学長ブログ

12月の学長ブログ

 月並みの表現ですが、今年も間もなく暮れようとしています。そんな中、日本における今年1年を象徴する漢字一文字が「戦」であると報じられました。そうか、「戦」か、と考えさせられました。確かに、世界規模、地球規模で考えれば「戦」かもしれません。このニュースを聞いて、日本も世界と繋がっているのだなー、と改めて思うところがありました。

 せっかくですから、今年1年のもりや市民大学を象徴する漢字一文字を考えてみましょう。私は「新」を選ぶことにします。思い返してみると、2020年度には2012年開講以来のコース設計大改革を行い、募集案内(パンフレット)を14ページに拡大し、さあ始めよう、という瞬間にコロナ感染拡大が始まり、この年度の開講が全面中止になりました。2021年度は、コロナ対策として開講コースをコンパクト化し、オンラインシステム(Zoom)を導入し、教室対面受講とオンライン受講を併設するハイブリッド型開講としました。募集案内(パンフレット)は見開き4ページで小さくまとめました。2022年度はコロナ感染が収束するかもしれないという期待を込めつつ警戒心も怠らず、ハイブリッド型講座を継続し、募集案内(パンフレット)8ページにまで回復しました。こうしてみると、予想もしなかったオンライン教室を併設開講したこと、また、この1~2年新しい運営委員を多く迎え入れたこと、など新しい体験が増えました。それで、「新」を選んだ次第です。

 しかし、自分自身の身の回りを見直すと、どうも「新」よりは「古」の方が多くなっていますので、私の漢字一文字を選べ、と言われたら、別の文字が浮かんでしまいます。私の場合「続」かな、と思います。今まで通りのことが継続できること、それがありがたいのです。続けていた同窓会やクラス会、続けていたスポーツの趣味、続けていた家族内の交流、続けていた専門分野の仕事、などが、コロナだけでなく色々な事情で少しずつ続けられなくなりました。だから、「続」に希望と感謝の気持ちが湧くのです。来年も今年と同じように、いや、それ以上に続けることができたら、それは嬉しいことなのです。

 さて、皆様、どうぞ自分の一文字をお探しください。希望に満ちた一文字を選ばれた方は、明日に向かって進むのみですね。「勝」でも「幸」でも結構。応援します。

 

11月の学長ブログ

 もりや市民大学は2012年10月に開校したので、今期で10年目を迎えました。そこで、運営委員会では、この10年を振り返り、これからどう発展させればよいかを自由に語り合おう、ということになりました。10年前、手探りで始めた市民大学、なんとかここまでやってきました。運営委員の皆さん、講師の皆さん、サポート役の皆さん、受講生の皆さん、守谷市役所市民協働推進課の皆さん、市民活動支援センターの皆さん、市民大学友の会の皆さん、こうした方々の支えがあって今日があります。

 この10年間、世の中はどのように変化したでしょうか?もりや市民大学が開講した2012年12月には第46回衆院選があり、自民党が294議席を得て圧勝、民主党は惨敗し、退陣した野田佳彦首相は党代表も辞任しました。2013年の流行語大賞に「お・も・て・な・し」が選ばれ、オリンピック・パラリンピックの日本開催決定に浮かれていました。しかし、ご承知のように、その後、金銭をめぐる深い疑惑が残されました。2018年は日産のゴーン社長が逮捕されました。2019年、元号が平成から令和へ移行し、ペシャワールの会の中村哲医師が殺され、渋野日向子が全英女子オープンゴルフで優勝しました。2020年は新型コロナの感染拡大でオリンピック・パラリンピックの日本開催が延期され、甲子園の高校野球は中止となりました。もりや市民大学も開講中止でした。2021年にはオリンピック・パラリンピックが開催され、アメリカではバイデン政権が発足しました。日本では熱海で土砂災害が発生しました。2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、その後、このニュースがあまりにも重いので、他の出来事の記憶がかすんでしまうほどです。

