学長ブログ

3月の学長ブログ

 先月のブログで予告したとおり、3月12日土曜日、東京大学農学部の弥生講堂にて、「食料は足りるのか」というテーマのシンポジウムが開催されました。
 「世界の食料問題と日本のポジション」は、名古屋大学の生源寺眞一教授が農業経済学の観点からお話になりました。経済学的なデータ表をたくさん見せてくれましたが、専門的内容に入ると、難しく感じました。「水と気候変動と食料生産」は、東京大学生産技術研究所の沖大幹教授が工学的な予測技術を駆使した最先端知識を展開してくれました。3番目は「人間と食料」というタイトルで私が35分ほど講演しました。聴衆から「分かりやすかった」と言われました。4番目は「魚が獲れなくなることは大問題か?」で、東京大学の黒倉壽教授が問いかけました。海外の専門研究者同士の論争紹介が中心であり、ついていけませんでした。最後の「100億人を扶養するための食料生産:挑戦と課題」は、つくばの国際農林水産研究センターの岩永勝理事長が、ローマクラブ報告「成長の限界」に立返り、包括的・俯瞰的にお話くださいました。
 このシンポジウム、弥生講堂305座席が99%埋まりました。赤ちゃん連れのお母さん、高校生、大学生、大学院生、ジャーナリスト、出版社、農業実践者、高校教師、地方大学教員、主婦、退職者、など、多種多様な参加者が集まり、とても熱心に聞いておられました。食べることへの関心の高さは、どこへ行っても変わらないものだと、改めて感心しました。
 さて、3月26日は、我がもりや市民大学でも脇雅世さんをお迎えして「天皇の料理番の料理番来る!」と題する公開講座を開きます。ここでも、多種多様な参加者で全席満員となることは間違いありません。どんなお話を聞けるか楽しみですね。いつの世も、衣・食・住は、市民最大の関心事といって良いでしょう。ただし、平和な世の中であればこそ、です。 

2月の学長ブログ

  暖冬、と言われて始まったこの冬、確かに「気温が高いな」と思う日々もありましたが、1月から2月にかけて、寒い朝や寒い日が結構続きました。12月末には車をスタッドレスタイヤに履き替え、「いつ雪が降っても大丈夫」と準備してきましたが、これまでのところ守谷では雪が降っていません。せっかくスタッドレスに替えたのだから、1度ぐらい雪が降ってくれても良いな、と思う次第です。
 それにしても、日本人は天気予報が好きだな、と思います。かつてアメリカで1年間在外研究を行ったとき、毎日のテレビで天気予報を見ていましたが、非常に大雑把な印象を受けました。何しろ東西4時間の時差がある国全体の天気予報ですから、予報対象のサイズがでかい。「低気圧が来て風が吹き、天気が荒れるでしょう」といった予報の対象地域は、私が住んでいたカリフォルニア州を含む、オレゴン州、ネバダ州、アリゾナ州などの広域で示されます。確かにおおまかな予報は理解できますが、果たして自分が出歩く時間帯に、その行先で雨が降るか、晴れるか、風が吹くか、などと言った詳細な予報は得られませんでした。日本では、例えば「茨城県南では雨、水戸では雪になるでしょう」などと言った親切な天気予報は、当然と思って受け止めます。しかし、カリフォルニアでは、日常のテレビ番組での天気予報には、そういったピンポイントレベルの天気予報はありませんでした。
 話は変わりますが、海外から見た日本、というものは、恐らく全体としての状況をマクロに感じ取るのだと思います。我々日本人は、常に内部から、細かい違いや変化を敏感に感じ取って生活していますが、全体の状況を感じ取る機会が少ないかもしれません。天気予報のスケール感覚と同じで、自分に直結する詳細を知りたがる割に、全体の動向には案外と鈍感かもしれません。
 そういった次第で、日本の天気、ではなくて、経済や政治や社会といった大きな動向についても、ローカルな理解だけにとどまらず、大局的に感じ取ることが必要だろうと思います。そんな思いを抱きながら、実は、3月に東京大学で開催される「食料は足りるのか」というテーマの公開シンポジウム講演を準備中です。私が話す内容は「人間と土壌」です。世界全体から見て、人間と土壌はどう関わっていけばよいのか、大局的見地からお話しできればいいな、と思案している今日この頃です。

1月の学長ブログ

  明けましておめでとうございます。今年は、年明け早々世界のニュースが飛び込んできて、「日本の正月」を味わう気分が吹っ飛んでしまったかのようです。やれ「サウジアラビア(スンニ派)とイラン(シーア派)が国交断絶」(1月4日)、やれ「日経平均株価も中国株価も世界株価も連続値下がり」(1月4日から)、やれ「北朝鮮が“水爆”実験」(1月6日)、やれ「トルコで自爆テロか」(1月12日)など、お正月のしめ縄飾りをおろす間もなくザワザワしたニュースが飛び込んできました。
 そうこうしているうちに成人式がありました。今年6月19日からは18歳投票権が適用されることもあってか、20歳の新人たちが意外と思慮深い発言をするな、と思いました。自分たちより年下の世代が投票権を持つということで、20歳もうかうかしていられない、と思ったのかもしれません。
 さて、そんなお正月でしたが、皆さんはどのように過ごされたでしょうか?私ですか?いや、恥ずかしくてあまり公開したくないのですが・・・。はい、正直に申しますと、孫との時間を長く持ちました。「ご多分に洩れず」というところです。20kg 近い孫は瞬間的にしか抱っこできません。約15kgの孫は、しばらく抱っこしますが、どさくさまぎれに降ろすか誰かの手に横流ししてしまいます。約10kgの孫は、これなら大丈夫だろうと比較的長く抱っこしますが、その夜は肩が痛くて目が覚めます。というのは、私こと、両肩の腱板を損傷(断裂)しているからです。その原因については、いずれまたご報告します。
 大上段に振りかぶったお正月ブログですが、やや情けないニュースに萎みました。こうしてマイニュースを重ねていくわけですが、世界で深刻化する国際間紛争の犠牲者である難民にも、震災や災害からの復興途上にある方々も、それぞれのマイニュースをお持ちです。彼らのマイニュースと私たち守谷市民のマイニュースが余りにもかけ離れていることに愕然とします。この地球上に同時代を生きている人類、もう少し仲良くできませんかね?今年の私の夢は、この辺にあります(現実はもっと厳しい、というお叱りは甘んじて受けます)。

