学長ブログ

8月の学長ブログ

 「昔の話をすると、そんなの知らない、と言われて寂しい気持ちになる」と言ったのは、20代前半で塾の講師アルバイトをしている若者です。塾の正規講師、アルバイト講師、職員のいずれも短い期間で入れ替わるので、いつの間にか自分が最古参になってしまったという訳です。数年前にいた名物講師の話、教室での出来事など、記憶を共有できないと言います。若い彼の言う「昔の話」とは数年前のことに過ぎません。

 さて、数十年、更には半世紀を超えた社会の記憶、歴史の記憶はどうでしょう?今も、戦争の記憶、原爆の記憶を語り継ぐことの重要性と難しさがいつも話題に上ります。価値ある記憶、忘れてはならない記憶を風化させないためには、特別の努力が必要です。しかもその記憶は正確でなければなりません。そういえば、「昔の守谷駅はこうだったのだ」と言って過去の記憶を口にすると、現在の守谷駅しか知らない世代は「ふーん、そうなの」という軽い反応です。別にそれを非難する気はありませんが、自分にとっては当たり前の記憶が、他人にとってはその事実が存在すらしない、という現実。伝えることの重要さと難しさを認識せずにはおられません。
 もりや市民大学も開校して早2年、協働のまちづくりを担う人材育成を目指して、着々と進んでいます。まだ過去の記憶を語るには早すぎますが、20代の若者の例を思うと、うかうかしていられません。初心忘るべからず、そして、温故知新で行きたいものです。
 ところで、温故知新、古きをたずねて新しきを知る、という諺そのものが、「知らないなー」になっているかもしれません。今月のブログは、何かの教訓めいたセリフを書くのではなく、こういう現実をどう感じるか、そしてどう考えるか、という漠然とした視界を持つところにとどめ置きたいと思います。8月はそういうことを考えるに相応しい月です。