学長ブログ

6月の学長ブログ

  「サタデー・ナイト・フィーバー」を記憶しておられる方はどれだけいるだろう?1977年、若者がディスコ文化を爆発させていた時代、アメリカ映画で主演のジョン・トラボルタが一躍有名になりました。当時30歳だった私は、研究論文の虫になっていて、娯楽映画からは遥かに遠ざかっておりましたが、それでも「サタデー・ナイト・フィーバー」という言葉は根深く記憶しています。「あれから40年!、今では※◎★♪」というのはお笑いのセリフですが、そうなんです、もう40年近くが経過したのです。
 ところが、この守谷に「サーズデイ・ナイト・イン・モリヤ」が登場しました。さすがに「フィーバー」は言い過ぎなので、抑えましたが、もりや市民大学がイオンタウン守谷2階コミュニティーホールで開講したオープンコースのことです。昨夜6月9日が第1回目でした。夜7時、ホールに近づくとちょこんと受付があり、中に入ると20名ほどの先客。さて、どんな講義になるのかな、と思いながら聞いていました。講師の西辻さんは守谷で「自然素材西辻弥」という企業を起こした40代の人です。若々しくて、溌剌とした話しぶりに、だんだんと身が入ってきます。その間に、次々と入場者が増え、ホールはほぼ一杯になるほどの盛況ぶり。
 西辻さんが「challenge」と「balance」をキーワードとして頑張ってきたこと、守谷を健康で健全な街にしたいと願っていること、農業生産者と生活者と地域をつなぐために役立ちたいと思っていること、などが熱く語られました。話が終わって拍手が送られたのち、活発な議論が展開され、ホール全体が「食べること」への関心をより強めることになりました。
 大きな拍手で終えた今期第1回のオープンコース、いやー、これなら「フィーバー」と名付けても良かったかな、と思うほどでした。司会の福田さん(市民大学運営委員)のリードの上手さも光っていました。西辻さん、福田さん、そして担当運営委員やサポーター、夜遅くまで1人の退席者も出なかったのは、あなた方のお力によるものです。快く会場を提供下さっているイオンタウンさんにも感謝です。次回以降のオープンコースにも期待しましょう。

5月の学長ブログ

 論語にいう「之を如何せんと曰わざる者には、吾之を如何ともするなきのみ。」という言葉が気に入っています。私の理解では、「どうしよう?とあれこれ悩む人には教えてあげられるが、そうでない人には何も教えられない」といった意味かと考えています。

 要するに、なかなかうまく行かないことがあっても、「どうしたら上手くなれるだろう」「どうすればより良くなれるだろう」と悩む人でないと、導き教えても無駄だ、といったことでしょう。自分で思い当たるのは、50歳で始めた軟式野球、65歳で始めたゴルフ、独学でやっているピアノのことです。どれも、年齢や体力や能力のせいにすれば、うまく行かないことは当然、と割り切ることができます。しかし、練習と工夫によって上達できるのであれば、その分、楽しみが増します。そこで、論語の言うように、「如何せん、如何せん」と悩む日々を積み重ねてきました。

 問題は、あれこれ悩み、教えを乞うても、なかなか上達せず、上手くもならないことです。「論語の教えを守っているのに、効果が出ない!」と、孔子さんに文句を言い始めます。 さて、どうでしょうか?孔子の教えは的確なのでしょうか?たとえば、野球です。少年野球を全く経験しなかった私が、50を超えていきなり軟式野球チームに入り、グローブも初めて買いました。それほどの無知から始めて、今では還暦野球の公式戦に出場できるようになったのですから、多少はできるようになりました。が、チャンスに打てません。ゴルフも若い時の経験が皆無で、65歳にして突如クラブを購入しゴルフ教室に通いました。やっとドライバーを打てるようになりましたが、アプローチがいけません。ダフリとトップのオンパレードです。ピアノは、現在ドビュッシーの「月の光」を練習中。ショパンの幻想即興曲は、ゆっくりなら何とか弾けるようになってきました。

 論語の教えは奥が深いです。今では「悩むべきか、悩まざるべきか、それが問題だ」となってきました。もう諦めようかな、とも思います。この迷い、今度はシェイクスピア的になってきました。支離滅裂です。

4月の学長ブログ

 守谷の散歩は、なかなか楽しいと思います。“幸福の路”ももちろんですが、住宅地を歩くのも快適です。週刊雑誌、日経ビジネスの1月25日号によると、活力ある都市ランキング(全国)の第8位に守谷市がありました。その理由をみると、「空き家が少ない」こと、「治安がよい」こと、「新しい住宅が多い」ことが記載されていました。特に、空き家の少なさは、何と全国1位だそうです。

 そのせいでしょうか、どこを散歩していても、家がきれいだな、とか、庭やアプローチがしゃれているな、などと、つい見とれながらの散歩になります。確かに、廃屋を見ることは滅多にありません。「ふーん、全国1位の住宅街か」などと勝手に解釈しながらの散歩です。この街をもっときれいにできないでしょうか?それも、協働の町づくりという方針の下で、です。

