学長ブログ

9月の学長ブログ

  筑波山頂から東へ約7.5km離れた場所に石岡市柿岡という地名があります。さらに東へ約2㎞進むと東筑波カントリークラブというゴルフ場があります。さて、この石岡市柿岡という地名がTXや常磐線と関係が深く、しかも世界における重要拠点である、ということを知ったのはごく最近のことです。     

  8月28日(日)朝は生憎の雨でしたが、TX守谷駅改札口に珍しい光景がありました。小学校高学年の子供とその親15組が集合でした。目的は、もりや市民大学公開講座「学ぼう!TX講座」親子イベントへの参加でした。お父さんが多い様でした。この講座、人気が高くて、抽選で外れてしまった方も大勢でした。さて、TX講座の話の中で登場したのが石岡市柿岡です。この地に気象庁磁気観測所(海外ではKAKIOKAと呼ばれている)が設置されているそうです。

  そして、講座で学んだのは、TXは秋葉原から守谷まで直流電流、守谷駅からつくば駅までは交流電流、JR常磐線は上野から藤代駅付近まで直流電流、藤代駅付近から北では交流電流で運行しているという事実でした。なぜ直流から交流に切り替えているのか、その答えは、柿岡に設置された地磁気観測器に影響を与えないためだ、というのです。直流電流のノイズは観測に大きな影響を与えるから、直流から交流へ切り替えているのだと。立ち入り禁止の観測地には、高精度の磁気観測装置や地下変位計、比較校正室などが配置され現在も稼働中で、そのデータは宇宙天気予報、磁気嵐、火山噴火予測などの目的で世界で共有されている、といいます。それも、109年前から連続して測定されているというから驚きです。戦争中は男性が次々と戦場に送られる中で、女性所員たちが観測を続けたそうです。建物は関東大震災にも東日本大震災にも耐えたそうです。   

  この話は、小学生には難しかったかもしれません。参加した小学生たちは、そのあとの特別回送列車に乗って車両基地まで移動し、運転席体験などを大いに楽しみました。同行した大人たちにとっては、TX乗車体験も結構でしたが、地磁気観測所が常磐線やTXの設置にまで影響していたことを知り、感慨深いものでした。少なくとも私は石岡市柿岡という地名を深く記憶したことは間違いありません。

8月の学長ブログ

 8月11日の発表によると、守谷市のコロナ累計感染者数は7950件だそうです。8月の市民人口70239人をこの感染者数で割ると、8.8人になります。つまり、8.8人中1人が感染したことになります。守谷市の家族構成は平均2.4人/家なので、4軒中に1人以上は感染したことになります。市内では、向こう3軒両隣に1人以上の感染者がおられたとしても不思議ではありません。無論、自分自身を含めてです。

 

 日本全体での累計感染者数は約1510万人です。日本人口は1億2560万人なので、8.3人中1人が感染しています。守谷市とほとんど同じ水準です。こうなると、もう他人ごとではなくなりました。ご近所、知人・友人、身内に感染者が誰一人いない、という日本人はいなくなった、と言えるでしょう。

 

 こんな時代を経験するとは思いませんでした。カミュの小説「ペスト」が書かれたように、今度は「コロナ」という小説を準備している作家がいるかもしれません。思いもよらぬこの時代をどのように過ごしてきたか、また、この先をどう生きたか、小説でも読んでみたいですね。私としては、「コロナ後」を考えたいです。まず、コロナは必ず収束する、或いは、インフルエンザや普通の風邪と同じレベルの存在になるという理解は、それがいつになるかは別として、確信になっています。

 

 そして、どんな日常が戻るのでしょう。

① ほぼコロナ前と同じレベルの日常に戻る。

② コロナを経験したので、マスク手洗いをし続ける人が増える。

③ オンラインで仕事や会議を経験したので、ある程度その方式が社会に定着する。

④ リバウンド効果が大きく、人々が活発に動き回り、好景気が始まる。

⑤ コロナのある時代に学園生活を送った若者たちが、失ったものを取り戻すために大きなエネルギーを発揮する。

こんな社会が想像できます。気づくのは、なぜか肯定的、楽天的な想像が優先することです。どう考えても、より悪くなるシナリオを考え付くことができません。ただ、地球規模の気候変動やロシアによるウクライナ侵攻など、コロナ以外の懸念材料が世界を覆っていることを忘れてはなりませんね。

7月の学長ブログ

 日頃、人口について考えることは滅多にありません。新聞、テレビ、スマホのスマートニュースでも、見出しに「人口」が表記されることは稀です。今月11日は国連が定めた「世界人口デー」でした。ここで、本年11月15日に世界人口が80億人に達すると予測されました。私が生まれた1947年の地球人口は約25億人程度でしたから、3.2倍です。これだけの地球人口を養うには、ウクライナの小麦を輸出しなければ到底足りないのに、ロシアは何と愚かしい侵略を行っていることか。

 一方、守谷市の広報を見ると、いつの間にか人口が7万人を超えていました。なかなか7万人の壁を突破しないな、と思っていましたが、人口が増えたのですね。もりや市民大学の本年入学生にも、最近守谷市へ引っ越してこられた方々もおられます。6月4日の開講式で集計したアンケートによると、全回答41人中27人が初めての入学者でしたから、この中には守谷在住1年以内という「新人」もおられることでしょう。

