学長ブログ

10月の学長ブログ

  いきなり私事で恐縮です。私が4年前まで勤めていた東京大学農学部の正門入り口すぐの左側に、「朱舜水先生終焉之地」という石碑が立っています。現役時代、この先生は何の専門家だったのだろうか?と不思議に思いながら、疑問のままに定年退職してしまいました。
 ところで、最近読んだ歴史小説に、その朱舜水先生が出てきてびっくりしました。この先生は、中国の明朝が滅亡した時に日本に亡命し、徳川家の水戸光圀に相談役として重用され、大きな影響を与えた人でした。続いて、あと2件びっくりしました。まず1件目は、当時の江戸における水戸屋敷の敷地と現在の東大農学部の敷地とは、ほとんど同一なのです。私は農学部7号館A棟というビルの5階教授室におりましたが、もしかすると、水戸光圀さんがお殿様として仕事(たとえば、大日本史の編纂事業)していた時の執務室と私の研究室とは、同じ場所だったのかも知れません。
 もう1件は、あの「後楽園」の名付け親が朱舜水先生だと知ったことです。つい先日も、私はプロ野球の巨人・広島戦を観戦してきたばかりなのですが、その時はこれを知りませんでした。東京ドームに隣接する「後楽園」という名は、「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という意味で名づけたそうです。立派な価値観です。もっとも、楽しみを先行させるのは庶民の特権であり、お殿様はあとで楽しみなさい、という教えなので、ほっとしていますが・・・。
 何はともあれ、身近な事項でありながら長年知らなかったことを、ある偶然で知ることになる、そんな喜びは無限にありそうです。協働の町づくりを目指すもりや市民大学でも、守谷の「知らなかった」をたくさん掘り起し、その知識をエネルギーにして新しい町づくりに生かそうとしています。「守谷を知る」というコース名は、そんなところから命名されました。

9月の学長ブログ

  9月10日、鬼怒川上流で大雨が降り、常総市で堤防が決壊しました。常総市25km^2の住宅地と農地が浸水被害を受け、今日の時点で15人の行方不明者が出ています。もりや市民大学では、市内の町内会、自治会、自主防災組織の団体向けに募集した特別企画講座「地域固有の防災マップを作ろう」を、9月1日に開講したところですが、幸か不幸か、今回の企画講座は、今現在発生した洪水災害のような事態に対処するために、是非とも必要とされるプログラムとなった次第です。
 それはそうと、災害の恐怖を思い、また、自分の命を守る避難行動のとり方を身に着けておくことの重要性が、今回も大きな教訓として残されることになります。「今まで生きてきて、こんな体験は初めてです」と語る高齢者が多いのも気になります。どうやら、50年に1度とか100年に1度ぐらいしか発生しない災害、だけでなく、場合によっては1000年に1度の災害への覚悟も求められるかもしれません。東日本大震災は、そういう規模でした。
 「災害は忘れたころにやってくる」「転ばぬ先の杖」など、防災ことわざは、必ずしも多くありません。むしろ「とにかく逃げろ」とか、「家に戻ろうとするな」などの体験談が多く耳に残ります。防災行動は、なかなかパターン化しにくい事項なのでしょう。何があるかわからない、といった印象が正しいかもしれません。
 守谷市は、下総上位面という海岸段丘上に位置し、標高20m~30mで、周辺地形と比べて5mほど高くなっています。良く「守谷の斜面林」が自慢の種になりますが、これは利根川対岸の野田市、柏市あたりより標高が高いため、同じ利根川河川敷から住宅地までの標高差が平均的に長くなり、斜面林の厚さが勝ることになるからです。守谷市は、地盤が比較的固く、標高も比較的高いことによって、地震や洪水などの災害に対して多少の安心感を持って住める場所です。ただし、守谷市内で、もとが水田のような低地部分を宅地化したところでは、標高が高いとは言えないところがあります。災害は、必ず起こる、という想定のもとで防災意識を高めることが必要と、つくづく思わされる鬼怒川氾濫です。

