学長ブログ

8月の学長ブログ

  8月6日、9日、15日は、日本人にとって忘れてはならない日々です。過去の歴史をどう記憶し、今現在の自分の感覚にどう取り込むか、世代ごとにそれは異なるのでしょう。私の場合、1947年生まれなので、1945年の出来事を自分の体験として記憶することは、当然ながらできません。本で読んだり、資料館を訪ねたり、映像を見たり、人の話を聞いたり、といった積み重ねで記憶を形成しています。
 いま、冲方丁著「光圀伝」(角川文庫)を読んでいますが、テレビで放映していた水戸黄門様とはえらい違いでびっくり仰天しています。また、マリーモニク・ロバン著「モンサント」(作品社)という分厚い本も読んでいますが、PCBやダイオキシンやベトナム枯葉剤など、過去の断片的な記憶がこのような巨大企業の歴史の中でつながっていたと知ることも驚きの連続です。ジョナサン・ハー著「シビル・アクションーある水道汚染訴訟―」(新潮文庫 上・下)は全米批評家賞最優秀ノンフィクション賞受賞作ですが、これとそっくりの地下水汚染問題が、今、宇都宮市でも起きていることを環境新聞の記事で読み、未解決の環境問題がまだまだ多いことを知りました。
 それにしても、記憶というのは曖昧で不正確なものだと、つくづくそう思います。個人レベルの記憶が曖昧であることは、特に年齢が高くなると避けられなくなりますが、社会の記憶が曖昧であっては困ります。社会の記憶はできる限り正しく残され、後世に伝えられなければなりません。特に、歴史認識は、いま日本と世界が向き合うために、どうしても避けることができない問題になっています。
 正しい社会の記憶を残す道は、詳細な記述、記録に頼らざるを得ません。したがって、資料、記録、報告書の類はとても重要ですし、それらを吟味したうえで能力ある作家によって記述されるノンフィクション小説も大切です。暑い夏、冷房の効いた図書館や室内で読書するのも、避暑の一つですね。

7月の学長ブログ

  オリンピックの新国立競技場建設費が2520億円に膨らんだことが話題になっています。このニュースを見ると、私は、今経済問題で苦しんでいるギリシャのパルテノン神殿の映像と重なって見えてしまいます。
 絶大な権力を集中させると、歴史的な建造物や芸術などを生み出す結果につながるようです。これは、大英博物館を見学したときにも感じたことです。その裏には、物言わぬ多大な民の犠牲や貢献があったことも歴史が教える通りです。問題は、こうしたことをどう思うか、です。私には、パルテノン神殿は素晴らしい、しかし、新国立競技場はバカげていると、単純には感じ取れないのです。
 新国立競技場の現行計画は、安藤忠雄氏が審査委員長を務めた審査委員会が最優秀に選んだ英国の建築家ザハ・ハディド氏のデザインが基になっているということです。関係者が多いので、詳しいいきさつは全く分かりませんが、私は、映像化されている設計案を見ると、「斬新ですごいなー」という第一印象を受けます。これだけのものが作れたらすごいし、見てみたい、と単純に思うのです。パルテノン神殿を見上げて「すごいなー」と思う感覚と似ています。
 さて、金の掛り過ぎる箱モノを作ることについて、多くの国民、住民は善意の反対論を主張するのが常です。私も概ね同意します。しかし、時間と金に余裕があるとき、「ひとつ海外旅行でもして良いものを見て来よう」と思い立ち、行くところは、ローマ遺跡であったり、大英博物館であったり、とにかく世界遺産レベルの著名な歴史的建造物が多く候補に挙がることを否定しません。この矛盾。「巨大な歴史的箱モノは見たいが、今日そのようなものを建造することは愚の骨頂である」という理性に内在する矛盾について、私は戸惑います。
実は、新国立競技場のデザイン案、私は嫌いになれないのです。何とかデザインを活かしつつ建築コストを引き下げる、技術的解決法は無いのでしょうか?