12月の学長ブログ

 守谷の「鳥のみち」を散策しました。もりや市民大学「友の会」の主催で、南守谷駅を起点とし、愛宕中学校の裏手にある「守谷野鳥の森散策道」と、それに続いて守谷小学校の裏手にある「鳥のみち」を散策してみよう、ということになった次第です。確かに、湿原があり、よく整備された木道(愛宕中学校の生徒さんたちが貢献してくれたとか)、そして各種の鳥たちがさえずる自然道が続いていました。歩くのも快適なところが多かったです。そこで、歩きながら、「湿原」について考えてみました。
 そもそも、尾瀬や釧路の湿原地帯は、なぜあのように広く美しい景観を維持しているのでしょうか?それは、水に秘密があります。湿原が美しい景観を保つには、そこにある水が「貧栄養」でなければなりません。「貧」が「美」を作るのです。究極の「貧」は、雨水だけが流入し、他の一切の水の流入を阻止した場合に実現します。こうした条件下では、その栄養状態で生育できる限られた植物のみが繁殖するので、整然とした心休まる景観が出現します。その究極の姿がミズゴケ湿原です。ワタスゲやホロムイスゲもちらほら見えたりしますが、それ以上の雑木は水が「貧栄養」であるが故に生育しません。
 これの反対語が「富栄養」です。富栄養水というのは、植物の落葉や枝、小動物の死骸など有機物、農地から流出する肥料や農薬成分、生活雑排水に混入している様々な化学物質など、水の中にたくさんの養分が含まれている水のことです。また、土砂の流入も栄養を一緒に持ち込むことになるので、「富栄養」に一役買います。こうした水が流入すると、様々な植物が繁茂し、人間の手入れが無ければ雑然とした雑木林になってしまいます。「富」が景観を台無しにするのです。
 さて、わが「鳥のみち」は、湿原を貫く快適な木道とセットになって、美しい湿原景観に近づこうとしているのですが、水を観察してみると、周辺の土地から「富栄養水」がたくさん流入しているように見えました。これでは、美しい湿原風景に移行するのは難しいかもしれません。生活雑排水はもちろんですが、地表面を流れる自然の水もできるだけカットし、湿地帯には雨以外の水を入れないようにすれば、もっと景観が改善するのではないか、と思います。水は「富」より「貧」を好む。では、人間もそうか?などと無駄な思案をしながらの、楽しい2時間歩きでした。

11月の学長ブログ

  「守谷市には6つの地区があります」と話し始めたのは、守谷市社会福祉協議会代表の女性です。「今から、各地区の地域福祉活動計画の具体的な取り組みを、写真などを使って説明します」と続きました。さて、どんなお話だろうか?と聞き耳をたてました。まず、「守谷地区」「高野地区」「大野地区」「大井沢地区」「北守谷地区」「みずきの地区」という6地区それぞれで、独自に展開している活動が、確かに具体的に紹介され、とても新鮮でした。中でも、鬼怒川氾濫で災害を受けた常総市に対する支援活動にいち早く取り組んだ「みずきの地区」の活動経過には感銘を受けました。
 「みずきの地区」では、災害発生後数日を待たずに、毎日8名ずつのボランティア支援隊を組織して交代で現地派遣を行い、被災者支援に多大な貢献をなしたことを、この講義で初めて知りました。「みずきの地区」における日常的な地域福祉活動が良く組織化され、住民同士の相互信頼や連絡体制が整っていたからこそ、近隣市町村の突然の被災支援についても迅速な対応が取れたことを知り、日常活動レベルの高さと住民意識の深さを感じ取りました。
 このお話を聞いたのは、11月7日、市民活動支援センター1階ホールで開催された、もりや市民大学平成27年度後期コースの開講式でのことです。第1回市政講座として、「地域福祉の現状は~地域福祉計画を踏まえて~」と「守谷市地域福祉活動計画~もりやのしあわせみんなで築こう~」という2テーマでの講義があり、その後半で聞くことができました。
 「地域福祉計画」や「地域福祉活動計画」といった、漢字だらけで、ある種使いすぎの行政用語は、市民にとって鮮度の低い、言葉は悪いですが聞き飽きた文言になっているのではないかと思います。しかし、地域ごとのきめの細かい具体的な活動内容を伺うと、通り一遍の画一的な活動とは異なる、個性的で生き生きした具体的活動が浮かび上がってきます。こういう地域情報が、周辺地域にもうまく発信され、情報共有しつつ独自性を発揮できれば、もりや全体が多様性に富んだ発展を遂げられるのではないか、そんな思いがしました。