8月の学長ブログ

  8月6日、9日、15日は、日本人にとって忘れてはならない日々です。過去の歴史をどう記憶し、今現在の自分の感覚にどう取り込むか、世代ごとにそれは異なるのでしょう。私の場合、1947年生まれなので、1945年の出来事を自分の体験として記憶することは、当然ながらできません。本で読んだり、資料館を訪ねたり、映像を見たり、人の話を聞いたり、といった積み重ねで記憶を形成しています。
 いま、冲方丁著「光圀伝」(角川文庫)を読んでいますが、テレビで放映していた水戸黄門様とはえらい違いでびっくり仰天しています。また、マリーモニク・ロバン著「モンサント」(作品社)という分厚い本も読んでいますが、PCBやダイオキシンやベトナム枯葉剤など、過去の断片的な記憶がこのような巨大企業の歴史の中でつながっていたと知ることも驚きの連続です。ジョナサン・ハー著「シビル・アクションーある水道汚染訴訟―」(新潮文庫 上・下)は全米批評家賞最優秀ノンフィクション賞受賞作ですが、これとそっくりの地下水汚染問題が、今、宇都宮市でも起きていることを環境新聞の記事で読み、未解決の環境問題がまだまだ多いことを知りました。
 それにしても、記憶というのは曖昧で不正確なものだと、つくづくそう思います。個人レベルの記憶が曖昧であることは、特に年齢が高くなると避けられなくなりますが、社会の記憶が曖昧であっては困ります。社会の記憶はできる限り正しく残され、後世に伝えられなければなりません。特に、歴史認識は、いま日本と世界が向き合うために、どうしても避けることができない問題になっています。
 正しい社会の記憶を残す道は、詳細な記述、記録に頼らざるを得ません。したがって、資料、記録、報告書の類はとても重要ですし、それらを吟味したうえで能力ある作家によって記述されるノンフィクション小説も大切です。暑い夏、冷房の効いた図書館や室内で読書するのも、避暑の一つですね。

7月の学長ブログ

  オリンピックの新国立競技場建設費が2520億円に膨らんだことが話題になっています。このニュースを見ると、私は、今経済問題で苦しんでいるギリシャのパルテノン神殿の映像と重なって見えてしまいます。
 絶大な権力を集中させると、歴史的な建造物や芸術などを生み出す結果につながるようです。これは、大英博物館を見学したときにも感じたことです。その裏には、物言わぬ多大な民の犠牲や貢献があったことも歴史が教える通りです。問題は、こうしたことをどう思うか、です。私には、パルテノン神殿は素晴らしい、しかし、新国立競技場はバカげていると、単純には感じ取れないのです。
 新国立競技場の現行計画は、安藤忠雄氏が審査委員長を務めた審査委員会が最優秀に選んだ英国の建築家ザハ・ハディド氏のデザインが基になっているということです。関係者が多いので、詳しいいきさつは全く分かりませんが、私は、映像化されている設計案を見ると、「斬新ですごいなー」という第一印象を受けます。これだけのものが作れたらすごいし、見てみたい、と単純に思うのです。パルテノン神殿を見上げて「すごいなー」と思う感覚と似ています。
 さて、金の掛り過ぎる箱モノを作ることについて、多くの国民、住民は善意の反対論を主張するのが常です。私も概ね同意します。しかし、時間と金に余裕があるとき、「ひとつ海外旅行でもして良いものを見て来よう」と思い立ち、行くところは、ローマ遺跡であったり、大英博物館であったり、とにかく世界遺産レベルの著名な歴史的建造物が多く候補に挙がることを否定しません。この矛盾。「巨大な歴史的箱モノは見たいが、今日そのようなものを建造することは愚の骨頂である」という理性に内在する矛盾について、私は戸惑います。
実は、新国立競技場のデザイン案、私は嫌いになれないのです。何とかデザインを活かしつつ建築コストを引き下げる、技術的解決法は無いのでしょうか?

6月の学長ブログ

 最近、高音が聞き取りにくくなった、と感じます。加齢による聴力の低下は、誰も避けて通れぬ道だそうです。猫も同じです。猫も、加齢により高音が聞こえないのでしょうか?
 我が家には、「猫の額」ほどの芝生の庭がありまして、そこに、時々野良猫が入り込みます。通過するだけなら良いのですが、非常にありがたくない「置き土産」を夜中に置いていきます。そこで、インターネットで色々探した結果、超音波ネコ被害軽減器と称する品を見つけ、これを取り寄せて庭に設置しました。確かに、普通の若い猫は近づかなくなったように思います。しかし、近所をうろつく老齢猫が、何とこの超音波ネコ被害軽減器の目の前に「置き土産」を置いていきました。全く気にかけた様子がありません。私の理解では、猫も高齢化すると高音部の聴力が衰え、超音波などは無きに等しいのではないか、と。
 我が家には小さなサクランボの木もありまして、毎年真っ赤な実をつけます。が、鳥が来て全部食べてしまいます。そこで、パソコンプリンターを用いて大きな目玉の絵や猛禽類の羽の絵を描き、木にぶら下げてみました。しばらくの間、鳥は警戒して近づきませんでしたが、ある日、片っ端から食べられてしまいました。鳥は、危険かそうでないかを学習したのでしょう。
 という次第で、我が家の猫の額(芝生の庭)には事件がいっぱい起きます。事件解決に色々な技を試しているのですが、完全勝利には届きません。「他人の不幸は蜜の味」とか申しますが、私の難問、市民大学で解決できないでしょうかね(学長ブログならぬ学長ボヤキ)?