学長ブログ
2月の学長ブログ
植物の発芽や生育は、不思議です。土の中からいつの間にか小さな芽が出てきて、日に日に成長し、やがて枝や葉を伸ばしたうえ、花を咲かせたり実をつけたりして、たとえばスナップエンドウであれば、取っては食べ、取っては食べ、それでも次の日に行くと新しい実がなっています。
あるいは、室内のゴムの木。大学の研究室で長年付き合ってくれたゴムの木を処分した際、葉っぱ数枚をつけた小枝を1本だけリュックサックに入れて持ち帰り、物置に転がっていた鉢に植えて土をかぶせ、水をやって放置しておきました。すると、どれだけの日数だったか忘れましたが、ある日、どう見ても「生きてるな」という感じの立ち姿に気づきました。それから注意してみると、にょきにょきと成長し、いつの間にか葉っぱが茂り、1m以上の高さに成長しました。これでは大きすぎる、ということで葉っぱを適宜処分し、てっぺんを切り取って背を低くしました。その後、再び枝や葉を伸ばし、今では立派なゴムの木として室内に鎮座しています。根もしっかり再生しました。
徳富蘆花という作家、ご存じですか?「不如帰(ほととぎす)」を書いた明治の小説家です。この本を映画化したものは、18本を数えるほどに流行りました。徳富蘆花さんは、その後トルストイに会って感化され、「土と共に生きること」を学んだと伝えられています。その徳富蘆花さんが、「みみずのたはこと」というエッセイ集を書いています。岩波文庫でこれも108版を数えるほどのベストセラーでした。そのエッセイの中の1つに「農」が含まれています。そこに土のことが書いてありました。人は土の上に生まれ、土の生むものを食うて生き、而して死んで土になるから、人は「土の化物」に過ぎない、そして、「土の化物」に一番適当した仕事は、土に働くことであらねばならぬ、あらゆる生活の方法の中、尤もよきものを捉えらみ得た物(原文通り)は農である、と断じました。
ああそうか、大事なのは植物の生命を支えている土なのだな、と理解する次第です。「土は大切だ」ということは、言葉では理解しますが実感を伴う理解はとても難しいものです。アメリカの有機栽培農家の男性が自分の畑の土を「I love it」と言い切ったのを見たことがあります。自分の作った土に惚れた、ということです。なかなかそこまでの実感を持つことはできませんが、土の中から生まれる生命を見ると、良いものだな、という実感はわきます。土の大切さ、土の良さを、どう表現し、どう伝えるか、実は、今でも私は模索しています。それを自分の言葉で表したいと思っています。
1月の学長ブログ
明けましておめでとうございます。平成最後のお正月がやってきました。次の元号はずばり「平和」でいこう、いや、「金農」だ、などなど、かまびすしい次第です。それはさておき、私たちは、日本の歴史の中でも最も特異な時を生きている、という事実についてふと考えます。
「日本史の謎は地形で解ける」と題する興味深い文庫本の中で、著者、竹村公太郎氏は、日本は特異点の中にある、と指摘しています。その特異点とは、日本の人口が歴史上のピークを迎え、そしてそれを越えてしまった瞬間を我々は生きている、ということのようです。日本の人口はいつ最高値を記録したか、ご存じですか?それは、平成20年(2008年)の1億2808万4千人です。平成30年(2018年)の人口は1億2652万9千人です。10年で155万5千人減りました。日本の歴史の中で、人口の最高値の時代に生きていることがそもそも奇跡的なことです。恐らく、「日本のピーク人口時代を生きた人間」が未来の社会科学の研究対象になることでしょう。私たちは、その研究にとって貴重なサンプルになるのです。
で、どうしましょう。ピーク人口を過ぎて人口減少時代をいかに生き、そういう社会をどう形成するか、これは今後長く続く検討事項であり、その検討の第1歩を踏み出したのが現在の我々です。未来に向けて、いろいろな示唆を提示することが、いずれは「昔の人々の知恵」として尊重されるはずです。その際、日本が稀に見る長寿国であることも考慮する必要があります。「人口減少する長寿社会」、これをどう作るかが問われます。
守谷市人口は67624人(2019年1月)で、去年の同時期より723人増加だそうです。守谷は「人口増加する長寿社会」ですが、いずれ人口ピークを過ぎると予測されています。守谷の「人口減少する長寿社会」も近い将来、市民大学の研究テーマになることでしょう。人口減少時代にはどんな計画が必要でしょうか?この問題は、いずれ起こる地球人口の減少時代の問題の先取りになるかもしれません。壮大で、かつ収拾のつかない思索で今年が始まりました。
12月の学長ブログ
数日前の新聞投書欄に、18歳高校生の一文がありました。「若者は昔を中高年は今を学ぼう」という見出しでした。私は、これは面白い視点だな、と思いました。若者が過去に学ぶことを推奨したいのは、歴史の重要性や昔の人の知恵などに学ぶことの大切さを思うからでしょうが、私の眼を引いたのは、中高年が現在を学ぶという視点でした。文中には「昔からの固定観念を曲げようとしない中高年」、という厳しい指摘もありました。最後には「中高年の人々は昔を大切にしながらも今ある世界を学び生き」るべし、と諭されてしまいました。
確かに、中高年にとって「今」が分かりにくくなっていると思います。たとえば、テレビをつけても知らない歌手が知らない歌を歌っている、と感じてしまいます。インターネットを開くと、AI, IoT, ICT, SNS, ・・・などと略号が溢れていて、何が何だか分からなくなってきた、もうついていけない、と考えてしまいます。そう、中高年者は「固定観念を曲げようとしない」のかもしれません。さて、これをどうしましょう?
