守谷を知るコース(第7回)

守谷を知るコース第7回は、「長龍寺から見た守谷駅前の変遷

長龍寺の東堂・北村さんがお話を聞かせてくれました。東堂とは元住職、ご隠居さんという意味だそうです。

 
北村さんは今年89歳、戦前からの守谷を見てこられた方です。22歳で21代目住職になりつつ、市内の校長先生や教育委員長も務められてきたそう。

 


守谷は江戸時代中期から「守谷町」と名乗っていたとの記載があり、平将門との深い関わりがある場所。

長龍寺は924年(延長2年)に開基、平将門が関わっているそうです。

平将門の母方の実家は相馬であり、守谷の本を書いた斉藤先生によると、相馬の中心地は守谷であり、そこからも平将門とは深い繋がりがあるそうです。

守谷市内には、永泉寺や海禅寺など平将門に関わりがあった寺がいくつもあります。

 


相馬の話では、城址公園にある城跡は相馬氏によって築かれた話も守谷が中心の話と繋がりますね。

守谷市の前は「北相馬郡守谷町」だったことを懐かしく思い出しました。

北相馬以外に、南相馬(流山や松戸あたり)、中相馬(我孫子あたり)があった話も興味深く面白かったです。

 

 

 北村さんは子供の頃から守谷を見てきた貴重な方。

田んぼと松林しかない、集落も少ない、本当に何もなかったそう。小山村(南守谷あたり)、奥谷村(斎場あたり)、鈴塚村(ジョイフルあたり)が守谷になり、戸頭や坂手(菅生あたり)は、守谷にならなかったり。

今でも地名は残っているので、聞きながら場所を思い浮かべました。


常総線が開通して守谷が変わっていきます。

最初は貨物列車としての運行でした。鉄道が通ったことで、運送会社や石屋、料亭ができて守谷駅前が賑わうようになっていったそうです。
戦争が始まると、今の原あたりに軍事工場(今でも門だけ残っている)ができ、駅前には大きな社宅があったとのこと。まだ子供であった北村さんの守谷から見たリアルな当時の話も聞けました。

 


昭和30年に大野村(大柏や野木崎)などと合併して守谷町へ。滝下橋は昭和31年に開通、それまでは鬼怒川を渡し船で行き来していました。

そこから、クレノートン(レーベン守谷)、明星電気(イオンタウン)、前川製作所と大きい企業ができて、住宅が増えていきました。

 


国道294号線は昭和43年開通、住宅地が増えて、つくばエクスプレスが開通してどんどん守谷が発展していったのでしょうね。今の守谷を見ていると、びっくりするほど変わってしまったと仰っていました。

 


田んぼと松林ばかりの守谷、のどかな原風景だったと想像します。

図書館に守谷の歴史を書いた本があるそうなので、借りて読んでみたいと思いました。