 一方、もりや市民大学の10年を振り返ると、はじめのころは「守谷町から守谷市へ」「守谷の町内会」「守谷の子どもたち」「守谷の自然と環境」「守谷の防災」「守谷の国際交流」「守谷の教育」など、守谷を知ろうという内容の講義が多かったのですが、その後「パートナーシップによる緑のまちづくり」「<わたし>を生かす地域プロジェクトをつくろう!」などといった専門コースを充実させ、実際の行動へと発展させてきました。特に「脳いきいき!ウォーキングで健康貯筋」コースからはウォーキングを市民に広げる活動へと発展しました。これから先、どんな方向へ展開するか、「お・た・の・し・み」と行きたいものです。

 

10月の学長ブログ

 コロナ禍はまだ終息しません。そんな中では各種の会議がオンラインで開催されます。つい先日も15人ほどの全国規模での学者のZoom会議が開催され、私も出席しました。この中で、私はガッカリ気落ちする出来事がありました 。それは、会議中に「プラネタリーバウンダリー」とか「レギュラトリーサイエンス」という言葉が頻繁に使われたからです。「パラダイム」とか「ロバストネス」とか「レジリエント」などの言葉にやっと慣れてきたと思っていたら、更に新しい言葉が登場していました。


 集団の会話の中で、新しいカタカナ文字がまるで昔から使われていた共通用語であるかのように使われるとき、その言葉を知らなかった者は強烈な疎外感に襲われます。知らないのは自分だけなのか、とがっくり来ます。他の人は、その新しいカタカナ文字を当たり前として会話しているのですから、ついていけない参加者は蚊帳の外になります。いったい、その言葉はいつからどこで使われ始めたのか、誰が言い始めたのか、チンプンカンプンです。そこで、急いでスマートホンにその言葉を書き込んでネット検索し、何とか遅ればせながら会議の会話に追いつこうとします。


 こうした経験は、恐らくどなたもお持ちだろうと思います。新しい言葉を、あたかも皆が知っているかのように当たり前の言葉として使うこと、これは刺激的ですが少々辛い状況です。若者の場合、新しい言葉を瞬時に共通語として認知する運動神経が非常に鋭いのですが、高齢者の場合、新しいカタカナ文字に馴染むには時間がかかります。ちょうど、パソコンやスマホに馴染むのに時間がかかるのと同じだと思います。

 会議の中で知らない言葉が当たり前に使われるときに味わう疎外感、それに耐える力が必要でしょうか?それとも、「日本語が乱れとる!」と怒るのが正道なのか?皆さんはどうお考えですか?私は、まずはガッカリ気落ちします。それから、気を取り直してその新しいカタカナ文字が表現している現実社会を眺めます。そして、考え込むのです。そうか、新しい視野はこうして開かれるのか、と感慨深いのです。

 脚注:プラネタリーバウンダリー「人類が生存できる安全な活動領域とその限界点(ウィキペディア)、2020年頃から世界に広まった新概念」、レギュラトリーサイエンス「身の回りの現象に関する科学的研究成果を国民の健康に資するための科学(私の意訳)、2011年閣議決定の中で使われた新用語」、パラダイム「ものの見方、考え方を支配する認識の枠組み(オックスフォードラングイッジ)」、ロバストネス「外乱の影響によって変化することを阻止する内的な仕組み(ウイキペディア)」、レジリエント「弾力性、柔軟性、回復力のある(ソフトバンク)」、一応、上記の新語の説明文を付記しました。
 

9月の学長ブログ

  筑波山頂から東へ約7.5km離れた場所に石岡市柿岡という地名があります。さらに東へ約2㎞進むと東筑波カントリークラブというゴルフ場があります。さて、この石岡市柿岡という地名がTXや常磐線と関係が深く、しかも世界における重要拠点である、ということを知ったのはごく最近のことです。     