実は、2020年までに日本の小中学校教育も大きな変化を予定しています。まず、小学5年生から英語を教科化する、そして、小中学校全生徒にタブレット端末を渡し、タブレット教育を実現するよう推奨することになっています。しかも、守谷市ではタブレット教育を2019年から前倒しで実現する方向で準備していると聞きます。現代の若者だけでなく、孫世代の教育が、ますます中高年者の体験からかけ離れていくのです。
そこで、もりや市民大学でもオープンコースで守谷のプログラミング教育の実態を学ぼうではないか、という検討を始めました。まさに、中高年が「今」に学ぶ、を実践しようという訳です。この件は、守谷の新しい教育に地域住民を巻き込むという方向にも繋がります。何が起きているか分からないままに世代交代が進むのか、それとも中高年者が固定観念にこだわらないで若者と可能な協働の道を作るのか、といった選択でもあります。もりや市民大学は、当初の設置目的に照らして、市と住民の協働によるまちづくりを目指しますが、小中学校教育の今からも学ぼうという検討が始まったことをご報告する次第です。
11月の学長ブログ
音楽好きの方向けのブログです。杉原淳さん、といってもご存じの方は少ないでしょう。82才のジャズテナーサックス奏者で、かつて大橋巨泉の「11PM」番組で16年間レギュラー出演していた名手です。原田忠幸さんも82才のジャズバリトンサックス奏者で、あの女優雪村いずみの夫です。フランクシナトラとも共演したというから驚きです。そして、五十嵐明要さんは86才のアルトサックス奏者で、原信夫とシャープアンドフラッツの元メンバーです。この3人のジャズサックス奏者が率いるバンドが毎年2回中野坂上で開くコンサートを、何回か聞きました。ピアノは67才の本田富士旺、ベースは64才のジャンボ小野でした。息の合った素晴らしい演奏であり、完璧かつ心地よい音でした。また聞きたいと思います。
「むかしむかし、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。」で始まる昔話のおじいさんやおばあさんを、何歳ぐらいとイメージしていましたか?私は60代をイメージしていました。歌にも「今年60のおじいさん~♪」とありますし。ところが、3人の80代サックス奏者は、現役の誰にも負けないような迫力・リズムで、極めて完成度の高いジャズ演奏を披露してくれます。今では、「むかしむかし、ある所に80代のおじいさんたちがいて、素晴らしいジャズ演奏をしていました。」で始まる昔話が必要です。
そういえば、最近A新聞のかたえくぼ欄に「おじいさんとおばあさん、昔、ある所に住んでいました。今、いたる所に住んでいます。」とありました。その通りです。ところで、守谷市にもいたる所におじいさんとおばあさんが住んでいます。そしてその多くの方々が、超絶元気です。この力を活かさない手はありません。協働のまちづくりでも、いたる所に住んでいるおじいさん、おばあさんの力が不可欠です。ここでは、60代を若手、70代を現役、80代を先輩と呼ぶしかなさそうです。すごい世の中になってきました。過去に経験したことのないまちづくりを、これから創造していくことになります。
のんびりごろ寝してテレビを見ている場合ではありませんぞ、ご同輩!まあ、無理をしない程度にもうちょっと頑張ろうではありませんか。学長ブログというより、80代現役プロミュージシャンに刺激された高齢者ブログになってしまいました。
10月の学長ブログ
もりや市民大学6月開講コース全てが間もなく修了します。先日10月5日は、専門コース「守谷未来設計―魅力的なまちづくり―」が修了しました。全10コマの内9コマは東大高齢社会総合研究機構の矢冨直美先生が担当して下さいました。このコースには、以下のような特徴がありました。
まず第1点は、入学者人数18名中17名が男性、1名のみが女性だったことです。過去の総合コース、専門コースを見ても、男女比がこれだけ偏ったことはありません。もう1つの専門コース「緑と人の健康」では、男性60%、女性40%でした。目の前にある具体的な問題への取り組みなら、男女差はなさそうです。では、なぜ「未来」問題だと、女性が参加しないのでしょう?よく分かりませんが、昔SF小説が流行ったことが有りました。私も若いころSF小説が大好きでした。しかし、女性でSF小説を好んで読む方を見た記憶がありません。未来の話はフィクションです。フィクションは想像の産物であり、現実とかけ離れているかもしれません。女性に避けられる理由がそのあたりにあるとすると、今後の専門コース設計でも注意が必要です。
第2点は、このコースで行われた、守谷の未来に向けた事業実施組織を計画するというワークショップが、予想をはるかに上回る充実を示したことです。コース最終日に、5グループから具体的な守谷未来設計案が発表されました。各グループは、頭の中だけで計画を練るだけでなく、市民アンケートを実施したり、守谷市民大学の受講生として市役所の中の担当部局へヒヤリングに出かけたり、民間商業施設の関係者に面接したりと、精力的な活動を展開し、現実性を帯びた未来設計案を作成しました。この活動については、教室で指導された矢冨先生ご自身からも驚きをもって高い評価をいただき、「コース修了後も各グループの未来設計を実現する活動を継続して下さい。私も引き続き協力し、アドバイスします。」とのコメントをいただきました。
「守谷未来設計」と称する専門コースは、以上のように、文字通り未来につながる形で修了しました。もしかすると、近い将来、たとえば「野菜作りの教室」コースや「守谷に親水公園を作る」コース、「障害者が暮らしやすいまちづくり」コース、「モコバスをもっと利用しやすくする」コース、「地域支援の子育て」コースなどが生まれるかもしれません。