 本年、もりや市民大学の6月開講コースでは、専門コースとして「花のまちづくり園芸講座」を設置しました。ここでは、日本における園芸文化の歴史にも触れ、そして美しい街並みにもつながる家庭での装飾の工夫や公園での市民協働による花壇づくりの技術を習得する予定です。このコースを修了した受講生が、さらに美しい守谷を作ってくださるに違いありません。誠に楽しみです。

 そのうち、日経ビジネスには「最も散歩したくなる街ランキング」という項目を作ってもらいましょう。もちろん、初代1位は、守谷市になるのです。

3月の学長ブログ

 先月のブログで予告したとおり、3月12日土曜日、東京大学農学部の弥生講堂にて、「食料は足りるのか」というテーマのシンポジウムが開催されました。
 「世界の食料問題と日本のポジション」は、名古屋大学の生源寺眞一教授が農業経済学の観点からお話になりました。経済学的なデータ表をたくさん見せてくれましたが、専門的内容に入ると、難しく感じました。「水と気候変動と食料生産」は、東京大学生産技術研究所の沖大幹教授が工学的な予測技術を駆使した最先端知識を展開してくれました。3番目は「人間と食料」というタイトルで私が35分ほど講演しました。聴衆から「分かりやすかった」と言われました。4番目は「魚が獲れなくなることは大問題か?」で、東京大学の黒倉壽教授が問いかけました。海外の専門研究者同士の論争紹介が中心であり、ついていけませんでした。最後の「100億人を扶養するための食料生産:挑戦と課題」は、つくばの国際農林水産研究センターの岩永勝理事長が、ローマクラブ報告「成長の限界」に立返り、包括的・俯瞰的にお話くださいました。
 このシンポジウム、弥生講堂305座席が99%埋まりました。赤ちゃん連れのお母さん、高校生、大学生、大学院生、ジャーナリスト、出版社、農業実践者、高校教師、地方大学教員、主婦、退職者、など、多種多様な参加者が集まり、とても熱心に聞いておられました。食べることへの関心の高さは、どこへ行っても変わらないものだと、改めて感心しました。
 さて、3月26日は、我がもりや市民大学でも脇雅世さんをお迎えして「天皇の料理番の料理番来る!」と題する公開講座を開きます。ここでも、多種多様な参加者で全席満員となることは間違いありません。どんなお話を聞けるか楽しみですね。いつの世も、衣・食・住は、市民最大の関心事といって良いでしょう。ただし、平和な世の中であればこそ、です。 

2月の学長ブログ

  暖冬、と言われて始まったこの冬、確かに「気温が高いな」と思う日々もありましたが、1月から2月にかけて、寒い朝や寒い日が結構続きました。12月末には車をスタッドレスタイヤに履き替え、「いつ雪が降っても大丈夫」と準備してきましたが、これまでのところ守谷では雪が降っていません。せっかくスタッドレスに替えたのだから、1度ぐらい雪が降ってくれても良いな、と思う次第です。
 それにしても、日本人は天気予報が好きだな、と思います。かつてアメリカで1年間在外研究を行ったとき、毎日のテレビで天気予報を見ていましたが、非常に大雑把な印象を受けました。何しろ東西4時間の時差がある国全体の天気予報ですから、予報対象のサイズがでかい。「低気圧が来て風が吹き、天気が荒れるでしょう」といった予報の対象地域は、私が住んでいたカリフォルニア州を含む、オレゴン州、ネバダ州、アリゾナ州などの広域で示されます。確かにおおまかな予報は理解できますが、果たして自分が出歩く時間帯に、その行先で雨が降るか、晴れるか、風が吹くか、などと言った詳細な予報は得られませんでした。日本では、例えば「茨城県南では雨、水戸では雪になるでしょう」などと言った親切な天気予報は、当然と思って受け止めます。しかし、カリフォルニアでは、日常のテレビ番組での天気予報には、そういったピンポイントレベルの天気予報はありませんでした。
 話は変わりますが、海外から見た日本、というものは、恐らく全体としての状況をマクロに感じ取るのだと思います。我々日本人は、常に内部から、細かい違いや変化を敏感に感じ取って生活していますが、全体の状況を感じ取る機会が少ないかもしれません。天気予報のスケール感覚と同じで、自分に直結する詳細を知りたがる割に、全体の動向には案外と鈍感かもしれません。
 そういった次第で、日本の天気、ではなくて、経済や政治や社会といった大きな動向についても、ローカルな理解だけにとどまらず、大局的に感じ取ることが必要だろうと思います。そんな思いを抱きながら、実は、3月に東京大学で開催される「食料は足りるのか」というテーマの公開シンポジウム講演を準備中です。私が話す内容は「人間と土壌」です。世界全体から見て、人間と土壌はどう関わっていけばよいのか、大局的見地からお話しできればいいな、と思案している今日この頃です。