません。
いささか自画自賛になって来ました。それよりは「市民大学の出口」と言われているように、受講生のその後の活躍こそが財産です。お陰様で、多くの修了生の皆さんが市内各所で活躍されています。冒頭の「もりや河津桜里親の会」はもりや市民大学の教室から始まった活動です。それ以外にも「健幸ウオーキングもりや」や健康マージャン、認知症予防の料理教室など、多数の自発的市民活動が生まれています。さらには、受講生がその活動に共感し、もりや市民大学の運営委員になって下さるという嬉しい「出口」もあって、今後の発展に繋がると思われます。
春本番を迎えて何となくワクワクしてくる今日この頃、世界のニュースを見ると気持ちが落ち込むような事態が多方面で進行していますが、何とか前向きに明るく元気で進めると良いと思っています。その際、守谷市民の皆さんと連携したり協働したりしながら歩めるとなお幸せと安心を得ることができるでしょう。いささか能天気なブログになりましたが、春を迎える準備、ということでお見逃し下さい。
1月の学長ブログ
明けましておめでとうございます。昨年のお正月は能登半島地震で大揺れでした。能登では9月にも豪雨と洪水にも襲われ、甚大な被害に会いました。今年の正月は火事のニュースが多いです。戸締りと火の用心、お互い気をつけたいものです。インフルエンザの流行も気になります。手洗いうがいを徹底しましょう。
そんな中で、今年何となく気になっているのが「社会の変化についていけるか?」という漠然とした不安です。この問いかけには2つの意味が含まれていると思います。1つは同世代の人々の行動や考え方に自分はついていけているかどうか、です。頑張っている同世代には大いに勇気づけられます。もう1つの意味は、日本社会全体の変化に対応して自分の居場所を作っているかどうか、です。社会の原動力は30代~50代の働き盛りにありますから、この世代が牽引している社会を理解し、自分も役割をもって貢献しているかどうかです。特に高齢者にはこの問いが気になります。
残念ながら、一般的には高齢者や後期高齢者に上記第2の役割を期待するのは無理のようです(例外はあります)。最近、友人に勧められて「イノベーションの科学」(中公新書)という本を手にしました。イノベーションは、経済的な価値を生み出す新しいモノゴトを指すそうです。イノベーションは創造的破壊ともいわれ、古いモノゴトを新しいモノゴトが創造的に破壊する、そこには創造する人と破壊される人がいるという議論を展開しています。私自身はどう考えても「破壊される人」の側にいると思いますので、どんな風に破壊されるのか興味津々で読み始めました。結論はまだ読み終えていません。
「社会の変化」で最も身近に感じるのはスマホやパソコンを通じた情報や商品売買のデジタル化です。様々なスキルやタッチパネルの「常識」を要求され、間違いや疑問にぶつかって相談したくても、人間相手の電話相談などが消え去り、デジタル音声ガイドのみがボタンを押すことを要求し、最後の回答を得るまでにヘトヘトになるかできなくて断念するか、といった日常があります。この「社会の変化」に対しイライラとガッカリが何度も重なる自分は「社会の変化」についていけていない、と自覚するばかりです。
12月の学長ブログ
ノーベル平和賞を受賞した被団協の田中熙巳(てるみ)さん(92才)の受賞講演最後の言葉に注目しました。「人類が核兵器で自滅する事のないよう、そして核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう。」というメッセージです。一瞬、スピーチの最後を飾る軽い挨拶のようにも聞こえましたが、反芻してみるとかなり重い言葉が発せられたと思いました。そこで、「人類が核兵器で自滅する」という想定を数字で捉えてみることにしました。
現代の核兵器は広島型の1000倍や1500倍もの威力を発揮するものもあるようですが、米国が現在開発している新型爆弾は24倍だそうです。広島では昭和20年8月6日に原爆が投下され、その年の12月末までに14万人の死者が出たと記されていますから、仮にその24倍の威力を持つ新型爆弾が投下されたら14万人×24=336万人の死者が出ると推定されます。そして世界の核兵器数はおよそ12700位あるそうですから、336万人×12700≒426億人になります。地球人口は多く予想しても100億人止まりですから、地球人口の4倍を殺傷することができる、ということになりましょうか?
田中さんがおっしゃった「人類が核兵器で自滅する」ということの現実性は、数字で見る限りあり得ることでした。これは恐ろしいです。しかも、ボタンを押せばそれが実行されうるという現実。もし自爆テロリストが核のボタンに触れる機会を持ったとしたら、地球と人類は滅亡の可能性がある、つまり、田中さんのメッセージは極めて重いものだったと理解しました。
いま、地球全体で戦争、自然災害、異様な政変などが起きています。平和で豊かな2025年を迎え、更にその先まで持続可能な社会を維持するために、田中さんがおっしゃるように「共に頑張りましょう」と呼びかける以外に無さそうです。分かりやすく単純な言葉ですが、その意味するところの深さと大きさに、心を揺さぶられました。ノーベル平和賞をお祭り騒ぎに置き換えず、また、SNS上の悪意ある誹謗中傷に動揺せず、静かに心の中に収める必要があると感じた次第です。