  8月28日(日)朝は生憎の雨でしたが、TX守谷駅改札口に珍しい光景がありました。小学校高学年の子供とその親15組が集合でした。目的は、もりや市民大学公開講座「学ぼう!TX講座」親子イベントへの参加でした。お父さんが多い様でした。この講座、人気が高くて、抽選で外れてしまった方も大勢でした。さて、TX講座の話の中で登場したのが石岡市柿岡です。この地に気象庁磁気観測所(海外ではKAKIOKAと呼ばれている)が設置されているそうです。

  そして、講座で学んだのは、TXは秋葉原から守谷まで直流電流、守谷駅からつくば駅までは交流電流、JR常磐線は上野から藤代駅付近まで直流電流、藤代駅付近から北では交流電流で運行しているという事実でした。なぜ直流から交流に切り替えているのか、その答えは、柿岡に設置された地磁気観測器に影響を与えないためだ、というのです。直流電流のノイズは観測に大きな影響を与えるから、直流から交流へ切り替えているのだと。立ち入り禁止の観測地には、高精度の磁気観測装置や地下変位計、比較校正室などが配置され現在も稼働中で、そのデータは宇宙天気予報、磁気嵐、火山噴火予測などの目的で世界で共有されている、といいます。それも、109年前から連続して測定されているというから驚きです。戦争中は男性が次々と戦場に送られる中で、女性所員たちが観測を続けたそうです。建物は関東大震災にも東日本大震災にも耐えたそうです。   

  この話は、小学生には難しかったかもしれません。参加した小学生たちは、そのあとの特別回送列車に乗って車両基地まで移動し、運転席体験などを大いに楽しみました。同行した大人たちにとっては、TX乗車体験も結構でしたが、地磁気観測所が常磐線やTXの設置にまで影響していたことを知り、感慨深いものでした。少なくとも私は石岡市柿岡という地名を深く記憶したことは間違いありません。

8月の学長ブログ

 8月11日の発表によると、守谷市のコロナ累計感染者数は7950件だそうです。8月の市民人口70239人をこの感染者数で割ると、8.8人になります。つまり、8.8人中1人が感染したことになります。守谷市の家族構成は平均2.4人/家なので、4軒中に1人以上は感染したことになります。市内では、向こう3軒両隣に1人以上の感染者がおられたとしても不思議ではありません。無論、自分自身を含めてです。

 

 日本全体での累計感染者数は約1510万人です。日本人口は1億2560万人なので、8.3人中1人が感染しています。守谷市とほとんど同じ水準です。こうなると、もう他人ごとではなくなりました。ご近所、知人・友人、身内に感染者が誰一人いない、という日本人はいなくなった、と言えるでしょう。

 

 こんな時代を経験するとは思いませんでした。カミュの小説「ペスト」が書かれたように、今度は「コロナ」という小説を準備している作家がいるかもしれません。思いもよらぬこの時代をどのように過ごしてきたか、また、この先をどう生きたか、小説でも読んでみたいですね。私としては、「コロナ後」を考えたいです。まず、コロナは必ず収束する、或いは、インフルエンザや普通の風邪と同じレベルの存在になるという理解は、それがいつになるかは別として、確信になっています。

 

 そして、どんな日常が戻るのでしょう。

① ほぼコロナ前と同じレベルの日常に戻る。

② コロナを経験したので、マスク手洗いをし続ける人が増える。

③ オンラインで仕事や会議を経験したので、ある程度その方式が社会に定着する。

④ リバウンド効果が大きく、人々が活発に動き回り、好景気が始まる。

⑤ コロナのある時代に学園生活を送った若者たちが、失ったものを取り戻すために大きなエネルギーを発揮する。

こんな社会が想像できます。気づくのは、なぜか肯定的、楽天的な想像が優先することです。どう考えても、より悪くなるシナリオを考え付くことができません。ただ、地球規模の気候変動やロシアによるウクライナ侵攻など、コロナ以外の懸念材料が世界を覆っていることを忘れてはなりませんね。