学長ブログ

9月の学長ブログ

 緊急事態宣言が延長・続行する中、もりや市民大学の3つのコースは、工夫をしながら運営を続けています。教室参加で入学した受講生の多くの方が、必要に迫られてZoom利用のオンライン受講へと切り替える努力をしておられます。私自身は7月10日に総合コースで「守谷の土と水」という講座を担当し、この時は教室参加、オンライン参加が半分半分でした。その際、講義終盤で、「守谷の放射能汚染は、その後どうなっていますか?」とのご質問を頂きました。

 そういえば、福島第一原発の事故後のセシウム137汚染については、いつの間にか情報発信が消えています。講義は「守谷の土と水」がテーマですから、誠にごもっともなご質問でした。私は「学校や公園などの公共用地、道路や住宅地などの除染は終了しており、放射能汚染は残っていないが、山林・里山で人手が入っていない地区では、セシウム137はその場に残留している可能性が高いと考えています」とお答えしました。

 その場ではお答えしましたが、気になってその後の情報を調べてみました。まず、守谷浄化センターが定期的に公表している脱水汚泥の放射性物質濃度測定結果を閲覧すると、最近のデータは全て「不検出」つまり汚染の痕跡は残っていない、とありました。下水管を通して集積される物質中にはセシウム137は検出されないので、私の回答前半は正しいようです。問題は回答後半です。幸いにして「森林の放射線生態学」(2021年3月、丸善出版)という本が出版され、森林の汚染問題を正面から教えてくれました。「森林に降った放射性セシウムのうち、森林外に流れ出る割合は非常に少ない」「森林の空間線量率は時間が経過しても低下しにくい」「放射性セシウムは、多くの森林では地表の落葉層に長く留まることはなく速やかにその下の鉱質土壌に移行」などの記述が、実測データと共に見られます。

 守谷市には、人手の入らない山林・里山のほか、住宅地の雨水調整池もいくつかあり、その中で一段低い窪み地は水も土も植物も動いていないと思われます。このような場所では、セシウム137は自然消滅するまで、土壌に吸着された状態で残留している可能性が否定できません。ご質問者への私の回答は、残念ですがほぼ的確だったようです。災害からの完全復旧はそう簡単ではない、と改めて知らされました。

8月の学長ブログ

 オリンピックが終わり、終戦記念日があり、次のパラリンピック開始までにコロナウイルス感染者が何とか減少に転ずるといいな、と思っていた矢先に、今度は災害のニュースがいっぱいです。線状降水帯という厄介な「雲の糸」が上空を覆い、信じられない大量の雨を降らせています。2019年の常総市鬼怒川洪水を思い出さずにはおれません。どうしてこんなに異常気象が続くのでしょう?

 人間活動がもたらす気候変動、それが異常気象の元凶であるとの見方が有力です。IPCC (気候変動に関する政府間パネル)の第6次評価報告書第1作業部会が8月9日に発したレポートには、「人為起源の気候変動は、世界中の全ての地域で、多くの気象及び機構の極端現象に既に影響を及ぼしている。熱波、大雨、干ばつ、熱帯低気圧のような極端現象について観測された変化に関する証拠、及び、特にそれら変化を人間の影響によるとする原因特定に関する証拠は、AR5以降、強化されている。」と記載されています。AR5はIPCC第5次評価報告書(2013年)のことです。この「強化されている」(原文ではEvidence has strengthened)という表現に、何とも悩ましい工夫の跡が見られます。

 地球の歴史を紐解くと、宇宙138億年、地球46億年とかいう気の遠くなるような時間が経過し、この間、気候も自然現象のひとつに過ぎませんでした。ところが、約1万年前から人間活動が活発となり、それが自然気候の変動をもたらすようになったので、この1万年ぐらいを人新生(ひとしんせい、Anthropocene)と呼ぶべきだという学問的検討が有力視されています。

 今回の線状降水帯も、人間活動がもたらした気候変動の一環なのか、それともこれは自然現象のひとつに過ぎないのか、定かではありません。地球環境全体の傾向と対策については、様々な学術的手法を用いて科学的に記述できますが、個々の地域における異常気象の原因を一般論から証明することは、「強化されている」とはいえ、簡単ではありません。この辺に難しさがあり、更なる学術の発展が必要とされる所以です。

7月の学長ブログ

 夏祭りも、花火も、修学旅行も、暑気払いも、お盆の帰省も、・・・、中止中止の連続です。オリンピックは開催するそうですが、人気のない選手村、観客のいない巨大国立競技場、ほとんどキャンセルされた大量の観光バスの列、怒りを隠せない飲食業者、などの現場レポートを見て、心が痛みます。それでも、守谷市内の広々した公園の芝生で、互いに大きく距離を取りながら遊んでいる子供たちや家族を見ると、少しホッとします。

 そのような中で、粛々と進む「もりや市民大学」のハイブリッド授業、ここまでの所、何とか無事に実施されています。特に、オンライン授業に参加されている受講生の皆さんは、誠にチャレンジングな方々とお見受けしています。必ずしもオンライン会議やオンライン交流に慣れていらっしゃらない方々も、これを機にオンライン受講生となり、新しい体験をしておられます。オンライン受講生が積極的に質問され、その質疑応答を教室受講生と共有できているところは、新しい教室誕生の実感が特に強まるところです。