 ところで、最近「関係人口」という、地域社会にとって新しい考え方が広まっています。「関係人口」は「定住人口」とも「交流人口」とも異なる第3の人口で、地域に心を寄せる人、或いは、地域に関わりを持つ人、そういう人々のことを指すそうです。でも、「関係人口」の数はどうやって数えるのでしょう?分かるような、分からないような、ふわふわっとした新概念です。

 そこで、もりや市民大学では、この「関係人口」を解明し、守谷市で実践的に「関係人口」を増やす構想を研究しよう、というコースを立ち上げました。それが、市民科学ゼミという2年間コースです。こんなコースを設置して大丈夫か?と恐る恐る開講したところ、予想を上回る希望者が現れ、すでにゼミが開始されました。茨城大学人文社会科学部の伊藤哲司教授がゼミの指導をしてくださいます。伊藤先生は「つどうつながるつむぎだすラボ」という任意団体の代表も務められており、今回の市民大学ゼミは、この団体の初仕事だそうです。聞きつけた市民の中には、いまからでもゼミに参加したいという希望者がいるそうです。このゼミ、守谷市の新時代を開いてくれそうですよ。

6月の学長ブログ

 6月4日(土)守谷市中央公民館講堂にて、2022年度もりや市民大学開講式が挙行されました。2019年度通常開講、2020年度全面中止、2021年度ハイブリッド方式の開講、これらの特別体制を経て、今年度もハイブリッド方式の開講となりました。公開講座を除く4コース定員65名にて募集した結果、申込者数79名(延べ人数)となり、入学者数の調整が必要となりました。

 

 定員超過に対する公平な対処方法としては、「先着順」「抽選」などが普通であり、もりや市民大学でも「抽選」を準備していました。ところが、思わぬ問題が発生しました。それは、ハイブリッド方式(教室対面受講とオンライン受講の混合)特有の問題でした。教室対面式の人数制限は新型コロナ感染対策上の制約なので、破ることができません。一方、オンライン方式は人数を増やしても特段の問題は生じませんので、申込者数超過のために抽選漏れとなった方々に「オンラインならどうぞ」とお誘いすることができるのです。

 

 ここで2つの問題が生じました。①オンライン方式で受講することが可能な方と不可能な方がおられること、②校外授業や施設利用授業では定員以上の人数を受け入れられないこと、です。この2点で公平性を保つことの困難が生じました。そのため、単純な抽選方式を適用できないことが分かりました。何しろ経験したことのない事態なので、この事態を予測することができず、困惑しました。市民の皆さんにご迷惑をかけたことは深くお詫びしますが、我々運営委員会の経験不足、力不足なので、どうか御容赦いただきたい。

 

 こうして、もたつきのある出発となった2022年度もりや市民大学ですが、明るい兆しも見えます。それは、受講生の年齢幅がこれまでになく広がり、20代から80代まで万遍無く各世代からの受講生が集まったこと、もう一つは、実現可能かどうかを心配していた「市民科学ゼミ」という新規コースに9人もの入学者を得たことです。守谷市を発展させるための人材育成としてこれほど心強いことはありません。2022年度のもりや市民大学がより良い成果を挙げるべく、運営委員一同、受講生に寄り添いながらさらに努力する所存です。本年度も、どうぞ宜しくお願い致します。

5月の学長ブログ

 立花隆、という名前をどなたもご存じのことでしょう。「知の巨人」と言われ、「田中角栄研究」「宇宙からの帰還」「臨死体験」などの著書で次々と話題をさらい、昨年4月に80歳で亡くなりました。その著書の中に「新世紀デジタル講義」(新潮社、2000年)という本があります。その序文に、これまでの読書法とこれからの読書法について、面白いことが書いてありました。曰く「拾い読み、トバシ読みでもよいから、できるだけ多読、乱読する(中略)効用を強調する人はあまりいなかった」「とにかくわかるところだけ拾ってガンガン読んでいく」「わからないところはとりあえず後まわしにして、とにかく先に進め」「ひっかかっても、止まってはいけない。とにかく進むことである」と。

 

 この序文を読んで、電子機器の取り扱い説明書(取説)を思い起こしました。或いは、パソコンやスマートフォンなどで推奨される新しいソフトウエアの説明文なども頭に浮かびました。こういった文書は、ほとんど何が書いてあるかわからず、1行か2行読んだあたりで挫折することもしばしばです。

 

 しかし、立花隆によると、わかるところだけ拾ってガンガン進め、とおっしゃる。「場合によっては、何十ページにもわたって、ただページをめくるだけに終わるかもしれない。それでもとにかく最後までページをめくってみることだ。」そうすると「本当の多読能力」が身につくという。まことに柔軟な考え方であり、教えられるところが大きいです。

 

 精読、熟読の経験を積み重ねて今日までを生きてきた諸氏においては、こういったスピードのある読書法を受け入れることに抵抗感がありましょう。私も、立花隆が言うような軽快な読み取り技術を身につけることに困難を感じます。が、世の中がデジタル社会に向かって動き始めている今日、自分の家族や身近な地域社会でも、こういった「新しい常識」が定着しつつあるのだな、と認めるところです。皆さんはどうお考えでしょうか?