6月の学長ブログ

 最近、高音が聞き取りにくくなった、と感じます。加齢による聴力の低下は、誰も避けて通れぬ道だそうです。猫も同じです。猫も、加齢により高音が聞こえないのでしょうか?
 我が家には、「猫の額」ほどの芝生の庭がありまして、そこに、時々野良猫が入り込みます。通過するだけなら良いのですが、非常にありがたくない「置き土産」を夜中に置いていきます。そこで、インターネットで色々探した結果、超音波ネコ被害軽減器と称する品を見つけ、これを取り寄せて庭に設置しました。確かに、普通の若い猫は近づかなくなったように思います。しかし、近所をうろつく老齢猫が、何とこの超音波ネコ被害軽減器の目の前に「置き土産」を置いていきました。全く気にかけた様子がありません。私の理解では、猫も高齢化すると高音部の聴力が衰え、超音波などは無きに等しいのではないか、と。
 我が家には小さなサクランボの木もありまして、毎年真っ赤な実をつけます。が、鳥が来て全部食べてしまいます。そこで、パソコンプリンターを用いて大きな目玉の絵や猛禽類の羽の絵を描き、木にぶら下げてみました。しばらくの間、鳥は警戒して近づきませんでしたが、ある日、片っ端から食べられてしまいました。鳥は、危険かそうでないかを学習したのでしょう。
 という次第で、我が家の猫の額(芝生の庭)には事件がいっぱい起きます。事件解決に色々な技を試しているのですが、完全勝利には届きません。「他人の不幸は蜜の味」とか申しますが、私の難問、市民大学で解決できないでしょうかね(学長ブログならぬ学長ボヤキ)?

5月の学長ブログ

 今月は、土壌は女性の地位向上に貢献するか、という話題です。第68回国連総会(2013年)において、2015年を国際土壌年とすることが決議されました。その主文には「土壌は農業開発、生態系の基本的機能および食糧安全保障の基盤であることから、地球上の生命を維持する要です。さらに、土壌には、経済成長、生物多様性、持続可能な農業と食糧の安全保障、貧困撲滅、女性の地位向上、気候変動への対応、水利用の改善など、様々な問題を解決する可能性が秘められています。」(抜粋)と記載されています。
 私は、土壌を大切にすることが持続可能な社会を作ることに欠かせないことを十分に理解していますが、土壌を大切にすることがなぜ女性の地位向上に貢献するのか、今一つ分かりませんでした。
 実は、今年2月25日に守谷市で開催された「大好きいばらきネットワーカー」の県南ブロック大会で、「守谷の土」という模擬授業を行った際、180人余りの聴衆に向かって、この問題を宿題にして出しました。答えは、学長ブログ上で発表します、と高らかに宣言しました。
 ところが、その後、いくら調べても土壌を大切にすることが女性の地位向上に貢献する理由が見つからないのです。そこで、自分で考えることにしました。私の考えはこうです。豊かな土壌が存在する国は、文明が発達します。エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中国文明などは洪水によって運ばれ堆積した肥沃な土壌が支えたものであることは良く知られています。文明は、社会の知識レベルを向上させ、そのことが女性の地位向上において決定的に重要になります。つまり、土壌は文明を支えるから、結果として女性の地位向上につながる、というのが答えではないか、と考えます。ノーベル平和賞を受賞したマララさんが、女性の教育を受ける権利を主張しているのも、類似した考え方です。
 しかし、これだけでは漠然としていますね。もう少し具体的に、今日的な意味で土壌と女性の地位向上との関連を、今後も追究してみたいと思います。分かっているようで、よく分からない設問は、長く頭にとどめ、折に触れて考える、ということを繰り返すと良いのではないか、と気長に考えています。

4月の学長ブログ

 新年度のスタートです。新学期、新入社員、人事異動、転勤、転居、そして新緑、全てが新しくスタートします。もりや市民大学も新学期のスタート、まずは、4月10日に募集を開始した6月開講コースの募集からです。 
 「守谷を知る」をテーマとする総合コースは、地域づくりや地域福祉、子育てや守谷の自然環境などを学びます。例年のように、双方向授業によって教室が活性化することでしょう。 
 「守谷ふるさとづくり」をテーマとする専門コースは、過去だけでなく、現在と未来の守谷を作る方向で開講しますから、最後には受講生が自分の考えを発表する機会を設けます。ここから、具体的な協働の提案が生まれることも期待されます。 
 「緑と人の健康」をテーマとする専門コースは、緑によって人が癒されることを深く追究します。緑を活かしたまちづくりの真髄に迫ることでしょう。 
 これらとは別に、オープンコースという自由な短期コースが開講されます。イオンタウン守谷を会場とした若者主体の「Thursday night in MORIYA Part2~僕らの10年後の守谷~」と、広報誌に携わりたい人に向けた「Wordで作る広報誌―初級」、という2コースです。
 4月は、心機一転、何かを始めるに相応しい新緑の季節です。ひとつ、あなたも、もりや市民大学に接してみてはいかがですか?人生に新たな収穫が得られるかもしれませんよ。