 私事ですが、来年2022年12月に、京都国際会館で開かれる予定の1000人規模の国際学会に関与しておりまして、そこでも、ハイブリッド方式のシンポジウムや発表講演ができないかどうか、検討を行いました。その結果、ハイブリッド国際学会は膨大な予算がかかることが判明し、とても無理であるとの理由で、ついに断念しました。ハイブリッド方式は、予想以上に手間がかかり、実現が難しいことであると、改めて認識しました。

 そのような次第で、「もりや市民大学」は時代を先取りしたハイブリッド教室を手作りで展開している、と改めて気づき、ここまで指導、尽力いただいた運営委員の方々と、呼びかけに応じてオンライン学生に登録いただいた受講生の皆様に、心からお礼を申し上げます。そして、この方式を実現したことにつき、いささかの誇りと自信を皆様と共有したいと考えています。ただ、市民大学の運営は作業量が多いので、もう一回り運営委員の人数を増やす必要があります。その意味で、運営委員の追加募集を準備しています。お力添えを宜しくお願い致します。

6月の学長ブログ

 いよいよ始まりました、「もりや市民大学」2021年度3コースです。まずしょっぱなは、6月4日の「まちづくりコース」でした。講師は、市役所市民協働推進課長さん。とても丁寧に準備され、分かりやすいお話を頂きました。この日、不思議な思いに駆られました。それは、「先生」って何だろう、という疑問です。

 「先生」の語源は、読んで字のごとく、先に生まれた人を敬う言葉です。しかし、今回の教室で現れた「先生」は、どう見ても受講生よりずーっと若いのです。もちろん、受講生のお1人は19才現役学生さんであり、この方は「先生」より確かにお若いです。しかし、残りの受講生は、どう見ても「先生」より先に生まれた方ばかりでした。

 そういえば、最近、若い人に教えてもらうことが非常に増えたと思いませんか?まず、毎日使うスマートフォンの設定や、動きがおかしくなった時の修正回復です。身近な若い人に教えてもらっていませんか?パソコンを使う人であれば、動きがおかしい、とか、マウスが動かない、とかいろいろなトラブルについて、息子・娘世代、更には孫世代に教えを乞うていませんか?教えてもらった後は「へー、そうなの、全然わからなかった」という感想のみで、「ありがとう」まで言えているでしょうか?

 これからの時代、「先生」はどこにいるでしょう?身近な、若い世代が「先生」になってきたとすると、先に生まれることに、どんな意味があるか、と、怪しい自問が現れます。しかし、若い人に教えてもらうことは、何故か気持ちよく、嬉しいのです。これはなんでしょうか?若い人に教えてもらうと幸せを感じるとすれば、それはそれで新しい時代がやってきたようにも思います。

 今回始まった2021年度「もりや市民大学」、いろいろな「先生」との出会いを大いに楽しみ、また、有効に活用してください。若い「先生」大歓迎です。

5月の学長ブログ

 変異ウイルスが蔓延し、特別措置法、緊急事態宣言、まん延防止等重点措置、感染拡大市町村、といった新規用語が次々と報道、通知されています。これらの熟語を正しく理解し、記憶できるかどうか、怪しくなってきました。しかも、それぞれについて内容が異なり、期限も指定されます。いま、自分はどのレベルで警戒、心配すればよいのか、だんだん曖昧になり、それよりは自己判断、或いは直感で判断して、毎日の行動を決める傾向が強くなりました。

 守谷市民も、毎日の新規感染者数報道を注視し、それが0だとホッとし、1~2人だと「これ以上増えるな」と祈り、3人以上だと「まずいぞ」と身構えます。そんな緊張が全ての市民を覆っており、「守谷市は頑張っているな」と思わずにはいられません。しかし、緊張と自粛だけでは仕事や家事、勉学などの日常が保てません。やはり、ウオ―キングやジョッギング、体操や野外スポーツで健康維持を続けておられる方々も大勢です。

 そのような中で準備が進む2021年度もりや市民大学、お陰様で、「総合コース」「まちづくりコース」「グリーンインフラコース」とも、教室学生、オンライン学生の申し込みがあり、無事開講することが決まりました。運営委員会では、パソコン、マイク、カメラなどを適切に配置・接続し、不快なハウリング音を出さないように、懸命の準備をしているところです。そして、新しい方式のもりや市民大学を、是非とも無事に修了までこぎつけたいと思っています。特に、オンライン学生で応募された方々に、「良かった」と言っていただけるように、万全の準備を進めたいと思います。

 今後、全世代にまたがるICT(情報通信技術)の定着に向けて、様々な課題が出てくると思います。オンライン連絡(スマホやパソコン)は一切使用せず郵便と電話のみで各種連絡を行う世代からペーパーレス世代まで、同じ時代を生き抜かねばなりません。ICTは、いずれ、電気、ガス、水道、電話などのインフラと同列になるでしょうが、その過渡期である今日、社会的ストレスが生じるのも当然です。ここを何とか乗り切ることが地域社会にとっても個々人にとっても求められていると感じます。「良い」「悪い」「賛成」「反対」といった意見分布とは別の「時代の波」を生き抜きましょう。