学長ブログ
平成26年1月のブログ
新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。さて、今回も、講義ネタで参ります。というのも、この年末年始は休日が長くなり、大学の講義もしばらく休業状態となりました。そこで、冬休みの宿題を出しました。「休み中に何か自慢できることを見つけて来なさい」という宿題です。おかしな宿題ですが、意外と難問です。なぜなら、「自慢」は、日本人にとってある種の品の悪さ、人格の低さと通じるような概念として使われているので、「自慢しろ」と言われるとハードルが高いのです。ところが、NHKのど自慢とか、故郷自慢など、日常的には「自慢」を肯定的にも使っています。これを個人のレベルに引き下ろすと、なぜ否定的な概念になるのでしょう?そういうことも考えて、わざと「自慢せよ」との宿題を出しました。どんな答えが出てくるか楽しみです。
ところで、皆さんはどんなことを「自慢」できるでしょうか?私自身も、何かを自慢してみろ、と言われると、何だか居心地が悪くなります。が、幸い、私にはこれまで育ててきた優秀な後輩と教え子がたくさんいることが自慢です。そこで、この市民大学でも素晴らしい卒業生をたくさん輩出すれば、新たな自慢の種になると思います。「私の自慢は、もりや市民大学の卒業生である」と、胸を張って言えるよう、ますます充実した市民大学を運営したいと思っています。年頭のブログが、決意表明みたいになってしまいました。
12月のブログ
大学では、学生の成績評価で苦労します。私の場合、現役を退いた現在も、毎年、複数の大学・大学院で非常勤講師として教鞭を執っていますが、記憶力を試すような試験問題は、あまり好みません。そこで、「この授業を受けて、自分は何点だと思うか、理由をつけて評価点を述べよ」という設問をしました。その答案を読むのはとても楽しかったです。
ある学生は「自分は0点だと思う。なぜなら、あまりにも知らないことが多すぎた」といった謙虚な答案。この学生、将来大物になるかも、と思いまして、私の評価点は最高点に近いものでした。また「82点。なぜなら・・・・・・」と言う評価点が、私から見てもピッタリという答案もありました。点数は私と一致するものも不一致のものもありましたが、その理由については、なるほどと思うことが多いのです。今の学生、なかなかに自分を客観視しているなー、と感心しました。
さて、何かと話題の安倍政権、自分に何点をつけているのでしょうか?私の教室経験に照らすと、かなり甘い自己採点をつけているのではないか。しかし、正しい採点は国民がするものでしたね。
11月のブログ
福島第一原発から30~50Km離れた飯舘村に行ってきました。豊かで美しい農村でした。道路から眺める限り、整備された農地、こざっぱりした農家、手入れされた山林が目に入ります。が、よく見ると、人の気配がない。そうです、「計画的避難区域」に指定された村です。あまりにも良く手入れされた家屋と庭木があったので、もう少し近づいてみると、家の中で数個の扇風機が回っていました。家の中で湿気が滞留しないよう、家が傷まぬよう、細心の注意をしていると分かりました。家人の心を推し量り、一瞬、胸が熱くなりました。
この村に、放射線計測、除染活動、農業再生、被災者ケア、情報発信などの諸活動を、被災者と協働で行うNPO法人「ふくしま再生の会」がありました。この指とまれ方式で集まった学者、知識人、精神科医、各種シニアボランティアなどの皆さんです。飯館村が再生するためには、放射線量データを自分たちで測定し、信頼できる情報をもとに方針を立てなければだめ、という村民主体の体制を作ったそうです。詳細は省きますが、とても有意義な活動を継続しており、「協働」の実態を目の当たりにした思いです。そうか、「協働」というのは、異なる立場の人々が課題を共有し、より高い解決方法を探求する新しい活動様式なのだな、と学んだ次第です。
もりやでも「協働」を推進していますが、まだ、明確な形を示しているとは言えないようです。この市民大学がそれを示していけるようになれば、大学を開校した意義も、より明らかになることと期待します。
10月のブログ
新田次郎著「槍ヶ岳開山」を読みました。播隆上人が困難に打ち勝って開山を成し遂げた史実を入念に取材した上で、播隆上人を取り巻く人々の物語を創作したものです。時代を超えた筆の力は「半沢直樹」ストーリーをも凌ぐ迫力です。
それは良いとして、この本を読んで「人の生き方」に、思いを馳せました。1つの信念に向かってひたすら前進する人生です。人生これ修行であります。
ところで、昨今も中高年、高齢者、後期高齢者、いずれもより良き人生を求めることは健全ですが、目標は何だろうか?ゴールを求める生き方から、現在の幸せをより長く持続することを希望する生き方へと変貌しているのではないか、と考えてみました。それを否定しているわけではありません。ただ、現状が少しでも長く維持できたら良い、と考えることは、実は、現在がとても平和で幸せである、ということの証拠でもあります。いま困っている人、苦しんでいる人、危機に瀕している人、そういった人々を助けて、共に幸せを享受できたら、これほどありがたいことはない。そんな風に考えています。
先日、踏切で動けなくなった老人を、自分の命を捨てて助けあげた方がいました。このニュースに接して涙が止まりませんでした。新田次郎から最近のニュースまでを繋ぐ、「人の生き方」という縦糸を思いました。
9月のブログ
2020年オリンピック・パラリンピック東京開催が決定し、日本中が沸き立っているようです。福島第一原発の汚染水漏洩問題について安倍首相が「アンダーコントロールにある」と力強く述べたことが効果的だったと報道されています。私は、土壌科学の専門家として、この問題は簡単に「コントロール」できないと思っているので、とても心配です。地表面下の水の動きは複雑です。海と陸地の境界付近の地下水は、比重の異なる真水と塩水が入り混じるので、タンクから漏洩した放射性物質で汚染された地下水がどのように動き、そしてどういう経路で海洋を汚染するか、そう簡単に分かるものではありません。セシウム137を吸着して水と一緒に運ばれる土粒子の動きも追わなくてはなりません。これも人間のコントロールがなかなか及びません。他に、漏洩タンク近傍の地下水からストロンチウム90、トリチウムの検出も報道されています。今回の汚染水漏洩問題は、情報を全て開示し、国際対応チームを立ち上げてもおかしくない重要問題です。今後の政府の対応が、非常に気になります。